椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

7月21日のまち 椿の和 夏のコンサート その4

2019-07-28 17:16:42 | 椿の和 コンサート

4.椿峰小学校カメリアコーラス

・コーラス

 海と涙と私と やなせたかし作詞 木下牧子作曲

 誰かがちいさなベルをおす やなせたかし作詞 木下牧子作曲 ほか

・テナーサックス

 枯葉 J.コスマ作曲   A列車で行こう B.ストレイホーン作曲 ほか

・独唱

 セレナータ トスティ作曲  最後の歌 トスティ作曲  ほか

   

  盛りだくさんでみな 力強い演奏で大いに元気をいただくことができました。

 カメラの調子がいまいちで申し訳なく思っております。

 持ち主に似て我が強いカメラかもしれません(汗

 写真は椿の和コンサートのお世話をずっとされているTさんのブログをご覧いただければと思います。

 → こちら

 この椿峰コミュニティ会館別館ホールの裏には雑木林が広がっています。

 

 建物が椿峰のまさに峰のところにあります。樹木も音楽がわかるのかもしれません。

 

 コンサートは無料で開かれ、出演のグループの方たちに分担金をいただいて開催しております。

 有料にしたり、なにか物品の販売をしたりするのは規則などで難しいようです。

 著作権などの問題が出てくる?

 こういった地域活動を若い方たちに引き継ぐには、そのあたりの使用規定を合理的にするとよさそう、

 と思ったりします。

 いろいろの分野で後継者が出てこないのはなぜなのか、解決方法はないのか・・・・・

 議論が必要ではないでしょうか。

 


7月21日のまち 椿の和 夏のコンサート その3

2019-07-27 08:57:08 | 椿の和 コンサート

3.デュオエッフェ ピアノ連弾

ピアノ 位寄昭子 加藤純子

ジュトゥヴ サティ作曲  パヴァーヌ フォーレ作曲 ほか

スペインの踊り フォーレ作曲 の動画です。

元気溢れるお2人に少しだけ密着取材をしてみました。

椅子が古くて調整がちょっと大変(汗

加藤さんのご主人がカメラマンです。ポスター、照明や受付など加藤ファミリーが活躍。

笑顔がより女性の魅力を引き立てます☆

 

 

 


7月21日のまち 椿の和 夏のコンサート その2

2019-07-26 22:48:11 | 椿の和 コンサート

2.バイオリンとピアノ デュオ

バイオリン 水岡善郎  ピアノ 加藤純子

アダージョ カンタービレ(ピアノソナタ「悲愴」より) ベートーベン作曲

ひまわり マンシーニ作曲   ラベンダーの咲く庭で ヘス作曲 その他

ヴォカリーズ ラフマニノフ作曲 の動画です。

災害や事件で若い人たちが亡くなることが多いこのごろのせいか、鎮魂の曲のように感じられたりします。

また「ひまわり」のような映画音楽は、高齢者にとって思い出が蘇る働きがありますね。


7月21日のまち 椿の和 夏のコンサート その1

2019-07-26 22:37:19 | 椿の和 コンサート

あっという間に半年が過ぎて、いつものように、椿の和 夏のコンサートが開かれました。

お手伝いがあまりできず、カメラの調子がいまいちで、個人情報の関係もあったりして、ごく一部のご紹介しかできませんが・・・・・

1.ウクレレサークル カプア 

ホノルル娘 南国の夜 オーシャンゼリゼ カイマナヒラ 恋のバカンス ほか

カーテンのかげで聞いていると、ハワイアン・ソングの甘い声の歌が聞こえてきて、ついついカーテンを開けてみたりしておりました。


7月14日のまち ヒント集〔2〕

2019-07-14 23:14:34 | 日本を元気に

関東では気温が低い日が続いて、体調がいまいちの方がいるようです。

別冊宝島 決定版 「生活のコツ700 おばあちゃんの知恵」 宝島社 2004年 

(ちょっと古いんですけど、古い本の方がありがたいかも)

