椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2020年7月 青森へ その10

2020-07-31 00:57:42 | 青森

被災時の船の利用などはできるかどうか気になっていましたので、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の見学をしてみました。

メモリアルシップ八甲田丸については こちら

見学用に扉は開いていたものの窓は当然のことながら開かないものなので、古い船は換気に問題がある?

これからの建物や乗り物は換気機能がまず大事になっていくんでしょうね。

既存のものについての換気機能の工事も大事そう。

あちこちに等身大の人形がいて見学者がひとりだったのでびっくりしたりします。

 

津軽海峡の潮の流れは複雑だとか。

戦争中は貨物船や客船が空襲の被害にあったようです。

考えてみれば船で列車を運ぶというのはすごいことですね。

私が学生のころは宅急便といったものはなくて、乗車券を示して手荷物を送るチッキというものがありました。

ふとんなんかも送っていましたね。チッキとは こちら

いろいろと思い出すことがあったりしますので、ぜひ団塊の世代の方はご見学ください。

青森駅からすぐのところにあります。

この日は晴れていましたが風が強く波が白く見え、船にぶつかる音も聞こえました。

海は生き物のように思われたりします。


2020年7月 青森へ その9

2020-07-26 22:29:38 | 青森

海は雲の生産地なんでしょうか?

この海の向こうは北海道で、北海道の玄関は函館です。

新幹線で青森で降りずに函館に行きたいと何度か思ったりしたんですが・・・・

けっこう遠いんですね。

青函ツインシティの像です。

太宰治と亀井勝一郎の関係を思い出したりします。

ハマナスの花が咲いていました。


2020年7月 青森へ その8

2020-07-26 01:40:09 | 歴史あれこれ

青森の歴史の中で、1876年(明治9年)と1881年(明治14年)の明治天皇の巡幸は大きな出来事であったようです。

国立国会図書館デジタルコレクションに「明治天皇青森御巡幸記」があってその詳細がわかります。

当時の青森の人たちが何千人も集まってさまざまな行事を繰り広げたとのこと。

もしかしたら、一行にとっては、他での歓迎を受けてきての疲れの中、暑いときに長時間の式典などでは・・・・・

と想像を広げてしまいます。

かなり長期間の準備がされたようで、オリンピックや国体のようなものであったのでしょうね。

記念碑がありました。

第1回目のときに、会津藩のちの斗南藩出身である広沢安任という人物が、随行してきた大久保利通が明治政府の要職への仕官を勧めたのを断って、今の三沢市での牧場経営を続けることを選んだのだという話があります。

広沢安任とは こちら

森鴎外「西周(にし・あまね)伝」に、広沢安任が著した「開牧五年紀事」に福沢諭吉と西周が序を書いた、との記述がありました。

幕末の藩士たちの交流の中で、広沢安任は信頼される存在であった、ということでしょうか。

そういう話を知ると、元気が出るような気がしてきます。

 

 


2020年7月 青森へ その7

2020-07-24 16:55:00 | 青森

森鴎外は陸奥湾から青森の街を見たのだろうと思ったりして歩いていたら、出雲の文字が・・・・

新幹線での雲を見ていたりしたので、「出雲」の文字を文字通りに読んでしまったりします。

青森駅に近いところでの写真です。 東岳(あずまだけ)が遠くに見えます。

白い建物はアスパムの側面です。

海を眺めると、大らかな気分になります。(大雑把なところが補強されるかも

 


2020年7月 青森へ その6

2020-07-24 10:37:24 | 建築

広い道路沿いでも古い建物がそのままになっていたりします。

これから、都会でもビルの空き家問題ということも顕在化してくるのかもしれませんね。

海のない埼玉に住んでいるせいか、潮風を気持ちよく感じたりしますが

建物にとってはもしかしたら劣化を早めるのかもしれません。

また、強めになっているという紫外線や電磁波は建材などに対してどのような影響を与えるのか・・・・

 

青森は、さまざまに想像を膨らませる材料に事欠かないようなところです。

善知鳥(うとう)神社に森鴎外が出かけたようで、このあたりの道を歩いたかもしれません。


2020年7月 青森へ その5

2020-07-22 22:39:13 | 歴史あれこれ

青森市福祉増進センターという建物が気にかかって・・・・ 

この建物は、青森市公会堂の跡地に1997年(平成9年)に建てられたものであるけれども

青森市公会堂の面影が前面にデザインされたものだとか。

青森市公会堂は1927年(昭和2年)5月21日に秋田雨雀と片岡鉄兵の講演会が行われたときに、芥川龍之介が北海道の講演旅行の帰途青森に立ち寄っていたため、出演を依頼され、急遽登壇したのだとか。その2か月後に芥川龍之介は自殺してしまいました。

