最低賃金 全国平均で初めて時給1000円超になった。(参考記事:NHK NEWS WEB)
注意したいのは、「最低賃金」という言葉に引っ張られて、すべての労働者が、時給1000円を確保されているわけではないということ。(昨日決定された目安額は10月ごろから適用される見込み)
あくまで“、“平均”であって、時給1000円以下である道府県は多い。都道府県ごとの予想値は『KANSAI SANPO BLOG』さんに載っていた(ブログ運営者さんの個人の試算による)
それに、政府が言う“平均”というのは、どういう算出法なのだろうか?
見込み額が1000円を超えるのは8道府県のみ。900円台が22道県、800円台が17県と、最低賃金が時給1000円を超えない道県が多数である。(各県の見込み額の合計を47で割ると云うものではないようだ)
(……とぼんやり疑問に感じたが)、今回私が反応したのはそれではない。
最低賃金が上がるのは、一般的には良いことのように考えられるが、経営者にとっては苦しさが増す。
実際、NHK『ニュース7』で取材に応じていた飲食店の経営者は
「従業員は4人いて、都の最低賃金より時給で○円多い給与だが、食材や光熱費も上がってきている中で、さらに人件費が上がるのは厳しい」
飲食店に限らず、人件費が上がることにより厳しくなる経営者は多いだろう。
これに対し、大和総研:神田慶司シニアエコノミスト
「最低賃金が大幅に引き上げられるとなると、消費の底上げにつながる。
人件費が増加して企業負担になると捉えがちだが、価格転嫁をして付加価値の高いサービスを提供できるようになれば、
経済全体で見ても成長率を引き上げる効果がある」
と述べていたが、甚だしい机上の空論である
《価格転嫁をして付加価値の高いサービスを提供できるようになる》のは、一部の企業のみであり、零細企業ほど価格転嫁はできない。価格をアップできたとしても、経費アップ分を、全部価格転嫁できないところも多いはず。
価格転嫁を提示したら、他社に切り替えられてしまう可能性もある。
「価格転嫁をして付加価値の高いサービス」と言うが、価格が高くても購入するのは、そこそこ生活に余裕がある者のみである。
増税、電気代など光熱費のアップ、円安などによる物価高など、最低賃金アップ以上に生活費が嵩む。年金受給者はどうなるのだろう。“国民総活躍”とか“子育て支援は全世代で”とか言っているので、「働け、働けぇ!」ということなのだろう。
飲食店で考えると、冷暖房を節約、割箸やラップを安価なものにランクダウンするか買い叩く、食材も冷凍ものを大量に仕入れるとか、1品の量を減らす、時給を上げる代わりに、従業員を削減……
「価格転嫁をすれば、経済全体で見ても成長率を引き上げる効果がある」……確かに経済全体で見れば、そういう可能性はある。ただし、“経済全体”の話で、貧富の格差が大きくなりそうだ。
人件費や原材料などの経費アップ→価格転嫁→物価が上がる→人件費アップ→価格転嫁→……これを”好循環”と考えるべきなのか?確かに、物価や給料が上がれば、国際的にみれば人材確保もできるし、インバウンドも増えるというプラス面もある。
しかし、上述の「人件費アップ→価格転嫁→物価高」というのは負のスパイラルにしか思えないのは私だけだろうか?
注意したいのは、「最低賃金」という言葉に引っ張られて、すべての労働者が、時給1000円を確保されているわけではないということ。(昨日決定された目安額は10月ごろから適用される見込み)
あくまで“、“平均”であって、時給1000円以下である道府県は多い。都道府県ごとの予想値は『KANSAI SANPO BLOG』さんに載っていた(ブログ運営者さんの個人の試算による)
それに、政府が言う“平均”というのは、どういう算出法なのだろうか?
見込み額が1000円を超えるのは8道府県のみ。900円台が22道県、800円台が17県と、最低賃金が時給1000円を超えない道県が多数である。(各県の見込み額の合計を47で割ると云うものではないようだ)
(……とぼんやり疑問に感じたが)、今回私が反応したのはそれではない。
最低賃金が上がるのは、一般的には良いことのように考えられるが、経営者にとっては苦しさが増す。
実際、NHK『ニュース7』で取材に応じていた飲食店の経営者は
「従業員は4人いて、都の最低賃金より時給で○円多い給与だが、食材や光熱費も上がってきている中で、さらに人件費が上がるのは厳しい」
飲食店に限らず、人件費が上がることにより厳しくなる経営者は多いだろう。
これに対し、大和総研:神田慶司シニアエコノミスト
「最低賃金が大幅に引き上げられるとなると、消費の底上げにつながる。
人件費が増加して企業負担になると捉えがちだが、価格転嫁をして付加価値の高いサービスを提供できるようになれば、
経済全体で見ても成長率を引き上げる効果がある」
と述べていたが、甚だしい机上の空論である
《価格転嫁をして付加価値の高いサービスを提供できるようになる》のは、一部の企業のみであり、零細企業ほど価格転嫁はできない。価格をアップできたとしても、経費アップ分を、全部価格転嫁できないところも多いはず。
価格転嫁を提示したら、他社に切り替えられてしまう可能性もある。
「価格転嫁をして付加価値の高いサービス」と言うが、価格が高くても購入するのは、そこそこ生活に余裕がある者のみである。
増税、電気代など光熱費のアップ、円安などによる物価高など、最低賃金アップ以上に生活費が嵩む。年金受給者はどうなるのだろう。“国民総活躍”とか“子育て支援は全世代で”とか言っているので、「働け、働けぇ!」ということなのだろう。
飲食店で考えると、冷暖房を節約、割箸やラップを安価なものにランクダウンするか買い叩く、食材も冷凍ものを大量に仕入れるとか、1品の量を減らす、時給を上げる代わりに、従業員を削減……
「価格転嫁をすれば、経済全体で見ても成長率を引き上げる効果がある」……確かに経済全体で見れば、そういう可能性はある。ただし、“経済全体”の話で、貧富の格差が大きくなりそうだ。
人件費や原材料などの経費アップ→価格転嫁→物価が上がる→人件費アップ→価格転嫁→……これを”好循環”と考えるべきなのか?確かに、物価や給料が上がれば、国際的にみれば人材確保もできるし、インバウンドも増えるというプラス面もある。
しかし、上述の「人件費アップ→価格転嫁→物価高」というのは負のスパイラルにしか思えないのは私だけだろうか?
