英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

自慢したかったの?

2008-10-23 22:50:13 | 時事
 秋田県の教育委員会が、全国学力試験のデータを、部分公開した。市町村別の平均正答率のデータだが、それがどの市町村なのかは特定できないようになっている。
 「各市町村は各自の点数は分かっているが、他の市町村がどういう状態にあるのか分かっていない。全体的な傾向を知ったうえで検討したほうが良い」というのが意図。
 今回、情報公開請求を受けて公開したが、部分公開にしたのは、文部科学省の指針に反するためとのこと。


 文部科学省は「学校間の序列化や過度な競争につながらないよう十分配慮すべき」として、都道府県ごとのデータのみ公表している。そして、市町村には学校ごとの個別データを公表しないように求めている。

 鳥取県の南部町の教育委員会では、「住民と連携して教育の向上に取り組むため、可能な限り情報を提供していく」として、住民の開示請求に応じ、学校別の正答率などを開示している。

 大阪府、橋下知事は「教育委員会は市町村別のデータが出なければ責任感は感じないと思う。市町村ごとのデータを住民と共有して課題解決に向かってもらうのは当ったり前の話」として、既に公表しないことを決めたり、結論の出ていない市町村を除く、市町村別の平均正答率のデータを公開することを決めている。


 私には、理解できない。

 学力テストの狙いは、
①児童や生徒の学力の把握。誤答の傾向をつかむことにより、今後の今日行く指針が立てられる。また、地域別の傾向もつかむことによって、地域別指導もできる(これは文部科学省だけでなく、各市町村の教育委員会においても言える)
②都道府県別データを公表することで、競争意識が生まれ、指導が熱心になる
③その他(私が思いつかない何か)

 と、考えられる。しかし、データを住民に開示することが、効果的かどうかは甚だ疑問である。

 学校を個人(児童・生徒)に置き換えて考えてみる(この方法が妥当かどうかは自信はない)。
 各学校のデータを公開するということは、個人の成績が公開されるということに置き換えられる。我が子は学校で120番の成績、隣の子は30番、友人の子どもは2番などなど、在校生の家族だけでなく、近所のおじさんや魚屋のおばさんまでが知り得ることとなる。
 これは必死に勉強する(勉強させる)ことにはなりそうだ。しかし、これではまともな生活が送れるとは思えない。

 個人のレベルで考えると極端なことになってしまうが、学校単位でデータが公開された場合、学力向上に関しては、競争意識が強くなると言うか、尻に火をつけられると言うか、児童や生徒本人はともかく、教師は必死になり、効果抜群かもしれない。
 橋下知事の考えもこういうことなのだろう。しかし、職員を信用していないよね、これでは。まあ、職員はともかく、競争意識や尻に火をつけられた状況の教育現場では、たとえ学力は得られても、それ以上に失うものが多いようのは間違いない。

 だいたい、「住民にデータを公開して、住民と連携して教育の向上に取り組む」って、そんなことが、一般住民に可能なの?
 住民にデータを公開することで、一般住民ができることは何か?真っ先に思いつくことは、学校の選択だ。あとは、学校や子どもの尻を叩くこと。

 そんな簡単にデータ公開をしてしまって(決めてしまって)、本当にいいの?

 そもそも、そのデータを鵜呑みにして良いのかも大きな疑問だ。秋田県の事情はよく分からないが、福井県の事情はこうだ。福井県は小学生2位、中学生1位を誇っているが、福井県には私立の小中学校はほとんどない。
 学力テストは公立学校と約半数の私立学校が実施したという。都会における私立学校は公立と比べて学力のある児童が通っているという傾向が強い。その私立学校が学力テストを受けていない都市部ほど、成績が実際とは目減りしていると考えられる。
 だから、田舎ほど先の学力テストの成績は差し引いて考えないといけない。秋田県は知らないが(本当は調べて書くべきなのだろうけれど)、福井県は手放しで喜ぶべきではないと思う。
 あと、採点基準が徹底されていたのかと言う疑問もある。それに、1回きりのデータを信じていいものか?


 秋田県がデータを部分公開にとどめたのは正解だと思う。しかし、部分公開の意義はあるのだろうか?開示請求を受けたからかもしれないが、「秋田県の小学生は優秀なんです」と自慢したかっただけのようにしか思えない。
コメント (2)
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