椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

6月17日のまち 第7回ポスト椿峰協定検討委員会

2018-06-27 23:25:44 | 椿峰協定

椿峰協定はあと6年後に失効になります。 その後をどうするのか、について勉強会や話し合いが開かれています。  このポスト椿峰協定検討委員会については こちら

 

平成29年度は

・街づくりアドバイザーによる講演  講師 小笠原邦夫氏(所沢市役所より派遣)  

   テーマ:➀街づくりのルールについて 

               ➁地区計画の策定事例 

               ➂まちづくりの推進事例

・まちづくりルールの事例研究 3グループ(建築協定・街づくり協定・都市計画)に分かれて調査

 

今年度は 街づくりの基本的方向の検討、アンケートの設計、広報チームの編成などが行われる予定となっています。

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妻が長く生きる可能性が高いので、家の資産的価値について女性は関心を持つべきではないでしょうか。

政治が大きく変化していけば、街並みを整えるとか、特別な土地の利用をするとかで 高齢者は移動を迫られることもあるかもしれませんし、強制収用といったこともどこかで起こるかもしれません。

現在、椿峰住民で椿峰協定から外れている方たちや、女性の方たちはポスト椿峰協定検討委員会の動向にご注目を。

聞いていなかった、あるいは知らないところで進行していたのはおかしい、といったことになりませんように。

ご参加を心よりお待ちしております

 

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6月16日のまち 西所沢駅から その2

2018-06-20 22:31:55 | 所沢
西所沢 ⇔ 下山口 ⇔ 西武球場前 の3駅を結んでいるのが西武狭山線です。

下山口駅は小さな駅です。


ホームから、足が不自由な方は2つのエレベーターで改札口に出ることができます。


狭山線は単線ですので、この下山口駅で待ち合わせとなることもあります。


案内板です。最近では4か国の言語で書かれています。


改札への通路は傾斜がついたものとなっています。


改札です。雨が降り出していました。
若いころには通勤でこの駅を使っていて、帰ってきてほっとした気分がしました。
ただし、ここから15分の坂道があって、そのころ貧血気味で歩くのがたいへんでした。


こうしてみると、この小さな駅はさまざまな思いがつまっている存在だという気がします。

できたばかりの椿峰ニュータウンを家族で見学に来た日をなつかしく思い出したりします。






6月16日のまち 西所沢駅から その1

2018-06-20 22:03:57 | 所沢
西武池袋線西所沢駅のホームです。
エレベーター、エスカレーターがあって、広い階段があります。


都心に出たときの乗り換えのホームや階段がかなり狭く感じられます。
たまに通勤時間帯に都心で乗り換えようとすると、身動きできないほどホームに人があふれていたりします。

ホームには待合室があります。寒い時期には助かりますね。


土曜日だったせいか、池袋行の電車は 「ぐでたま」のイラスト電車でした。



また、西武球場行の電車は「銀河鉄道999」でした。



西武のデザイン電車は こちら

西武線は郊外を走るので、ゆったりとしています。


防災情報

2018-06-18 10:57:00 | 防災
地震発生後に余震などで被害を拡大しないように注意が必要です。

地震発生後の建物の緊急点検については こちら
とくに天井についての点検をお願いいたします。

停電後の通電火災については こちら

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昨日17日に、自治会の防災委員会を開き、話し合いをしたところでした。

学校体育館では収容できる人数が限られ、高齢者は在宅避難ということになりそうです。
その際の防犯と備品ということについて話し合いました。

・トイレ使用のためのテント(災害時のトイレ用品は備蓄済みです)
・ソーラー電池でのフットライト
・防犯ブザー (児童・生徒などが使ったものをリサイクル)

・「さすまた」の使い方について(購入検討) 
 (防災委員長をしていただいている方が小学校の先生ですのでお聞きしました)
 
  短めに握ってしまうと手の防御ができない 
  相手が両手で握ってしまって振り回されることもあるので、それを防ぐ製品がある


生理用品はどうかという提案がされましたが、年齢層からして紙おむつの備蓄の方が必要そうです。
防災委員会としては、個人での備蓄を呼びかけることにしました。
なお、東日本大震災後に集められたアイデア「OLIVE いのちを守るハンドブック」 KADOKAWA 2011年
身の回りのもので生理用品やおむつの作り方が載っています。

在宅避難になるのなら、近くの自治会と連携して、食料の配布などを近くの公共施設で受け取れるようにできないかと
思っているところです。



5月29日のまち 新井薬師前駅から その7

2018-06-12 00:11:54 | 美術館・博物館
林芙美子記念館と三鷹太宰治文学サロンの協働企画展「太宰と芙美子」が開催中です。→ こちら

太宰治はこの林芙美子邸を少なくとも2回は訪問しているようです。
太宰治は姉たちが若くして亡くなっていて、林芙美子を姉のように思えたのかもしれません。
林芙美子は画家になりたかったんだとか。
太宰治の「ヴィヨンの妻」の装丁を林芙美子が手掛けたのだそうです。

