小さな公園である打越公園では、子どもたちが元気に遊んでいました。
ツツジがもう咲いているんです。
実は水彩画を始めたくなって通信教育に申し込んで、道具が届けられております。
もしかしたら、花々はカメラよりも写生のほうが好みとか。
春は、新しいことを始めるのにはふさわしい季節だと思います。
始めるとしたら何を?
小さな公園である打越公園では、子どもたちが元気に遊んでいました。
ツツジがもう咲いているんです。
実は水彩画を始めたくなって通信教育に申し込んで、道具が届けられております。
もしかしたら、花々はカメラよりも写生のほうが好みとか。
春は、新しいことを始めるのにはふさわしい季節だと思います。
始めるとしたら何を?
皆様いかがお過ごしですか。
私は、読書に励んでおりまして、びっくりの連続の毎日です。
暑いほどの日曜日、近くを歩いてみました。
椿峰小学校近くの桜です。
カメラを向けている私に、挨拶してくれているように感じられませんか?
暖冬のせいか玉ねぎが芽を出し,葉をぐんぐんと伸ばしてしまって・・・・・・
もしかしたら、これはウィルス対策に役立ちたいと言いたい?
ネギについては こちら
普通の風邪では家での療法には真っ先にネギが思い浮かびます。
新コロナウィルス感染でも初期の段階なら
あるいは家族が感染してその介護にあたる場合などなら
けっこう役立ちますよ
とでもいいたいんでしょうか。
小さな庭でデジカメを持ってうろうろするようになってけっこう長くなるんですが・・・・・
もしかしたら庭にある植物はカメラのレンズを虫の目だと思っているのかもしれません。
もしかして、花を通じて虫とのコミュニケーションをしたいと思うのではないでしょうか。
また以前から植物のほうが動けない分、情報収集能力があるのかもしれない、と思ったりしてきました。
さて、いま我が家の庭では、フキノトウを少しだけ食べただけになってしまって、フキの花があちこちに咲いています。
ちょっとびっくり。新コロナウィルスに似ている!と思ってしまいました。
もしかしたら、フキの成分は、感染症に役立つのかもしれません。
しかも、毎週1回利用している出張販売の八百屋さんには愛知産のフキが売っていて・・・・・
フキのほうが熱心に情報発信しているかのように感じられたりします。
フキについての薬学的な情報は こちら
おいしいフキを食べましょう。
2015年11月、所沢山口地区文化祭の準備の様子です。
昭和30年代から始められた文化祭が今も続けられているのですが
その準備に多くの人たちが関わっていて、それに参加するのはけっこう心地よいのです。
一般的に日本の高齢者は楽をしたい、地域活動も若い人たちにあれこれ頼みたい、ということになりがちですが、そうもいかないようです。
むしろ地域での仕事はできることは分担して高齢者が頑張る
80歳ぐらいまでは暮らしの中での体力を維持するのが理想
健康のためには、飲酒禁止で参加する
時短ということが常に課題なので、女性が積極的に企画の面で頑張れば合理的なものとなりそう
動ける爺様は動く、ということが大事ではと思います。
古い写真をご覧いただければありがたいと思います。
樹木の励ましを感じていただけるかもしれませんので。
2013年 椿峰ニュータウン 風薫るとき
命日の前日に墓参りに出かけました。
墓前というものはなぜか落ち着く場所に感じられたりします。
このブログのカテゴリーにあります「藤村瞬一」をご覧いただければと存じます。
運動不足なので、少し足を延ばして西武球場前駅のそばの金乗院山口観音に寄ってみました。
金乗院については こちら
奈良時代創建とのことですが、今やさまざまな時代の、あるいはさまざまな国の仏像があり、
先進的な?場所のようにも感じられたりします。
1999年に建てられたという五重塔が奥まったところにあります。
そういえば、この先にある狭山湖と多摩湖の境を通って武蔵村山に出かけたことがありました。
2012年5月のことです。→ こちら
主人は今の家に引っ越してきたときに、サムライの夢を見たとかで家のまわりに塩をおいたことがあります
遠い昔、このあたりは戦場となったことがあったのでしょうか。
主人の墓は見晴らしの良いところにあります。見張ってくれているのかもしれません。
