今回は、急行南栗橋行きとして高津駅(DT09)4番線を通過する東急2020系2147Fです。
「東急唯一のローレル賞受賞車、8500系を置き換えるために登場した」と記すと、5000系もそうですが、2020系は完全な置き換えのために登場しました。田園都市線での5000系は18編成、2020系は19編成であり、2020系のほうが主力と言えるでしょう。あるいは、私が田園都市線を利用する際に2020系のほうをよく見るからかもしれません。
今回は、急行南栗橋行きとして高津駅(DT09)4番線を通過する東急2020系2147Fです。
「東急唯一のローレル賞受賞車、8500系を置き換えるために登場した」と記すと、5000系もそうですが、2020系は完全な置き換えのために登場しました。田園都市線での5000系は18編成、2020系は19編成であり、2020系のほうが主力と言えるでしょう。あるいは、私が田園都市線を利用する際に2020系のほうをよく見るからかもしれません。
東急田園都市線溝の口駅・JR南武線武蔵溝ノ口駅の前、ノクティプラザ1棟の前に、北口のバスターミナルがあります。そこから、第三京浜を経由して新横浜駅へ向かうバス路線があります。私はまだ一度も利用したことがないのですが、お客も多いようです。
横浜市港北区にある新羽営業所が所管するバス路線であるため、横浜ナンバーのバスです。川崎市内では、新城駅前(南武線武蔵新城駅南口)から綱島駅までの城01系統が新羽営業所所管の路線であるため、横浜ナンバーとなっています(城01は、一時期、川崎営業所の所管路線でしたが、同営業所の廃止に伴って新羽営業所の所管に戻りました)。
バス路線とバスのナンバーが合わない路線は意外に少なくないようで、東急バスの場合はとくに多いようです。例えば、鷺沼駅から久末、野川を経由して小杉駅前または新城駅前までの路線である鷺02系統は川崎市内の路線ですが、東山田営業所が所管するために横浜ナンバーとなっています(2010年に東山田営業所に移る前は川崎営業所と高津営業所の所管であったために川崎ナンバーでした)。また、小杉駅前から野川台公園前までの杉09系統も、長らく高津営業所の所管であり、短期間の川崎営業所所管時代を経て東山田営業所の所管となったため、川崎市内の路線ですが横浜ナンバーとなっています。一方、たまプラーザ駅、あざみ野駅の周辺の路線は、横浜市内であっても川崎ナンバーのバスが多く走っています。川崎市麻生区王禅寺にある虹が丘営業所が所管しているためです。さらに、東京都世田谷区内で完結する玉06系統(二子玉川駅⇆砧本村。東急砧線の代替バス)や渋12系統(渋谷駅⇆二子玉川駅)は高津営業所の所管であるため、川崎ナンバーです(もっとも、渋谷駅→高津営業所のバスも何本かあります)。
今回は、田園都市線に所属する5000系のうち、最後の編成となる5120Fです。急行中央林間行きとして高津駅(DT09)1番線を通過するところを撮影しました。
ちなみに、5101Fから5117Fまでと5120Fは田園都市線に所属する10両編成ですが、5118F、5119F、5121Fおよび5122Fは東横線に所属する8両編成です。
田園都市線に所属する5000系は、5101Fおよび5102Fを除く編成は、一時期(とは言っても10年ほどですが)、6扉車を含んでいました。4号車、5号車および8号車が6扉車であり、田園都市線の混雑に対応したのでした。しかし、6扉車と4扉車が混在するのではホームドアの設置に支障が出ます。田園都市線を走る車両の全てに6扉車が含まれていれば問題はなかったのかもしれませんが、東急5000系以外には6扉車がなかったのでした。これではホームドアを設置するとしてもかなり複雑な装置を開発しなければならなくなります。
その5000系で最初に6扉車がなくなり、全車が4扉車となったのが5120Fです。2016年1月のことであり、その他の編成も順次4扉車化されました。残念ながら、6扉車は全て廃車となりました。おそらく解体されたのでしょう。4扉車化の改造は難しいでしょうから。
東急では類例が無いはずですが、扉数を増やす改造には、私がすぐに思い付いた例として西鉄2000形、阪急2800系、京阪1900系があります。共通点は特急型車両で2扉車であり、改造後は3扉車で格下げされたということです。ただ、扉を増やすということは構体を改めるということであり、強度が落ちるようです。そのため、最近では扉数を増やす改造が行われなくなっています。例えば、西鉄2000形に代わる特急形車両である8000形は、3扉化されることなく廃車されました。テレビカーとして知られた京阪旧3000系も同様です。一方、阪急6300系は2扉車のまま嵐山線で運用されています(京とれいん用の車両もあります)。