「風邪なんか吹きとばす予防とひきはじめの対策」 一部抜粋

・風邪の予防にとくに有効なのは、まず、からだを内部から温めてくれる脂肪。のどや鼻の粘膜を強くしてくれるビタミンA。いろいろなストレスに対する抵抗力をつけてくれるビタミンC。この3つが、昔から風邪予防の3大栄養素といわれています。この他にも免疫力を高めるとされている緑黄野菜も、たっぷり取りたいものです。

・番茶に塩でうがい

・梅干し2個を皮が黒くなるまでもち網で焼きます。焼けたら茶碗に入れて上から熱湯を注ぎ、箸で梅干しつぶして出来上がり。

・干し柿を1個湯飲み茶わんに入れ、上から熱湯を注ぎ、さっと実をほぐします。湯を飲むだけでなく、干し柿も食べるほうが効果的です。

・熱い紅茶に砂糖かハチミツを入れ、しょうが汁をたらして飲む。

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熱いものを飲む、食べるのがいいようですね。

スマホから離れて、ぐっすり睡眠をとることも大事そうです。


7月11日のまち ヒント集〔1〕

2019-07-11 16:50:55 | 女性について

日本の将来が不透明になっている折、あれこれ読み漁って見つけたものを記事にしてみるのは無駄ではないかもしれません。

生き延びるというテーマの場合、日本では天皇家というものがお手本とできるかと思います。

酒井美意子「元華族たちの戦後史 没落、流転、激動の半世紀」 講談社 2016年 

酒井美意子については こちら

この本の表紙カバーに書かれている文章から

・明治以来、日本には華族と呼ばれた、文字どおりの上流階級が存在した。しかし、1945年8月の敗戦で、彼らは大きな変転に直面する。前田侯爵家の姫君として生まれ、酒井伯爵家に嫁いでいた著者は、激動の昭和史をいかに生き抜き、何を目撃したのか。生き生きと綴られた皇族・華族たちの明暗交々の生き様と、驚きいっぱいの歴史的証言!

 

歴史はいろいろな視点から考えてみる、という意味でも貴重な証言として感じられます。

この本の中に付録として 東久邇成子「やりくりの記」というものが掲載されていました。

酒井美意子とは女子学習院で同級であって、辛口の人物評もある酒井美意子もほめる賢い人柄であったようです。

東久邇成子(昭和天皇第一皇女)については こちら

「やりくりの記」(『美しい暮らしの手帖』第五号所収、一九四九年十月発行)

・日本は変わった。私たちもこれまでの生活を切り替えようとこの焼け跡の鳥居坂に帰って来た。やりくりの暮しがはじまったのである。ここは居間の方が全部焼けて、ただ玄関と応接間だけが残ったので、これを修理して、やっと、どうにか住めるようにしたのだ。だから押入れが一つもなく、台所と言っても、ただ流しだけで、配給物などを入れておく戸棚もないので、洋服ダンスの下方にしまったりしている始末である。

・広い品川の家に、昔ながらの習慣にひたって両親と共に暮す事は、ある意味では、楽だと言う事も出来る。しかし生活そのものを思いきりつめて、むだな所を捨て、将来に大きな希望、明るい夢を抱いて、その実現へと、一歩一歩踏みしめて行くと思うと、こんな生活でも、いまの暮しを私はたのしいと思う。咲き誇った花の美しさより、つぼみのふっくらした美しさがほしいと思うからである。

・子供には子供の世界がある。大人には想像も及ばない世界である。私たちはつい大人の考えから、ああして、こうしてと指図して美しい子供心を圧迫してしまう事が度々あるのではないだろうか。

