ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

消費税に軽減税率を導入するなら、まずはインボイス方式に改めよ!

2013年01月15日 10時00分39秒 | 国際・政治

 このところ、新聞報道で消費税の軽減税率が取り上げられています。自民党は導入に慎重ですが、公明党が積極的です。今日の朝日新聞朝刊3面14版のに掲載されている「軽減税率なお平行線 自公、導入時期で対立」という記事によると、公明党は2014年4月から軽減税率を導入するように主張しています。これに対し、自民党は、基本的に軽減税率を導入しないという方向のようです(2015年10月からの導入という意見もあるようですが)。

 今年の7月に行われる予定の参議院議員選挙への対策をはじめとして、それぞれの政党の思惑はあるものと思いますし、両党で具体的にどのような議論が行われたのかということまではわからないのですが、私は、昨年の1月3日付で記した「大晦日に青葉台で買った本から、消費税の正当性を訴える本を取り上げてみました。」でも記した通り、軽減税率の導入には反対の立場をとります。

 但し、昨年の記事から見解を改めました(訂正に近いものとなります)。そこでは「日本の場合はインボイス方式でないために軽減税率を導入すると面倒な話になる、ということもあるのですが、それは大した問題ではありません」と書いたのですが、これは誤りでした。「大した問題」であり、消費税の仕組み、付加価値税の構造という根本的な問題に関わる深刻な問題なのです。

 税制に限らないことなのですが、軽減税率についても、実に単純な議論が横行しています。当たり前の事実を忘れているのです。そのためにずさんな比較となり、拙速となり、失敗につながるのです。

 日本の租税法学などでは常識的な事柄ですが、日本の消費税は付加価値税の中でも他の国に例がない構造です(Alan Schenk and Oliver Oldman, Value Added Tax, A Comparative Approach. Cambridge University Press, 2007という本でも、日本のみのものとして取り上げられています)。

 何が独特なのかというと、付加価値税の肝である仕入税額控除のやり方にあります。日本の仕入税額控除はアカウント方式または帳簿方式などと言われているのですが、この方法を採用し続ける限り、軽減税率などできません。少なくとも、まともに施行されえません。仮に軽減税率を導入すれば、必ず、納税・徴税の現場で大混乱を招き、納税義務者である事業者や税理士業界などにしわ寄せが及びます。このような部分にまで目を向けない議論は、政策論としては失格でしょう。

 軽減税率を導入するというのであれば、まずはアカウント方式を完全に廃止し、EU諸国としてほとんどの付加価値税導入国では当たり前となっているインボイス方式に切り替える必要があります。そこから始めなければなりません。軽減税率を採用する場合にインボイス方式を採るのは世界の常識(いや、常識以前)の話なのです。

 実は、1980年代、日本で消費税の導入に関する侃々諤々の議論が行われた時に、インボイス方式の採用も念頭に置かれていました。しかし、納税義務者となる事業者の猛烈な反対により、アカウント方式になったのでした。理由は、要するに面倒だからというものです。たしかに面倒なのですが、他の国々では行われていることですから、そもそも、日本の事業者は消費税の納税義務者となりうる能力など持ち合わせていない、ということを世界に証明したようなものです。目先のことを優先して問題を先送りし、解決の困難性を増大させる結果に終わるという、日本にありがちな傾向がよく現れています。

 アカウント方式では、基本的に売り上げも仕入れも事業者の帳簿のみで判断します。しかし、これでは仕入れの額、仕入れにかかる税額、売り上げの額、売り上げにかかる税額などがわからない場合がありますし、消費税が適正に転嫁されているのかどうかについて、どうしても不正確になります。そもそも、売り上げの額や仕入れの額を消費税込みで処理しているのか抜きで処理しているのかという問題もありますし、帳簿に記載があるのに証拠書類がないという問題もあります。

 そのため、現在ではアカウント方式によりながらも、仕入税額控除を受けるためには帳簿、請求書、領収書などを「保存」しておかなければならないことが、消費税法第30条第7項に定められています。しかも、ここにいう「保存」は文字通りの意味に留まらず、税務調査の際にこれらを税務職員に提示することを含むというのが実務の扱いであり、最高裁判例(最一小判平成16年12月16日民集58巻9号2458頁)でもあります(http://kraft.cside3.jp/steuerrecht32-2.html も御覧ください)。この扱いについては「保存」の拡張解釈であるなどという批判があるのですが、考えようによってはアカウント方式を採用しているからこそ生ずる問題であると言えるでしょう。

 もう一つ、アカウント方式を採用しているために生ずる厄介な問題が、免税事業者の存在です。売り上げ額が或る一定の金額を下回ると免税事業者になり、消費税を納める義務を負いません。その代わり、仕入れにかかる税額を控除できません。詳しいことはhttp://kraft.cside3.jp/steuerrecht32-2.htmlや租税法学の教科書などを参照していただきたいのですが、流通過程(取引過程)に免税事業者が入ると、その免税事業者は勿論、他の事業者についても仕入税額控除ができなくなります。もっとも、外から見ただけでは免税事業者か否かということなどわからないことが多いでしょうから、ここで別の変な話が発生する可能性もあります。

