2月15日の午前中に、青森市幸畑にある八甲田山雪中行軍遭難資料館に出かけました。
仮死状態で生き残った後藤房之介伍長の大きな銅像(レプリカ)がありました。
展示は1階の1つの部屋にまとめられ、わかりやすいものとなっていました。
まず驚いたことは、犠牲者は青森出身者よりも岩手出身者が多かったということでした。
第5連隊は青森高校のところにあったため、犠牲者のほとんどは青森出身者だと思い込んでいたんですね。
2月15日の午前中に、青森市幸畑にある八甲田山雪中行軍遭難資料館に出かけました。
仮死状態で生き残った後藤房之介伍長の大きな銅像(レプリカ)がありました。
展示は1階の1つの部屋にまとめられ、わかりやすいものとなっていました。
まず驚いたことは、犠牲者は青森出身者よりも岩手出身者が多かったということでした。
第5連隊は青森高校のところにあったため、犠牲者のほとんどは青森出身者だと思い込んでいたんですね。
亀ヶ岡の土器は格別な存在感があります。
次の写真は縄文時代晩期から弥生時代の土器とのことです。端正な形に感じられます。
その時代にも達人がいて敬われていた?
縄文人の顔は、後世よりも現代的に感じられます。
鹿の骨の櫛だそうです。
貝塚の断面とのこと。
青森県立郷土館はたいへん贅沢な空間です。
独り占めをされたい方には冬期の平日がお勧めです。
郷土館の新しい部分の階段から、2階にある常設展の考古展示室へ。
こちらは、縄文後期である約4000年前の狩猟文土器とのことです。
弓矢で四つ足の動物をねらっている場面が描かれています。堂々とした土器ですね。
八戸市の出土とか。
こちらは土器の文様のつけ方を示した展示です。
こういったアイデアが得意な人たちがいたんでしょうね。
病院の面会は午後のほうがよさそうなので、午前中は再び青森県立郷土館へと出かけました。ホテルから歩いて5分ほどのところにあります。
たくさんの展示物がありますので、できれば見学には、2日ぐらいは時間をかけたいところです。
今回は解説員の女性の方に、建物についてお聞きすることができました。
この郷土館の建物の一部は、1931年(昭和6年)に第五十九銀行青森支店として開業し、1943年に新しく発足した青森銀行本店となったとのこと。設計者は堀江佐吉の七男である堀江幸治で、施工は堀江組とのことです。
堀江佐吉が関わった建築物は弘前に多く残っているようですが、いつか建築物巡りをしてみたくなりました。→ こちら
そういえば、私の父も大工になりたかったと言っていたことがありましたが、堀江佐吉のことが頭にあったのかも。
階段のそばに、大きな金庫がありました。
階段の装飾は、第五十九銀行の5と9がデザインされたものだとのことです。
枠の黒っぽい石は、埼玉県秩父地方の蛇灰岩の可能性があるんだとか。
柱の上部のレリーフは左官職人による「こて絵」と呼ばれるものだそうです。
こて絵については こちら
この見事なこて絵のレリーフについて、いただいたチラシに説明がありました。
左官職人の方は鈴木弥太郎という方で、1950年(昭和25年)のころに製作したとのことです。
お父さんの命日にこの郷土館を訪れる娘さんの寄稿が添付されていて、
分厚い版木にモチーフを彫刻し、それに寒天を流し込み固める → その寒天に石膏を流し固めて1枚1枚乾燥させる → その1枚1枚を工事現場で張り付ける
ということで出来上がるのだとか。
平和の喜びといったものがこめられているように見えてきます。
寒いときには所沢でもあまり出かけたくないのですが、母が転んで入院したため、青森に3泊の予定で出かけました。
そういうこともあるかと思い、青森でも大丈夫なコートや防寒用の下着を今年になって購入してありましたが。
ホテル10階からの写真です。海へ至る道は、雪を海に捨てるトラックが夜通し通っていました。
道幅は狭くなっていて、車はかなりゆっくりと走っています。
小回りのきくブルドーザーが活躍中。
久しぶりで大きなつららを見ました。
軒下には絶対に近づかないようにと小学校ではよく注意されたことを思い出します。
ブルドーザーが入れないところの細い道は片栗粉のような雪になっていて、歩くだけで運動になる感じがしました。
青森の子どもたちは、雪片付けを手伝い、雪道の通学で足腰が鍛えられることになるのかもしれません。
アンサンブル・風の谷
コレルリやバッハの曲の演奏で、木管楽器の優雅な音色が会場に流れました。
