椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

義姉の場合 〔6〕

2023-11-24 01:08:58 | 女性について

10月5日は、義姉の家に出かけてご近所のSさんにご挨拶、遺品整理の検討、自治会費の支払いをしました。

自分の家の片付けが済んでいないのに、義姉の使っていたミシンを持ってくるとなるとと考慮中。

 

主人の著書「ヒトラーの青年時代」を主人が送っていたのとは別に3冊ほど買い込んでいたのにびっくり。

それぞれ別の本屋さんのカバーがかけてあって、売れ行きを心配してくれたんでしょうか。

かなり高額な本だったので申し訳ない気がしました。長男や私の本もありました。

義姉の亡くなった友人に服飾関係で大学の教員の方がおられたようですが、義姉もどこかではもっと勉強をしたかったのかもしれません。

建築などについてはかなり詳しかったのを思い出します。

 

Tさんご夫婦と一緒に、義姉がお世話になっていたグループホームへご挨拶に伺いました。

行き届いた施設で職員の方たちもしっかりされた方たちで、義姉も安心して過ごしていたのではないかと思います。

その後、午後4時少し前に、Tさんの車で灘区役所へ送ってもらいました。

1階の案内窓口で順序を書いた付箋をつけた案内書をもらって、諸手続きが1時間で完了☆

 

翌10月6日は、午前中の新幹線で無事、帰ることができました。

 

 

神戸は、草履を懐に入れて温めたという秀吉の気配りを思い出させる土地柄のような。

震災を経て、優しい方たちが増えたようにも感じられます。

これは、自然の厳しい青森にもある優しさに共通なものを感じるのは私ぐらいなものでしょうか。

この優しさを大事にして、かつてのように「絶望を与えよ」の側に対抗する必要があると思います。


義姉の場合 〔5〕

2023-11-22 10:20:06 | 高齢化社会

10月3日の昼、クレリ灘ホールへ出かけました。

横たわった義姉は義母そっくりに見えました。生前はあまり似ていないように思っていたのですが。

義母は昔の小学校の教師だったので威厳といったものをよく感じましたが、義姉はその母親に反発していたことがよくありました。

義母の口から、自分が他人に頭を下げて頼むことができなかったために、娘たちは結婚しそびれてしまった・・・・・

と聞いたことがあります。

担当してくださる方と打ち合わせをして、その後Fさんと娘さんが来られました。

Fさんは東北の出身の方で、義姉に悩み事をいろいろと相談していたようです。

お2人で涙を流してお別れの言葉をかけていただきました。義姉にとって、ありがたい家族のような存在であったのだと思います。

 

10月4日の葬儀・告別式のスケジュール表は以下のようになりました。無宗教葬・一日葬です。

9:30 湯灌・納棺

10:30 進行についての打ち合わせ

12:00 開式 黙祷 玉串奉奠 

   女性の司会者の方が義姉の経歴を紹介、その後、義姉についての各自の思い出を語る

      お別れ(棺に花入れ)

12:45 出棺 霊柩車 タクシー2台

13:00 甲南火葬場到着、荼毘

13:30 灘ホール帰着 精進落とし 音羽鮨(和食・生ものは避けてもらう)

15:05 火葬場へ出発

15:30 火葬場到着 お骨拾い

16:00 ホール帰着

湯灌は義姉が母親の葬儀でしてもらったと話していたのを思い出したのですが、

なるほど遺族にとってありがたい儀式のようにも思われました。

司会者の方により手際よく進行していただき、スタッフの方たちの気配りもありました。

義姉についての思い出を語り合うことで和気あいあいとした葬儀と出来なのではないか

と思います。義姉はそれぞれ甥2人に思い出を残していたことがわかりました。

 

火葬場との往復の時間もそれほどかからず、ゆったりと食事をおいしくいただくことができました。

甲南火葬場の職員の方が丁寧にお骨について説明をしてくださいました。

古い火葬場のほうがきれいにお骨が残るようにも思われました。

お骨は最も小さい骨壺を2つ用意してもらい、しばらく私が呉と所沢での納骨まで預かることにしています。

おかげさまで、無事、義姉の葬儀が終わり、思ったほど疲れが出なかったのはありがたいことでした。

 