 インボイス方式は、インボイス(仕送状などと訳されます)や請求書に税額が記載されていることを要求します。インボイスは事業者から事業者へ、取引の度に渡されることになります。インボイスがない、または税額が書かれていないインボイスがある、というような場合には、仕入税額控除が認められません。そのため、免税事業者が取引から排除されるということになり、これが日本では大きな問題となりえますが、取引そのもの、仕入れの額、売り上げの額、それぞれにかかる税額に関する明確な証拠書類が最初から存在しますので、後々の計算が楽でしょう。保存、提示の問題も、アカウント方式に比べれば煩雑性は少ないはずです(制度の前提となっているため)。結局は、最終的に消費税を負担させられる消費者にとっても、インボイス方式のほうが利益となるはずです。

 軽減税率を採用するということは、消費税に複数の税率を持ち込むということです。従って、納税義務者の申告が行われやすいように制度を組み立てなければなりません。それは、単に、申告書に税額を書き込むということではなく、様々な計算など全体が簡明な制度でなければならないということです。或る意味で、携帯電話などで日本が陥っている「ガラパゴス」状態(あまり良い言葉とは思えませんが)である消費税を、世界の常識に適うものに変更しなければ、そもそも軽減税率など採用できません。インボイス方式に全面的に移行して、その次にようやく適用例などの問題を検討することができます。

 繰り返しますが、誰にしわ寄せが及ぶのかを考えていただきたいものです。納税義務者はもとより、税務を実際に担当する者が混乱するのです。それでは悪い税制ということになります。

 消費税については、他にも簡易課税制度(消費税法第37条)など、再検討しなければならない問題が多いはずです。単に税率の問題で終わるのでは不十分です。

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初雪

2013年01月14日 12時17分22秒 | 日記・エッセイ・コラム

 朝早い時間には雨が降っていましたが、午前中に雪に変わりました。

 朝日新聞デジタル速報ニュースでも「東京都心で初雪」と報じられています。

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今日からiPhone5

2013年01月12日 18時34分21秒 | デジタル・インターネット

 以前から切り替えようと思っていました。今日、iPhone5に変えたのですが、さて、どのようなものなのでしょうか。

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存廃問題に揺れる近鉄内部線・八王子線に乗る(その3)

2013年01月09日 00時07分54秒 | 旅行記

  〔今回は、2012年12月3日付で、私のホームページの「待合室」に第503回として(12月11日まで)掲載したものを再掲載します。但し、文章の一部を変更しています。また、以前このブログに掲載した記事と重複する部分もあります。〕

 内部から12時35分発の近鉄四日市行きに乗りました。南日永駅のホームに「交通調査実施」の案内がありました。11月6日に行われるとのことでしたが、どのような結果になったのでしょうか。時期が時期だけに、廃止か存続かを判断するために行われる調査であることは明らかです。

 12時45分、日永に到着しました。ここで八王子線に乗り換えます。八王子線の電車は、西日野行き、近鉄四日市行きのどちらも3番のりばに到着します。12時48分に日永駅を発車し、12時51分、終点の西日野に着きました。日永の次の駅ですので、すぐです。距離はわずか1.3キロメートルとのことです。

 西日野駅です。無人駅で、自動改札機などはありませんので、ICカードも使えません。自動券売機はありますが、この写真では見えません。駅名標の真裏のような場所にあり、運賃表は反対側の壁にあるという、非常に使いにくく、わかりにくい配置となっています。この日は、御覧のように小学生が駅に入ってきました。遠足か社会科見学かはわかりません。

 八王子線の終点はこの西日野駅です。内部線との分岐点である日永の次の駅ですから、線名にある「八王子」という名称の駅はありません。これだけでは昔の国鉄のローカル線などと同じということになりかねませんが、実は、かつて、西日野の先には室山と伊勢八王子という駅があり、伊勢八王子が終点でした。そのために、現在も八王子線という名称のままとなっています。もっとも、地元では西日野線とも言われているようです。

 1974年、四日市市は集中豪雨に襲われました。この時、八王子線のそばを流れる天白川が氾濫し、八王子線は運休します。近鉄はこれを機に八王子線の全線廃止を打ち出すのですが、1976年、日永から西日野までは復旧し、運行を再開します。一方、日永から伊勢八王子まではそのまま廃止されました。この折に西日野駅は移動しており、日永から西日野までの距離も少しばかり短くなっています。

 西日野駅前には自転車置き場があります。御覧のように自転車が多く、ほぼ満車という状態です。自転車置き場は他にもありました。この台数からして、廃止が議論されるような路線の駅とは思えません。どう見ても、この自転車は八王子線を利用する乗客の物です。平日の日中や休日はともあれ、通勤通学の時間帯にはそれなりに多くの客が八王子線を利用するはずです。

