椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2019年11月 神戸へ その15

2019-11-30 23:46:08 | 観光

【神戸から近江八幡へ】

近江商人屋敷が立ち並ぶ新町通りです。

古い時代にタイムスリップしたみたいな気分になります。

 

近江八幡では映画のロケが行われたりするようです。

ここでカメラには電池切れの表示が・・・・・

時間があれば安土城のほうにも行ってみたかったんですが、今回はあきらめることに。

新町の停留所から駅方面のバスが20分ほど待つことになりそうで、駅まで歩くことにしました。

駅までの途中に西光寺というお寺がありました。信長が開基とのこと。

安土城下から秀次が移築したもののようで、境内には信長のお墓があるんだとか。(境内に入ってみればよかった)

 

 

電池切れのはずのカメラを取り出したら、なんと写すことができたのです。

入り口だけでしたが、思いがけないところで信長に出会ったような。 

光が入っているのは、もしかして怒っている?

誰のおかげで秀吉や秀次が世に出たと思っているんだ!とか。

 

帰りは通勤ラッシュの少し前だったので、座って神戸・三ノ宮まで帰ることができました。

 


2019年11月 神戸へ その14

2019-11-30 14:00:00 | 観光

【神戸から近江八幡へ】

秀吉・秀次による八幡堀です。→ こちら

江戸時代後期まで近江八幡に役立ったということで都市計画の模範例みたいなものなんでしょうね。

秀吉の構想力の卓抜さととともに秀次の運命を思い出させるものとなっている、のではないでしょうか。

 

 

水、あるいは水運が戦いの中でいかに重要か、語りかけられるような気分になりました。

また、近江商人の情報収集力といったことも大事であったかもしれません。

たっぷり充電したら逆にお腹がすいてきて・・・・

ひとり旅でも入りやすいお店を選ぶことになります。

近くの千成亭八幡堀店に入って、ロースステーキ重をゆっくりといただきました。

近江牛はおいしくて、甘みと香りが違うように思いました。

もしかしたら、これから日本の牛肉は外国人富裕層に?


2019年11月 神戸へ その13

2019-11-30 13:08:28 | 観光

【神戸から近江八幡へ】

八幡山ロープウェーで下山。眼下に広がるこの街並みは秀吉・秀次の構想によるもののようです。


下りたところにある日牟禮(ひむれ)八幡宮は古い歴史をもち、近江商人の守護神として信仰を集めてきたんだとか。→ こちら

屋根に気魄を感じます。

 

なるほど。古くからの門前町でもあったということでしょうか。

あちこちに充電可能な場所があると感じられます。


2019年11月 神戸へ その12

2019-11-28 23:55:00 | 観光

【神戸から近江八幡へ】

瑞龍寺の後ろを回って琵琶湖をみることができました。

西の丸跡からの眺望です。これこそが秀吉が求めたものだったのではないでしょうか。

 

この展望所にデッキがあって一匹の小さな猫が占領していました。

 

えっ、秀吉? ・・・・・


2019年11月 神戸へ その11

2019-11-28 23:10:30 | 観光

【神戸から近江八幡へ】

八幡山城本丸跡にある門跡寺院「村雲御所瑞龍寺」です。

豊臣秀次の菩提を弔うために生母である日秀尼が1596年に京都・村雲に創建。

1961年(昭和36年)に八幡山に移築されたとのこと。

日蓮宗なんですね。

この瑞龍寺から見える景色です。風の強いときにはたいへんでしょうね。

 

八幡山のふもとにある八幡公園には1979年(昭和54年)に建てられた豊臣秀次公銅像があるそうです。

この瑞龍寺にその原型が置かれていました。かなり大きなものです。

ちょっと暗いところであったため、写真がピンボケ(汗

この地に秀次がいたのは18歳から5年ほどであったとか。

ついついこの像には秀吉を感じたりしました。

秀吉はおそらく気魄に満ちたタイプであったのではないでしょうか。

 

時空を超えるような気魄はどこから得られたのか、あるいはどのように得られたのか。

想像しているだけで充電されていくような


2019年11月 神戸へ その10

2019-11-27 23:01:03 | 観光

【神戸から近江八幡へ】

八幡山城の本丸跡にある門跡寺院「村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょ ずいりゅうじ)を目指して、えっちらおっちらと坂道を歩きました。