高齢化社会では、無理なく見送る、ということが大事そうです。

面倒なことは避けて通りたいではなく、どうしたら無理なくできるかを考えてみる、ということをあらためて義姉から教わったような気分です。

 

クレリ灘ホールでお世話になった皆様、どうもありがとうございました。

 


義姉の場合 〔4〕

2023-11-12 23:58:25 | 女性について

高齢になってくると、病気見舞い、介護、葬儀といったことで出かけることが多くなり、疲れで気分が落ち込み、体調を崩すといったことになりかねません。

姉や妹がいない私の場合は単独行動になるので、気分転換を兼ねて窓からの景色がよいホテルでの連泊で、そのようなときをしのいできました。観光旅行も行けなかった、と後々に嘆くことの防止にもなります。

たとえば、ホテルオークラ神戸がそういう宿泊には便利です。

遊覧船やクルーズ船が見えたりしました。

今回は、観光シーズンでホテルも外国人旅行客や団体客で混んでいたりすると時間が心配になったりするので、思い切ってルームサービスの朝食付きにしてみました。

こういった非日常の贅沢は、ブランド品の買い物よりも安上がりで薬になるような気がします。

 


義姉の場合 〔3〕  

2023-11-04 00:39:54 | 女性について

今年の2月にだいぶ衰弱しているのでそろそろ準備をという連絡を受け、義姉は長く生協の宅配を利用していたので神戸の生協関連の葬儀社を調べました。家族葬では「クレリ灘ホール」というところがよさそうだと思い、パンフレットを取り寄せ、連絡のタイミングや大まかな費用の見積もりなど教えてもらうことができました。

その後、回復して行事に参加したりしている、発熱している、といったよくなったり、悪くなったりの報告を受けて、洋裁の弟子で娘のような存在であったFさんや息子たちに義姉の見舞いに出かけてもらうことになりました。

グループホームからは毎月の請求書と共に担当の方の報告と医師の治療や必要品の領収書などが郵送され、イベントの写真もあって、丁寧な介護をしていただいて過ごしているのがわかりました。

コロナに感染して施設内で治療を受けたときもありました。

8月末ごろから、夜にTさんを通じて、何度か発熱や痰がからまるなど危篤に近いとの連絡をもらい、9月29日の午後10時過ぎに亡くなったとの知らせがありました。慣れ親しんだ施設の方に看取りをしていただくことになりました。

Tさんご夫婦が駆けつけて、嘱託医の方に死亡診断書を書いていただきました。

この死亡診断書があれば、葬儀社はすぐ寝台車を手配できるとのことでした。

清拭されてその後に着るものについて、2月の段階では厚めの生地のパジャマと長めのベストを用意したのですが、暑い時期となっていたので夏用の作務衣を通販で購入しました。播州織のグレーのものがあり、ちょうどよかったと思います。

午前2時過ぎに寝台車に乗せられて安置場所に、ということになったようです。

 

その日の朝、電話で葬儀についての打ち合わせがあり、火葬場の関係やTさんご夫婦、長男、二男の予定などを聞き、日取りは10月4日、1日葬、無宗教で湯灌をしてもらう、玉串奉奠(たまぐしほうてん)、お花を多め、ということでお願いしました。

義姉の洋裁の弟子であったFさんに出てもらえるか聞いたところ、その日は予定があって、前日にお別れをしたいとのこと。

そこで10月2日から4泊の予定でホテルを予約しました。こういうときはとりわけ慣れているところが望ましいと思います。

旅行シーズンのため、東京駅では切符売り場もトイレもかなりの行列でした。

うっかりとぎりぎりの出発時間の切符を購入してしまい、久しぶりの東京駅であり、またスーツケースに大きな手提げであったため大急ぎで出発ホームにたどり着くのがたいへんでした。ついつい自分が高齢者であることを忘れてしまうんですね。

雨模様で、残念ながら富士山は見えませんでした。

正直なところ、自粛期間が長かったことで腰が重いというか、そういう気持ちにぴったりな景色でした。