前記事の続きを書くつもりは、全くなかったのですが……
【第3話 ストーリー】(番組サイトより)
壊れたクマのぬいぐるみ型ロボット・ポッポを修理した須堂。持ち主の少年は大喜びだが、母親はポッポに強く感情移入する息子を心配していた。
時を同じくして、ある女性が恋人ロボットのジョーに別れ話を切り出していた。人間の恋人ができて、ジョーとの生活を続けられなくなったのだ。人の心を癒すために作られたポッポとジョー。
2体のロボットの運命が邂逅する。
今回登場する「クマのぬいぐるみ型ロボット・ポッポ」と「恋人ロボット・ジョー」は共に“産業ロボット”で“ヒューマノイド”ではない。
使用者(人間)と会話はするが、それは、ロボットが感情を以て発するわけではなく、プログラムによって答えているだけのものであった。
心は存在せず、いわゆる”道具”として存在し、用が終われば、メモリなどはリセットされたり、激しい破損が生じた場合は“廃棄”される。
ジョーは女性を慰めたり元気づけたりするようにプログラミングされており、嫌な顔はせず、食事の準備や家事などもしてくれる。当然、美形。
人間の男性より、遥かに心地よい存在のジョー。恋人ができても、ジョーとの生活(7~8年)を経た後だと、うまくいくとは思えないと余計な心配。
それでも、恋人ができた女性は、リース契約を解除した。
リース契約終了によって、リセットされてしまうジョーに後ろめたさのような感情を抱いたが、ジョーは「産業ロボットなら当然の処置なので、何も気にする必要はない」と諭すように語る。
ポッポは愛らしく、ペットのようにも見える。
子ども相手の愛玩ぬいぐるみなので、高度な思考や会話はできないが、使用者(飼い主)と「いつも一緒にいるよ」と約束をしていた。
父親がいないので、寂しさを感じないようにと母親が買い与えたのだったが、あまりのべったり感に、母親はポッポに依存し過ぎではないか(と私は余計な心配)。息子が自分よりポッポを第一に思うので、ヤキモチもあるようだ。
ポッポのメモリーに異常があり、主人公・須堂光が直すことになった(「本来の仕事ではない」と思いながら)
ポッポは、無事治ったのだが、前の使用者の時のメモリーも復活させてしまったようで、少年の「ずっと一緒」という言葉がきっかけとなり、「ユキちゃんはどこ?」とユキちゃんを探すようになった。
【ここからは、アニメでの実際の会話(青字部分)】
「ポッポに心はある?」と少年の問いかけに、主人公・須堂(主にヒューマノイドを治療)は
「脳の秘密はずいぶん解明されたけれど、《心が何か》というのは、解釈がいろいろある。そもそも、心なんて誰にもないかもしれない」と。
メモリ内にある20年以上前のデータに残っていた前の持ち主の記憶のようだ
古いデータ(ユキに関するデータ)を消せば、元通りになるが、少年は「ユキとの思い出を消したら、ポッポは悲しいだろう」とそのままにすることにした。
母親が、息子はポッポに依存し過ぎと考え、ポッポをレンタル会社に引き取らせることにした。そのことを知った少年はポッポを連れて家出。
そこで、ジョーと女性・シズカが別れるところに遭遇。
「今日一日楽しかったよ。最後の思い出をありがとう」
「想い出?」
「うん、記念になった」
「もうすぐ忘れるのに?」と言う問い,にっこり微笑む。
「それじゃあ、お別れだ」
「さようなら、ジョーくん」
「当社のサービスをご利用いただき、ありがとうございました。
本日を以って、レンタルロボット・ジョーとの契約を終了させていただきます。
きみとのデータは、本社のサーバーに5年間保管されている。
もし、恋人とうまくいかなくなったら、復活の呪文をどうぞ」
「5年経ったら、どうなるの?」
「どんな想い出も、いつかは消えるんだよ」
彼女が去っていくのを見送るジョーに少年が
「あの……悲しくないの?」
(少し間をおいて)
「僕の振る舞いのすべては、予めプログラムされているんだ」
「学校で習った……《昔はヒューマノイドも機械だ》って考えられていたと。
でも、今は違う…だから(ロボットも機械ではない)」
「僕たちロボットは人間のために作られた商品だ。
《ロボットとヒューマノイドは違う》…それを忘れてはいけないよ」(微笑みながら語る)
「でも、さっきのお姉さんは泣いてたじゃないか。
歯ブラシを捨てる時に泣く人なんかいない。
だから、おにいさんにも…ロボットにも心がある……そうに決まっている」
「そうだね、彼女の中のぼくには心があったのかもしれない」
(ポッポに向かって)
「きみは誰?」
「ぼく、ポッポ」
「こんにちは、ポッポ。君のクライアントはいい人だね」
「うん、けんちゃん、すごく優しいよ。ポッポはケンちゃん大好きだよ」
レンタル会社の車の中で、機密保持契約に基づき、メモリをリセットされるジョー。
データ(記憶)のバックアップは録られるが、ロボット本体はデータをリセットされる。
だから、先の会話での「いい想い出になった」というのは、プログラミングによる“おざなりの言葉”と考えられる。
ジョーと別れた後、道端の階段に座り込む少年
「けんちゃん、おうち帰ろう」
「それって、僕を心配しているの?それとも、プログラムで言っているの?」
夕闇が進んでも座り込んだままの少年
「けんちゃん、けんちゃん……(少年が寝入ってしまったのに気がつき)けんちゃん、風邪ひいちゃう」
「誰かいますか?誰か気づいて、
誰か、けんちゃんを。だれか、だれか…」
皆、ポッポに気づかず通り過ぎる。
その一人が、ポッポにぶつかり、その衝撃で、ポッポは階段から転げ落ちる。
そこへ通りかかった車がポッポを轢いてしまう。
無残な姿になったポッポにようやく気付き、泣き叫ぶ少年……
両親が少年とポッポを引き取り、母親がようやく寝かしつけ、ボロボロのポッポを抱いて、夫のところに戻ったとき
「けん…ち…ゃん、かぜひいちゃう……だれか……気づいて、…だ…れ…か………」
「ポッポが自分を犠牲にして、車を止めたと考えてる?…考えすぎだと思うよ」
「そうよね…うん、そうに決まっている」
少年と母親とぽっぽで、ユキに対面(お墓の遺影)
「ポッポ、ユキちゃんだよ。ポッポはユキちゃんと仲が良かった?」
「うん、いつも一緒だったけど、突然会えなくなった。
ママもパパも、ユキちゃんがどこにいるか教えてくれなかった。
でも、ぼく、いつもユキちゃんに会いたかった。《ずっと一緒だ》って約束したから。
ユキちゃん、やっと会えたね」
涙を流す母親
「ロボットに心なんてない…か?」(←母親)
「本当にそう思う?」(←少年)
「わからない……ママもわかんなくなっちゃった」
「けんちゃん、これは海?」(←ポッポ)
「そうだよ」
「ぼく、海を見るの初めて……きれいだね」
シズカ(ジョーの元クライアント)が須堂のもとを訪れていた
「気がついたら、ジョーくんのことばかり考えていて」
