椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

義姉の場合 〔2〕

2023-10-31 19:35:22 | 女性について

ひとり暮らしをして、神戸市灘区で在宅介護を受けていた義姉が徘徊が始まったとのことで、介護の仕事もされているTさんのお世話でグループホーム「サンライフ さくら魚崎北町」に入居したのは2年前の3月のことでした。

コロナ全盛期のころで、なかなか神戸に出かけられず、Tさんご夫婦に入居の荷物運びなどをお願いしてまずは一安心。

それまでは、やかんをかけて火の消し忘れをしたとか徘徊の兆候が見られたとかで、ケアマネージャーさんにさまざまにお世話になっておりました。

義姉は用意のよい人で、私に葬儀代の通帳を預けており、当分はその通帳から施設の費用を毎月払うことにしました。

コロナ禍のため、出かけられないでいるうちに認知症が進み、耳が遠かったこともあって、本人の意思というものが確認できない状態になっていたためです。

また、施設の入居にあたって、さまざまな書類が必要でしたが、郵送でなんとか間に合わせることができました。

 

介護関係の書類は主人、両親のときもそうでしたが多過ぎるように思われます。

ケアマネージャーの方たちや多忙な若い人たちにとって負担になっているのではないでしょうか。

 

義姉の人生を振り返ってみます。

神戸出身の主人には未婚の姉2人と妹1人がいて、長姉は59歳で、妹は5歳で亡くなっております。

義父は主人が大学生の時に亡くなったとのことで、自分の葬儀のためにきめ細かく指示していたようです。

連絡先もすぐとそうでないものに分類し、手伝いの役割分担とかまで。

昭和20年代は家族葬というわけにはいかなかったんですね。

主人と結婚するときに、長姉にニットのスーツを、攝子姉にはウェディングドレスを作ってもらいました。

長姉はその後まもなくガンを患い、義母が看病して亡くなりました。

その葬儀には私は2人目の子どもが生まれたころで参列できませんでしたが、親戚の方たちも多く来られて独身であったわりには盛大であった、と聞いております。

何かの折に、義姉が母に看病してもらい葬儀をしてもらうことができてうらやましい、と語っていました。

義母は義父と共に小学校教員として共働きをして恩給を得ていて、元気で東京と神戸を行ったり来たりしておりましたが神戸震災の前年、1994年に94歳で亡くなりました。

義姉は被災後、親戚の方たちにお世話になり、また仮設住宅にも入居し、その後、義姉は小さな平屋住宅を跡地に新築して洋裁の仕事を続けておりました。「歩こう会」のグループで健康にも気を配っていたようです。

料理も得意で食べ歩きも楽しんだようです。

器用で細かいところに気が付くためか、友人と旅行に出かけてケンカをして途中で帰ってしまうということもありました。

震災でお世話になった方とも仲たがいをしてしまい、主人ともよく電話でケンカをしていたりしました。

主人は、義姉には私に最期を頼むとよい、と何かの折に話したりしていましたが、私としては大病もしましたし、主人や両親の年齢が近いため、実際はどうなるのかよくわからないと思ったりもしました。

結果として、主人、父、母、義姉 という順序となり、介護の期間が重なることがなく、施設を利用することが出来てありがたかったと思います。


義姉の場合 〔1〕

2023-10-17 19:30:00 | 女性について

2014年に亡くなった主人の姉 藤村攝子(ふじむら・せつこ)が9月29日に97歳で

兵庫県東灘区のグループホーム「サンライフ さくら魚崎北町」で老衰のため他界いたしました。

生前、お世話になりました多くの方たちに心より御礼を申し上げます。

義姉は結婚適齢期と戦争が重なったせいもあって、独身で過ごしました。

洋裁の腕を磨き、たくさんの仕事をこなしたようです。

手持ちのアルバムから、神戸の震災後に仮設住宅の前で、見舞いに出かけた主人と一緒に

映っていたこの写真を選びました。70歳ぐらいのはずです。

神戸市灘区の平屋の住宅に2階を増築し、学生が1人下宿していて震災で全壊。

その前年に義母が亡くなっていて、義姉とその学生の方は無事であったのが

不幸中の幸いといえるかもしれません。

この写真の洋服は自分で作ったものだと思われ、気力も充実しているようで

輝いているようにも思えたりします。

 

葬儀用の写真について、主人のものは息子たちが選び、両親の写真は弟が選び

それぞれベストの選択だと思いました。

今回は私が選び、パソコンで2L版にしてプリント、写真立てに貼り付けて持参しました。

葬儀用後に置き場所に困ったりするので、家族葬では小さい写真でもよさそうに思います。

 

コロナが流行した時期で、私はワクチンを射たないでいましたので、見舞いに行かず

申し訳ないことをしました。

せめて葬儀はしっかりとしようと考えました。

その中から一部をお伝えしたいと思っております。


電話線工事

2023-10-11 22:12:07 | 暮らしから

工事車両が我が家のそばに止まったので出てみたら、お隣の電話引き込み線を外す工事だとのこと。

コンパクトな工事車両です。

婆さんが工事車両の写真を撮るのは、ちょっと珍しいかもしれません。

工事車両は頼もしい気がします。

 

最近、最近の固定電話は停電で使えない場合があります。

災害時、携帯電話がつながらなかったこともありました。

工事の方に聞いてみたら、停電でも使える高くない固定電話があるとのこと。

 

時代が進むと、効率化でかえって災害時に通信手段を確保するのは難しかったりすることも

ありそうです。

あるいは電話で詐欺や脅迫などの犯罪が増えていくことがあるのかもしれません。

経済的に行き詰った日本がいつの間にかどこかに切り売りするみたいなことになりませんように。


9月24日のまち

2023-10-01 00:06:02 | 所沢

お彼岸のお墓参りに出かけました。

残暑が厳しく、いつもより花や樹木が弱っているようにもみえます。

ヒガンバナです。

ニラの花はさすがに元気です。

我が家の墓は高台にあり、この日は所沢市内がはっきりと見えました。

また10月に移転予定の明生病院が遠くに見えます。

主人は何度か入院し、私も貧血の治療で通院してお世話になりました。

いろいろなことが思い出されます。

跡地には、別の病院と複合施設が予定されているとか。

 

コスモスが元気です。

所沢もまた青森同様に四季というものをしっかり感じられるところです。

季節の移ろいを感じることは、けっこう大事なことなのかもしれません。