 右側には昔ながらのおなじみの柵があります。その右側が廃線跡ということになります。この先、天白川に沿う形で伊勢八王子に向かっていたのです。

 内部線の終点である内部駅の周辺とは違う雰囲気ですが、駅前には住宅が多く、通勤・通学のために八王子線を利用しうる住民は少なくないものと思われます。つまり、潜在的な利用客は少なくない、ということです。これだけ自転車が多いとなると、バスで処理するには大変かもしれません。

 駅前の道路です。こちらはあまり通行量が多くないのか、閑散とした雰囲気が漂います。幹線道路とは言えないので、自動車が少ないのかもしれません。平日の日中という時間帯のためでもあるのでしょう。ただ、渋滞さえなければ自家用車を利用するほうが速い、ということは言えます。

 バス停がありますが、本数などを確認していませんので、どのような状況であるのかはわかりません。水害のためとは言え、西日野から伊勢八王子までの路線が廃止されたことが、八王子線の輸送力を低下させたという可能性もあります。そうであるとすれば、八百津線の廃止によって広見線の新可児~御嵩まで廃止される可能性が出てきた名古屋鉄道と同様に、廃止による悪循環が生じるということも考えられます。

 今となってはわかりませんが、八王子線はこの道路に沿う形で伊勢八王子まで走っていたのでしょう。上の写真では道路の左側に天白川が流れており、室山駅、伊勢八王子駅もこの川の沿いにありました。西日野駅も、元はこの交差点の右側、上の写真では右側の少し奥の辺り(ガードレールの右側)にあったようです。

 私が日永から乗った電車です。ここで折り返し、そのまま近鉄四日市行きとなります。ク163、サ123、モ264の3両編成で、ク163はオレンジとピンクが混ざったような色、サ123はピンク色、モ264は黄色です。パステルカラーということなのでしょうが、やはり、こうも色がバラバラであるといかにも寄せ集めのような感じがしますし、車両の保守管理の面でもコストが高くつくような気がします。

 幼少時から東急線のファンである私としては、せめて編成毎に色調を統一していただきたいものです。1990年代から、東急各線では、色といい、車両数といい、編成の統一が図られているため、非常によく均整がとれています。その点では大手私鉄でも美的感覚がとくに優れているのではないかと感じています。近鉄内部線・八王子線も、かつては近鉄の通勤車両の標準である色で統一されていました。そのほうが格調高いような気がするのです。

 こうして、初めての訪問にして内部線・八王子線の全線に乗ることができました。たしかに昔よりは乗客が減少しているであろう、ということは否定できないのですが、沿線の人口が絶対的に少ない地域を走るローカル線などと比べれば、内部線・八王子線は、まだ多くの利用客を得る可能性が高い鉄道路線ではないでしょうか。それに、BRT化して便利になるとも思えません。線路を撤去したところで、軌道敷の幅が広くなる訳でもありません。単線の鉄道ですので、道路化しても一方通行でおしまいというところです。バス専用道路にしても離合場所(交換場所)が必要になります。軽便鉄道で残し続けるには経費がかかりますので、改軌して残すことはできないのでしょうか。近鉄四日市駅で接続する湯の山線も、元はと言えば軽便鉄道ですが、名古屋線と同じ1435ミリメートル(世界標準軌)に改軌したことで、特急が乗り入れる路線にまでになったのです(現在は乗り入れていませんが)。

 考えようによっては、近鉄の路線であったからこそ、内部線・八王子線は生き残ったのかもしれません。軽便鉄道は、戦前からその多くが姿を消しており、戦後に残った所もほとんどが1970年代までの間に姿を消してしまいました。1990年12月には岡山県の下津井電鉄線も営業を終え、それから、富山県の黒部峡谷鉄道を除けば三重県内の路線のみとなったのです。しかも、北勢線、内部線、八王子線は、いずれも三重交通→三重電気鉄道→近畿日本鉄道という歴史を経ています。そうでなければ、3線とも1970年代までに全廃されていた可能性も高かったものと思われます。

 しかし、今も軽便鉄道のままであるということで、かつては低額の資金で運用できた路線も、現在は高くつくこととなってしまいました。線路の幅がJR在来線や近鉄南大阪線などと同じ1067ミリメートルか、近鉄大阪線や名古屋線と同じ1435ミリメートルであれば、他の路線の中古車を導入するようなこともできます。実際、近鉄から分離した伊賀鉄道伊賀線には元東急1000系が走っています。しかし、内部線・八王子線の車両を更新するとなると、よそから中古車を購入する訳にはいきません。新車を発注しなければならないのです。これではコストがかかります。

 何故、三重県に最後まで軽便鉄道が残り続けたのか。何故、近鉄が軽便鉄道を維持し続けたのか。私には不思議に思われてなりません。

 (2014年8月28日に動画を追加)


YouTube: 近鉄八王子線側面展望(西日野→近鉄四日市)

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存廃問題に揺れる近鉄内部線・八王子線に乗る(その2)