今思い付いたのですが、ラッシュ時対策として扉の数を増した車両の代表例は京阪5000系です。5扉車で、ラッシュ時には5扉、そうでない時は2扉を閉め切って3扉車として運用されました。しかも、閉め切る扉の場所には昇降する座席がセットされていたという、かなり凝った構造でした(余談ですが、1980年に発生した置き石脱線事件で犠牲になった車両も5000系でした)。1970年に製造が開始されてから50年以上も活躍していましたが、2021年に営業運転を終了しました。
その後、京王6000系で5扉車(通常は4扉車)、営団03系や東武20050系で5扉車(通常は3扉車)が登場しましたし、山手線、中央・総武緩行線のE231系に6扉車が組み込まれました。また、営団05系や小田急1000形、小田急3000形のように、扉の数を増やすのではなく、扉の幅を拡大した例もあります。
5000系が登場してから20年が経過します。2020系に主力の座を譲りましたが、まだまだ、田園都市線、東京メトロ半蔵門線、東武伊勢崎線・日光線を走り続けるでしょう。
地震活動が活発になり、被害が多くなっているだからこそ。ウクライナ情勢を懸念するからこそ。今、連帯という言葉を復活させる必要を感じるからこそ。
私が大東文化大学法学部で担当する「税法A」、「税法B」、「法学特殊講義2A」および「法学特殊講義2B」の教科書は『現代税法入門塾』の最新版です。4月中旬に清文社から刊行される予定です。
「4月(改訂版)発刊予定一覧」:https://www.skattsei.co.jp/news/view/60
昨日(2022年3月16日)の夜に発生した地震には驚きました。東北地方などに多くの被害が生じたようです。東北新幹線の脱線の状況を動画や写真で見た時には……。
さて、今日の朝日新聞朝刊10面13版Sに掲載された「経済気象台」の話です。「オンデマンド文化を超えて」と題された記事ですが、読んでみて、僅かながら違和感を覚えました。いや、僅かながらとは言えないかもしれません。
「海星」氏は、「コロナ禍で大学の対面授業がオンラインに切り替えられた当初は、教員・学生とも早く対面に戻りたいという声が強かった」としつつ、「コロナ禍が2年以上も続き、対面受業を希望する声は明らかに弱まっていると感じる。教員・学生とも、実はオンデマンド授業の方が楽だと気づいてしまったからだ」と書かれています。
ここに私は違和感を覚えました。
まず、「海星」氏は教員、学生の誰もが「楽だと気付いてしまった」という意味を込めたのでしょう。そうであるとするならば、違います。誰もが、ということであれば、1人でも異なる意見を示すことによって前提が崩れます。私は、2020年度にオンラインでのライヴ授業、2021年度には教室での対面授業、オンラインでのライヴ授業、オンラインでのオンデマンド授業のいずれも行っており、最も楽でなかったのがオンデマンド授業であったからです。オンラインは通勤の時間を省くことができる、というくらいしか、楽な点は見当たらなかったのでした。いや、場合によってはそのことすら苦痛を感じることもありました。教室での講義であれば、行き帰りの電車に乗っている間にあれやこれやのことができますし、途中で街を歩くこともできます。たとえば、乗り換えのついでに、ということです。
講義、授業の準備ということでいえば、教室であれオンラインであれ大変ですが、オンラインのほうが大変でした。しかも、オンデマンドということは録画ということで、生で話すことができないのはつらいのでした。録画では、反応も何もわからないまま、とにかく作らなければなりません。撮り直しも何度か行いました。
「海星」氏は、「当初はコンテンツの準備が教員には大変だった。だが、一度作ってしまえば使い回せるので、長期的には負担が減る。一方の学生にとっても好きな時間に受講すればよい。通学の手間も省ける。時間的な拘束から解放してくれるオンデマンド授業に、皆が味をしめてしまったのだ」と書かれています。学生にとっての利点はわかります。しかし、教員がコンテンツを使い回すという点はどうでしょうか。ここは違うと思うのです。あるいは、NHKのラジオ語学番組のような内容であれば、2年間くらいは録画も使い回せるかもしれませんが、法律学、ましてや毎年どこかの分野で改正が行われるような税法や行政法では、録画も1回限りと考えてよいでしょう。
私は、録画を使い回すつもりもないですし、スライドや資料についても、多かれ少なかれ作り替えています。口頭での説明はなおさらです。同じテーマを異なる大学での授業で話すこともありますが(私の場合は、大東文化大学法学部、國學院大學法学部、中央大学経済学部)、日時、学部、学年、学生の反応などによって話す内容を変えます。これは悪い意味ではなく、時事問題に引っ掛けるなどの必要もあるからです。同じ内容であっても話し方などを変えざるをえないですし、私が全く同じことを繰り返して話すのはできないことなのです(性分に合わないとも言えます)。
