2014年に主人が亡くなって、今度は青森の両親の遠距離介護ということになって2016年6月に父が、昨年2019年10月に母が亡くなり、この6年ほど青森に何度も出かけておりました。
その間、布製のキャリーケースがいつも一緒だったんですが、ついに持ち手がボロボロになってしまって。
愛着のあるものだったので、アマゾンで似たような持ち手を探したんですが・・・・・
今はプラスチック製のものが多くて、革製の持ち手を購入してみたんですが発送に時間がかかるものだったんです(泣
届いてもうまく取り付けられるかどうか・・・・
そろそろ片付けなどに青森に出かける必要があって、ゆっくり待ってもいられず、キャリーケースを西武所沢で購入しました。
どうしても金属やプラスチックのものは買う気にならず、しかし日本製で布製のものはけっこう高かったりします。
あれこれ迷った挙句、割引されていた旧型の分から選びました。
家に戻ってから、パンドラの箱のような働きでもあったかのように思い出すことがありました。
このブログの初めのほうにあるように、まちづくりのボランティアでお助けマンという活動をしていたとき、ちょっと変わった依頼を受けたことがありました。
70歳代の女性の一人暮らしの方が、スーツケースの修理だったか交換だったかで、有楽町まで同行してほしいということだったのです。
タクシーで駅に出かけ、空いている時間帯に電車に乗って出かけました。
その間、いろいろのお話を聞きました。独身でお勤めをされ、お母様とずっと一緒に暮らしていて数年前に亡くなられたとか。
外国旅行に出かけたことなども興味ふかいお話がありました。
私はそのころ主人が存命中で、在宅での数学の問題集の校正のような仕事もしていたので、時間のゆとりがなくて・・・・
もっとお話を聞いておけばよかった・・・・・今頃になって強い思いにとらわれたりします。
まちづくり活動に参加したことで、多くの高齢の方たちにお会いすることになりました。
その結果、お葬式にも参列させていただくことになり、もしかしたら、私のせいで寿命を縮めたのではないか、と何度か思ったりしてきました。
いっぽうでは、その方たちに支えられているという気持ちもあります。
高齢化社会というのは多死の社会ということになっていくのかもしれませんが、けっして空虚なものではないと思います。