私的美遊空間

美しく愛しいものたちへのつぶやき

笠地蔵のお話がわが身に

2016年02月09日 | 思うこと
昔々ある雪深いところに心の優しいお爺さんとお婆さんがおりました。
二人はとても貧しくて、お正月に食べるお餅が買えませんでした。
そこでお爺さんは笠を作って町に売りに行きました。
五つ持って行ったのに一つも売れず、雪道を引き返して来ました。
すると六体のお地蔵様が雪を被って立っておられました。

「おーおー、お気の毒に」そう言って頭の雪を払い、持っていた笠を被せました。
一つ足りないので自分の笠を脱いで最後のお地蔵様に被せました。

家に戻ったお爺さんの姿を見て、「まあまあ、すかっり雪を被りなさって、、」
お爺さんはいきさつをお婆さんに話しました。
お婆さんは「それはそれはいいことをなすった」と喜びました。

そして、そのシンシンと雪の降る夜中にドスンと玄関先で物音がしました。
こんな夜中になんだろう、二人でそっと戸を開けて見ると
そこにはお餅やら野菜やらいっぱいのものが置いてありました。

そして、ザクザクと音のする向こうの方には六体のお地蔵様の後ろ姿が見えました。
お爺さんとお婆さんはお地蔵様のお陰で温かなお正月を迎えることができました。ありがたや、ありがたや、、

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

笠地蔵の昔話だが、だいたいこんなお話だったと記憶している。
多少の記憶違いはあると思うので適当に読んで頂けたら有難い。

数十年前、私の赴任したところは僻地で豪雪地帯だった。
降り積もる雪の中で、若い娘の身の上にこの笠地蔵さながらの出来事があった。




雪で一階が埋まってしまった教員住宅

新潟県では、新任の教職員はたいていの場合僻地校に赴任させられることが多い。
私も特に拒否しなかったので、豪雪地帯にある中学校に赴任することになった。

春、夏、秋と無事に過ごし、初めて迎えた冬は近年まれにみる豪雪の年であった。
一晩で降る雪のために、朝起きると玄関前は雪の山になっていることがほとんどだった。
若い娘の身、早起きして雪かきをしてから出勤なんてするはずもなく、
いつも雪を手で掻き分けながら消雪水の出る雪のない道まで出ていた。

そして、日直の日は皆より早く登校しなければならない。
学校の入り口から玄関までは100メートルくらいあるが、まだ除雪されていない。
フワフワに積もった雪をまた手で掻き分けていくしかない。
必死で雪と格闘していた時、頭の上でカラスが「アホーアホー」と鳴いた。
自分のこの状況の滑稽さに自分でも可笑しくなって、それまでの悲壮感が消え、かえって楽しくなった。

そうやってようやく到着して、こんなに大変だった、という話を用務員さんに話すと、
「先生!そりゃあ大変でしたね。裏手の入り口のほうは私が除雪してますから、今度はそちらから来て下さいねえ」
と笑いながら言った。「なーんだ、そうだったんですかあ!」一緒に笑った。




朝ドアを開けた様子

積もった雪で玄関よりも道のほうが高いので、出勤時はまずこの新雪が乗った雪の階段を上ることになる。




まるでほら穴

道から玄関を見下ろすと、まるで熊が冬眠しているかのようなほら穴に見える。




踏み固められた雪の道

ある朝のこと、いつものように雪を掻き分けながら行くつもりでスノーブーツを履いて外に出ると
そこにはきれいに踏み固められた道が出来ていた。

毎日雪まみれになって出て行く私を憐れに思ってくれたのか、、、
なんだか嬉しいような、、哀しいような、、有難くて、、じわっと涙が出てきた。
それから毎朝その道は出来ていた。

道づくりの現場を見ようと、ある朝うんと早起きして窓から見ていた。
すると「かんじき」を履いたお婆ちゃんが雪を踏みながら教員住宅の方までくるのが見えた。
昨晩から積もった新雪を何度も踏みながらずっと道をつけてくれていた。
私が出勤する頃には、お婆ちゃんの家からと教員住宅からの道がすっかりと出来上がっていたのである。

後日、お婆ちゃんの家に実家のお土産を持ってお礼に伺った。
「いつも有難うございます。朝早くから道をつけて下さって、、すっかり甘えさせて頂いてます」
「いやいや、どうもないよ、ついでだからね」そう言ってニッコリ笑った。

人の情けが身に染みた初めての冬の出来事であった。

2014-12-08

* * *

昨日から続いて、思い出深い過去記事の再掲載第二回目です。
2016-02-09

コメント (14)
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