2013年01月08日 00時02分44秒 | 旅行記

  〔今回は、2012年11月26日付で、私のホームページの「待合室」に第502回として(12月3日まで)掲載したものを再掲載します。但し、文章の一部を変更しています。また、以前このブログに掲載した記事と重複する部分もあります。〕

 近鉄四日市駅11時30分発の3両編成の電車で、終点の内部に向かいました。線路の幅が狭い、いわゆる軽便鉄道の部類に入る路線のため、モ262はつりかけ駆動のモーター音を高らかに鳴らして走ります。今や大手私鉄でつりかけ駆動の電車が走っているのは、ここ内部線・八王子線のみとなりました。これは、車両のサイズの関係で技術的にカルダン駆動の採用が難しかったという理由によります。同じく軽便鉄道で、かつては近鉄が運営していた三岐鉄道北勢線の電車も、つりかけ駆動を採用しています。

 もっとも、三重交通時代に垂直カルダン駆動の4400系が登場していますし、越後交通栃尾線にも同じく垂直カルダン駆動の電車が登場していますが、構造が複雑で扱いにくい、などの理由により、垂直カルダン駆動は普及せず、廃れてしまいました。栃尾線は1970年代に全廃されていますので車両はありませんし、三重交通4400系は動力を外されてしまい、200系となりました。現在は三岐鉄道北勢線でクモハ277に牽引される形で運用されています。

 内部線、八王子線とも、四日市市内のみを走ります。近鉄四日市を発車して、住宅地の中を走ります。気になったのは、築年数がかなり経過した民家が多かったことです。鉄筋か鉄骨の建物も見えますが、木造2階建ての民家が多く、どう見ても昭和30年代か40年代からの建物が目立ちます。南日永から農地や藪が多くなります。交換駅の泊の辺りは、私が住んでいる高津区の久地あたりに似ていましたが、現在の久地というより1980年代の高津区の住宅地に似ているような気がします。眺めているうちに気分だけがタイムスリップしたかのような錯覚を覚えました。追分から田畑も多くなり、終点の内部に到着しました。

 私が乗っていたモ262は近鉄四日市側の車両ですので、その反対側の先頭車であるク162を撮影してみました。一枚窓で、視界を広く取っています。窮屈そうな乗務員室ですが、中に入る訳にはいきません。鉄道営業法第33条第3号で禁止されているためで、この規定に違反する行為については刑事罰に処せられることとなります。

 終点の内部駅は有人駅です。つまり、駅員が配置されています。前回も記しましたが、近鉄内部線・八王子線での有人駅はここと近鉄四日市駅のみです。どこかの民家を二つくらいつなげたかのような構造で、私が小学生の頃に高津区内の某所にあった学習塾を思い出しました。

 内部駅には自動券売機が一台だけありますが、自動改札機はありません。軽便鉄道(ナローゲージ)の近鉄線の駅で自動改札機を設置しているのは近鉄四日市駅だけのようです。ちなみに、かつて近鉄の路線であった三岐鉄道北勢線では、西桑名と阿下喜に自動改札機があることを確認しています。

 大手私鉄で無人駅と言えば、何と言っても名鉄で、その多さには驚かされますし、名古屋本線の豊明駅は最大規模の無人駅であることでも有名です。その次に多いのはどこかというのはわからないのですが、近鉄で無人駅が増えていることが報じられています。

 以前、西鉄宮地岳線に乗って終点の津屋崎駅で降り、周辺を歩いた時のことを思い出しました。津屋崎で見たのはスローガンのみが書かれた紙でしたが、こちらでは写真がベースとなっています。今年になってからこのように掲げられているのでしょうか。地元での運動の様子が気になるところです。

 四日市市は、内部線・八王子線のBRT化に反対しています。実際に見ると、軽便鉄道の単線をそのままバスの専用道路とするのは無理でしょう。本数も限定されますし、何よりも電車と同じで交換(離合)しなければならず、所要時間が長くなる可能性があります。輸送量も、いかに軽便鉄道の小型電車とはいえ、3両も連結していれば、バスより大きいでしょう。これまで、BRTなどと言わないバス専用道路の路線があり、その中には国鉄バスが運行されていた路線もあるのですが、路線そのものが廃止されるか、専用道路が縮小されるか、そのいずれかとなっています。

 内部の駅前の道路に出ました。バス通りですが、幹線ではないらしく、自動車の通行量もそれほど多くないようです。周辺には商店街もなく、住宅地で、人通りもあまりありません。終点としては実に中途半端であるという印象を受けます。当初からこの内部を目的として鉄道を敷いたとするならば、この辺りが宿場町であった、交通の要衝であった、などという理由があるはずです。しかし、内部に関してはそのようなことがないようです。

 後に調べてみると、実は、内部線は鈴鹿方面への連絡を目的とする路線であったということです。しかし、建設資金のためなのか、内部からの延長はかなわなかったのでした。

 この先の交差点で国道1号線と合流します。内部線のルートは、ほぼ国道1号線と並行しており、泊駅から車窓でも見ることができます。さすがに国道1号線の交通量は多いようです。