「正直、医療の出番じゃないですよね。今の恋人と別れて、その復活の呪文とかいうサービスを使ったらどうです?」
「でも、ジョーくんの気持ちは?」
「ロボットはあなたのことを責めたりしませんよ。そいうふうにできてますから」
「だからって、わたし、そんな簡単に…。ジョーくんにどんな顔して会えば…」
「先生は、”ロボットに心はある”派じゃなかったんですか?」(←看護師・リサ)
「誰がそんなこと言った?」
「えっ?…でも…」
「俺は俺にしかできない治療がしたい…それだけだよ」
…………結局
「この度は、当社のサービスをご利用いただき、ありがとうございました。レンタルロボットのジョーです」
「よ、よろしくね」
↑
【訂正】
ジョーを利用したのは、シズカではなく、別の女性でした。
ポッポは泣かせるなあ
自分がボロボロになっても少年のことを心配する……
前の使用者のユキちゃんとの“ずっと一緒”の約束を果たそうとする……
ポッポを毛嫌いしていた母親も、《ロボットには心がない》と言い切れなくなってしまった。
《テディベアの姿》、《簡単でストレートな言葉しか発しない》……それがことさら、心を持っているように感じさせるのかもしれない。
しかし、上述の少年を心配する様子、ユキちゃんとの約束を果たそうとする姿は、心があると思えてしまう。
ポッポは20年以上も旧型であるにもかかわらず、恋人の要求に応じるよう精密に作られているはずの恋人ロボットよりも、心の存在を感じさせる。
もっとも、“恋人ロボット”は下手をすると、使用者がトチ狂ってしまう恐れがあるので、より事務的な対応をするようにプログラミングされているのだろう。
それに、人間の感情にあまり近づけてしまうのは、ロボットにとっても危険である。
逆に、テディベアタイプの愛玩ロボットなので、より人間に寄り添うように作られたのかもしれない。更に、20年前は、ロボットと人間の線引きが緩やかで、疑似感情に近づけたのかもしれない。
もっと深読みすると、ジョーも本当は心のようなものがあるのかもしれないが、プログラミングで事務的な会話しかできないようになっているかもしれない。(使用者の依存を軽くするため、“捨てる”という罪悪感を軽減させるため)
それはさておき、ジョーが言った「彼女の中のぼくには心があったのかもしれない」は、ある意味、真理である。
人間に対する人物像も、勝手に自分がその人に対して思っているものと、実際の性格(人格)はかけ離れていることも多い。例え、夫婦であっても(←私が“仮面夫婦”と言う訳では決してありません)
初めて海を見て「きれいだね」と言うポッポ。
それが、「海を見たら→”きれいだね”と言う」プログラミングではなく、《海を見て、美しいと思った》からだと思いたい。
【追記1】
ジョーが少年に言った言葉「彼女の中のぼくには心があったのかもしれない」
これ、プログラムによる言葉だとしたら、このプログラマーのセンス、素晴らしすぎる!
【追記2】
今話、シズカ(ジョーの使用者)が「私は悪くない」ジョーと思われる男性を地中に埋めているシーンから始まった。
そのシーンの後、うなされていたシズカが目を覚まし、隣にジョーがいて心配するシーンになった。
ジョーがいたのだから、過去の出来事ではないと思われる。
となると、《リース契約終了に怒ったジョーが暴走し、シズカに危害を加えようとして、抵抗したシズカに逆に破壊されてしまった》という予知夢的なものかと思ったが、
単に、契約終了(ジョーを捨てる)ということに、罪悪感を感じ、それが夢となって具現化?した……というだけのようだった。
……この夢、要らないよね。
参照:「第1話・第2話」、「第3話」、「訂正1・第3話について」、「第4話」、「訂正2・タイトルについて」、「第5話」、「第6話」、「第7話」、「第8話」、「第9話」、「第10話」、「第10話・追記」、「第11話」、「第12話(最終話)」
【第3話 ストーリー】(番組サイトより)
壊れたクマのぬいぐるみ型ロボット・ポッポを修理した須堂。持ち主の少年は大喜びだが、母親はポッポに強く感情移入する息子を心配していた。
時を同じくして、ある女性が恋人ロボットのジョーに別れ話を切り出していた。人間の恋人ができて、ジョーとの生活を続けられなくなったのだ。人の心を癒すために作られたポッポとジョー。
2体のロボットの運命が邂逅する。
今回登場する「クマのぬいぐるみ型ロボット・ポッポ」と「恋人ロボット・ジョー」は共に“産業ロボット”で“ヒューマノイド”ではない。
使用者(人間)と会話はするが、それは、ロボットが感情を以て発するわけではなく、プログラムによって答えているだけのものであった。
心は存在せず、いわゆる”道具”として存在し、用が終われば、メモリなどはリセットされたり、激しい破損が生じた場合は“廃棄”される。
ジョーは女性を慰めたり元気づけたりするようにプログラミングされており、嫌な顔はせず、食事の準備や家事などもしてくれる。当然、美形。
人間の男性より、遥かに心地よい存在のジョー。恋人ができても、ジョーとの生活(7~8年)を経た後だと、うまくいくとは思えないと余計な心配。
それでも、恋人ができた女性は、リース契約を解除した。
リース契約終了によって、リセットされてしまうジョーに後ろめたさのような感情を抱いたが、ジョーは「産業ロボットなら当然の処置なので、何も気にする必要はない」と諭すように語る。
ポッポは愛らしく、ペットのようにも見える。
子ども相手の愛玩ぬいぐるみなので、高度な思考や会話はできないが、使用者(飼い主)と「いつも一緒にいるよ」と約束をしていた。
父親がいないので、寂しさを感じないようにと母親が買い与えたのだったが、あまりのべったり感に、母親はポッポに依存し過ぎではないか(と私は余計な心配)。息子が自分よりポッポを第一に思うので、ヤキモチもあるようだ。
ポッポのメモリーに異常があり、主人公・須堂光が直すことになった(「本来の仕事ではない」と思いながら)
ポッポは、無事治ったのだが、前の使用者の時のメモリーも復活させてしまったようで、少年の「ずっと一緒」という言葉がきっかけとなり、「ユキちゃんはどこ?」とユキちゃんを探すようになった。
【ここからは、アニメでの実際の会話(青字部分)】
「ポッポに心はある?」と少年の問いかけに、主人公・須堂(主にヒューマノイドを治療)は
「脳の秘密はずいぶん解明されたけれど、《心が何か》というのは、解釈がいろいろある。そもそも、心なんて誰にもないかもしれない」と。
メモリ内にある20年以上前のデータに残っていた前の持ち主の記憶のようだ
古いデータ(ユキに関するデータ)を消せば、元通りになるが、少年は「ユキとの思い出を消したら、ポッポは悲しいだろう」とそのままにすることにした。
