「その1」、「その2」、「その3」、「その4」、「その5」、「その6」 の続きです。
羽生棋聖の昨年度からの不調は、年齢的なものによる頭脳の衰え(読みの精度や速さや記憶力の低下)や体力の衰えと見て、ネット界隈では「羽生オワタ(終わった)」と言われる向きもある。確かに年齢的な衰えは羽生棋聖と言えども避けることができない。こういった衰えは個人差もあるが、十代後半をピークに緩やかに下降し、ある年齢を過ぎるとその降下のスピードが増してくる考えられる。
羽生棋聖の場合、もともと純粋棋力が高く降下も緩やかで、それが勝敗に直結することはなかった。しかし、この2年弱の不振、さらに王位、王座と続けて失冠するに至り、≪流石の羽生棋聖も棋力の衰えが顕著になってきたのでは?≫という危惧を否定しづらい状況だ。
けれども、私はその純粋棋力の降下が不振の主因とは考えていない。では、原因は何か?……
不振の原因は≪将棋感覚(大局観)のズレ、あるいは、自分の将棋感覚への自信の低下≫にあると私は考える。
羽生棋聖の将棋感覚を揺るがした一番の事象は、やはり昨年度の名人戦。
羽生ファンにとっては忘れられず、そして、思い出したくない第2局の詰み逃し。大激闘の末、ようやく勝ちが見えた処での転落はショックも大きく、佐藤天八段(当時)にとっては大きな自信となった一局。名人交代劇に繋がった。しかし、この第2局、あるいは、名人位失冠が原因かというとそうではなく、このシリーズ全体を通じての内容が大きな影響を与えたと考える。
佐藤天名人の将棋は丹念な読みで丁寧な指し回しが特長。優勢でも結果(勝ち)を急がず、劣勢の時は差を広げられないよう辛抱を重ねる。相手と密着するような柔軟な中にも切れ味鋭い攻めを睨んでおり、それを振りほどいて勝ち切るのはなかなか容易ではない。先述の名人戦第2局がまさにそれである。
羽生棋聖はこれまで様々な棋士と相対してきたが、その中でも異質な棋風と言える。異質な棋士と言えば、糸谷八段や山崎八段が頭に浮かぶが、糸谷八段は劣勢時には外連味たっぷりの意表手を指すが、思考過程は読みやすい。また山崎八段は別方向からの将棋の造りを見せるが、これは羽生棋聖の好みの指し方で視野の範囲内のような気がする。
このシリーズを簡単に振り返ると
第1局……横歩取り(先手・羽生)。若干、後手の指しやすそうな封じ手局面から羽生名人(当時)が難解な局面に引きずり込み、長く手将棋の形勢不明の局面が続いたが、羽生名人が抜け出し勝利。
第2局……矢倉戦、先手の佐藤八段(当時)は早囲いから矢倉矢倉に。佐藤八段の攻めを羽生名人が耐え続ける局面が延々と続き、羽生名人が凌ぎきり押し返し、ようやく勝ちになったかという局面で、詰みを逃し大逆転。
第3局……横歩取り。封じ手局面で後手・佐藤八段の2筋のと金作りを絡めた攻めへの対応が難しいという状況。佐藤八段の完勝。
第4局……横歩取り。封じ手局面では、先手の佐藤八段が指しやすそう。難解な指し手が続くものの、佐藤八段が確実に勝ち切った。
第5局……横歩取り。先手の羽生名人が▲7四歩と角道を通し、飛車角総交換の大決戦もありえる封じ手局面。実戦は角交換だけに留まり、第二次陣立て戦に。この後、羽生名人が中段に打った角があまり機能せず、その角を囮に斬り合う変化に持ち込んだが、佐藤八段の△2五桂の只捨ての名手もあり、佐藤八段が押し切り、新名人に。
第1局、第2局では佐藤八段の手強さ(読みの丹念さ、将棋の持久力)を感じ、第3局、第4局では序盤の研究の周到さ、中盤の将棋の構想力・展開力、優位を勝ち切る終盤力を感じた。第5局では羽生ファンとしてはあるまじき思考ではあるが、“勝てない感”を抱いていた。
5局中4局戦われた横歩取り戦は、研究もさることながら、大局観と読みの精密さが要求される(第2局は横歩取りではないが、あの大激闘の末の勝利は何より佐藤天彦の強さを物語るものである)。そういった横歩取り戦は羽生名人の強さがモノを言う戦型で、抜群の強さを発揮していたが……