 内部駅には車庫があります。内部線・八王子線を走る全車両がここに所属しており、点検などを受けます。ク161が停まっていたので、撮影してみました。後にあるモ260形のパンタグラフの大きさが目立ちます。

もう1枚、撮影しました。

 駅の周りに商店があまりなく、コンビニエンスストアもありませんが、郵便局などはあります。道路を挟んで、駅の反対側に、狭いながらも自転車置き場があり、この辺りでは自転車が多いこともわかります。

 ちょうど昼時となりました。この先のことを考えて、内部で昼食をとることとします。駅前の交差点のそばに「だん長」というお好み焼き屋兼飲み屋があったので入り、昼食をとりました。何故か、店のテレビの画面に映されたのは東京の吉祥寺にある賃貸マンションでした。どう見ても関東ローカル番組という内容です。

 この写真だけを見ると、日本の至る所にありそうな風景という感じがします。自転車が並べられていて、いかにも駅前という感じがしますし、住宅が建ち並んでいるところは首都圏の郊外を思い起こさせます。このような場所を走る鉄道路線が廃止の危機に瀕しているとは思えないのですが、やはり自動車社会の進展も、この住宅地の拡大とともに生じているのでしょうか。

 内部地区の案内板がありました。すぐ近くに旧東海道、つまり国道1号線が通っているためでしょう。この先で内部川を渡り、しばらく走ると鈴鹿市に入ります。一方、反対側に進めば近鉄四日市駅付近の市街地に向かうことができます。

 この案内板のある道路は国道1号線ではなく、県道407号線ですが、旧東海道のルートです。追分駅付近で再び国道1号線と合流します。おそらく、旧国道1号線の部分でしょう。現在の国道1号線は内部駅の東側、小古曽駅の東側を通ります。

 三重交通(三交)バスの内部駅前バス停がすぐそばにありました。近鉄四日市駅方面へのバス路線が通っています。内部線の電車は平日の日中に、1時間あたり2往復が通っています。おそらく、バスの本数はもっと少ないだろうと思い、時刻表を見てみました。

 案の定、少ない本数です。下に路線図もありますが、完全に内部線と競合する、とも言えない路線でした。平日でも7時台にならなければここにバスが来ません。しかも7時台で2本、8時台で1本です。これでは通勤に使えません。終バスは、平日で19時、土曜・休日ですと18時50分です。内部線が廃止されたらバスの本数が増える、というのでしょうか。そのように考えるのは早計ではないか、とすら思えてきます。所要時間や運賃までは確認していませんが、バスの場合は渋滞ということも考えられますので、所要時間はあまり当てにならないかもしれません。内部線よりよいと思われるのは、車椅子利用者が乗車する場合でしょうか。

 12時35分発の電車が内部駅で発車を待っていました。これに乗ることとしますが、まだ時間があります。モ263+サ124+ク115の3両編成で、写真のモ263は薄い紫色、サ124が緑色、ク115が黄色です。先程、内部に来る電車に乗った際に、泊駅で交換した編成でした。

 内部車庫は、近鉄の名古屋輸送統括課運輸部車両課富吉検車区の管轄下にあるようです。富吉検車区は名古屋線の富吉駅に隣接しており、愛知県の蟹江町にあります。名古屋線の車庫は白塚駅の近くにもあります。

モ263の側面です。

次はサ124の側面です。

 そしてク115です。末尾の番号が統一されていませんが、編成は組み変わったりするのでしょうか。なお、このク115はクロスシートではなく、ロングシートを備えています。また、ク110形はサ360形を改造した車両で、三重交通時代に製造された車両ですが、モ260形と同じような前面に変化しています。

 この電車に乗り、日永へ向かいます。

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存廃問題に揺れる近鉄内部線・八王子線に乗る(その1)

2013年01月07日 07時50分10秒 | 旅行記

   〔今回は、2012年11月11日付で、私のホームページの「待合室」に第501回として(11月25日まで)掲載したものを再掲載します。但し、文章の一部を変更しています。また、以前このブログに掲載した記事と重複する部分もあります。〕

 このブログに、2012年8月22日付で「近鉄内部線・八王子線が廃止される可能性」という記事を掲載しました。以前から問題があったことは知っていたのですが、近鉄(近畿日本鉄道)は内部線(近鉄四日市~内部)および八王子線(日永~西日野)を廃止し、バス路線に転換する方針を固めました。ブログにはこのことを取り上げて書きました。私のブログには珍しいことに、多くのコメントをいただきました。しかし、一度も利用したことがなく、かつ、三重県は近鉄特急で一回通過したことがあるだけです。これでは話にならないので、大学祭による休講期間を利用し、11月1日に内部線と八王子線に乗ってみることとしました。