母親が、息子はポッポに依存し過ぎと考え、ポッポをレンタル会社に引き取らせることにした。そのことを知った少年はポッポを連れて家出。
そこで、ジョーと女性・シズカが別れるところに遭遇。
「今日一日楽しかったよ。最後の思い出をありがとう」
「想い出?」
「うん、記念になった」
「もうすぐ忘れるのに?」と言う問い,にっこり微笑む。
「それじゃあ、お別れだ」
「さようなら、ジョーくん」
「当社のサービスをご利用いただき、ありがとうございました。
本日を以って、レンタルロボット・ジョーとの契約を終了させていただきます。
きみとのデータは、本社のサーバーに5年間保管されている。
もし、恋人とうまくいかなくなったら、復活の呪文をどうぞ」
「5年経ったら、どうなるの?」
「どんな想い出も、いつかは消えるんだよ」
彼女が去っていくのを見送るジョーに少年が
「あの……悲しくないの?」
(少し間をおいて)
「僕の振る舞いのすべては、予めプログラムされているんだ」
「学校で習った……《昔はヒューマノイドも機械だ》って考えられていたと。
でも、今は違う…だから(ロボットも機械ではない)」
「僕たちロボットは人間のために作られた商品だ。
《ロボットとヒューマノイドは違う》…それを忘れてはいけないよ」(微笑みながら語る)
「でも、さっきのお姉さんは泣いてたじゃないか。
歯ブラシを捨てる時に泣く人なんかいない。
だから、おにいさんにも…ロボットにも心がある……そうに決まっている」
「そうだね、彼女の中のぼくには心があったのかもしれない」
(ポッポに向かって)
「きみは誰?」
「ぼく、ポッポ」
「こんにちは、ポッポ。君のクライアントはいい人だね」
「うん、けんちゃん、すごく優しいよ。ポッポはケンちゃん大好きだよ」
レンタル会社の車の中で、機密保持契約に基づき、メモリをリセットされるジョー。
データ(記憶)のバックアップは録られるが、ロボット本体はデータをリセットされる。
だから、先の会話での「いい想い出になった」というのは、プログラミングによる“おざなりの言葉”と考えられる。
ジョーと別れた後、道端の階段に座り込む少年
「けんちゃん、おうち帰ろう」
「それって、僕を心配しているの?それとも、プログラムで言っているの?」
夕闇が進んでも座り込んだままの少年
「けんちゃん、けんちゃん……(少年が寝入ってしまったのに気がつき)けんちゃん、風邪ひいちゃう」
「誰かいますか?誰か気づいて、
誰か、けんちゃんを。だれか、だれか…」
皆、ポッポに気づかず通り過ぎる。
その一人が、ポッポにぶつかり、その衝撃で、ポッポは階段から転げ落ちる。
そこへ通りかかった車がポッポを轢いてしまう。
無残な姿になったポッポにようやく気付き、泣き叫ぶ少年……
両親が少年とポッポを引き取り、母親がようやく寝かしつけ、ボロボロのポッポを抱いて、夫のところに戻ったとき
「けん…ち…ゃん、かぜひいちゃう……だれか……気づいて、…だ…れ…か………」
「ポッポが自分を犠牲にして、車を止めたと考えてる?…考えすぎだと思うよ」
「そうよね…うん、そうに決まっている」
少年と母親とぽっぽで、ユキに対面(お墓の遺影)
「ポッポ、ユキちゃんだよ。ポッポはユキちゃんと仲が良かった?」
「うん、いつも一緒だったけど、突然会えなくなった。
ママもパパも、ユキちゃんがどこにいるか教えてくれなかった。
でも、ぼく、いつもユキちゃんに会いたかった。《ずっと一緒だ》って約束したから。
ユキちゃん、やっと会えたね」
涙を流す母親
「ロボットに心なんてない…か?」(←母親)
「本当にそう思う?」(←少年)
「わからない……ママもわかんなくなっちゃった」
「けんちゃん、これは海?」(←ポッポ)
「そうだよ」
「ぼく、海を見るの初めて……きれいだね」
シズカ(ジョーの元クライアント)が須堂のもとを訪れていた
「気がついたら、ジョーくんのことばかり考えていて」
「正直、医療の出番じゃないですよね。今の恋人と別れて、その復活の呪文とかいうサービスを使ったらどうです?」
「でも、ジョーくんの気持ちは?」
「ロボットはあなたのことを責めたりしませんよ。そいうふうにできてますから」
「だからって、わたし、そんな簡単に…。ジョーくんにどんな顔して会えば…」
「先生は、”ロボットに心はある”派じゃなかったんですか?」(←看護師・リサ)
「誰がそんなこと言った?」
「えっ?…でも…」
「俺は俺にしかできない治療がしたい…それだけだよ」
…………結局
「この度は、当社のサービスをご利用いただき、ありがとうございました。レンタルロボットのジョーです」
「よ、よろしくね」
↑
【訂正】
ジョーを利用したのは、シズカではなく、別の女性でした。
ポッポは泣かせるなあ
自分がボロボロになっても少年のことを心配する……
前の使用者のユキちゃんとの“ずっと一緒”の約束を果たそうとする……
ポッポを毛嫌いしていた母親も、《ロボットには心がない》と言い切れなくなってしまった。
《テディベアの姿》、《簡単でストレートな言葉しか発しない》……それがことさら、心を持っているように感じさせるのかもしれない。
しかし、上述の少年を心配する様子、ユキちゃんとの約束を果たそうとする姿は、心があると思えてしまう。
ポッポは20年以上も旧型であるにもかかわらず、恋人の要求に応じるよう精密に作られているはずの恋人ロボットよりも、心の存在を感じさせる。
もっとも、“恋人ロボット”は下手をすると、使用者がトチ狂ってしまう恐れがあるので、より事務的な対応をするようにプログラミングされているのだろう。
それに、人間の感情にあまり近づけてしまうのは、ロボットにとっても危険である。
逆に、テディベアタイプの愛玩ロボットなので、より人間に寄り添うように作られたのかもしれない。更に、20年前は、ロボットと人間の線引きが緩やかで、疑似感情に近づけたのかもしれない。
もっと深読みすると、ジョーも本当は心のようなものがあるのかもしれないが、プログラミングで事務的な会話しかできないようになっているかもしれない。(使用者の依存を軽くするため、“捨てる”という罪悪感を軽減させるため)
それはさておき、ジョーが言った「彼女の中のぼくには心があったのかもしれない」は、ある意味、真理である。
人間に対する人物像も、勝手に自分がその人に対して思っているものと、実際の性格(人格)はかけ離れていることも多い。例え、夫婦であっても(←私が“仮面夫婦”と言う訳では決してありません)
初めて海を見て「きれいだね」と言うポッポ。
それが、「海を見たら→”きれいだね”と言う」プログラミングではなく、《海を見て、美しいと思った》からだと思いたい。
【追記1】
ジョーが少年に言った言葉「彼女の中のぼくには心があったのかもしれない」
これ、プログラムによる言葉だとしたら、このプログラマーのセンス、素晴らしすぎる!
