椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2024年10月 奈良 その4

2025-01-11 00:19:01 | 歴史あれこれ
古い町並みと猿沢池です。


興福寺五重塔は修理中のようです。

帰宅してから調べたら、猿沢池を舞台にして芥川龍之介が「龍」という作品
を書いているとのこと。(『中央公論』大正8(1919)年5月)
芥川龍之介は大正6(1917)年4月に養父道章と京都・奈良へ旅行に出かけ、奈良には1日だけの日程であったとか。
この猿沢池のどこかに立ったのではないでしょうか。

作品「龍」はあまり評価されなかったとのこと。
評判の良かった「鼻」(『新思潮』大正5(1916)年)に重なる部分があったりしたから?
「龍」が昇る話を書いたことによって、本人はその気がなくても読者は作者が自分を龍神としていると感じてしまったからなのでは?

【拾い物】追悼 ミシェル・ルグラン シェルブールの雨傘 壮大編曲ver (Michel Legrand - Les Parapluies de Cherbourg)

2024-07-08 10:00:03 | 歴史あれこれ
【拾い物】追悼 ミシェル・ルグラン シェルブールの雨傘 壮大編曲ver (Michel Legrand - Les Parapluies de Cherbourg)

どこかにも書いてきましたが、私がこの動画にこだわっているのには理由があります。
主人は女子大で国際関係学概論という講義を受け持っていて、夏休みにはよく一人で海外に出かけて、戦場とか国際会議の開かれた場所などを見に行っておりました。
シェルブールで購入したという折り畳み傘を土産に買ってきてくれました。すてきな色合いで黒のエナメルの袋に入ったものでした。

後になって、シェルブールはノルマンディの海岸に近いところだったということを知りました。主人はノルマンディの戦いの場所に立って考えたのだと思います。私は数学を専攻していたので、その当時は近代史についてはまったくわからず、説明してもわからないと思ったに違いありません。

あれこれ調べるようになって、日本国憲法に関わったユダヤ系アメリカ人のチャールズ・L・ケーディスがこのノルマンディの作戦に参加していたことを知りました。
ケーディスの愛人とされる鳥尾多江がその話を書き遺しています。
オハマビーチではなくもう少し南のイタリアよりの浜辺であったとか。その時の壮絶な激戦の様子を鳥尾多江とその子どもたちによく語っていたそうです。
以下は
鳥尾多江「私の足音が聞こえる マダム鳥尾の回想」 文藝春秋 1985年
より
「僕は戦いが始まりそうだな、という予感がすると背中じゅうが痒くなる。そして犬のように大地に背中をこすりつける。気が静まるまでそうやっていた。そしてそれはいつも当っていた。」
「部隊が待機している処に砲弾が打ちこまれる。初めは前後の遠い場所に落ちだんだん近くなる。そんな時、僕は鏡をぶら下げてのんきそうに髭を剃るんだ。部下を恐がらせないために、鎮めておくためにそれが一番良かった」

ユダヤ系アメリカ人だった。その彼がヨーロッパ戦線で、ユダヤ人殺しの現状を、まざまざとみせつけられたのだから、どんなに悲しかったか口惜しかったかわかる。彼は従軍カメラマンとして彼の部隊についていた人に貰った写真を、三冊の部厚いアルバムに貼っていた。それをアメリカから取りよせ、私達に見せてくれた。

彼はその苦しかった事、悲しかった事、すべてを忘れて暖かい平和にひたりたかったのだと思う。そして新しい日本に理想と夢をいだいていたに違いない。

18:15~ 【内海聡】 応援弁士 小田原市議会議員 城戸さわこ 街頭演説 2024/7/3 田町駅芝浦口 #うつみさとる #うつみん#東京都知事選 #内海聡

2024-07-03 19:52:26 | 歴史あれこれ
18:15~ 【内海聡】 応援弁士 小田原市議会議員 城戸さわこ 街頭演説 2024/7/3 田町駅芝浦口 #うつみさとる #うつみん#東京都知事選 #内海聡

