私は神戸ルミナリエの、美しく神々しい光を見ると嬉しく思い出すことがある。
我家の次女は性格的なことを考え、環境の整ったキリスト教系の学校に通わせた。
通学路は遠く大変だったと思うが、彼女は無事に卒業した。
彼女が高校2年の時のこと、登校時にひどい雨風で、制服も靴も、何もかもびしょ
びしょに濡れたことがあった。
友達同士、「あ-っ、こんなに濡れてしもたわァ!」、
「ほんまや、サイアク-!」などと、口々に濡れてしまった気持ち悪さや、
雨降りの登校にあたった運の悪さなどを嘆いていたそうだ。
すると、そこに突然、校内放送が入り、校長先生からのお話が始まった。
そのお話は、
「あなた方は、今朝は大変な雨降りの中を登校して、すっかり濡れてしまった
ことでしょう。
ですが、雨は田畑をうるおし、私たちの飲み水となる大地の恵みです。
雨が降ることによって、私たちは生きていくことができるのです。
雨降りを嘆くのではなく、感謝いたしましょう。」
という内容だったそうだ。
その時、彼女はそのお話を聞いて、それまで嫌だった気持ちが、ス-ッと無くなって
しまったと、後で述懐していた。
帰宅後に、「今日は雨に濡れたでしょう?」と尋ねると、彼女はその話をしてくれて
私は嬉しい気持ちでいっぱいになった。
学校で歌う讃美歌の「星の界(よ)」さながらの教えを、校長先生が身をもってして
下さったのである。
濡れて登校する生徒たちを憐れみ、今日の一日を元気で過ごしてほしいという
温かいお気持ちが、私達家族にまで伝わったのであった。
「星の界(よ)」
♪慈しみ深き 友なるイエスは 罪、咎(とが)、憂いを 取り去り給(た)もう
心の嘆きを つつまず述べて などかは下ろさぬ 負える重荷を
慈しみ深き 友なるイエスは 我らの弱きを 知りて憐れむ
悩み悲しみに 沈める時も 祈りに応えて 慰め給まわん
慈しみ深き 友なるイエスは 変わらぬ愛もて 導きたもう
世の友 我らを捨て去る時も 祈りに応えて労(いた)わり給まわん♪
彼女は、この校長先生の導かれる素敵な学校を卒業して、今は、強く優しい伴侶を得て
幸せに暮らしている。
なお、「この詩を書いたアイルランドのスクライヴェンは、闘病生活をしている母親を
慰めるために、自らの婚約者を事故、病気で二度も失った絶望の中にも
イエスを信頼する 気持ちを詩に綴ったと言われている」ウイキペディアより
イエスを信頼する 気持ちを詩に綴ったと言われている」ウイキペディアより
自ら深い絶望の中で、この詩を書けるなんて……….
なんと、強く、愛深き、美しい人なのだろう。
2014-03-30
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2月8日から始まった思い出深い記事再掲載第11回目です。
明日で再掲載は最終日となります。
2016-02-19
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2月8日から始まった思い出深い記事再掲載第11回目です。
明日で再掲載は最終日となります。
2016-02-19