【追記2】
今話、シズカ(ジョーの使用者)が「私は悪くない」ジョーと思われる男性を地中に埋めているシーンから始まった。
そのシーンの後、うなされていたシズカが目を覚まし、隣にジョーがいて心配するシーンになった。
ジョーがいたのだから、過去の出来事ではないと思われる。
となると、《リース契約終了に怒ったジョーが暴走し、シズカに危害を加えようとして、抵抗したシズカに逆に破壊されてしまった》という予知夢的なものかと思ったが、
単に、契約終了(ジョーを捨てる)ということに、罪悪感を感じ、それが夢となって具現化?した……というだけのようだった。
……この夢、要らないよね。
参照:「第1話・第2話」、「第3話」、「訂正1・第3話について」、「第4話」、「訂正2・タイトルについて」、「第5話」、「第6話」、「第7話」、「第8話」、「第9話」、「第10話」、「第10話・追記」、「第11話」、「第12話(最終話)」
もともとBS放送(BSフジとかBS日テレ)などでアニメを観ることは多かったが、2、3年前から「BS11」「BS松竹東急」も観始めるようになって、更に忙しくなった(笑)
今クールもかなりの本数を観ることになったが、『ライザのアトリエ』は2話で離脱。『AYAKA ‐あやか‐』も離脱を考慮中(『もののがたり』など既存の作品をなぞっただけ。キャラクターもそれらしく脚色しているが、魅力なし)。
昨クールは粒ぞろいだった。『鬼滅の刃 ~刀鍛冶の里編~』は多少低空飛行だったが、面白かったし、掘り出し物だったのは『デッドマウント・デスプレイ』!登場キャラが、一癖も二癖もあって、面白い。特に、怪人ソリティア。凄腕なのはもちろん、エンターテイメントに富んでいる。視聴者を楽しませることが生きがいで、何をしでかすか、何を語るか(でまかせも多い)…とにかく、彼が登場するとワクワクする。
残念ながら、《これからどうなるんだぁ~》と序章段階で終了(嗚呼、やっぱりぃぃという感じ)
今クールは『呪術廻戦』がやはり面白い(第1シーズンとは時間が遡るのが、不満)。それと、『もののがたり 第二章』も好みだ。他にもいろいろあるが、語り始めたら終わりそうもないので、後日(“後日”はあるのか?)
さて、表題の『AIの遺電子』だが……
設定などは全く違うが、手塚治虫氏の『ザ・クレーター』を思わせるような作品のテーマ。(『ザ・クレーター』は17本の読み切り漫画からなる手塚治虫の連作短編シリーズ。1969年から1970年にかけて『少年チャンピオン』。1作品ごと主人公も時代背景・設定も異なっていおり、『AIの遺電子』とは全く違うが)
『AIの遺電子』は主人公が関係した「ヒューマノイド」(AI頭脳のアンドロイド)の苦悩を描いているらしい(まだ、2話までしか視聴していない)
しかし、この“ヒューマノイド”の設定が曖昧過ぎて、全く納得していない!
取りあえず、番組サイトを見る―――
【INTRODUCTION】
これは、私たちの未来の物語 ――。
21世紀に始まったAIの圧倒的な進歩は、社会の発展に寄与する一方、高い知性を持つ機械を道具として使う是非を、人類に突きつけた。
そして22世紀後半。人々は「産業AI」とは別格の存在として、人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしている。
須堂光は、ヒューマノイドを治す新医科の医者として、ヒトとAIの共存がもたらす「新たな病」に向き合っていく。
時に、裏の顔も使いながら……。
何が不満なのかと言うと……
《人々は「産業AI」とは別格の存在として、人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしている》という設定。
①産業AIロボットと何が違うのか?
②人間とは何が違うのか?
・生活は人間と全く変わらない。老化するようにも作られている
・短距離走では全く区別なく人間と競い合っていて、タイムが速くならないヒューマノイドが悩んでいた(第2話)
③どういう過程(どういう理由で)でヒューマノイドが誕生し、人権が認められ、人と共生するようになったのか?
②がこの作品のテーマだと思われるが、③がはっきりしないと、視聴者(私)はどのように考えれば良いのか全く分からない。
例えば、第1話では、頭脳(AI)が壊れてしまうと、再生できない(人間の死亡と同じ)。身体の部品は取り換えが利くらしい。
ただし、よく分からなかったが、AIのバックアップは禁じられている。妻が死ぬことに対して不安を持っていた夫が、不法にAIのバックアップを録った。しかし、その際、ウイルスに感染し、身体の機能に不具合が生じ始め、主人公に助けを求めたという話。
バックアップデータで妻を直すことはできる。ただし、《バックアップ後の記憶は失ってしまう》。
バックアップで再生した妻は、果たして、これまでの妻と同一人物と言えるのか?……これがこの話のテーマ
妻自身も、自分が自分で亡くなるという恐怖を感じ、娘もバックアップを録った時から、バックアップで再生するまでに暮らした自分との記憶が母から消え去ることに悲しみを感じる。
結局、機能不全に陥った後、再生処置が行われた。
非常に面白いテーマだが、③で述べた設定をきっちり定義してくれないと、モヤモヤ感が大きくて……困る
参照:「第1話・第2話」、「第3話」、「訂正1・第3話について」、「第4話」、「訂正2・タイトルについて」、「第5話」、「第6話」、「第7話」、「第8話」、「第9話」、「第10話」、「第10話・追記」、「第11話」、「第12話(最終話)」
今クールもかなりの本数を観ることになったが、『ライザのアトリエ』は2話で離脱。『AYAKA ‐あやか‐』も離脱を考慮中(『もののがたり』など既存の作品をなぞっただけ。キャラクターもそれらしく脚色しているが、魅力なし)。
昨クールは粒ぞろいだった。『鬼滅の刃 ~刀鍛冶の里編~』は多少低空飛行だったが、面白かったし、掘り出し物だったのは『デッドマウント・デスプレイ』!登場キャラが、一癖も二癖もあって、面白い。特に、怪人ソリティア。凄腕なのはもちろん、エンターテイメントに富んでいる。視聴者を楽しませることが生きがいで、何をしでかすか、何を語るか(でまかせも多い)…とにかく、彼が登場するとワクワクする。
残念ながら、《これからどうなるんだぁ~》と序章段階で終了(嗚呼、やっぱりぃぃという感じ)
今クールは『呪術廻戦』がやはり面白い(第1シーズンとは時間が遡るのが、不満)。それと、『もののがたり 第二章』も好みだ。他にもいろいろあるが、語り始めたら終わりそうもないので、後日(“後日”はあるのか?)
さて、表題の『AIの遺電子』だが……
設定などは全く違うが、手塚治虫氏の『ザ・クレーター』を思わせるような作品のテーマ。(『ザ・クレーター』は17本の読み切り漫画からなる手塚治虫の連作短編シリーズ。1969年から1970年にかけて『少年チャンピオン』。1作品ごと主人公も時代背景・設定も異なっていおり、『AIの遺電子』とは全く違うが)
『AIの遺電子』は主人公が関係した「ヒューマノイド」(AI頭脳のアンドロイド)の苦悩を描いているらしい(まだ、2話までしか視聴していない)
しかし、この“ヒューマノイド”の設定が曖昧過ぎて、全く納得していない!