組織票で政治がおかしくなってしまったのかもしれません。
またスポンサー付きでは、どこかで忖度が働いてしまうと思います。

政治を変えるのは、地道な努力が必要なんでしょうね。

人生を変えた軍事クーデター、チリ弾圧の歴史を描く/映画『夢のアンデス』予告編

2024-06-29 13:00:49 | 歴史あれこれ
人生を変えた軍事クーデター、チリ弾圧の歴史を描く/映画『夢のアンデス』予告編

1973年に起きたチリ・クーデターについて知っておくべきことのように思います。

三島由紀夫事件は1970年、このころにベトナム戦争が起きていて
しかし大学生であった私は何も知らずに過ごしておりました。

よくわからないまま過激な行動をするのは考えものですが、若い人たちは何が起きていてその影響はどうなるのか、を観察し考えておく必要があると思います。

彩の国から その3

2023-12-24 01:35:40 | 歴史あれこれ

このレストランに隣接して、ハーブとバラの「三富 月の原ガーデン」が広がっていました。

三富は「さんとめ」と読みます。

川越藩主柳沢吉保によって開拓が奨励されたこの地は、やはり日本の農業にヒントがたくさんあるように思われます。

柳沢吉保は武田遺臣の家系であるとのことで、日本の隠れた一面を持っているといえるのでしょうか。

冬に咲こうとするバラに元気をもらうこともあるんですね。

どうぞ「柳沢吉保」の検索をお願いいたします。


狭山稲荷山公園へ その2

2023-07-03 23:20:09 | 歴史あれこれ

孫が遊び疲れてベビーカーでうとうとし始めたので、公園内にある狭山市立博物館へ。

2015年にも訪れたことがあって、以下はその時の写真です。

明治時代の入間・狭山市の掲示物をみて、馬車鉄道についてガイドの方に説明をしていただきました。

馬が多くいたのか、牧というのは近くにあったのかなど聞いてみたかったのですが

あまり時間がなくて・・・・

(以下は検索してわかったことです)

入間馬車鉄道については こちら

この入間馬車鉄道については、清水宗徳なる人物が尽力したようです。→ こちら

代々武蔵国高麗郡上広瀬村の名主で、広瀬神社の神官を務めてきた家柄とのこと。

広瀬神社とは こちら

かなり古い神社のようです。

埼玉県北部にある稲荷山古墳とはべつに、稲荷山公園古墳というものがあって

こちらでも刀剣が見つかっているとのこと。

この博物館で展示されていたものかどうかはわかりません。

埼玉西部の古墳については、空白地域とされてきましたが少しずつわかってきたことがあるようです。

埼玉県西部の歴史に注目を☆


狭山稲荷山公園へ その1

2023-06-28 14:19:53 | 歴史あれこれ

土曜日で長男が2歳の孫を連れだすとのこと。

幸い晴れていたので、稲荷山公園駅で待ち合わせをしました。

西武池袋線で、飯能方面へ稲荷山公園は3つ目です。


   小手指ー狭山ヶ丘ー武蔵藤沢ー稲荷山公園・・ →飯能・・ →西武秩父


稲荷山公園は駅に直結していて、2歳児、3歳児が走り回るのによいところです。

狭山稲荷山公園については こちら

かつての在日米軍の家族が住んだ家もしくは施設の入口の階段が残っていました。

全ての人に開かれた広々とした空間というのは、今となってはアメリカからの賜物とも考えられたりします。

 

戦後、返還されて特権階級のための場所とはならなかったのはありがたいことです。

当たり前のようで当たり前でないことではなかろうか・・・・

明治維新では封建制度が壊れたものの、論功行賞として勝ち組に土地が与えられたりして新しい特権階級が生まれてしまったわけですから。

公園からすぐのレストラン「ニックス」で食事をしました。HPは こちら

 

黒毛和牛100%というハンバーグはおススメです。ハンバーグも奥が深いというか。

アメリカにもいろいろな人たちがいて、日本人のために力になろうとしてくれた人たちも多かったのではないでしょうか。アジアでそう考えた日本人も少なくなかったはず。

なぜか、このハンバーグの味はそういう思いにさせてくれました。

夏草や兵どもの夢の跡

とは、草ぼうぼうの荒れ野ではなくて芝生が広がる公園だったり、おいしいハンバーグであったりすることもあるのですね。


7月12日のまち 上野にて その5

2022-08-09 01:20:43 | 歴史あれこれ

上野東照宮にも立ち寄りました。

 

この中から

寛永寺五重塔は動物園の中にあるんですね。

東照宮のフェンス越しに撮りました。

御三家の灯篭とのこと。

職人たちやその監督者たちの意気込みが伝わってきて元気が出ます。

どうぞ上野東照宮にお出かけください。


7月12日のまち 上野にて その4

2022-08-07 14:52:58 | 歴史あれこれ

上野・護国院大黒天です。

以前訪れたときの記事は こちら(その1~その4)

日本の経済のお助けを、とお願いしてみました。

外に扉の外に出たところ木の板の修理跡が目に留まりました。

古いものを大事に使え、ということでしょうか?

籠目は魔除けの意味があるようです。→ こちら

限りある資源を大事に使うことが魔除けになり福を呼ぶ?