 軟かい宝石のような、そんな感じのする子供心を、私は出来るだけ注意ぶかく見守り、傷つけないように磨こうと思う。

・焼跡の大部分に畑もつくった。毎日の食生活を少しでも助けるためである。夏の朝早く露をたたえて生き生きと輝いているトマト、なす、きうり等、もぎとってくるのも嬉しかった。しかし、今年の春の頃は、畑に人参も、ほうれん草も、大根もなくて、毎日春菊だの、わけぎだのと同じきまった野菜に、きょうは何を使おうかしらと苦労させられたものだ。そして結局高い端境期の野菜を買わなければならなかった。この苦い経験を生かして、来年は多種類の野菜が少しずつでも、絶え間なくとれる様に、殊に端境期を気をつけて菜園計画を立てようと思っている。

・この様に台所の事、畑の事、縫物の事等、朝から晩まで仕事に追われがちの私である。庭の草花の一輪でも部屋の片隅に生けて、そのささやかな美を味いたいと思いつつも、ふだんはそれすら忘れてしまっている。けれども、これではいけないと思う。

・でも、どんな風にしたらその日、その日の家事が早く片付いて、こうしたゆったりと落ちついた時間を持つ事が出来るだろうかと考えて見た。

 この数年の忙しい毎日の暮しで、私が知ったのは、一つの仕事を敏速にする訓練と心掛けが必要だということである。これは要点をつかんで無駄をはぶき計画的に仕事をすることだと思う。忙しい忙しい、と思っていると、しっかりと、ものを考えて判断したり、家庭の中の事柄の計画を立てるような事もなくなってしまう。

・もう一つには、いつも整頓をする習慣をつけることである。机の上には二,三日分の新聞がたまり、鉛筆が出し放しにしてあったり、台所に道具が、ちらばっていたりすると、能率が上らないばかりでなく、何時の間にか子供もおもちゃになったり、なくなったり、こわれたりするものもある。何時も定めた所にしまう様にすれば、手順よく仕事がはかどるようになる一つの手段だと思う。

・世界は、社会はまさに混沌とした深い霧にとざされている様に見えるが、しかしその中にもある一点から、ほのぼのとした光がさし始めているような気がする。私の生活もまた様々なもやにさえぎられて、今もまだ幾多の困難をのりこえなければならないが、これは私たちだけではない。日本中みんな苦しいのだから、この苦しさにたえてゆけば、きっと道はひらけると思うと、やりくり暮しのこの苦労のかげに、はじめて人間らしいしみじみとした、喜びを味う事が出来るのである。

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どういう境遇でも適応していく、という心構えが大事だと教わったような気がします。

また、時間を上手に使うには、手早さの訓練と整理整頓が大事とのこと。(汗

35歳の若さで亡くなった東久邇成子のこの飾らない文章には、今の女性たちに気合を入れる働きがあると思いますが、いかがでしょうか。

皇族や華族の苦労話など読みたくもない、ではなくて、苦労を乗り越えて続いている家系のパワーなり処世法なりを参考にする

倒産してしまった会社の社長の体験談を読む

また、高齢者の特別な体験を聴く

といったことが、大きな災害や高齢化社会を乗り越えていくために必要そうに思います。

タイサンボクのふっくらしたつぼみです。


7月10日のまち 本の購入

2019-07-10 11:10:44 | 高齢化社会

日本が崖っぷちらしいので、個人ひとりひとりも強くなっていく必要がある・・・・・

でも、どうやって?