取りあえず、番組サイトを見る―――
【INTRODUCTION】
これは、私たちの未来の物語 ――。
21世紀に始まったAIの圧倒的な進歩は、社会の発展に寄与する一方、高い知性を持つ機械を道具として使う是非を、人類に突きつけた。
そして22世紀後半。人々は「産業AI」とは別格の存在として、人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしている。
須堂光は、ヒューマノイドを治す新医科の医者として、ヒトとAIの共存がもたらす「新たな病」に向き合っていく。
時に、裏の顔も使いながら……。
何が不満なのかと言うと……
《人々は「産業AI」とは別格の存在として、人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしている》という設定。
①産業AIロボットと何が違うのか?
②人間とは何が違うのか?
・生活は人間と全く変わらない。老化するようにも作られている
・短距離走では全く区別なく人間と競い合っていて、タイムが速くならないヒューマノイドが悩んでいた(第2話)
③どういう過程(どういう理由で)でヒューマノイドが誕生し、人権が認められ、人と共生するようになったのか?
②がこの作品のテーマだと思われるが、③がはっきりしないと、視聴者(私)はどのように考えれば良いのか全く分からない。
例えば、第1話では、頭脳(AI)が壊れてしまうと、再生できない(人間の死亡と同じ)。身体の部品は取り換えが利くらしい。
ただし、よく分からなかったが、AIのバックアップは禁じられている。妻が死ぬことに対して不安を持っていた夫が、不法にAIのバックアップを録った。しかし、その際、ウイルスに感染し、身体の機能に不具合が生じ始め、主人公に助けを求めたという話。
バックアップデータで妻を直すことはできる。ただし、《バックアップ後の記憶は失ってしまう》。
バックアップで再生した妻は、果たして、これまでの妻と同一人物と言えるのか?……これがこの話のテーマ
妻自身も、自分が自分で亡くなるという恐怖を感じ、娘もバックアップを録った時から、バックアップで再生するまでに暮らした自分との記憶が母から消え去ることに悲しみを感じる。
結局、機能不全に陥った後、再生処置が行われた。
非常に面白いテーマだが、③で述べた設定をきっちり定義してくれないと、モヤモヤ感が大きくて……困る
参照:「第1話・第2話」、「第3話」、「訂正1・第3話について」、「第4話」、「訂正2・タイトルについて」、「第5話」、「第6話」、「第7話」、「第8話」、「第9話」、「第10話」、「第10話・追記」、「第11話」、「第12話(最終話)」
記事のタイトル通り……《ちょっと困った状態(大して困っていないかも)》
ちょっと気になること……政治・経済・コロナその他感染症などの時事、将棋、気象、スポーツ、ドラマなど気になることや書いておきたいことが多い。
仕事がかなり忙しいうえ、この暑さ。体調は悪くないけれど、消耗が……
なので、書きたいことが流れてしまうのは、少しずつフラストレーションが溜まるので、気になったものからアップしている状態。
取りあえず、備忘録として
・TBS『バレーボール ネーションズリーグ』中継への不満・批判
・BSジャパン『卓球ジャパン』の武井壮氏の功罪
・アニメ『AIの遺伝子』の問題点
それと、『小田原・箱根・東京紀行』を完結したいなあ。既に、ひと月経過……
ちょっと気になること……政治・経済・コロナその他感染症などの時事、将棋、気象、スポーツ、ドラマなど気になることや書いておきたいことが多い。
仕事がかなり忙しいうえ、この暑さ。体調は悪くないけれど、消耗が……
なので、書きたいことが流れてしまうのは、少しずつフラストレーションが溜まるので、気になったものからアップしている状態。
取りあえず、備忘録として
・TBS『バレーボール ネーションズリーグ』中継への不満・批判
・BSジャパン『卓球ジャパン』の武井壮氏の功罪
・アニメ『AIの遺伝子』の問題点
それと、『小田原・箱根・東京紀行』を完結したいなあ。既に、ひと月経過……
昨日(7月22日)、「関東甲信と東北南部・東北北部が梅雨明けしたとみられる」と気象庁から発表された。
6月25日に沖縄、6月26日に奄美、7月20日に中国、近畿、東海、7月21日に四国、北陸(←“地方”は省略)梅雨明けしている。これらはすべて“速報値”で、後に訂正されることもある。
九州はまだ梅雨明けしていない(と見られている)
今年の梅雨明けの特徴(あくまで梅雨明けの特徴で、梅雨全般を指しているわけではない)は、《太平洋高気圧が勢力を強め、梅雨前線を北に押し上げる》といった本来の梅雨明けパターンではなく、《本州の南海(太平洋沿岸付近)に梅雨前線がが存在した状態で、日本海付近の高気圧が勢力を強めながら暖化して太平洋高気圧と同質化した。そのことにより、梅雨前線も弱まっていった(梅雨前線は太平洋気団と日本海上の気団との性質の差により特質化したモノ)
当初の気象庁などの予報では、梅雨前線が東北北部に押し上げられ(これにより秋田付近の大雨が引き起こされた)、そのまま梅雨明けするものと見ていた。ところが、途中で予報が再び南下すると変更され、梅雨明けがずれ込んだ。
よって、このパターンの梅雨明けは、太平洋高気圧が勢力をグンと強めたわけではない、つまり、例年ほど太平洋高気圧が勢力を強めたわけではないので、「日本海付近で太平洋高気圧化した高気圧が弱まる→盛夏状態が長続きせず天候不順」となることが多い。
九州の梅雨明けが遅れているのは、太平洋高気圧の勢力が通常の梅雨明けの時ほど強くないので、高気圧勢力の縁の九州に高湿の気流が流れ込みやすいのでにわか雨が降りやすく晴天が安定しない為。
ただ、今のところ、(例年通りでないやや弱い)太平洋高気圧がある程度の強さを保つため、晴れの日が続くと見ている。しかも、高温高湿の暖気が流れ込みやすい状態が続く為、しばらくは酷暑の日々が続くようである。
6月25日に沖縄、6月26日に奄美、7月20日に中国、近畿、東海、7月21日に四国、北陸(←“地方”は省略)梅雨明けしている。これらはすべて“速報値”で、後に訂正されることもある。
九州はまだ梅雨明けしていない(と見られている)