太宰治は旧制弘前高等学校の1年生でしたが、このときに講演を聞いたのかどうかはよくわからないようです。

ただし、太宰治は7月11日から20日ごろまで上京していたそうなので芥川龍之介と会っていたかもしれません。

もし会っていたなら、芥川龍之介は太宰治の文才とともに情報収集力といった資質を見抜いたのではないでしょうか。

 

また、1937年(昭和12年)にはヘレン・ケラー女史がこの公会堂で講演したのだとか。

「ここは快い潮・・・・磯の香りがして海辺のすんだ空気の街であることが、と伝わってきます。」と青森の印象を話したそうです。

この講演会も芥川が少しだけ登壇した文学講演会も超満員だったとか。

戦前の青森は物心ともけっこう豊かであったのかもしれません。

 

昨年などはクルーズ船がたくさん寄港して、これからの観光に希望を持っていた青森は、コロナ禍の影響を多く受け、ねぶた祭りも中止となりました。

粘り強い青森の人たちは、じっと我慢の日々です。

早く幸せと思える時間を取り戻せますように。


2020年7月 青森へ その4

2020-07-22 01:04:52 | 青森

6月に海の写真を撮りましたが、晴天に誘われて海沿いの道を歩いて写真を撮ってみました。

青森では駐車場がたっぷりです。

空の青からすると海は緑がかって見えたりします。

遠くにアスパムが・・・・

太宰治は海沿いの道で旧制青森中学校に通学したとか。

そのころ、陸奥湾には今よりも船がいたのかもしれませんね。

旧制青森中学校のときに同人誌「蜃気楼」を出したことはよく知られています。

陸奥湾でも蜃気楼がみられたのでしょうか。

 


2020年7月 青森へ その3

2020-07-19 20:31:58 | 青森

今回は7月1日から再開したホテル青森へ宿泊しました。

海が見える部屋がありがたいと思います。

当然のことながら12階の部屋の窓は開かず、全体での空調が今までよりも強くなっているという感じでした。

今までの顔見知りだったスタッフの方たちがいないのは、やはり寂しいと思います。

2016年から数えて35回ほど往復、ほぼその度に泊まっていたんですよね。

ホテルはもっとさまざまに活用していいのではないでしょうか。

朝食は少し遅い時間にしたためか1日目は1人でした。3日目になるとけっこう増えました。

朝食のバイキングのころがなつかしいというか・・・・・

食べられるだけでもありがたい、ということなのでしょうね。

もしかしたら、これからは朝食や昼食のお店がありがたい

ということになる?

 

当然のことながら、ビジネス客ばかりのようでした。

今の時期は、旅行に行くよりも近くのホテルで過ごしてみるのもよさそうです。

自分なりのリフレッシュの方法を知ることは大事だと思います。

コロナに負けて不機嫌にならないようにしましょう。 

コロナを利用して、人のつながりを断ち切ってしまいたい意地悪な人たちがいるのだ、ということがありませんように。


2020年7月 青森へ その2

2020-07-18 01:10:00 | 青森

雲が山から湧いてくるようにも見えます。

車内では、あちこちの支線が運休になっているというニュースが流れていました。

洪水警報が出ていましたが、新青森駅に無事に着いてほっとしました。

風がひんやりとして、ひょっとして今年は冷夏になるのか、と思ったほどです。

タクシーは窓を開けていて、運転手さんは青森で首都圏由来のコロナ陽性者が出たことを気にしているようでした。

 

 


2020年7月 青森へ その1

2020-07-17 09:45:15 | 青森

申告の用事で、青森にまた、出かけてきました。

北東北には大雨警報や洪水警報が出ていて、新幹線の窓から雲の変化は劇的とも感じられました。

新幹線が止まったらどうしようと思いつつ・・・・

 

私は5年ほど前から遠距離介護で新幹線に乗ることが多くなったためインフルエンザの感染やエコノミー症候群などを恐れて

贅沢とは思いましたがグリーン車に乗ることにしております。

ここのところ、前後左右の席が空いていたりして快適だったんですが・・・・

今回は席の前に2人の方が背もたれをしっかり倒しておしゃべり中(泣

50センチほどの近くに感じられて・・・・ ここは厚かましく車掌さんに席の移動をお願いしました。(汗

 

タクシーや電車などでは窓が開けてあってこの点は安心なのですが、肌寒く、高齢の方などは着衣の調節が必要だと思います。

解放感があるのか、見かけた方たちはむしろ以前よりも会話が弾んでいて、ちょっと心配になりました。

 

ちょうど青森では感染者が出たというニュースがあって、観光客歓迎というわけではないという空気を感じたんですが・・・・

休業補償のほうがありがたい面があるのではないでしょうか。

旅行に出かけられる方たちは、感染が発生すると濃厚接触者をしっかり調べられる、ことになりそう。

 

今までのような旅の恥はかき捨て的な行為は厳重に慎むことが必要そうです。