あのモミの木が何を伝えたいのか、まだ気にかかっていたので調べてみました。
私の出身地の青森市の木であるアオモリトドマツについては こちら
この記事によると、アオモリトドマツ(別名:オオシラビソ)について
・ 八甲田山でのアオモリトドマツの古い呼び名については 岩淵功:八甲田の変遷、青森市政百周年記念誌1999で取り上げている。それによれば「ととろつふ(トドロップ)」延宝2年(1674)・「ととろほ」安永9年(1780)以上 弘前藩藩日記、「ととろふ」八戸弾正知行所閉伊郡遠野・志和郡佐比内産物改帳控京保20年(1735) ,「ととろつふ」御領分産物享保末頃(1735頃) 、「ととろふ」十和田村史:奥瀬岳御山諸木書上帳文化15年(1818)とあり、他に津軽俗説選(寛政7年-9年, 1795-1797)にも「糠 尾虎」と題して「里俗,糠の嶽に大いなる樹あり,酢香湯の小舎,この葉を舗ものとなせり,方言嶽おこといへり、嶽をこと言うに似たる樹なりと言ふ。去春 嶺横山の庭前に、異木花咲きしとて見物群衆ありしは、この嶽をこの実なり、花にあらず、予も見たりしに、松の実の如く、松の実より長し、色紫黒く中紅也、里俗、ととろと言ふものは樅也といへり。・・」とある。
・ここではこうだおこ=「ととろ」でこれらから分かるように津軽・南部の両藩ともトトロ系の名前を使っていたのである。さらに北海道松前では「トド本字本名未詳。方俗の稱なり。又トドロップと言ふ。是夷方の詞なるべし、椴の字を用れども字書を考るにあたらず。・・・」松前廣長:松前志 天明元年(1781) 、「臣木 アップ,島中に多し。松前の俗トドの木と云。万葉集にトミの木とよめるものなるべし。樅の類なり」佐藤玄六郎:蝦夷拾遺 天明六年(1786) 。「蝦夷椴(エゾトド)フップ トトロック えぞのてぶり 未来社:菅江真澄全集がある。その中のアップはフップの間違いで、北海道アイヌが使っていた呼び名であり、臣木はオミノキ(トミの木は誤りか)はモミノキのことであり、トトロックはトドロッフが正しく和人が当時内地(本州北部)で使っていたアイヌ名由来の名である。
アオモリトドマツはモミ属でしかも古くはトトロ系の名前だったとは・・・・・
このアオモリトドマツ(別名:オオシラビソ)は秋田・森吉町というところではモロビという名前で、山に入るときの浄め火として使われたとか。→ こちら
現代でも、オオシラビソの香りを好むという記述を見かけます。
カナダではモミの樹脂はさまざまに使われているとか。カナダバルサムについては → こちら
なるほど、モミ属の中には樹脂が多いものがあるのですね。こちらの写真の凸凹は樹脂のようです。
写真はWikipediaから
日本では松脂(まつやに)が多く使われてきたようです。→ こちら
かつてマツの天然樹脂である松脂が咳止めに使われたとか
モミの木の樹脂もアロマだけではなく薬品となるかもしれません それを知らせたかったとか?
所沢には御幸町(みゆきちょう)という住所があります。→ こちら
これは1912年11月、所沢飛行場への大正天皇の行幸を記念しての命名であるとか。
御幸(みゆき)とは天皇の外出の意味とのこと。
青森出身の私は、「みゆき」となると雪を連想してしまいます。万葉集では?
大雪は豊作へとつながるため、歓迎されたようです。
愛唱歌として知られている「雪のふるまちを」は山形・鶴岡市と北海道・旭川市が発祥地を主張しているのだとか。
山形にも熊野大社があるようです。→ こちら
また国宝・羽黒山五重塔のすばらしい紹介ページ「行って見たい神社とお寺」で見つけました。→ こちら
出かけられないとなると、かえってあちこちに出かけたくなります(汗
御幸町にある川端霊園です。ビルに囲まれつつあります。
聞いた話なんですが、東京では超高層ビルなどの規制が厳しくなってきて、今や規制の緩い?所沢に目をつけられているのだとか。
日本では高層ビルについての法律などが遅れている? 高層ビルがくっついてしまうのは美観上も問題であると感じます。
駅前が渋滞になったり、小学校が過密になったり、火事や地震など災害時の対応は大丈夫でしょうか?
それにしても、この日の私の(無意識の)目的地がここだったのでしょうか?
えっ、あのモミの木が黒幕?