今回も内容が濃かったなあ……
1.“長徳の変”の終末
伊周は往生際が悪かったなあ。逃げ回り、出家したと偽り抵抗。剃髪していないのがバレて駄々をこねる。母に引率されてようやく大宰府への左遷(流刑)に応じた。(結局、母は都に連れ戻される)
2.まひろと道長の対面
《今回の事件で一番得をしたのは道長》と藤原宣孝の指摘され、そのことを尋ねるまひろ。
静かにそれを認める道長。その態度に、道長が画策したのではないと悟るまひろに、「自分がしたようなものだ(自分の力のなさ、“いたらなさ”による)」と呟く。(←ドラマのお約束のような会話だ)
3.徐々に接近する宣孝の心
まひろに叱られることに喜びを感じている
……そして
4.『枕草子』誕生
【以下、ウィキペディアより引用】
「枕草子」という書名全体についていえば、この作品がこの書名で呼ばれるようになった当時において「枕草子」は一般名詞であった。
『枕草子』の執筆動機等については巻末の跋文によって推量するほかなく、それによれば執筆の動機および命名の由来は、内大臣伊周が妹中宮定子と一条天皇に当時まだ高価だった料紙を献上したとき、「帝の方は『史記』を書写されたが、こちらは何を書こうか」という定子の下問を受けた清少納言が、「枕にこそは侍らめ」と即答し、「ではおまえに与えよう」とそのまま紙を下賜されたと記されている。「枕草子」の名もそこから来るというのが通説であるが、肝心の枕とは何を意味するのかについては、古来より研究者の間で論争が続き、いまだに解決を見ない。
田中重太郎は日本古典全書『枕冊子』の解説で、枕の意味について8種類の説を紹介したが、そのうちの代表的な説を以下に述べる。
①備忘録説:備忘録として枕元にも置くべき草子という意味
②題詞説:歌枕・名辞を羅列した章段が多いため
③秘蔵本説:枕のごとく人に見すまじき秘蔵の草子
④寝具説:「しき(史記→敷布団)たへの枕」という詞を踏まえた洒落
ほかにも⑤漢詩文に出典を求めた池田亀鑑や、⑥「言の葉の枕」を書く草子であるとした折口信夫など異説が多い。また、⑦『栄花物語』に美しいかさね色を形容するのに普通名詞としての「枕草子」が用いられたことも指摘されている(石田穣二)。
【引用終】
今話、悲しみに沈む中宮を励まそうと思案するききょう(清少納言)。
ききょうが中宮から高価な紙を戴いた経緯(いきさつ)を語る。上記の中宮の問いに「枕言葉はどうでしょうか?」と答えた。帝が書き写した史記を“敷物”(布団?)と捉え、それに呼応し“枕”で返す。中宮は趣き深い返答に感心し、その紙をききょうに託したという。
何を書いたら良いか?……まひろは「史記」に対しは「四季(しき)」がよいのでは?と。
ききょうは精魂込めて「春はあけぼの…」から書き始め、その紙(文)を中宮の枕元にそっと置く。
中宮も、そのききょうの心を受け止め、その文を深く読みふける……
帝の愛は失ったけれど、この世は(自然は)斯くも美しい。これからはその自然を味わって頂けたら嬉しうございます……というメッセージなのだろう。
私は古文は苦手だった。《なぜ、現代では使うことがほとんどなさそうな古文を勉強しなくてはならないのだろう》という不満を持っていた輩であった。
ただし、この『枕草子』は好きだった。(『源氏物語』は良いとは思えなかった)
春はあけぼの……生命の始まりを感じさせる風情
夏は夜……有り余るほどの熱量(エネルギー)溢れる日中の余韻・火照りを感じながら、月や蛍などの穏やかな風情
秋は夕暮れ……夕日や夕焼け色が徐々に濃くなり、深い赤に沈み込んでいくのが美しさが私(英)は好きなのだが、清少納言は烏や雁ねぐらに帰っていく様子も趣深いと述べている
冬はつとめて……早朝のまだ誰も踏み入れていない雪の白が美しく。また、身が引き締まる寒さも素敵だ。現実問題として、雪が積もると出勤にひと手間ふた手間かかるし、道路状況も悪いので積もり過ぎるのは非常に嫌なのだが、程よく積もった雪景色は確かに良い。
など、かなり共感して読んだ思い出がある。
《5月26日には越前篇が始まる》というふれこみだったが、最後の最後に到着しただけ。
しかも、越前ではなく、まだ敦賀。
さらに、ひと悶着ありそうで、なかなか越前に来ないのでは……
【ストーリー】
定子(高畑充希)が髪をおろしたことは内裏に広まり、一条天皇(塩野瑛久)はショックを受ける。任地に赴くことを拒み逃亡する伊周(三浦翔平)を実資(秋山竜次)らが捜索し、やがて発見するが…。
定子を守ることができず落胆するききょう(ファーストサマーウイカ)を励ましたいまひろ(吉高由里子)は、中宮のために何かを書いてはどうかとアドバイスする。越前へ旅立つ日が近づき、まひろは道長(柄本佑)に文を送り…