 私は川崎市高津区、東急田園都市線の沿線に住んでいます。そこで、田園都市線の下り電車に乗り、あざみ野で横浜市営地下鉄ブルーラインに乗り換えます。新横浜で降り、9時9分発の「のぞみ」103号に乗ります。10時34分、名古屋駅に到着しました。半年前にも名古屋駅を利用したので、近鉄名古屋駅の場所はわかります。10時41分発の急行松阪行きに間に合い、近鉄四日市まで乗りました。特急に乗らなかったのは、特急券のための支出を抑えたかったからです(それに、近鉄四日市までならば、所要時間もそれほど変わりません)。

 近鉄名古屋線はJR関西本線と競合しており、名古屋から四日市までは並行していたり、交差したり、ということを繰り返しています。本数と速さの面において近鉄名古屋線のほうが利便性に勝りますが、運賃はJR関西本線のほうが安く、最近では快速「みえ」などによってシェアを増やしているようです。名鉄名古屋本線と異なり、JRが逆転勝利している訳ではないのですが、差は縮まっているようです。関西の大手私鉄は軒並みJR西日本との競争に敗れており、私鉄王国は見るも無残な姿となってしまいました。もっとも、近鉄については、競合するJRの路線が関西本線、奈良線、桜井線といったところであるため、まだ優位に立っているとは言えますが、JRの追い上げが激しくなっています。

 もう一つ、注意しなければならないのが、関西地方(特に京阪神地区)の経済力が衰退していることです。近鉄もこの影響をまともに受けているようです。ここ10年ほどの間、近鉄は合理化、ダウンサイジングに取り組んでいます。

 そもそも、近鉄は戦時中の交通統合の動きなどによって路線網を拡大した会社で、よく日本一の私鉄などと言われていますが、それは路線網の営業キロ数の面だけです。会社の規模を示す指標の一つである資本金で比較をするならば、近鉄は2012年3月末日の時点で927億4100万円であり、日本一ではありません。最大の会社は東急で、2011年3月末日の時点ではありますが1217億2400万円です。1000億円を超える資本金を有する鉄道会社は東急だけなのです。その東急の営業キロ数は100キロメートル前後に過ぎませんから、近鉄の5分の1弱に過ぎないのです。敢えて単純化して記すならば、近鉄は資本力の割に過大とも言える路線網を抱えていると評価できる訳です。

 そればかりではありません。年間輸送人員の面からしても、近鉄は日本一の私鉄ではありません。日本民営鉄道協会が発表している数字を参照してみましょう。次の通りです。

 (1)東京地下鉄(東京メトロ):23億219万7千人

 (2)東急:10億6259万人←帝都高速度交通営団が民営化されて東京地下鉄となるまでは、大手私鉄でも第一位を誇りました。輸送密度でも日本一で、これは世界一でもあるとも言われています。

 (3)東武:8億6308万7千人←営業キロ数では近鉄に次ぎます。

 (4)小田急:7億1040万5千人

 (5)阪急:6億323万3千人

 (6)京王:6億2543万9千人

 (7)西武:6億1777万1千人

 (8)近鉄:5億7352万2千人

 (9)京急:4億3735万1千人

 (10)名鉄:3億4038万6千人←かつては営業キロ数で近鉄の次でしたが、現在は東武の次です。

 (11)京阪:2億8059万9千人

 (12)京成:2億5880万8千人

 (13)相鉄:2億2757万7千人

 (14)南海:2億2606万5千人

 (15)阪神:2億520万2千人

 (16)西鉄:9909万7千人

 以上から、近鉄の年間輸送人員数は多くないということがわかります。そして、この数を大阪線、奈良線、名古屋線、京都線、南大阪線などの主要路線で稼いでいるとするならば、支線区は乗客が少なく、経費ばかりかかる路線となっていることも、想像に難くありません。現に、2011年の秋から、吉野線の無人駅が増えています。資本力を考え合わせると、とてもローカル線に手を回せるような状況ではないのかもしれません。とくに、大きな影響を受けているのが三重県内の路線です。

 まず、北勢線(西桑名~阿下喜)が、近鉄から三岐鉄道に譲渡されました。20世紀最後の年である2000年、近鉄は同線の廃止を打ち出します。当初はバス路線化する予定でしたが、鉄道路線としての存続が決まり、2003年に三岐鉄道の路線となりました。

 続いて、2005年、近鉄は伊賀線(伊賀上野~伊賀神戸)について見直しを表明しました。赤字路線であったためで、詳しいことはわかりませんが沿線自治体との協議の結果、いわゆる上下分離方式による存続が決定されました。近鉄は同線を完全に手放す訳ではなく、第三種鉄道事業者として線路などの施設を保有し、新たに設立された伊賀鉄道(近鉄も出資しています)が第二種鉄道事業者として伊賀線の運営や運行をすることとなりました。伊賀鉄道の路線として営業を開始したのは2007年10月のことです。

 同じ2007年10月には、養老線(桑名~大垣~揖斐)が近鉄から養老鉄道に移管されます。伊賀線と同じく赤字路線であったためで、近鉄は第三種鉄道事業者、養老鉄道は第二種鉄道事業者です。但し、養老鉄道は近鉄の100%子会社で、出資者の点で伊賀鉄道と異なります。