(林芙美子記念館HPから)

林芙美子は格子柄の着物がお気に入りであったようです。

また、太宰治は、政治家の息子だけあって座持ちが上手だったりするようで、林芙美子の家族と話が盛り上がったようです。




ザクロの花が咲いていました。



林芙美子は仕事を断らなかったようで、寿命を縮めて48歳で急逝しました。
亡くなる少し前の映像では60歳を過ぎたら良いものが書けそうなので長生きをしたいと語っていました。



太宰治と林芙美子は売れっ子作家となったため、嫉妬半分での評伝が書かれて、実際の品の良さといったものがあまり伝わっていないようにも感じられます。

それとも日本の戦後は愚民策を採らざるを得ず、能ある鷹の爪を隠させることになったのでしょうか。




5月29日のまち 新井薬師前駅から その6

2018-06-11 00:12:09 | 美術館・博物館
新宿区立林芙美子記念館への訪問は2度目ですが、何度でも訪れたくなる場所です。
林芙美子は竹が好きだったようです。
      




入口に新宿区による平和都市宣言が掲げられていました。







5月29日のまち 新井薬師前駅から その5

2018-06-10 14:55:01 | 高齢化社会
この日はかなり暑い日でした。

新井薬師前駅から次の中井駅下車で林芙美子記念館に向かうつもりだったのですが
ちょうどタクシーが見つかって・・・・・

丸顔で人のよさそうな運転手さんだったんですが
林芙美子記念館にお願いしますといったところ、それを林芙美子記念館やら住所やらをナビに入れても出てこないんです。

入力も慣れない様子で、これは友達の車でとかなんとかぶつぶつ。
5分ぐらい繰り返したので、では中井駅にと変更したんですが
それもナビに入れて、広い道を選ぶためかかなり大回りで中井駅に到着 

気の向くままでの都内歩きで、タクシーを拾っての利用は考えものだと思いました。
優良ドライバーだという何かわかるものがあれば、と思いました。

今のところは、会社を選ぶとか駅で乗る、といった利用の方がいいのかもしれません。

都内のバスは便利のようですが、事前によく調べていくなり、スマホを使いこなせないと無理そうです。
観光客が増え、また高齢者の利用者が増えていくのなら、タクシードライバーの養成、教育といったことが必要そうです。


また、タクシーだけではなく公共交通機関も含めて、不合理な規制、あるいは不合理な規制解除というものに配慮が要るのではないでしょうか。
バスについては、自治体の調整が有効だとのこと。

タクシードライバーに志願者が多い、ということにしていくのは、それほど難しいことではなさそうです。

今となっては、「オリンピックに向けて」ということで、あれこれの改革が合理的にかつスピードをもって進んでほしいと思います。



5月29日のまち 新井薬師前駅から その4

2018-06-05 12:34:58 | 歴史あれこれ
新井薬師のすぐ近くに北野神社がありました。
所沢・北野天神の近くに住んでいることもあって立ち寄ることにしました。




神社の片隅にかつて中野刑務所に置かれたものを移築したものだという稲荷社がありました。
中野刑務所には、大杉栄とか亀井勝一郎などのような思想犯が入っていたのだとか。




そういう由来を知ると、そばにある倉庫までが曰くありげに見えたりします。


ただ、それだけではない哀しみのようなものを感じてしまったのですが・・・・・
帰ってから調べたところによると、この辺りでは、かつて15世紀に江古田原合戦というというものがあったのだとか。
→ こちら

戦いがあったから寺社ができたのか、寺社中心に陣地が置かれたのか。
大きな戦ではかなりの食料が必要であったでしょうから、貯蔵場所として寺社が先にあった?

太田道灌は関東のあちこちで戦いをしていたんですね。
この北野神社は新井天神とも称されるようです。
太田資長ではなく法名の道灌が使われるのは、菅原道真との関連なのでしょうか?

このころの関東では
享徳の乱 → こちら  
長尾景春の乱 → こちら
長享の乱 → こちら
といった長い戦が続いていたようです。その中で太田道灌は目立つ存在となっています。

ふと17世紀ヨーロッパの30年戦争でヴァレンシュタインという人物を思い出しました。 → こちら
最期などが太田道灌と似ています。

30年戦争は宗教が絡んでいた戦争のようですが、もしかして、これらの関東の乱は宗教も絡んでいる?
一向一揆は こちら

長い間の戦でさぞ大変だったろうと思うのですが
道興准后なる人物が1486年に所沢を訪れていて こちら
のどかな感じなんですよね・・・・・

もしかして北野天神のご利益 ? 菅原道真(+平将門の祟り)を恐れたとか?

ひょっとして、14世紀に小手指原の戦いがあった所沢では、15世紀には猛者ぞろいで敬遠されたとか?