羽生名人が勝利した第1局と第2局の矢倉戦も含めて、第1日や封じ手の段階で羽生名人が指しにくさを感じることが多かった。直前にも書いたが、佐藤八段の研究と大局観と読みの精密さによるものであるが、羽生名人側の感触から言うと、今まで羽生名人が「指せる」あるいは「互角」と考えていた変化が、実は、「指しにくい」「やや不利」だった。「そんな局面に誘導された」と言うのは考えすぎかもしれないが、指しにくい局面に陥り、≪これまでの自分の将棋観(感覚)が誤っていたのではないか?≫、≪新世代の新感覚に遅れてきたのではないか?≫という疑念が生じたのかもしれない。
とは言え、名人失冠後、棋聖戦3勝2敗(挑戦者・永瀬六段)、王位戦4勝3敗(挑戦者・木村八段)、王座戦3勝0敗(挑戦者・糸谷八段)、今年度に入っても棋聖戦3勝1敗(挑戦者・斎藤七段)と防衛を果たしていたのは流石と言えた。
しかし、昨年度は27勝22敗、勝率.551と最低勝率で6割を初めて、しかも大きく割ってしまった。これまでは1996年度の26勝17敗、勝率0.605が最低で、1990年度の31勝18敗.633、2003年度の33勝19敗.635、2005年度の40勝22敗.645、2009年度の30勝18敗.625、2015年度の30勝17敗.638が低調な年度と言えるが、2勝1敗を下回ったのが32年中7年のみ。それも6割を超えており、並の棋士なら「好調」と言われる勝率。しかも、羽生棋聖の場合、タイトル戦や対A級が殆どなので、数値以上に恐るべき成績なのである。
とは言え、2015年度からは低率が続いており、先述した序盤で作戦負け(指しにくい)になる頻度が増えたように思われる。それによって、羽生棋聖の将棋感覚に対する自信が揺らぎ、今まで以上に丹念に読みを入れることになり、終盤に余力が残らず、勝ち切れないことが増えた…………
体力の衰え、読みの精度の低下もあるとは思うが、この悪循環が最近の不振の主因だと考える。
(もう少し続きます)→続いていません(2021年5月25日記)
羽生棋聖の昨年度からの不調は、年齢的なものによる頭脳の衰え(読みの精度や速さや記憶力の低下)や体力の衰えと見て、ネット界隈では「羽生オワタ(終わった)」と言われる向きもある。確かに年齢的な衰えは羽生棋聖と言えども避けることができない。こういった衰えは個人差もあるが、十代後半をピークに緩やかに下降し、ある年齢を過ぎるとその降下のスピードが増してくる考えられる。
羽生棋聖の場合、もともと純粋棋力が高く降下も緩やかで、それが勝敗に直結することはなかった。しかし、この2年弱の不振、さらに王位、王座と続けて失冠するに至り、≪流石の羽生棋聖も棋力の衰えが顕著になってきたのでは?≫という危惧を否定しづらい状況だ。
けれども、私はその純粋棋力の降下が不振の主因とは考えていない。では、原因は何か?……
不振の原因は≪将棋感覚(大局観)のズレ、あるいは、自分の将棋感覚への自信の低下≫にあると私は考える。
羽生棋聖の将棋感覚を揺るがした一番の事象は、やはり昨年度の名人戦。
羽生ファンにとっては忘れられず、そして、思い出したくない第2局の詰み逃し。大激闘の末、ようやく勝ちが見えた処での転落はショックも大きく、佐藤天八段(当時)にとっては大きな自信となった一局。名人交代劇に繋がった。しかし、この第2局、あるいは、名人位失冠が原因かというとそうではなく、このシリーズ全体を通じての内容が大きな影響を与えたと考える。
佐藤天名人の将棋は丹念な読みで丁寧な指し回しが特長。優勢でも結果(勝ち)を急がず、劣勢の時は差を広げられないよう辛抱を重ねる。相手と密着するような柔軟な中にも切れ味鋭い攻めを睨んでおり、それを振りほどいて勝ち切るのはなかなか容易ではない。先述の名人戦第2局がまさにそれである。
羽生棋聖はこれまで様々な棋士と相対してきたが、その中でも異質な棋風と言える。異質な棋士と言えば、糸谷八段や山崎八段が頭に浮かぶが、糸谷八段は劣勢時には外連味たっぷりの意表手を指すが、思考過程は読みやすい。また山崎八段は別方向からの将棋の造りを見せるが、これは羽生棋聖の好みの指し方で視野の範囲内のような気がする。