ともかくヒントを必死で集めたい、と思って情報収集に努めております。

きょう購入して届いた本を紹介してみます。

岡部伸「消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い」 新潮新書 2012年

幕蓮「官邸ポリス 総理を支配する闇の集団」 講談社 2018年

江越弘人「幕末の外交官 森山栄之助」 弦書房 2008年

けっして爺さんたちに対抗しようと思っているわけでは(一呼吸アリ)ありません。

また、これから読む本ですので、内容について賛同しているということではありません(汗

 

 我が家のミニバラです。私を励ましているつもりのようです。


ブログ「りんご婆のおもいつ記」のご紹介

2019-07-07 14:40:13 | 日本を元気に

Yahooブログからライブドア・ブログに引っ越して、リニューアルしたブログ

「りんご婆のおもいつ記」をよろしくお願いいたします。→ こちら

 

なお、我が家のリフォームはまだ片付けの段階です。

食卓テーブルを塗り直してもらって使いたいとか、あれこれぐずぐずしております。

 

長芋を埋めこんでむかごの収穫を目論んでいますが・・・・

むかごは身体によさそうです。


6月20日のまち 旧前田家本邸 その16 つづき

2019-07-02 22:53:18 | 防災

日本近代文学館の太宰治展で 

日本近代文学館編「太宰治 創作の舞台裏」2019年

を購入しました。

ちょうど、その中に太宰治が「金槐和歌集」岩波文庫 で

大海の磯もとどろによする波われてくだけてさけて散るかも

の歌に〇印がつけているページの写真が掲載されていました。

前書きとこの歌については、平仮名が片仮名になってはいるものの、浪と波に変更はなかったようです。

 

箱根ノ山ヲウチ出デテ見レバ浪ノヨル小島アリ供ノ者二此(この)ウミノ名ヲ知ルヤト尋ネシカバ伊豆ノ海トナン申スト答へ侍リシヲ聞キテ

箱根路ヲ我(わが)コエクレバ伊豆ノ海ヤ沖ノ小島二浪ノヨル見ユ

この歌について、妻美知子が書いているように、太宰治はわざわざ波を浪に変えたようです。

浪は大きな波で、波はさざなみのような波だとか。

 

この「右大臣実朝」は1943年9月に出版されました。

1944年12月に東南海地震があり、伊豆に津波が押し寄せたそうです。→ こちら


わが家の庭の隅で咲いたミニバラです。注意報発令みたいな感じもしないではありません。

 

 


6月20日のまち 旧前田家本邸 その16

2019-07-01 21:46:53 | 歴史あれこれ

何か書き残しているような気がしてぐずぐずしていたのですが・・・・

 

日本近代文学館の太宰治展に来て、この旧前田家本邸の見学をすることになったのだから

もしかしたら太宰治と前田利為はどこかで接点があったのかもしれない、と思いました。

前田利為は情報収集の役割があったことと、一時期、弘前第八師団長であったことがその理由です。

また弘前藩は近衛家と近い関係にあり、近衛家と前田家は親戚関係にあったようです。

 

もし、何らかの接点があったとして、太宰治は作品のどこかに前田利為の何かを埋めこんでいないでしょうか。

1942年頃の作品では「右大臣実朝」があります。

ふと妻美知子が、太宰治が「右大臣実朝」執筆のときに寝ても覚めても「実朝」で頭がいっぱいになったと書いてあったことを思い出し、津島美知子「回想の太宰治」を読み返してみました。

・「右大臣実朝」に太宰は実朝の和歌を片仮名で入れているが、平仮名を片仮名に変えただけでなく、あるいは漢字を片仮名に、平仮名を漢字に直して、諸伝本のどれにもない自己流の表記をしている。その道の専門家の意向を無視しても、「太宰の実朝」を書き表したかったのであろうか、と思うものの「波」を「浪」と、「浪」を「波」とことさら変えて書いているなど、変更のための変更のような感じを受ける。

・「右大臣実朝」に入れた金槐和歌集の和歌の表記について上記のように太宰流に書き改めたことは、どう考えたらよいのか、真意が不可解である。

 

「右大臣実朝」から

  アラ磯ニ浪ノヨルヲ見テヨメル

 大海ノ磯モトドロニヨスル波ワレテクダケテサケテ散ルカモ

これは前田利為の最後に重なるように感じられます。

加えて「右大臣実朝」の中で名高い アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ

の1行も前田利為にふさわしい台詞のようにも思われたりします。