【第7話 ストーリー】(番組サイトより)
電脳に障害を負った老人の感情が、音楽に触れると戻ってくる――。そんな美談に裏の事情を嗅ぎ取った人権団体の男が、須堂新医院の門を叩いた。「人間の謝罪」にこだわるモンスタークレーマーに気を病んだヒューマノイドもまた、須堂に診察を求める。信念の交錯が生み出す、患者たちの意外な結末とは。
タイトルは「人間」だが、
第6話「ロボット」と同様に、“ロボット(ヒューマノイド)”と“人間”との関わりを描くことで、両者を描いている。
例えば、第6話の《ケース1》では、伝統工芸を習得し記録する“覚える君”の習得過程がメインストーリーであるが、鍛冶職人・桐山の矜持(職人魂)がテーマであった。
この7話のケース2では、人間のエゴを描き、そのエゴに振り回されるヒューマノイドの苦悩が主題であった。
この第7話を見て、更に“ヒューマノイド”の設定が分からなくなってしまった……
このアニメ、原作がそうなのかは分からないが、非常に不親切と言うか、“視聴者の解釈任せ”の傾向が強い。
『世にも奇妙な物語』をオマージュ(尊敬し、影響を受けたり、その作品を目指したりする)しているように感じる。(今回のオチは、特にそう感じる)
(そういったことを含めてレビューするか、最後にまとめて考察するか……取りあえず、「ケース1(患者1)」から)
患者1.後藤賢治――
後藤賢治(ヒューマノイド)は、頭部に何らかの損傷を受け、主体性や見当識が著しく低下してしまった(情報を認識、把握、判断能力が低下し、意思を示さず、ぼ~としている)。運動機能も損傷し、車いす(自力で扱えない)生活。
そんな状況ではあったが、孫娘の唄には反応を示す。歌声に和み、孫娘に話しかける。
そういう後藤家の様子伝える映像では、「音楽や映画に触れたひと時、傷ついた健二さんの回路に
人間性が戻ってきます」とナレーションが入っていた。
この「人間性」という言葉は、後半パート(患者2)でも使われていたので、第7話のテーマ要素なのだろう。
この映像を須堂に見せ、
「我々”ヒューマノイド・ライツ・ジャパン”としては、これを美談にして良いのか、疑問なんです。
電脳をなおす方法がある…なのに、なおさない。……ネグレクトですよ」
と、掛居は主張。
ネグレクト……決めつけが強い男だなあ。そもそも、”ヒューマノイド・ライツ・ジャパン”って何?
台詞(音のみ)なので分からないが、この男が発した“なおす”って、「治す」?「直す」?…どちらなのだろう?
掛居は、後藤一家を須堂医院に連れてきて、賢治を診察させる。
「ハードウェアの損傷はそれほどでもなさそうです。個性の根底を揺るがすような部位には障害はないと思われます。失われた機能を補うためのシステムを埋め込めば、お父さんの症状はほぼ治ると考えられます」という所見だったが、賢治の息子は治療(修復)をためらい、しばらく様子を見ることに。
しかし、掛居は夜遅くに後藤家に電話して、今日のうちにお話ししたいことがあるとか言い、
「全ての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等である(第一条)1948年の世界人権宣言の第一条にこうあります。ここでいう人間にヒューマノイドに含まれていません」と語る。
現代(現実の地球)とリンクしているのなら、1948年には当然ヒューマノイドは存在していない。なので、《この人権宣言はヒューマノイドについては考えられていない》ということなのだろう。
……しかし、それが何なのだというのだ?掛居は、半ば脅すような口調で、賢治の治療に踏み切らせたが、《ヒューマノイドに人権はないというのなら、なおす義務はないのではないだろうか?》
そもそも、“ヒューマノイド・ライツ・ジャパン”ってどういう組織?
人権に拘っているようだ……「ライツ」=「権利」……ヒューマノイドの人権を守る人権団体ということらしい。
で、先ほどの人権宣言を引き合いに出したのは、《世界人権宣言ではヒューマノイドの人権は保障されていないので、代わりに我々“ヒューマノイド・ライツ・ジャパン”がヒューマノイドの人権を守ってあげましょう》ということなのだろう。
でも、そもそも、《いろいろあって?ヒューマノイドが人権を得て、人間とヒューマノイドが共生するようになった》のではなかったのだろうか?
