また、観てしまいました、『マイケル・サンデル 究極の選択』を
2月19日の記事では
「お金で買えるもの買えないもの」でしたが、今回は「許せる格差 許せない格差」でした。
まず、番組サイトの案内文を
マイケル・サンデル 究極の選択
「許せる格差 許せない格差」 3月19日(月)午後10時~11時13分
あなたは企業の社長である。業績好調で100万ドルの余剰金が生まれたとき、あなたは100人の社員にボーナスをどう分配するだろうか。重役たちか。最も功績のあった社員なのか。それとも社員全体に平等に配分するのか。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授があなたに究極の選択を突きつける。
今回のテーマは経済格差。今世界中で経済格差への怒りが噴き上がっている。先進国では景気の悪化で、若者の雇用が真っ先に切り捨てられ、医療や教育など社会保障が削減され続けている。一方で、一握りの成功者による富の独占が進んでいる。「格差」は、経済活動のためにはどうしても避けられない必要悪なのだろうか。それとも絶対に許されないものなのか。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が、日米中の若き知性とインターネット中継で結びながら、多彩なゲストを交え、格差をめぐる難問・究極の選択を突きつける。
出演 ハーバード大学 マイケル・サンデル教授
ゲスト 竹中平蔵 猪瀬直樹 古田敦也 眞鍋かをり ピース又吉
「許せる格差 許せない格差」というと、硬くて難しそうですが、とっつきやすい事例を上げて導入します。
AKB48総選挙などの「競争原理」、一方で小学校では順位をつけない徒競走に代表される「平等思想」……「格差」を肯定(必要)か格差をなくす「平等」なのか?という番組冒頭の問題提起。
野球はチームスポーツであり、メンバー全員がチームの勝利に貢献しているのだから、選手の年俸は一律にすべきだ
【一律支持意見】
能力の低い選手がいるからスター選手が引き立つ。いろいろな個性の選手がいるからおもしろい
【実力・収入比例支持意見】
結果を出した人が報われる世界でなければいけない。そうしないと全体が弱くなる。
竹中平蔵(元経済財政政策担当大臣・慶應義塾大学教授)
「私がいなくなったらどうなるか?居る時に比べて、居なくなった時の差額が、自分(選手)の価値であり、それに応じた報酬を求めるべき」
猪瀬直樹(作家・東京副都知事)
「優勝するためにはインセンティブ(意欲)が必要で、年俸でそれを引き出すのが有効である」
古田敦也
「最低年俸が保障されていて(1軍だと1500万円)、その上に能力給があり、そこに差が生じるのは仕方がないこと」
とサンデル教授は古田氏に一応の結論(現状)を示させ、サンデル教授自身も
「市場原理に従って払い、最低賃金の保障はする」とまとめるが、ここまでに留め、次の問題を提起する。
ある社(従業員100人)ヒット商品による特別ボーナス(100万ドル)の分配方法
役員「新製品開発の決断をし、リスクを引き受けたのは役員なのだから、役員10人に50万ドル、残りの50万ドルを残りで均等割りでよい」
開発チーム「開発チームの成果なのだから、開発チームが半分の50万ドルを受け取るのが当然」
一般社員「直接の成果を上げたのは開発チームだが、これは会社全体の利益なので、全社員に平等に分配すべき。役員も開発チームも給料は高いのだから」
猪瀬氏「開発チームに功績があるのだから、報いるのは当然。会社全体に均等割りするのは、会社が伸びない怖れもある」
竹中氏「研究者がどれだけ成果を出しても報われないのなら、他社に流れてしまう」
これにサンデル教授が突っ込みを入れる
「優秀な社員や有能な野球選手により多くの報酬を与えるのは、一見、道徳的に正しい主張に見えて、実は彼らを引きとめておくための賄賂と考えられないのか?」
竹中氏「それがどうして賄賂になるのか?例えば、古田さんがいなくなれば、球団の収益が減るのだから、それを補うためにお金を出すのは当然。その労働が生み出す価値が、市場で評価されているということだ」
サンデル教授のこの時点のまとめ
「モチベーションのための報酬という考え方に加えて、人一倍貢献している人は人一倍もらう資格がある(倫理的観点)という考え方がある」
学生B「ボーナスや利益を平等に配ってしまったら、みんなが他の人の努力に便乗するようになってしまう」(学生Aは省略)
学生C「一番貢献した人(開発チーム)に報いるべきだ」
学生D「役員が半分得るべき。開発チームは昨年まで赤字を出し続け、今年やっと成功したのかもしれない。将来を考え投資し続けた役員の決断がなければ、今回の成功はなかった」
サンデル教授「報酬の分配する方向は違うが、どちらもモチベーションや成果主義であると」
学生E「均等に平等に分配すべき。差のある給料でモチベーションは保たれているはず。ボーナスはご褒美のような追加的ものであるべきだ」
眞鍋「(学生Eの意見に乗っかり)平等に分けることによって会社の雰囲気が良くなる」
学生F「ボーナスとは報酬であり、貢献に対する金銭的な見返りという意味がある。今回の場合、全員が同じように貢献したのではなく、役員と開発チームのどちらが貢献したのかの判断は難しいが、貢献度によって分配されるべき」
ここでサンデル教授が現状を説明
「日本の場合、上位1%の富裕層が日本全体の富の20%を所有しているて、アメリカの場合は40%である。この事実は、実際には貧富の差が生じていて、そしてアメリカより日本の方が平等な社会ではないのか?」
学生G「立場によって考え方が変わる。富裕層はより多く貢献したのだからより多くの報酬を貰うのは当然。下のポジションだったら、文句を言うのは当然」
この意見を引き出し、さらに(学生の意見は省略するが)
「社会における所得の格差は不公平なものかどうかを議論してきたが、公平な正しい税制とはどういうものか、富裕層に税金を掛けて、貧しい人との格差を減らすことについて考えてみよう」
と、議論を展開させる。
増税のやり方、
①所得税を増税(累進課税をさらに進め、所得の多い人がもっと多くの税金を払う)
②消費税を増税(国民が平等に負担を分かち合う)
【②の消費税増税を支持する理由】
・①の所得税増税は働くモノのやる気をそいでしまう
<学生の意見>
・政府の再分配が信用できないので利益を強引に徴収される所得税には抵抗を感じる。その点、消費税なら何を買うか選択できるので納得がいく(←まあ、これは所得がある人の考えである)
【①所得税増税の支持する理由】
・そもそも税金の役割は、たくさんお金を持っている人から貧しい人に再分配することのはずなのに、②の消費税で一律に取るのはおかしい
・もっと働いて、もっと稼げばいいじゃないか!