48歳の秀吉は、健脚だったとしても初老にさしかかっていて(当時にしては)この場所への選択は失敗した!と思ったかも。

地蔵堂です。それほど古い建物ではないようですが、こうして写真で見ると何かを言いたげな雰囲気がありますね。

山門です。

高さのある石段なんですよね。

石垣が気になります。

瑞龍寺入り口前の風景です。八幡山城からも見えたであろう風景の1つと思われます。


2019年11月 神戸へ その9

2019-11-26 18:47:13 | 歴史あれこれ

【神戸から近江八幡へ】

八幡山ロープウェーを降りてから、けっこう急な上りの道がありました。

足の不自由な方や肥満の方はちょっと無理そうな道だったりしました。

 ウィキペデア「八幡山城」から 一部抜粋

・八幡山城(はちまんやまじょう)は、滋賀県近江八幡市宮内町周辺(近江国蒲生郡)に存在した日本の城(山城)。

羽柴秀次の居城として知られる。

別名 八幡城 近江八幡城 

城郭構造 放射状式連郭山城と居館

天守構造 不明(天守台あり:現存せず)

築城主 豊臣秀吉 豊臣秀次

築城年 1585年 (天正13年)

廃城年 1595年 (文禄4年)

・豊臣秀吉は八幡山城を安土城に替わる近江国の国城として、豊臣秀吉自身が普請の指揮をとり、山頂の城郭と麓にある居館、そして安土城から移築した城下町の造営に力を注いだ。

しかし、八幡山は安土城と違い険しい山で、山の斜面を十分活用できず麓の居館が城の中心となった。

わずか10年のための難工事だったんですね。

(1585年に秀次は18歳で入城し、1590年に尾張・清州城へ移封、その後、京極高次が入城。

1595年に豊臣秀次は切腹して八幡城は廃城となり、京極高次は大津城に移ったとのこと。)

たびたびの土砂災害もあって、この石垣だけが(もしかしたら後世に修復もあった?)秀吉とその周辺の足跡を伝えるもののようです。

 

それにしても、わざわざこの急なところに城を?

1582年の本能寺の変のあと、引き締めをはかるための仕事の役割があった?

難工事のほうがよかったということもいえる?

 

この石垣を見ていると、八幡神への祈りといったものが感じられたりします。

見晴らしがよいところを求めたのは、心配性であったという秀吉は、西欧が植民地を求めてやって来ることを怖れたんでしょうか?


2019年11月 神戸へ その8

2019-11-25 14:01:57 | 観光

【神戸から近江八幡へ】

11月8日は快晴でした。

あれこれに自分がバッテリー切れになりつつあるような気がして、どこかで充電しなくては・・・・・

そうだ、近江八幡市に出かけようと思いつきました。

信長や秀吉の眺めた風景ならば充電可能☆

豊臣秀次という人物にも興味があるし・・・・

JR三ノ宮駅から近江八幡駅まで乗り換えなしで1時間半ほどで1980円

地図も時刻表も持たないローカル電車の旅です。

近江八幡駅に到着して、観光案内所で案内図をもらいました。

なんだか八幡山城跡がよさそう!!とひらめきました。

バスは本数が少なく1時間に2本程度です。

駅前にタクシーが1台来ては客を乗せていく、といったのんびりしたところです。

そのタクシーに乗って、八幡山ロープウェーへ。

運転手さんとお話ししましたが、災害の少ないところだとか。

何とも心地よい響きの関西弁に感じられました。

近くに米原という地名があるほどで、おいしいお米の産地で豊かなところであったのでしょう。

 

 

 


2019年11月 神戸へ その7

2019-11-18 16:53:40 | 課題解決に

90歳を過ぎた義姉は、半日のデイサービスに週1回通っているだけです。

耳が遠くなって、外出先で転んだりすることもあったので、何らかの介護サービスを増やしたいと思っておりました。

そこで、3日目に義姉のケアマネージャーさんと義姉のところでお会いすることにしました。

 

今までの義姉の様子なども把握されていて、あれこれ親切に相談に乗っていただきました。

義姉は要支援2です。

しだいに介護保険の適用が厳しくなり、ヘルパーさんは頼めなくなっているとのこと。

また、介護認定を変更してもらうにしても、まだ歩けて認知症の薬を飲んでいないため、認定変更が難しく、かえって要支援1に判定されてしまうことがあるんだとか。

93歳でこれでは、なんのための介護保険なのか・・・・とついつい思ってしまいました。

 

どちらかというと、病院に長く通院したり入院した場合のほうが認定が受けやすい?

