このレストランに隣接して、ハーブとバラの「三富 月の原ガーデン」が広がっていました。
三富は「さんとめ」と読みます。
川越藩主柳沢吉保によって開拓が奨励されたこの地は、やはり日本の農業にヒントがたくさんあるように思われます。
柳沢吉保は武田遺臣の家系であるとのことで、日本の隠れた一面を持っているといえるのでしょうか。
冬に咲こうとするバラに元気をもらうこともあるんですね。
どうぞ「柳沢吉保」の検索をお願いいたします。
孫が遊び疲れてベビーカーでうとうとし始めたので、公園内にある狭山市立博物館へ。
2015年にも訪れたことがあって、以下はその時の写真です。
明治時代の入間・狭山市の掲示物をみて、馬車鉄道についてガイドの方に説明をしていただきました。
馬が多くいたのか、牧というのは近くにあったのかなど聞いてみたかったのですが
あまり時間がなくて・・・・
(以下は検索してわかったことです)
入間馬車鉄道については こちら
この入間馬車鉄道については、清水宗徳なる人物が尽力したようです。→ こちら
代々武蔵国高麗郡上広瀬村の名主で、広瀬神社の神官を務めてきた家柄とのこと。
広瀬神社とは こちら
かなり古い神社のようです。
埼玉県北部にある稲荷山古墳とはべつに、稲荷山公園古墳というものがあって
こちらでも刀剣が見つかっているとのこと。
この博物館で展示されていたものかどうかはわかりません。
埼玉西部の古墳については、空白地域とされてきましたが少しずつわかってきたことがあるようです。
埼玉県西部の歴史に注目を☆
土曜日で長男が2歳の孫を連れだすとのこと。
幸い晴れていたので、稲荷山公園駅で待ち合わせをしました。
西武池袋線で、飯能方面へ稲荷山公園は3つ目です。
小手指ー狭山ヶ丘ー武蔵藤沢ー稲荷山公園・・ →飯能・・ →西武秩父
稲荷山公園は駅に直結していて、2歳児、3歳児が走り回るのによいところです。
狭山稲荷山公園については こちら
かつての在日米軍の家族が住んだ家もしくは施設の入口の階段が残っていました。
全ての人に開かれた広々とした空間というのは、今となってはアメリカからの賜物とも考えられたりします。
戦後、返還されて特権階級のための場所とはならなかったのはありがたいことです。
当たり前のようで当たり前でないことではなかろうか・・・・
明治維新では封建制度が壊れたものの、論功行賞として勝ち組に土地が与えられたりして新しい特権階級が生まれてしまったわけですから。
公園からすぐのレストラン「ニックス」で食事をしました。HPは こちら
黒毛和牛100%というハンバーグはおススメです。ハンバーグも奥が深いというか。
アメリカにもいろいろな人たちがいて、日本人のために力になろうとしてくれた人たちも多かったのではないでしょうか。アジアでそう考えた日本人も少なくなかったはず。
なぜか、このハンバーグの味はそういう思いにさせてくれました。
夏草や兵どもの夢の跡
とは、草ぼうぼうの荒れ野ではなくて芝生が広がる公園だったり、おいしいハンバーグであったりすることもあるのですね。
上野東照宮にも立ち寄りました。
この中から
寛永寺五重塔は動物園の中にあるんですね。
東照宮のフェンス越しに撮りました。
御三家の灯篭とのこと。
職人たちやその監督者たちの意気込みが伝わってきて元気が出ます。
どうぞ上野東照宮にお出かけください。