うっとりして動画に失敗 申し訳ありません。
まちづくり協議会 Sさんから 定期便のお話
アンサンブル・トランタン
モーツアルト 幻想曲K.397
ピアノを弾かれているKさんが編曲もされています。
ニュータウンの一角で、こうした生演奏を無料で聞くことができるということを大いに自慢したいと思います。
所沢・椿峰コミュニティ会館別館ホールで、年2回行われている椿の和コンサートが開かれました。
主催:椿の和コンサート委員会
後援:公益財団法人 所沢市公共施設管理公社
協力:椿峰まちづくり協議会
このコンサートのプログラムやホールの様子について、Tさんのブログをご覧ください → こちら
何とか失敗なく撮れた写真と動画については
音楽を楽しむ会♪
ふるさとは今もかわらず
何度かこの芋煮会の様子を記事にしているので、似たような写真は避けたいと思っているのですが・・・・・
ひょっとして男性や外国の方たちには珍しい光景かもしれません。
今回はサトイモが近隣では不作だったとかで、野菜購入担当の方に、スーパーで購入していただきました。
ダイコンは立派なものでみるからにおいしそうなものでした。
今回の調味料です。
避難訓練だからどこにもある安価なもの、にするべきか、せっかくの集まりなのだから高めのものにするべきか迷うところです。
短時間でおいしくできる、という点も大事だったりします。
だいたい完成して一息の写真です。
野菜を購入していただいた方たち、調理に参加していただいた方たち 会場の設営をしていただいた方たちには
お礼を述べる時間がありませんでしたので、こちらから・・・・・
皆さま、お忙しいところどうもありがとうございました。また、どうぞよろしくお願いいたします。
共同の調理というものは、けっこう面白いと思います。
ここだけの話、おそらく共同作業が多かったはずの縄文人もこういう気分だったのかも
ゴミ袋、ふきん、新聞紙の用意、前日の調理器具の点検が大事です。
インフルエンザ流行中の折の行事開催でしたが、何とか恒例の避難訓練・芋煮会を開催できました。
自治会長のNさん、防災委員長のHさんは若い方たちで、何とか世代交代ができるのかもしれない、と思ったりします。
午前9時から調理を始め、受付は午前11時からということになっております。
今回は、椿峰小学校での土曜日での父兄参観と重なり、その終了後にお子さんと出席してもらうことになりました。
写真での空席はその分です。
学校行事のチェックというものが必要でしたね
高齢の方たちの中には、食事制限があったり聴力が衰えたからということで欠席される方が増えてきました。
今回は、80歳前後で出かけられない方にお赤飯とお菓子を届けることにしました。
在宅避難となったとき、配布ということがけっこう大変そうです。
野菜は近くの農家の方から安く分けていただき、防災委員の方たちに買い出しをしていただきます。
お肉は地元の大塚精肉店にお願いして、なべ3つを使いますので、3つの包みにして3センチほどに切ってもらっておく
しょうゆは所沢の深井醤油 サトイモは大きめ
ベテランの主婦がそろっておりますので、今ではあっという間においしいイモ煮が出来上がります
今回はせっかくのイモ煮の写真を撮りそびれてしまいました。
野菜の甘みがあって自分たちでもおいしいと思っております
赤飯と菓子は下山口駅近くの真栄堂さんに午前10時半に届けていただきました。
高齢者が多いので赤飯はやわらかめに、ということでお願いしました。
お茶は芋煮が温かいので、ペットボトルの冷たいものにしていますが・・・・・
災害時は、湯飲みを持ってきてもらって、温かいお茶を用意することになる?
この費用は自治会の予算から出してもらうことになっており、自治会役員と防災委員が主となって、災害時に温かい食事を提供できるようにとのことでなんとか続いております。
小学校の体育館は、収容できる人数に限りがあるため、在宅避難となっていくようですが、その場合の情報の伝達や食料や水の配布方法などについては、具体的には考えられていないようです。
自治会としての監視カメラ設置は無理なので、防犯のため
・庭や玄関先に出て、通行する人に挨拶する
・小さなフットライトを全戸に配布し照明を並べることで、防犯に意識が高いところだと知らせる
といったことを考えております。
在宅避難の場合、災害時の防犯についてよく考える必要があると思います。