脚本:大石静
1.“長徳の変”の終末
伊周は往生際が悪かったなあ。逃げ回り、出家したと偽り抵抗。剃髪していないのがバレて駄々をこねる。母に引率されてようやく大宰府への左遷(流刑)に応じた。(結局、母は都に連れ戻される)
2.まひろと道長の対面
《今回の事件で一番得をしたのは道長》と藤原宣孝の指摘され、そのことを尋ねるまひろ。
静かにそれを認める道長。その態度に、道長が画策したのではないと悟るまひろに、「自分がしたようなものだ(自分の力のなさ、“いたらなさ”による)」と呟く。(←ドラマのお約束のような会話だ)
3.徐々に接近する宣孝の心
まひろに叱られることに喜びを感じている
……そして
4.『枕草子』誕生
【以下、ウィキペディアより引用】
「枕草子」という書名全体についていえば、この作品がこの書名で呼ばれるようになった当時において「枕草子」は一般名詞であった。
『枕草子』の執筆動機等については巻末の跋文によって推量するほかなく、それによれば執筆の動機および命名の由来は、内大臣伊周が妹中宮定子と一条天皇に当時まだ高価だった料紙を献上したとき、「帝の方は『史記』を書写されたが、こちらは何を書こうか」という定子の下問を受けた清少納言が、「枕にこそは侍らめ」と即答し、「ではおまえに与えよう」とそのまま紙を下賜されたと記されている。「枕草子」の名もそこから来るというのが通説であるが、肝心の枕とは何を意味するのかについては、古来より研究者の間で論争が続き、いまだに解決を見ない。
田中重太郎は日本古典全書『枕冊子』の解説で、枕の意味について8種類の説を紹介したが、そのうちの代表的な説を以下に述べる。
①備忘録説:備忘録として枕元にも置くべき草子という意味
②題詞説:歌枕・名辞を羅列した章段が多いため
③秘蔵本説:枕のごとく人に見すまじき秘蔵の草子
④寝具説:「しき(史記→敷布団)たへの枕」という詞を踏まえた洒落
ほかにも⑤漢詩文に出典を求めた池田亀鑑や、⑥「言の葉の枕」を書く草子であるとした折口信夫など異説が多い。また、⑦『栄花物語』に美しいかさね色を形容するのに普通名詞としての「枕草子」が用いられたことも指摘されている(石田穣二)。
【引用終】
今話、悲しみに沈む中宮を励まそうと思案するききょう(清少納言)。
ききょうが中宮から高価な紙を戴いた経緯(いきさつ)を語る。上記の中宮の問いに「枕言葉はどうでしょうか?」と答えた。帝が書き写した史記を“敷物”(布団?)と捉え、それに呼応し“枕”で返す。中宮は趣き深い返答に感心し、その紙をききょうに託したという。
何を書いたら良いか?……まひろは「史記」に対しは「四季(しき)」がよいのでは?と。
ききょうは精魂込めて「春はあけぼの…」から書き始め、その紙(文)を中宮の枕元にそっと置く。
中宮も、そのききょうの心を受け止め、その文を深く読みふける……
帝の愛は失ったけれど、この世は(自然は)斯くも美しい。これからはその自然を味わって頂けたら嬉しうございます……というメッセージなのだろう。
私は古文は苦手だった。《なぜ、現代では使うことがほとんどなさそうな古文を勉強しなくてはならないのだろう》という不満を持っていた輩であった。
ただし、この『枕草子』は好きだった。(『源氏物語』は良いとは思えなかった)
春はあけぼの……生命の始まりを感じさせる風情
夏は夜……有り余るほどの熱量(エネルギー)溢れる日中の余韻・火照りを感じながら、月や蛍などの穏やかな風情
秋は夕暮れ……夕日や夕焼け色が徐々に濃くなり、深い赤に沈み込んでいくのが美しさが私(英)は好きなのだが、清少納言は烏や雁ねぐらに帰っていく様子も趣深いと述べている
冬はつとめて……早朝のまだ誰も踏み入れていない雪の白が美しく。また、身が引き締まる寒さも素敵だ。現実問題として、雪が積もると出勤にひと手間ふた手間かかるし、道路状況も悪いので積もり過ぎるのは非常に嫌なのだが、程よく積もった雪景色は確かに良い。
など、かなり共感して読んだ思い出がある。
《5月26日には越前篇が始まる》というふれこみだったが、最後の最後に到着しただけ。
しかも、越前ではなく、まだ敦賀。
さらに、ひと悶着ありそうで、なかなか越前に来ないのでは……
【ストーリー】
定子(高畑充希)が髪をおろしたことは内裏に広まり、一条天皇(塩野瑛久)はショックを受ける。任地に赴くことを拒み逃亡する伊周(三浦翔平)を実資(秋山竜次)らが捜索し、やがて発見するが…。
定子を守ることができず落胆するききょう(ファーストサマーウイカ)を励ましたいまひろ(吉高由里子)は、中宮のために何かを書いてはどうかとアドバイスする。越前へ旅立つ日が近づき、まひろは道長(柄本佑)に文を送り…
脚本:大石静