 そして、2012年、近鉄は内部線および八王子線の廃止を表明します。実は、近鉄が北勢線の廃止を表明する段階で、その次に内部線と八王子線が存廃問題の渦中に入ることは予想されていました。それだけではありません。1974年、水害のために八王子線の西日野~伊勢八王子が運休となり、2年後に廃止されていますが、この時にも近鉄は八王子線の廃止を打ち出していました。そのため、少なくとも八王子線に関しては二度またはそれ以上の危機に直面していることになります。

 近鉄四日市駅に到着し、名古屋線から内部線・八王子線に乗り換えます。名古屋線と湯の山線のホームは高架線にあるのですが、内部線・八王子線のホームは高架線の真下の地上にあります。同じ近鉄線の路線ですが、乗り換えるためには名古屋線および湯の山線の改札口を出なければなりません。2階にある南改札口を出て、近鉄百貨店四日市店とは逆の方向にある出口の奥にある通路に入り、一旦階段を上り、今度は下って行くと、また改札口があります。そこを抜ければ9番のりばと10番のりばで、9番が内部線、10番が八王子線となっているようです。

 時刻表を見ると、内部行き、西日野行きともに、原則として30分毎に発車していることがわかります。ローカル線としては本数が多いでしょう。JRのローカル線ですと、何時間も待たされるような本数しかないようなところも少なくありませんから〔今年の春に廃止の方針が表明された岩泉線(JR東日本)は、全区間走行する列車が一日で3往復しかありません〕、近鉄の内部線・八王子線が廃止されるというのであれば、JRのローカル線の大部分は廃止されざるをえないでしょう。四日市市内のみを走る路線であるということを考え合わせても、本数の点からすれば内部線・八王子線の利便性は決して低くありません。

 かつては首都圏でも見られた行灯式の行先案内表示機です。近鉄四日市駅の名古屋線のほうでは反転フラップ式(通称パタパタ式。回転式ともソラリー式とも言われています)が使用されており、これも首都圏では見かけなくなりましたので懐かしさを覚えました(かつて営団地下鉄の駅で使用されていましたが、半蔵門線の駅では見たことがありません)。行灯式は、JR武蔵溝ノ口駅で、駅舎が地上の北口のみにあった時代に見ましたが、他にどこの駅にあったのかは覚えていません。

 11時30分発の内部行きとなる電車が9番のりばに入ってきました。意外に降りる客が多くて驚きました。さらに驚いたのは、3両とも色が違うことです。パステルカラーというべき塗装となっており、おそらくはイメージアップを狙ったのでしょうが、これは逆効果ではないかと私には思われました。実際には違うのですが、あちらこちらから車両を寄せ集めてきたかのような印象を受けるのです。上の写真の編成では薄緑+青緑+青ですが、別の編成では紫+緑+黄などとなっていて、同系色でまとめられている訳でもなく、かつての国鉄末期のような印象すら受けます。私が生まれ育った川崎市を縦貫する南武線では、国鉄末期にカナリアイエロー(総武線の色。南武線もこの色)+オレンジ(中央線の色)という編成があり、さらにカナリアイエロー+オレンジ+スカイブルー(京浜東北線の色)という編成もありました。他の路線でも似たような例があり、他の路線の中古車ばかり寄せ集めた路線の宿命とも言えたのです。

 上の写真を御覧になって、「随分と小さな電車だな」と思われた方もおられるでしょう。妻も同じことを言いました。それもそのはず、内部線と八王子線の線路の幅は762ミリメートルしかありません。JRは新幹線および東北地方の一部の在来線を除いて1067ミリメートル、新幹線、近鉄名古屋線、同大阪線、阪神線、阪急線、京浜急行などは1435ミリメートルですから、内部線および八王子線の線路の幅がいかに狭いかおわかりでしょう。これでは小さな電車しか造れません。

 かつて、線路の幅がJR在来線より狭いという路線、いわゆる軽便鉄道は、日本全国で見られました。線路の幅は建設費を左右します。狭ければそれだけ安い訳です。そのため、資本力に乏しくとも比較的手軽に敷くことができたのでした。しかし、その分、輸送力は小さくなりますし、速度も劣ります。そのため、戦前からバスなどとの競争に負け、多くの軽便鉄道が姿を消しました。現在、特殊な鉄道路線を除くと、富山県の黒部峡谷鉄道を除き、通勤・通学路線としての軽便鉄道は三重県にしか残っていません。内部線と八王子線、そして現在は三岐鉄道が運営する北勢線です。この三線は、いずれも三重交通が運営してきた鉄道で、三重電気鉄道を経て1965年に近鉄の路線となりました。

 上の写真は中間に連結されているサ120形サ122で、元は戦前に製造されたモニ220形でした。その隣に少しばかり見えているのがク160形ク162で、モ260形とともに260系の車両で、1980年代に製造されました。なお、260系とサ120形では長さも異なります。

