椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

彩の国から その3

2023-12-24 01:35:40 | 歴史あれこれ

このレストランに隣接して、ハーブとバラの「三富 月の原ガーデン」が広がっていました。

三富は「さんとめ」と読みます。

川越藩主柳沢吉保によって開拓が奨励されたこの地は、やはり日本の農業にヒントがたくさんあるように思われます。

柳沢吉保は武田遺臣の家系であるとのことで、日本の隠れた一面を持っているといえるのでしょうか。

冬に咲こうとするバラに元気をもらうこともあるんですね。

どうぞ「柳沢吉保」の検索をお願いいたします。


彩の国から その2

2023-12-24 01:29:31 | 食を考える

パルシステム埼玉の三芳センターで「委員の集い」という勉強会があり、商品開発されたうどんと海鮮丼を試食しました。

仕事が忙しいときに安全安心かつ時短でできる食品の開発がいろいろとされています。

この集いの後、地区会のメンバーの方の車でセンター近くのお店に連れて行ってもらいました。

「農園レストラン 伊左衛門」です。

たいへんおしゃれなイタリアンレストランでした。広々とした空間です。

サツマイモの焼きプリンと狭山和紅茶です。

新しい農業のヒント満載のような。

埼玉は都会と田舎がミックスしたところです。

不動産価格が割安。

在宅で仕事をされる方たちにお勧めです。


彩の国から その1

2023-12-20 00:48:31 | 埼玉

11月23日は川越・氷川神社に出かけました。

孫の七五三のお祝いです。お天気に恵まれて、たくさんの人たちで賑わっておりました。

朝から着付けなどで疲れたらしく、普段はあまり泣かないようなのですが、到着してしばらくぐずっていてどうなるかと思いました。

氷川神社境内には柿本人麿神社がありました。

お祝いの食事は、料亭山屋でいただきました。

城下町川越は、手入れされた古い建物と庭が残っているのですね。

駅からすぐ近くなのですが、落ち着いて静かな空間でした。

ここでは孫は着替えてご機嫌で、さっそく神主さんのまねをしていました。

川越も所沢も日帰りでは見逃してしまうところがけっこうあります。

ぜひ宿泊でお出かけください。


ふるさとは今もかわらず

2023-12-16 20:01:55 | 青森

11月7日から10日まで青森に出かけてきました。

久しぶりで、その分、老化が進んだのか、帰ってから喉が痛くだるい症状があって、また味覚がおかしくなったのでコロナにかかったのかもしれません。病院には行かずに自宅で自粛しておりました。

青森ではあまり写真を撮ることができませんでしたが、紅葉がきれいでした。

堤橋の陸橋に上ってみました。階段がちょっとこわかったです。

 

堤川と八甲田山です。

このころは、青森も暖かかったのですが、その後急に冬がやってきたようで、きょうは荒れ模様の天気のようです。

青森の皆様、雪との戦いが始まっているようですが、どうぞ乗り切ってくださいますように。

 

青森がふるさとだというと、うらやましがられることが多いです。

変わらないふるさとがある、というのは本当にありがたいことだと思います。

 


義姉の場合 〔7〕

2023-12-12 00:19:47 | 女性について

義姉の遺品整理の中で、最期まで手許にあった手作りの布製の袋に、テッシュや楊枝などが入っていて処分しようと思ったら、ノートから切り取った1枚分の名簿がありました。

 

私が主人と結婚したころ、戦前からの家の1階に義母と長姉が、義姉は2階を増築して住んでいました。

長姉が亡くなって、義姉はその2階を大学生1名に貸して家賃収入を得ていて、その記録だったのです。

1982年から1995年の震災まで、平均2年間、家賃35000円で7名の方たちに貸していたようです。

 

主人はそれほど達筆ではありませんでしたが、義母と義姉たちは丁寧で美しい文字を書く人たちでした。

ここ数年は高齢になって字も弱ったようにみえたりしましたが、この名簿を書いたころはまだ50代から60代なので、しっかりした記録になっています。7名のうち、男子3名、女子4名で、最後は男子学生であったようです。

その男子学生の期間は、平成5年2月20日から平成7年1月17日までとなっていて、その下に赤い文字で付け加えてありました。

階下は全壊したが二階の屋根はつぶれず彼が生きてゐてくれたことは絶望の中での救いであった

 

まるでお守りのように、ノートの切れ端を義姉は大事に持っていた・・・・・

義姉にとっては教え子のような学生たちであり、その男子学生が生きていたことは何にも代えがたい大切な思い出となったのだ、ということがわかりました。

独身であった義姉には、むしろうらやましく思えるような「家族」との時間があったのだ、と思ったりします。