椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2024年10月 神戸 その3

2024-12-07 16:00:55 | 課題解決に
10月12日夜に広島から神戸に移動。
今回はコンフォート・ホテルERA神戸三宮に2泊しました。
立地もよく、平日料金であるなら連泊しての旅行が楽しめそうです。
ただし連休中なのでホテル代が通常の3倍になっています。
これも円安で外国の観光客には安く感じられる価格なのかもしれない
と恨めしい気が・・・・
広島では私学共済の年金受給者ということで宿泊代がだいぶ助かりました。
公務員や政治家の方たちはもしかしたらホテル代の高価格には無縁だったりする?

義姉が昨年9月末に亡くなって、神戸の家は空き家になっています。
戦前からの平屋に2階を増築した建物は震災で全壊し、義姉は
小さな平屋を建てて暮らしておりました。

現在ではこの手前の土地に建物があります。

独身であった義姉の相続人は弟である主人の子ども2人、つまり我が家の長男と次男になります。どういう事情かは分かりませんが、土地は1952年に亡くなった主人の父の名義のままになっていました。

家屋は震災後に家を建てた義姉の名義になっていて、長男と次男2分の1ずつ
土地は税金の支払窓口として私が100分の2、長男と次男が100分の49ずつの共有名義として、相続登記を済ませました。
この登記は以前お世話になった青森の司法書士さんにお願いしました。

10月13日に、この家の売却をするのに住友不動産神戸第1営業センターと東急リバブル神戸三宮センターの方に相談してこの2社にお願いすることにしました。入り口が狭くなっているいわゆる旗竿の土地なので簡単に売れるわけではなさそうです。

私は子どもが小さいころ、家の売買の必要があって、主人はあまりあてにならないので、通信教育で学んで宅地建物取引主任の資格を取りました。
その後にその資格で仕事をした経験はありません。

父は製材所の経営で親類に誠実な不動産業の方がいて優良な土地を購入することができて不況になってもその土地を担保にして乗り切ることができた、ということがありました。いわゆる土地本位制というものの恩恵を受けたということになります。
そのために不動産に関してはいくぶん関心があるほうです。

現在は土地よりも金もしくは金融資産に価値があるようですが
もしかしたら有用な土地の評価というものが見直されることが
あるかもしれません。
空き家問題の解決へと向かう?

以前誰かに大阪で商売をして京都で遊び、住むのは神戸
と聞いたことがあります。
確かに神戸は暮らしやすい土地柄のようです。

灘区の阪急六甲駅に近いところにあります。

もしこの物件にご関心のある方はお問合せください。

たとえば高齢者のあれこれの窓口のビジネスを副業にする方などに。
東洋医学、園芸に向きそうなところで、複数の大学に近いところです。


三富新田

2022-12-06 22:14:55 | 課題解決に

三富新田とは Wikipediaから こちら

三芳町HPで興味深い動画を見つけました。

 

所沢には土の改良についての蓄積があるようです。

この知恵を結集して、これからの農業や汚染土壌の浄化・再利用に役立てる必要がありそうです。

汚染土壌・汚染水の微生物などによる浄化の研究に多額の予算をつけてほしいですね。

防衛予算よりもある意味では大事ではないでしょうか。


1月29日のまち 新宿へ〔2〕

2022-02-05 14:15:46 | 課題解決に

無事、西武新宿駅に着いたものの出口をまちがえてタクシーに乗ったため、少し大回りすることになりました。

駅の前には道幅いっぱいにタクシーが止まっていたりしました。

タクシーの運転手さんは北海道の出身とのことで、私の青森の訛りのせいか、あれこれ教えていただきました。

歌舞伎町を通ったとき、取り締まりが以前より厳しくなっているとのこと。

歌舞伎町は学生時代にも避けたところで、初めて通ることになってアジアのどこかのような多国籍のまちに感じられました。

少し前に、子どもを投げおとす事件があったというホテルの前を通りました。

今の時代の母親はいろいろな事情で精神の安定が難しくなっているのかもしれません。子育てのとき、周囲に精神の安定した人間が何人かいてくれるとありがたいのではないでしょうか。

おそらく精神的に追い詰められて、子どもと心中しようとしたのではないかと思われますが、女性にはそういった危機が多かったりします。

現代の駆け込み寺といったものが必要なのかもしれません。

心身の健康には日光浴といったものが必要そうです。←意外に盲点

こちらは高層の建物が写らない西所沢付近の風景です。


我が家の改修計画から その2

2021-09-05 22:16:54 | 課題解決に

この改修計画は3年前から始まっていたので、コロナ自粛となってからは少し考えが変わってきました。

コロナ自粛以前には、着物のリメイクとか時短の料理などを近所の方たちと一緒にできる場にしたい、などと思っていたんですが

それだけではなく、さまざまな問題について話し合って考える場が必要だと思うようになりました。

 

先日、同年代の2人の女性の方たちとゆっくり話す機会があり、お互い異なる体験をしてきたことがあり、また不思議な縁というものがあることがわかりました。

誰でも人生では何回かはたいへんな思いをするのですが、それをどのように乗り越えたのかを話してみることが必要に思ったりします。

単なる自慢話とか苦労話ではなく、まして悪口とか噂話ではなく。

他の人に淡々と話してみることで、自分の心が整理されていくということがあるのではないでしょうか。

介護の体験や家族に身障者がいる場合、あるいは引きこもりなど、誰かに任せればよいという時代ではなくなっているようです。

まず自分たちで対処に知恵を出し合い、必要ならば専門家なり自治体に相談するなど、

体験をもとにして地域にどう関わるのかを考える、いわば地域のシンクタンクのようなものができれば、と思っているところです。

散歩の途中にある畑での写真です。

自分でつくっているわけではありません(汗


飲酒後の事故死について

2021-07-10 14:54:38 | 課題解決に

働き盛りの男性が飲酒後に事故で死亡というケースは少なくないようです。

 