 内部線・八王子線の車両は、いずれも非冷房車です。これも線路の幅に由来します。また、モ260形からは、今では珍しくなった古風なつりかけ駆動のモーター音が鳴り響きますが、これも線路の幅のためです。現在、大手私鉄でつりかけ駆動の営業用車両はモ260形のみとなっています。

 モ262に乗り込んでみます。私は、これまで軽便鉄道というと小学生時代に、新交通システムとなる前でSL列車も走っていた西武山口線しか乗ったことがありません。電車は初めてです。狭い車内を想像していましたが、意外にも、それほど狭く感じません。もっとも、それは席の配置のためです。御覧のように、バスのような固定クロスシートが運転席に向かって左右に1列ずつ並んでいます。サ120形の車内はロングシートで、これであれば車内はかなり狭く感じます。何せ、足を少し伸ばせば向かい側のロングシートに届いてしまいます。

 内部線・八王子線ではワンマン運転が行われていますので、車掌は乗務しません。しかし、運転席の後に運賃箱が置かれているとはいえ、運賃表示機などはありませんし、整理券発行機もありません。駅員が配置されているのは近鉄四日市と内部だけですが、小古曽駅を除く各駅に自動券売機があり、運賃についても170円区間と220円区間しかありませんので、これだけ簡素であってもあまり問題はないのでしょう。

 モ262の運転台です。1980年代に製造された車両だけに、当時の技術が生かされた格好となっています。運転台は車両の中央にあり、機器もほぼそこにまとめられています。左側のマスコンハンドル、右側のブレーキ弁(ハンドルは差し込まれていません)が古めかしく見えますが、同時代の近鉄の車両と同じで、大阪線や名古屋線などを疾走する特急電車も、このようなハンドルです。

 首都圏では東急を初めとして京王、京成、京浜急行、都営地下鉄など、ワンハンドルマスコンが主流となりつつありますが、近鉄を初めとした関西の大手私鉄は、阪急を例外としてワンハンドルマスコンの採用に消極的であるという傾向がみられます。

 さて、11時30分になろうとしています。この電車に乗り、途中の車窓も楽しみながら、終点の内部に向かうこととします。

 〔2014年8月28日、動画を追加)


YouTube: 近鉄内部線側面展望(近鉄四日市→内部)

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「ドイツ語不変化詞辞典」〔新装版〕

2013年01月06日 17時28分21秒 | 本と雑誌

 3日に青葉台へ行った時、ブックファーストで岩崎英二郎・小野寺和夫共編『ドイツ語不変化詞辞典』〔新装版〕(2008年、白水社)を購入しました。

 実は学生時代から、この辞書の存在は知っていました。気になってはいたのですが、これまで手に取ったことなどはなかったのです。しかし、前置詞や副詞など、厄介な品詞があることから、購入することとしたのです。

 白水社と言えば、元々はフランス語の入門書や辞典などで有名なのですが、ドイツ語などについても多数の入門書や文法書を刊行しており、学部生時代、院生時代には何冊か購入しました。いずれも役に立ち、かばんの中に必ず一冊は入れていたものです。また、最近では清野智昭『中級ドイツ語のしくみ』や中山豊『中級ドイツ文法』などを使っています。

 ドイツ語は、歴史を大きくさかのぼれば英語と同じような言葉であり、似たような単語も少なくないのですが、名詞の性が残っており、格支配も強く残っています。そのため、ということもあると思うのですが、前置詞などは意外に厄介です。格支配の点では2格か3格かで揺らいでいたり、3格支配か4格支配かで意味が変わったりします。それだけでなく、比喩的な意味などを持ち、読解に困ることも少なくありません。ドイツ語は英語よりも格段に造語力あるいは合成力に富んでおり(その点で日本語と似ています)、前置詞が動詞と結びついて別の動詞になり、非分離動詞や分離動詞にもなりますので(さらには形容詞化することもあります)、用例を見て文脈や意味合いを検討する必要もあります。そのために、この辞典を入手したという訳です。

 本書の難点を記しておくならば、新装版として2008年に出版されているとはいえ、「まえがき」が1969年に書かれていることからわかるように、内容が古いということです。1998年に新正書法が施行されており、重要な単語の綴りが変えられていたりします。たとえば、ß(エスツェット)がそうで、ßとssとの使い分けのルールが変わりました。旧正書法であればdaßであるのに対し、新正書法ではdassです。他にも重要な変更点がありますので、これに対応してほしかったと思うのです。もっとも、新正書法は2006年(かその翌年)に再び手を加えられていますので、対応しきれなかったのかもしれません。

 以上の点を考慮に入れつつ、これから使い込んでいきたいと考えています。

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謹賀新年

2013年01月01日 20時57分26秒 | 日記・エッセイ・コラム

 2013年1月1日となって、もうじき21時間が経とうとしていますが、皆様、あけましておめでとうございます。

 昨日の23時半からテレビ東京で放送された、恒例のジルヴェスター・コンサートを見て、今日は19時からウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー(ノイヤール)コンサートを見ています。

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