今年の梅雨明けの特徴(あくまで梅雨明けの特徴で、梅雨全般を指しているわけではない)は、《太平洋高気圧が勢力を強め、梅雨前線を北に押し上げる》といった本来の梅雨明けパターンではなく、《本州の南海(太平洋沿岸付近)に梅雨前線がが存在した状態で、日本海付近の高気圧が勢力を強めながら暖化して太平洋高気圧と同質化した。そのことにより、梅雨前線も弱まっていった(梅雨前線は太平洋気団と日本海上の気団との性質の差により特質化したモノ)
当初の気象庁などの予報では、梅雨前線が東北北部に押し上げられ(これにより秋田付近の大雨が引き起こされた)、そのまま梅雨明けするものと見ていた。ところが、途中で予報が再び南下すると変更され、梅雨明けがずれ込んだ。
よって、このパターンの梅雨明けは、太平洋高気圧が勢力をグンと強めたわけではない、つまり、例年ほど太平洋高気圧が勢力を強めたわけではないので、「日本海付近で太平洋高気圧化した高気圧が弱まる→盛夏状態が長続きせず天候不順」となることが多い。
九州の梅雨明けが遅れているのは、太平洋高気圧の勢力が通常の梅雨明けの時ほど強くないので、高気圧勢力の縁の九州に高湿の気流が流れ込みやすいのでにわか雨が降りやすく晴天が安定しない為。
ただ、今のところ、(例年通りでないやや弱い)太平洋高気圧がある程度の強さを保つため、晴れの日が続くと見ている。しかも、高温高湿の暖気が流れ込みやすい状態が続く為、しばらくは酷暑の日々が続くようである。
昨日(13日目)の翔猿ー宇良戦。翔猿のまわしが取組開始後にすぐに緩んだ。
画像では、緩んだ瞬間が身体の陰で確認できなかったが、緩む原因となる著しいまわしの掴む所作は宇良にはなかったように思う。
投げの打ち合いで決着がついたが、裏が掴んでいたまわしが伸びていた分、不利で、翔猿に軍配が上がった。
(画像が不鮮明で申し訳ありません。実際の動画はこちら←動画がいつまで視聴できるかは不明です)
翔猿のまわしと言えば、照ノ富士-翔猿(2023大相撲名古屋場所3日目)。
今回のまわしの緩み方……“ゆるふん(緩い褌)”疑惑が大きくなった。
皮肉なことに、今日(14日目)では、翔猿の相手力士の千代翔馬のまわしが緩んで、“まわし待った”が掛かった。
画像では、緩んだ瞬間が身体の陰で確認できなかったが、緩む原因となる著しいまわしの掴む所作は宇良にはなかったように思う。
投げの打ち合いで決着がついたが、裏が掴んでいたまわしが伸びていた分、不利で、翔猿に軍配が上がった。
(画像が不鮮明で申し訳ありません。実際の動画はこちら←動画がいつまで視聴できるかは不明です)
翔猿のまわしと言えば、照ノ富士-翔猿(2023大相撲名古屋場所3日目)。
今回のまわしの緩み方……“ゆるふん(緩い褌)”疑惑が大きくなった。
皮肉なことに、今日(14日目)では、翔猿の相手力士の千代翔馬のまわしが緩んで、“まわし待った”が掛かった。
小田原・箱根・東京紀行 その7「箱根フリーパス」で、”あじさい電車”(箱根登山電車)で画像を使用させていただいた『エーデルワイスブログ』様。
「画像を使用した」と書きましたが、画像(画)ではなく、“絵”なのです。撮り手の意思を感じます。
“風景”ではなく”情景”なのです。心を動かされます。
“あじさい電車”の情景には、あじさい電車への愛を感じます。
私のつたない言葉では、伝わらないと思います。
リンクをたどって、あじさい電車や他のたくさんの情景を感じてくださると、嬉しいです。
「画像を使用した」と書きましたが、画像(画)ではなく、“絵”なのです。撮り手の意思を感じます。
“風景”ではなく”情景”なのです。心を動かされます。
“あじさい電車”の情景には、あじさい電車への愛を感じます。
私のつたない言葉では、伝わらないと思います。
リンクをたどって、あじさい電車や他のたくさんの情景を感じてくださると、嬉しいです。
問題と見ていた、夕食休憩前後の指し方(考慮の仕方)。
羽生九段に少し分がある局面。残り時間は2:21、永瀬王座は1:18。
羽生九段の悪いパターンとしては、《夕食休憩付近で長考に沈み、時間と脳力を消耗した上に、疑問手を指して苦しくなる》というものだったが、本局では、24分と短めの考慮。
それは良かったが、指し手自体は次善手で、形勢は互角になってしまった。
それでも、まだ残り時間では優位であるし、形勢が互角なら、まだまだ羽生九段に分がありそうだ。
しかし、この後、疑問手を重ね、敗勢に。形勢が開いてから永瀬王座は、終局までの13手(永瀬王座の指し手としては7手)の間、残り50分→43分と、7分しか消費していない。
羽生九段は攻めたが見切られていた……そんな感じ。「攻めた」と言うより「攻めてみた」だけ。考慮時間も1:03を残していた。
かなり淡白な指し口だった。体調でも崩したのだろうか?
羽生九段に少し分がある局面。残り時間は2:21、永瀬王座は1:18。
羽生九段の悪いパターンとしては、《夕食休憩付近で長考に沈み、時間と脳力を消耗した上に、疑問手を指して苦しくなる》というものだったが、本局では、24分と短めの考慮。
それは良かったが、指し手自体は次善手で、形勢は互角になってしまった。
それでも、まだ残り時間では優位であるし、形勢が互角なら、まだまだ羽生九段に分がありそうだ。
しかし、この後、疑問手を重ね、敗勢に。形勢が開いてから永瀬王座は、終局までの13手(永瀬王座の指し手としては7手)の間、残り50分→43分と、7分しか消費していない。
羽生九段は攻めたが見切られていた……そんな感じ。「攻めた」と言うより「攻めてみた」だけ。考慮時間も1:03を残していた。
かなり淡白な指し口だった。体調でも崩したのだろうか?
「その1」、「その2」、「その3」、「その4」、「余話」、「その5」、「その6」、「その7」、「その8」の続きです。
錦糸町駅に到着。あとは、東京メトロに乗り換えて、押上駅に行くだけ。
ホームに降りるのも苦労するほど、車内が非常に混んでいた。それで、もう一回、あの混雑の中に行くのにはためらいを感じた。
“メトロ”だよ…近未来的響き……地下鉄…少し怖い。
路線図を見ると、総武本線とは垂直に伸びている。乗り換えも大変そう(勝手な想像です)
……で、《ひと駅ぐらい歩けるだろう》《目標物のスカイツリーは、この上もなく目立ち、方向を誤ることはないだろう》
スカイツリーへ出発!(しゅっぱぁ~つ!)