あと、検索したところでは、外国に長期滞在の場合、介護保険料を払わずに済み、かつ帰国して保険料を払うと介護保険の適用がされるんだとか。

外国人の場合も介護保険の適用はそれほど厳しくないようです。

 

義姉のように健康に気を付けつつできるだけサービスを受けないようにして、病院通院も最小限にしていると、肝心のときに役立たない(泣

介護保険は下層が上層しかも外国人富裕層を支えるような仕組みになってしまっている?

ついつい勘繰ってしまうことになりました。

 

ケアマネージャーさんのお話から、せめて週1回半日のデイサービスを2回にしてもらうことにして、義姉の安否確認に役立てようと考えました。

ケアマネージャーさんが帰られてから、その程度なら納得できると思っていた義姉は1回のこのままでよい、自分はボケてなどいないから大丈夫、

と主張して譲りません。

好きなように最期まで生きたいとのこと。

ボケるのを遅らせるためにも他人と話す時間を増やしてください、とか主人や両親の場合を詳しく筆談で説明して、結局さまざまに世話になるのだから気ままというわけにはいかない、などと説得してみたんですが、譲歩はありえへん、といったタイプなんですね。

何か検査をしてボケたという客観的な結果が出たなら納得する、という答えを引き出し、次回、検査に立ち会いに行くことにしましたが・・・・

そういう話をしたことを忘れてしまう可能性がありそうです。

義姉と一緒にケアマネージャーさんと話をしたほうがよいと思ったのですが、耳が遠くなっているために、内容が解らず、勝手に進められたと思ったのかもしれません。私の連絡先を書いただけなのに何かの書類に署名した、と勘違いをしていたりしました。

けっこう知ったつもりでいた高齢者の心理について、まだまだ難しいものがあると感じました。

 

ぜひとも経験豊富な方にノウハウ本をお願いしたい感じです。

このままでは、介護過労というもので周辺が潰れるケースが多数出ていく?


2019年11月 神戸へ その6

2019-11-18 15:13:17 | 課題解決に

関西圏では、山も海もある神戸は、落ち着いていて住みやすそうなまちだと思います。

神戸に行ったときには、三宮のそごう、現在は阪急に変わりましたが、その食品売り場でお寿司やお菓子など買い物をして、義姉のところに行きます。

今回は2日目にその阪急三宮店、3日目は開店時間の関係で、オアシス六甲店に入ってみました。

いずれも埼玉よりも豊富な品ぞろえに感じられます。青森とは雲泥の差かも・・・・

やはり消費力があるために、北からも南からも食材が集まるからかもしれません。

また、外国人が集まる土地柄のせいもあることでしょう。

生協で購入したという調理済みの冷凍食品もおいしそうに見えました。

結婚した当初に、関西の人はよく小魚を食べるのだと感じました。

両親が広島の出身のせいかもしれませんが、イリコやうるめの丸干しを食べていました。

義姉が比較的元気なのは、こういった食の充実があげられると思います。

 

義姉からお金の扱いに不安があるといわれて、通帳を預かって記帳に出かけました。

銀行も郵便局もけっこう遠い距離にあって、そこまで歩くにはもう無理のようにも感じられました。

銀行は駅のすぐ近くにありましたが、郵便局はその銀行からかなり離れたところにありました。

金融機関同士の事情が、超高齢化社会になって不便を生み出しているというか・・・・・

 

義姉は生協の支払いを引き落としにしてあまり現金を手元に置かなくてもよい暮らしをだいぶ前から心掛けていたようで、それほどすぐの問題はなさそうでした。

また、私にも数年前からいざというときのためにお葬式代程度の通帳を預けていて、今回は手元分を補充することができました。

 

母もそうでしたが、高齢になってくると金額がわかりにくくなってくるようです。

義姉と手元にどれぐらいあれば安心なのか、また泥棒に盗られてもしかたがないと思える金額はどれぐらいか、を話し合いました。

 

金融危機が囁かれる昨今では、お金を持っている高齢者ほど不安が大きいかもしれません。

また、親族でも信用できなかったりする心境になってしまうようです。

後見人制度についても問題が出てくるのかもしれません。

苦労したあげく、話し合ったことを忘れられたりして疑われてしまう、ということがありそうです。

後見人はお互いがチェックできる関係の3人ぐらいであたる、実例を積み重ねていく

ということがよいとは思いますが・・・・・

 

本音としては、日本経済の先行きが知りたいですよね。

切り詰めて老後のために貯蓄してきた人間が路頭に迷わないような金融政策を切にお願いいたします。