ちなみに、【アニメサイトのINTRODUCTION】によると……
21世紀に始まったAIの圧倒的な進歩は、社会の発展に寄与する一方、高い知性を持つ機械を道具として使う是非を、
人類に突きつけた。
そして22世紀後半。人々は「産業AI」とは別格の存在として、人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしている………
―――それはともかく―――
最初は、「こころの輪」(←賢治が携わる青少年育成団体)を支援していた人権保護団体“ヒューマノイド・ライツ・ジャパン”の掛居が、賢治を本格治療しない現状に憤りを感じて、須堂に相談したのかと思ったが、かなり違った。
独りよがりの正義を押し付ける人物だった。たぶん、勝手に押しかけ、後藤家にあれこれ指図していたのだろう。
夜中に電話して、自分の主義を押し通そうとするなんて、迷惑行為も甚だしい。
手術後にも、カメラクルーを引き連れ医院に押し掛けるし。
ただ、
賢治の息子は、手術(処置)には消極的なのが気になる。
掛居は、《美談(孫の唄声が祖父の人間らしさを呼び起こす奇跡)で注目されたいのだ》と主張。
私は、賢治の事故は息子か家族の仕業で、手術を受けることで、その記憶が復活してしまうことを怖れているのかな?と。
まあ、《補修のため異物(回路)を挿入することに抵抗がある》とか、須堂も指摘したが《完全に元通りにするわけではないので、多少、人格に変化が生じることを怖れた》と考えるのが普通か。
結局、賢治の回復を望み、手術を受けいれた。
………結果、自分の様子を世間に晒したことに怒り、暴れる。
暴力的になったのは、手術のせい?…………と思ったが、
賢治の息子曰く「須堂の治療方針は正しく、手術も精巧だった」と。
事故前の賢治に戻っただけだという。世間的には人格者に見えた賢治だったが、家では暴君だった。
《機能は回復しないが、温厚な賢治》と《元の暴君》とどちらが幸せだったのだろうか?……という『世にも奇妙な物語』風オチであった。
賢治本人のことを考えると、“暴君”に戻すべきなのだろう。
それはともかく、賢治の息子夫婦は、手術を躊躇する理由を話した方が良かっただろう。まあ、須堂も《元の状態(近い状態)に戻す》という主義であろうが、須堂の悩むす様子も見たい気がする(いや、けっこう、いつも悩んでいるのかも)
患者2.城崎――
カスタマーセンターで働く城崎。
クレーマーの罵倒などに、胃の痛い日々。
「機械(AI)に謝ってもらっても、誠意を感じない。人間を出せ」など言われ、ストレスもリミットを超え、上司に辞職を願い出る。
……『人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしている』はずなのだが、《ヒューマノイドは機械だ》という差別意識を持っている人間も多いようだ。
それはともかく、「
クレームには、外部委託の謝罪屋が対応するようになった」と告げる。
謝罪屋は二人。部下役が、論理的にクレーム内容の検証をし、説明する。
「ケルビン(色温度)値などを測定し、壁の色は照明によって違って見えるので、問題はない。謝罪はしない」と。
納得しないクレーマー。押問答を続ける二人に、謝罪屋の上司役が切れて、部下役をぶん殴り、涙を流し、土下座して、“誠意”を見せる。
この猿芝居にクレーマーも毒気を抜かれてしまう。
この猿芝居をモニターで観ていた城崎が
「人間性の放棄だ~!」と叫ぶが、情に訴える人間性そのもののように思える。
ただ、
正当な商品を提供したのに、安易に謝ってしまって良いのだろうか?
ちゃんと説明し、今回の場合なら、照明の色温度を調節して、お客の要求に応えるとかした方が良いような気がする。
それに、謝罪屋も壁の色や材質と照明の色温度など、けっこう知識が必要で、その上、殴られるは、土下座するはで、けっこう大変。(人間か、ヒューマノイドか、産業ロボットか?不明)
謝罪屋への支払いは高額なのでは?
無茶苦茶怒っていたクレーマーだが、壁の色には本当に拘っていたように見えた。
最初は、怒って、ごねて、“誠意”(謝罪金)をせしめようとする輩だと思ったが、どうなのだろう?
電話クレームの対応としては、一旦、受け流して、その場はやり過ごし、クールダウンするのを待つのも一策かもしれないが、時間を引き延ばせば引き延ばすほど、怒りが蓄積する場合もあるので、そこら辺をプロの対応者は見極めるのではないだろうか?
今回(第7話)は、主体はヒューマノイドだったが、ケース1では、自分の主義を押し付けようとする人権保護団体・迷惑男の掛居、ケース2では、ヒューマノイドを差別し”機械”扱いするクレーマーの人間のエゴを描いていた。
それにしても、
“ヒューマノイド”の設定がよく分からない。
アニメサイトのINTRODUCTIONによると………
《高い知性を持つ機械を道具として使う》⇒《ヒューマノイドの人権を認める》という歴史なので、
“ヒューマノイド”は、《機械(道具)》⇒人権を持つ人間と同格の存在”に昇格したことになる(ヒューマノイドを機械と差別する人間も多いようだが)
だとすると、《家族や友達として人間と共生している》という状況は、無理があるように思える。
「第2話」は、タイムが縮まらないことに悩む陸上部員(ヒューマノイド)が主人公だった。
・ヒューマノイドの肉体は人工物でケガ(破損)しても取り換えが利く
・肉体は人間と同じくらいの性能で、伸びしろもある(「人間の方が伸びしろがある」と悩んでいた)
・老化もする
……つまり、人工知能であること以外は人間とほぼ同じ。
今話(第7話)の松崎をはじめ、これまで登場したヒューマノイドは、感情も何ら人間と変わりなく、繊細とさえ感じられる。
この
人間に限りなく近いヒューマノイドだが、人工物(体の部位は交換可能、人工頭脳)という設定が奇妙なのだ。
一番奇妙なのが、子どものヒューマノイドの存在。《子どもを失った母親が、その代わりを求める》という願いはあるかもしれないが、普通に子どもヒューマノイドがたくさん存在しているようだ。
大人のヒューマノイドなら必要性があるように思われるが、単に産業面の需要なら、産業ロボットで良い。
おまけに、家族として人間とヒューマノイドが混在しているが、生殖は可能なのだろうか?ヒューマノイドが人工物である以上、不可能のように思える。
なので、
《人間が病気や事故で、脳に障害が生じたり、損傷した場合に、それを補うために人工頭脳を取り換えるとか、装着した》という設定の方が、自然のような気がする。
原作を読めば納得できるかもしれないが……
参照:
「第1話・第2話」、
「第3話」、
「訂正1・第3話について」、
「第4話」、
「訂正2・タイトルについて」、
「第5話」、
「第6話」、
「第7話」、
「第8話」、
「第9話」、
「第10話」、
「第10話・追記」、
「第11話」、
「第12話(最終話)」