この画像は浅草から撮ったもの。錦糸町~押上(スカイツリー)までの写真は撮らなかった。
おそらく、四ツ目通りを歩いたと思われるが、その時のイメージに近い画像を載せているブログがあり、使わせてほしいとお願いをしました(つい先ほど、その方のブログにコメントでお願いしました)
許可がいただければ、画像を差し替える予定です。
駅を出て通りに出ると、スカイツリーが見える。
ホテルも“スカイツリーとは目と鼻の先”らしいので、スカイツリーに向かって歩けばよい。
そのスカイツリーは、もう間近だ。
間近だ…間近だ……間近だ……………全然、スカイツリーが大きくならない。近づかない。動かない……動かないのは当然なのだが、ほとんど、大きく見えてこないのだ。それだけ、スカイツリーが巨大で、少しぐらい近づいても、姿に変化はないということなのだろう。
荷物もあり、これまでの旅での消耗もあり、歩みも鈍い。
感覚的には、40分…50分ぐらい歩いた気がする。さすがに、スカイツリーに接近した感覚がある。
スカイツリーの麓に到着。ホテルもこの近くにあるはず。しかし、見当たらない。
スマホのナビで確認すると、少し通り過ぎてしまったようだ。
ああ、そうか……都会のホテルは、ある階から上がホテルということが多く、一見、普通のビルに見える。
ビジネスビルの通用口のようなところにエレベーターがある。ここの5Fがフロントのようだ。
この記事を書くにあたって、道のりを検証。Google地図で地図上の長さを計り、縮尺を換算すると、1.5㎞。
ちなみに、「錦糸町駅からリッチモンドホテルプレミア東京スコーレまでの距離」で検索すると、「四ツ目通り/都道465号経由で1.7㎞(22分)」とある。
さらに、ブログ『おひとりゆかこ』さんの記事「JR錦糸町駅から徒歩で東京スカイツリーへ!行き方やかかる時間は?」という記事がヒット。
《ああ、どうせ歩くのなら、”タワービュー通り”を歩けばよかった》と……(記事では《Googleマップで調べたところによると、『JR錦糸町駅から徒歩で24分』との表示》されたと記されている)
《あの疲労と長時間間隔は、何だったのか?》と今でも不思議だが、スカイツリーの“動かない佇まい攻撃”に幻惑されたということにしておこう。
リッチモンドホテルプレミア東京スコーレ(長い名称だなぁ)の隠れ蓑の術にも惑わされたが、フロントに着いて、ようやく安堵……できなかった
係の男性がサッとやってきて「お泊りでしょうか?」と尋ねられた。
名前と宿泊日を確認して、フロントへ行った。しばらくして「お待たせしました。もう一度、お名前の確認をしてよろしいでしょうか?」……
《発音が悪かったのかな?よく間違えられる姓でもあるし》
フロントの様子を見ていると、先ほどの係りの男性と、同僚(先輩?)の女性が何やら相談している……いやな予感。
「予約した時の画像か何かありますか?」
「いえ、旅行代理店に手配していただいたので、ありません」
この返事に、係の男性が少し困った顔をしている。
「あ、そうだ。これが見積書です……(見積書ではダメらしい)。それから……申込書もあります」
「恐れ入ります。拝見します」
表情が変わったので、何とかなりそうだ。そのあと、旅行代理店の領収証(レシート)も出てきたが、申込書で確認できたらしい。
念のため、旅行代理店関連の書類などを持ってきておいてよかった。
それにしても、旅行代理店の不手際だったのか、ホテルのチェックミスだったのか?……追及する気はないが……
客室で少しくつろいだあと、スカイツリーに向かった。
錦糸町駅に到着。あとは、東京メトロに乗り換えて、押上駅に行くだけ。
ホームに降りるのも苦労するほど、車内が非常に混んでいた。それで、もう一回、あの混雑の中に行くのにはためらいを感じた。
“メトロ”だよ…近未来的響き……地下鉄…少し怖い。
路線図を見ると、総武本線とは垂直に伸びている。乗り換えも大変そう(勝手な想像です)
……で、《ひと駅ぐらい歩けるだろう》《目標物のスカイツリーは、この上もなく目立ち、方向を誤ることはないだろう》
スカイツリーへ出発!(しゅっぱぁ~つ!)
この画像は浅草から撮ったもの。錦糸町~押上(スカイツリー)までの写真は撮らなかった。
おそらく、四ツ目通りを歩いたと思われるが、その時のイメージに近い画像を載せているブログがあり、使わせてほしいとお願いをしました(つい先ほど、その方のブログにコメントでお願いしました)
許可がいただければ、画像を差し替える予定です。
駅を出て通りに出ると、スカイツリーが見える。
ホテルも“スカイツリーとは目と鼻の先”らしいので、スカイツリーに向かって歩けばよい。
そのスカイツリーは、もう間近だ。
間近だ…間近だ……間近だ……………全然、スカイツリーが大きくならない。近づかない。動かない……動かないのは当然なのだが、ほとんど、大きく見えてこないのだ。それだけ、スカイツリーが巨大で、少しぐらい近づいても、姿に変化はないということなのだろう。
荷物もあり、これまでの旅での消耗もあり、歩みも鈍い。
感覚的には、40分…50分ぐらい歩いた気がする。さすがに、スカイツリーに接近した感覚がある。
スカイツリーの麓に到着。ホテルもこの近くにあるはず。しかし、見当たらない。
スマホのナビで確認すると、少し通り過ぎてしまったようだ。
ああ、そうか……都会のホテルは、ある階から上がホテルということが多く、一見、普通のビルに見える。
ビジネスビルの通用口のようなところにエレベーターがある。ここの5Fがフロントのようだ。
この記事を書くにあたって、道のりを検証。Google地図で地図上の長さを計り、縮尺を換算すると、1.5㎞。
ちなみに、「錦糸町駅からリッチモンドホテルプレミア東京スコーレまでの距離」で検索すると、「四ツ目通り/都道465号経由で1.7㎞(22分)」とある。
さらに、ブログ『おひとりゆかこ』さんの記事「JR錦糸町駅から徒歩で東京スカイツリーへ!行き方やかかる時間は?」という記事がヒット。
《ああ、どうせ歩くのなら、”タワービュー通り”を歩けばよかった》と……(記事では《Googleマップで調べたところによると、『JR錦糸町駅から徒歩で24分』との表示》されたと記されている)
《あの疲労と長時間間隔は、何だったのか?》と今でも不思議だが、スカイツリーの“動かない佇まい攻撃”に幻惑されたということにしておこう。
リッチモンドホテルプレミア東京スコーレ(長い名称だなぁ)の隠れ蓑の術にも惑わされたが、フロントに着いて、ようやく安堵……できなかった
係の男性がサッとやってきて「お泊りでしょうか?」と尋ねられた。
名前と宿泊日を確認して、フロントへ行った。しばらくして「お待たせしました。もう一度、お名前の確認をしてよろしいでしょうか?」……
《発音が悪かったのかな?よく間違えられる姓でもあるし》
フロントの様子を見ていると、先ほどの係りの男性と、同僚(先輩?)の女性が何やら相談している……いやな予感。
「予約した時の画像か何かありますか?」
「いえ、旅行代理店に手配していただいたので、ありません」
この返事に、係の男性が少し困った顔をしている。
「あ、そうだ。これが見積書です……(見積書ではダメらしい)。それから……申込書もあります」
「恐れ入ります。拝見します」
表情が変わったので、何とかなりそうだ。そのあと、旅行代理店の領収証(レシート)も出てきたが、申込書で確認できたらしい。
念のため、旅行代理店関連の書類などを持ってきておいてよかった。
それにしても、旅行代理店の不手際だったのか、ホテルのチェックミスだったのか?……追及する気はないが……
客室で少しくつろいだあと、スカイツリーに向かった。