このシリーズを簡単に振り返ると
第1局……横歩取り(先手・羽生)。若干、後手の指しやすそうな封じ手局面から羽生名人(当時)が難解な局面に引きずり込み、長く手将棋の形勢不明の局面が続いたが、羽生名人が抜け出し勝利。
第2局……矢倉戦、先手の佐藤八段(当時)は早囲いから矢倉矢倉に。佐藤八段の攻めを羽生名人が耐え続ける局面が延々と続き、羽生名人が凌ぎきり押し返し、ようやく勝ちになったかという局面で、詰みを逃し大逆転。
第3局……横歩取り。封じ手局面で後手・佐藤八段の2筋のと金作りを絡めた攻めへの対応が難しいという状況。佐藤八段の完勝。
第4局……横歩取り。封じ手局面では、先手の佐藤八段が指しやすそう。難解な指し手が続くものの、佐藤八段が確実に勝ち切った。
第5局……横歩取り。先手の羽生名人が▲7四歩と角道を通し、飛車角総交換の大決戦もありえる封じ手局面。実戦は角交換だけに留まり、第二次陣立て戦に。この後、羽生名人が中段に打った角があまり機能せず、その角を囮に斬り合う変化に持ち込んだが、佐藤八段の△2五桂の只捨ての名手もあり、佐藤八段が押し切り、新名人に。
第1局、第2局では佐藤八段の手強さ(読みの丹念さ、将棋の持久力)を感じ、第3局、第4局では序盤の研究の周到さ、中盤の将棋の構想力・展開力、優位を勝ち切る終盤力を感じた。第5局では羽生ファンとしてはあるまじき思考ではあるが、“勝てない感”を抱いていた。
5局中4局戦われた横歩取り戦は、研究もさることながら、大局観と読みの精密さが要求される(第2局は横歩取りではないが、あの大激闘の末の勝利は何より佐藤天彦の強さを物語るものである)。そういった横歩取り戦は羽生名人の強さがモノを言う戦型で、抜群の強さを発揮していたが……
羽生名人が勝利した第1局と第2局の矢倉戦も含めて、第1日や封じ手の段階で羽生名人が指しにくさを感じることが多かった。直前にも書いたが、佐藤八段の研究と大局観と読みの精密さによるものであるが、羽生名人側の感触から言うと、今まで羽生名人が「指せる」あるいは「互角」と考えていた変化が、実は、「指しにくい」「やや不利」だった。「そんな局面に誘導された」と言うのは考えすぎかもしれないが、指しにくい局面に陥り、≪これまでの自分の将棋観(感覚)が誤っていたのではないか?≫、≪新世代の新感覚に遅れてきたのではないか?≫という疑念が生じたのかもしれない。
とは言え、名人失冠後、棋聖戦3勝2敗(挑戦者・永瀬六段)、王位戦4勝3敗(挑戦者・木村八段)、王座戦3勝0敗(挑戦者・糸谷八段)、今年度に入っても棋聖戦3勝1敗(挑戦者・斎藤七段)と防衛を果たしていたのは流石と言えた。
しかし、昨年度は27勝22敗、勝率.551と最低勝率で6割を初めて、しかも大きく割ってしまった。これまでは1996年度の26勝17敗、勝率0.605が最低で、1990年度の31勝18敗.633、2003年度の33勝19敗.635、2005年度の40勝22敗.645、2009年度の30勝18敗.625、2015年度の30勝17敗.638が低調な年度と言えるが、2勝1敗を下回ったのが32年中7年のみ。それも6割を超えており、並の棋士なら「好調」と言われる勝率。しかも、羽生棋聖の場合、タイトル戦や対A級が殆どなので、数値以上に恐るべき成績なのである。
とは言え、2015年度からは低率が続いており、先述した序盤で作戦負け(指しにくい)になる頻度が増えたように思われる。それによって、羽生棋聖の将棋感覚に対する自信が揺らぎ、今まで以上に丹念に読みを入れることになり、終盤に余力が残らず、勝ち切れないことが増えた…………
体力の衰え、読みの精度の低下もあるとは思うが、この悪循環が最近の不振の主因だと考える。
(もう少し続きます)→続いていません(2021年5月25日記)