ただ、「海星」氏の主張にも納得できる部分はあります。「カスタマイズされたオンデマンド文化への志向は、実はコロナ前から存在していた。宅配便の配達日時指定、ネットによる映画のオンデマンド配信など、自己都合に合わせてくれるサービスがすでに当たり前となっていた中、コロナ禍はそうした潮流に弾みをつけたと見るべきだろう」という箇所、および、「自己都合を最大化し、時間的拘束を嫌うという、私たちがすでにのみ込まれているオンデマンド文化自体に、他者との共通体験や濃密な人間関係よりも個人主義を優先しかねない力学がそもそもはたらいていることにむしろ目を向けるべきだろう」という箇所です。
それでも、「カスタマイズされたオンデマンド文化の志向」はそれほど強いものなのでしょうか。宅配便やオンデマンド配信はわかりますが、それら以外の事柄はどうでしょうか。週末に街を歩くと、多くの買い物客を見かけます。最終的にはインターネットショッピングを利用するとしても、やはり街であれやこれやの物を見たりする人は多いのです。
2022年度は、少なくとも私が仕事で関わっている大学は教室での講義、授業を行うことを前提としています。まだ、今後どうなるのかはわかりませんが。
先程、23時36分頃に地震がありました。神奈川県東部は震度4でしたが、宮城県の登米市と蔵王町、福島県の相馬市、南相馬市および国見町で震度6強を観測しています。
東日本大震災の余震かもしれませんが、それにしても大きかったので驚きました。しかも結構長く揺れました。
津波に注意です。
最近、インターネットの広告で「9―3÷1/3+1=?」の正答率が低いという趣旨を見ました(「1/3」は「3分の1」のことです。以下も同様です)。
既視感(déjà vu)に囚われていましたが、何のことはない、このブログに書いていました。2014年2月4日12時54分20秒付の「誤報か嘘であって欲しい報道」です。
再び取り上げたのは、この数式に示されている計算の規則が理解されていなければ、税法の解釈などできる訳がないからです。実際、2022年3月4日1時16分15秒付の「メモ:『AとBとの合計額』の読み方」において記したことは、計算の規則をしっかりと身につけていることが前提でもあるのです。
「誤報か嘘であって欲しい報道」において数式の話を取り上げた際には、小学生で学ぶはずである加減乗除の規則を知らない(または覚えていない)日本人が多いのだろうかと思っていました。念のために記しておくと、足し算・引き算と掛け算・割り算が混合している場合、括弧がなければ掛け算・割り算を先に行うのが鉄則です。上の数式の場合は「3÷1/3」を先に計算します。
しかし、広告をたどって読んでみると、加減乗除の規則ではなく、分数の割り算がわからないという人が多いのではないかと思われました。この数式の正答は1なのですが、9という解答が多かったらしいことが書かれていたからです。最初、何処をどのように計算すれば9という答えが出るのかと思ったのですが、どうやら、3÷1/3の意味がわからないままに計算して1と計算したのでしょう。そして、9−1+1=9ということで答えを出したのでしょう。そうでなければ、9という答えは出てきません。
分数の割り算については、私の記憶をたどった限りで記せば小学校で学んだはずです。今もそうでしょう。分数の割り算は、割る数の逆数を掛けて算出するのです。たとえば、1/2÷1/3=1/2×3/1=1/2×3=2/3、となります。ちなみに、1/2×1/3=1/6です。
最初に示した数式の場合は、3÷1/3=3×3/1=3×3=9、となります。どうして3÷1/3の答えが1になるのかわかりませんが、掛け算と割り算を混同しているのでしょうか。
仮に、加減乗除の規則を知らずに頭から順に計算すれば、9−3=6、6÷1/3=6×3=18、18+1=19、ということになります。但し、この19という答えを出すには、(9ー3)÷1/3+1=19という数式にしなければなりません。括弧を使わなければならない、ということです。ちなみに、分数の割り算のやり方がわからないと、加減乗除の規則を知らずに頭から順に計算した場合としても9という答えが出るかもしれませんし、5という答えが出るかもしれません。いずれにしてもおかしな答えです。
これから、私も大学のクラス授業でこうした計算問題を就職対策として取り上げなければならないのでしょうか。計算が滅茶苦茶というのは、2021年度の法学特殊講義2Bでも散見されました。
私は森林環境税および森林環境譲与税について2本の論文を書いており、[「国税としての『森林環境税』」大東法学71号(2018年)、「森林環境税及び森林環境譲与税に関する法律(平成31年3月29日法律第3号)」地方自治総合研究所監修『地方自治関連立法動向第7集(第197臨時会〜第199臨時会)』(2020年)]。幸いにして引用や参照もいただいております。