若い人たちが毎日飲んでいたりする、といったことが路上飲みなどで明らかになってきました。

明るいうちから若い人たちが酔っ払って大声をあげていたりします。

 

その危険性についてもっと取り上げられる必要がないでしょうか。

→ こちら


青森観光PR動画のご紹介

2021-06-21 22:52:23 | 課題解決に

取り込み中なので、あり合わせで申し訳ありません的なオリンピックでもよさそうに思ったりします。

あり合わせといってはほんとうに申し訳ないのですが、地方の観光動画は力作ぞろいなので、世界に発信する機会にならないものでしょうか。

青森観光PR動画について こちら

 

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私もちょこっとPR動画をあり合わせの写真で作ってみました

‎ 

元気の持ち寄りみたいなことも大事かもしれません。

あり合わせとか持ち寄りとか、あまり使わない言葉だったりするんでしょうか?

 


4月14日のまち

2021-04-22 21:28:02 | 課題解決に

遅咲きのヤブツバキを撮ろうと思い、椿峰中央公園に行きました。

近くの木に字が刻まれていました。

刻んだ本人の名前でしょうか? それとも知人の名前でしょうか?

どこかで後悔しているのではないでしょうか。


読書から つづき

2020-11-30 20:47:26 | 課題解決に

森鴎外「カズイスチカ」は こちら

森鴎外の子どもや孫たちは、その多くが何らかの文章を残していて、一族の暮らしをのぞき見をしているような気分になったりします。

とくに感じるのは、うらやましいような父子関係ではないでしょうか。

ヒトは誰かを手本にして真似ることがよくあって、母子関係よりは父子関係のほうが真似ることが多いのでは?などと思ったりしました。

森於菟については こちら  

森鴎外の先妻のただひとりの子どもとして育ち、もしかしたら森鴎外の作品の中には、於菟に語りかけたものがあるのかもしれません。

森於菟は多くのエッセイを残していますが、父親を越える名文家との評価もあるようです。

たとえば、森於菟「放心教授」は こちら

 

森於菟は、若い頃には短気な面があったという父鴎外よりも、祖父静男に似ているのかもしれません。

森静男が幕末から明治維新を乗り切ったのは、先見性があったのではないでしょうか。

森於菟が鴎外の大量の遺稿を守ることができたのは先見性を持っていたこと

温厚な性格で台北帝国大学医学部の教え子たちを差別なく育成したこと

(本文から)優秀な人材が続々と生まれ、戦後の台湾医学会の成し遂げた世界的業績の随一は、マラリアの消滅であろう。

また戦時中は、軍医森鴎外の名声により、台北帝国大学医学部を日本軍の横暴から守ることができたともいえるのだとか。

 

森於菟は、幼くして母親と離され、厳しい幼年時代を送ったようですが、5人の息子に恵まれ

その末の息子である森常治が以下のように書いています。

父於菟は他界してから、すでに四十三年になる。おそらくあの世ではまこと安らかに眠っていることだろう。

自分と同じ期間、米軍の爆撃被害を恐れて支林の熱帯医学研究所のトンネルのなかで過ごすことで、きわめて残酷な戦争を乗り越えることができた父鴎外の遺品や原稿も、大過なく自分とともに帰還させることができたのだから。さらには文京区の依頼で試みられた森鴎外記念図書館の立ち上げにも見事成功を収めえたのだから。

他方、台北帝大、そして台湾大学の立ち上げ、引継ぎ事業に参加した台湾側の関係者、医学者、教授たちが彼岸への境に到達するとき、眠りから身をおこし、相手の両手をしっかりと握り締め、相手の耳元で呟くことだろう。

「ありがとう。ほんとうにありがとう。あのときはご一緒にほんとうに頑張りましたね」と。

いまから振り返って思うとき、台湾における於菟の研究・教育生活は、次々と医師・研究者として育っていく若者たちを目の当たりにする歓びに満たされると同時に、それらの若者のけっして少なくない部分が、戦争に徴用され、しかも生還しえなかったという、今日なら想像もできない悲劇、そのショックと悲しみに襲われ続けていた、ということだろう。

「ああ、なんということだ!」と悲痛の叫びをあげる以外になにをすればよかったのだろう。

 

戦争を止めることができるのは最新兵器などではなく、過去の嘆きのような気がするのですが・・・・・

国を越えても分かり合えることがあるのに、憎しみを煽られ、武器を与えられて、戦争へと向かう

それはもう繰り返すべきではないと思います。

森鴎外が軍人となったのは・・・・子や孫も動員して平和とは何かを表現することであったように思われてきました。


読書から

2020-11-18 01:19:30 | 課題解決に

読書中の本からお勧めしたいものがあります。

森 常治著「台湾の森於菟」宮帯出版社 2013年

帯には

鴎外の長男於菟の軌跡 鴎外の長男・於菟に関する初の評伝

父の印税に支えられた大宮の豪邸を捨て、骨を埋める覚悟で家族とともに赴いた台湾。

戦争の中、学生や学問のために誠実に生きようとした彼には、もうひとつ自力で守らなければいけないものがあった。

それは父・鴎外の遺稿・・・・・・。台湾の「新天地」と「父」の間でゆれる森於菟(もりおと)の人生を描く。

とあります。

 

今の日本が抱える問題の解決へのヒントが満載  という感想をもちました。(つづく)