本来なら、『将棋世界10月号②』の記事のコメント欄に記するべきかもしれませんが、訂正事項の内容がかなり大きいので、新たな記事とさせていただきます。
実は、今更ながらでありますが、将棋連盟の対局規定を調べてみました。
対局規定の第2章第8条反則の4に
「対局者以外の第三者も反則を指摘することができる」
とあります。
この項によると、周囲が反則を指摘しても、あるいは周囲の声や雰囲気で対局者が察知しても問題はないと考えられます。
なので、10月11日の「審判がいなくて、「投了優先」なのだから、観戦者や仲間が反則を指摘することが出来ない(助言になってしまう)。故意でなくとも、「あっ」と声を立ててしまう可能性はかなりある……」は、まったくなんだったのかとなってしまいます。反省。
さて、ここで新たな疑問が。
指摘することは問題はないのですが、指摘するかどうかは、その人の考え方によって変わるのではないでしょうか。
「将棋にない手(反則)が指された以降は将棋として成立していない。反則が出た時点で負けとすべき」
「反則に気づくかは、あくまで対局者の責任」
その立場によっても、指摘するかどうかはちがってきます。団体戦で、反則したのがチームメイトか相手チームかで違ってきます。また、審判など運営者側だと指摘することが多いと思いますが、先の考え方の後者だったら、指摘しないのではないでしょうか。
いっそのこと「反則に気がついた第三者は、これを指摘しなければならない」とした方がすっきりすると思います。
実は、今更ながらでありますが、将棋連盟の対局規定を調べてみました。
対局規定の第2章第8条反則の4に
「対局者以外の第三者も反則を指摘することができる」
とあります。
この項によると、周囲が反則を指摘しても、あるいは周囲の声や雰囲気で対局者が察知しても問題はないと考えられます。
なので、10月11日の「審判がいなくて、「投了優先」なのだから、観戦者や仲間が反則を指摘することが出来ない(助言になってしまう)。故意でなくとも、「あっ」と声を立ててしまう可能性はかなりある……」は、まったくなんだったのかとなってしまいます。反省。
さて、ここで新たな疑問が。
指摘することは問題はないのですが、指摘するかどうかは、その人の考え方によって変わるのではないでしょうか。
「将棋にない手(反則)が指された以降は将棋として成立していない。反則が出た時点で負けとすべき」
「反則に気づくかは、あくまで対局者の責任」
その立場によっても、指摘するかどうかはちがってきます。団体戦で、反則したのがチームメイトか相手チームかで違ってきます。また、審判など運営者側だと指摘することが多いと思いますが、先の考え方の後者だったら、指摘しないのではないでしょうか。
いっそのこと「反則に気がついた第三者は、これを指摘しなければならない」とした方がすっきりすると思います。