私的美遊空間

美しく愛しいものたちへのつぶやき

素朴に生きることは美しいこと

2016年02月08日 | 思うこと

ああ、懐かしいなぁ、、山、畑、蔵、家、そして煙、幼い頃見た風景に似ている。
私の父母の実家は新潟の山奥で、冬になると2mも雪が積もる豪雪地帯にあった。
村人は、春から秋にかけては田んぼや畑に精を出し、冬には男衆は関東に出稼ぎに行き、
女達は機織りをする、自然に逆らわず、自然と共につましい生活を送っていた。

私は2歳から4歳くらいまでの「三つ子の魂百まで」と言われる時期をそんな母の
実家で過ごした。母が私を帝王切開で産んだ後、予後が悪かったため預けられたのである。

母の実家にはその頃4世代が住んでいて、独身の叔母まで同居する大家族であった。
そんな中で私の立場といえば、よく小説に出てくるような「厄介者」扱いの可哀想な子
ではなく、おっきい婆(曾祖母)、おっかあ婆(祖母)、おっかあ(義伯母)、おばちゃん(叔母)の
4人の女達に囲まれて明るく元気一杯に育ててもらったのである。

家には従兄弟が二人いて、兄のほうは10歳も年上、弟は2つ年上。だから私は一番のちびっ子で
しかも女の子だったから、皆の庇護を一身に受けていた。従兄弟達は、たとえ私が悪くても
私を泣かせると反対に、爺ちゃんや親に叱られるから我慢していたとのことだった。

と言っても、私自身の「悪さ」や「お行儀の悪さ」には容赦なく、お仕置きが待っていた。
暗い蔵に入れられた時はさすがに怖かった。明るい内はまだしも、暗くなって、星空になっても
出してもらえなかったのだから、、何をしでかしたか覚えていないが、よほど悪いことをしたのだろう。

村のあちこちを駆け回って遊び、ごはん時に家にいない時には、家人は「どこどこでご飯食べてるんだろう」
などと言って心配はしていなかった。昨今の物騒な事件など思いもつかないのどかさである。
そして「どこどこの家」でも、自分の家の子もよその家の子も区別ないおおらかさである。

ある時、どこを探しても私がいないと家人が騒いでいたら、「ここだよお、、」と声が聞こえるので
そちらを見ると、何と壁に垂直に掛けた長い梯子の天辺まで登っていたとか、、私は覚えていないが、、
そこで近所の村人も集まって来て、どうやったら無事に降ろせるか、いつ落ちるかと心配しながら相談したらしい。

大きな声を出すと「あっこ」がびっくりして落ちるといかん。だから小さな声で「おーい、あっこやあ、
降りてこーい」と声をかけたそうだ。すると、あっこは「降りられないよー、こわいよー」と。
梯子は釘に引っかけてあるだけだから、大人の重みに耐えられるかどうか分からない。
結局、伯父が梯子を上りあっこを支えながら降りてきたそうだ。その騒ぎのお咎めは?それも覚えていないが、
あわや、大惨事というところ、無事だったんだから怒るより「よかった!よかった!」と喜んでくれたことだろう。

今でも当時の私を知っているお年寄りに合うと「ああ!あの(あっこ)か、、!」と懐かしんでくれる。
「はい!あのゴンタのあっこです」「ほーか、ほーか、おおきゅうなったのう」
素朴で実直な村人たちの、あったかーい見守りの中で過ごせたことは、私の心を豊かに育ててくれたと思う。
そして、素朴に生きることは「美しいこと」と教えてくれたように思うのである。

2014-11-18

* * *

※ もうじきブログを始めてから二年が経とうとしています。
ここで以前に投稿した思い出深い記事を再掲載してみたいと思います。
今回はその第一回目です。
題名を「素朴に生きる」から「素朴に生きることは美しいこと」に変更しています。
2016-02-08
コメント (8)
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