森林環境税および森林環境贈与税については、青木宗明編著『国税・森林環境税−問題だらけの増税−』(2021年、公人の友社)、田畑琢己「自治体環境税が森林環境税及び森林環境税に関する法律の成立に与えた影響」自治総研517号(2021年)、および、これらにおいて紹介されている文献を参照していただくことにいたしましょう。その上で、今回は森林環境譲与税の話題を取り上げます。きっかけは、朝日新聞社のサイトに掲載された「『森林環境税』とっても余る? 先行実施で5割使い残し、見直し論も」という記事です(2022年3月12日18時付)。
森林環境税及び森林環境譲与税に関する法律(以下、森林環境税法)によると、森林環境税は道府県個人住民税均等割および市町村個人住民税均等割と同時に徴収されるものであり、納税義務者1人につき1000円という税率です。この仕組みにも問題はあるのですが、森林環境税の徴収開始は2024年4月からとされているのに対して森林環境譲与税については2019年4月から施行されているというのが、今回の話題にある問題の根源です。すなわち、本来であれば森林環境税があっての森林環境譲与税なのですが、森林環境税法の場合は逆になっているのです。
上記記事によると、森林環境譲与税として国から都道府県および市町村へ譲与されるお金の使い残しがわかったということです。しかも、譲与された市町村で5割余りが使い残されていたというのです。
このことが明確にされたのは、2月に行われた自由民主党の農林関係議員によるプロジェクトチームの会合です。2019年および2020年度の森林環境譲与税(市町村譲与分)は合計で500億円だったのですが、実際に使用されたのは228億円にすぎません。45%強が使用されなかったということになります。譲与税の全額を基金にまわした市町村は、2019年度で38%、2020年度で20%でした。2021年度の結果がまだわからないのですが、仮に全額を基金にまわす市町村の率が下がらなかったとすると、森林環境譲与税の意味がなくなります。
せっかく譲与されたのに使途がない。どれだけの意味があるのかと問われかねないのですが、森林環境譲与税の配分基準に疑問があります。国会における法律案の審査・審議においても問題とされていたことで(私の論文で紹介しています)、私有林の面積および林業就業者数という基準は妥当であるとしても人口を基準とすることが疑問視されるのです。人口は3割とされており、基準として高すぎるのではないかと考えられているのです。それぞれの市町村に特有の事情がありますから一概には言えませんが、人口が多い市町村であれば森林面積の割合が低いという傾向はあると言えます。そのため、森林面積の割合が多い市町村よりも、森林面積の割合が少なく、かつ、林業従事者の割合が少ない市町村のほうが譲与税の額が多くなるということがありうる訳なのです。そうなると、市町村によっては木材の利用くらいしか譲与税を使うことがないということになります。
(なお、ここで記しておきます。国会などにおいて浜松市への譲与額が大きいことに疑問を呈する意見が少なくありませんが、よほど地図などを見ることもなく議論される方が少なくないのでしょう。このことは批判として私も論文で書いておくべきであったと後悔しています。浜松市は政令指定都市ですが、平成の市町村合併の結果として政令指定都市となった所であり、実は森林面積が市の面積のうちの7割弱となっています。その中でも森林の面積が大きいのが天竜区です。)
ともあれ、譲与税の目的に沿った支出がなされていないということであれば譲与税の意味はありません。プロジェクトチームを構成する議員も、農林水産省も、現在の森林環境譲与税が抱える問題を理解しているようです。ただ、それでは制度を変えましょうという話になれば各方面からの抵抗もあることは容易に想像ができます。スタートから問題のあった制度であることは否定できず(この記事の最初に示した文献をお読みください)、2024年度からの森林環境税の徴収を前にして厄介な問題を抱え込んだと評価せざるをえません。
上記記事には、青木宗明編著『国税・森林環境税−問題だらけの増税−』(2021年、公人の友社)の第6章を担当された佐藤一光氏のコメントが掲載されています。私も同感です。まともな制度設計がなされたとは思えないようなものとなっているからです。
銀座線の1000系を撮影しました。1116Fです。
2012年にデビューし、01系を置き換えて銀座線では1000系に統一されていますが、「租税資料館の近くで(東京メトロ中野車両基地)」において記したように、機能や性能の面はともあれ、スタイルの面で01系のほうが勝っていると思っています。せっかく、01系の登場によって銀座線の古臭いイメージが改められたのに、レトロ調などという美名は付けられているものの野暮ったい外見の1000系が登場したのです。編成によっては内装までレトロ調になっていますが、あまりセンスのよいものとは思えません。まあ、ほとんどの乗客は短時間しか乗車しないからよいのかもしれませんが、何とかならなかったのでしょうか。