・40%を50%に上げる程度なら仕方がない
<学生の意見>
・消費税は収入の少ない人の方が負担が大きい
・個人の所得は、社会の仕組み(通貨など)を利用して得られている。社会の仕組みをより多く利用しているものが相応の税を払うのは当然。
・富を再分配するのは当然
さて、この議論の中で、「所得税の累進課税を強くすると、働くモチベーションが薄れ、国際競争で遅れを取る心配が出てくる。そもそも、富は努力をしたから得られたわけで、多く税金を払う必要はない」という意見が出てきた。
その反論として、「今の富裕層にいる多くの者は、親が裕福でその資産や地位を受け継いだだけに過ぎず、努力の結果ではない」
さらに、その反論として、「いや、努力によって今の地位を得られたものはたくさんいるはず」(カメラは古田氏を捉える)
そしてさらに、
『得られた成果(富)の要因の一番は運が良かった』ということだと主張する学生が現れた。
普通の人は、「え?そんなことはないだろう。確かに運、不運はあると思うが、何よりも本人の努力が一番のはず」と考えるだろう。
他の学生も、彼女に「あなたは今、この大学に在籍しているが、それはあなたの努力の結果ではないのか?」とするどく突っ込む。
「いえ、私は本が好きだったという幸運に恵まれ、たまたま、本を読む環境にいたからだ」
と、切り返す。まあ、かなりこじつけの理屈に思えるが、彼女は続ける。
「例えば、ジャングルの奥地で、非情に頭の良くて勉強をすれば画期的な発明や研究の成果を上げる資質があっても、その人はそれを発揮する機会がない。これこそ運ではないのか」
古田氏も謙虚で努力家で思慮深い選手であり、私も好きなスポーツ人である。しかし、その彼も、心の中では、自分の今の地位は運もあったが人一倍努力したその結果が反映されているという自負を持っているはず。
私も常々思っているが、他のスポーツに比べて野球選手は恵まれ過ぎている。もちろん、それだけ、トップを目指す数も多いので、より多くの努力は必要なのも理解できる。ただ、古田氏が野球を好きになったことは、かなりの幸運だったのではないかと。
その点を、サンデル教授は鋭くえぐる。
「私が戦国時代や、狩猟時代に生きていたなら、全く役に立たない。古田さん、あなたは優れた武士になる自信はありますか?」
古田氏は納得した顔で苦笑い。無理に反論せず、素直に人の意見に耳を傾けるクレバーな人だと思った。 ここで、面白かったのは、ハーバード大学の学生が、「サンデル教授なら、若者を騙して扇動する立派な悪党?になれます」と揶揄する。爆笑。
それはともかく、この理論、最初の問題提起の野球選手の年俸についての答えの一つになっている。もちろん、これが正解とは言い切れないが、野球の組織や野球好きの国民性の上に乗っかってプロ選手として成り立っており、それを利用したのだから利益を還元しなければならないという理論を当てはめても良いのではないか?と言えないだろうか。
ここから先は、疲れてきたので端折ります。(この記事の動機は、人生の成功は運が大きいという理論や野球選手の年俸の話です)
アウトソーシングでの賃金格差は許せるか
この問題は、異なる2点の問題を抱えていて議論しにくかった。
ひとつは、安い賃金で他国民を働かすことがいいのかという問題(物価が安いので低賃金でも構わない。同じ労働なのに国が違うだけで賃金が違うのはおかしい。「安くこき使う」という差別思想があるのではないか)。
もうひとつは、会社自体がアウトソーシングを行うと、社員の首を切らなければならなくなるという雇用の問題。競争に敗れて会社そのものがなくなってしまっては元も子もない。
そこで教授は、もっと分かりやすく、他国民を自国に呼んで、同じ労働を低賃金で働かせる方法の是非を問う。
結局、この状況にしても、先の2点の問題は存在しており、議論はやや混乱してしまう。
「同じ労働なのになぜ賃金に格差はあるのか?」という人道主義的視点と、低い賃金を選択するのは会社としては当然であるという自由主義の視点。
教授が竹中氏に突っ込む
「自由主義を支持する経済学者なら、選択の自由や市場主義を支持するのなら、低賃金でもかまわないという労働者を雇う自由になぜ反対なのか?」
竹中氏「外国で10ドルで売られているオレンジを国内で10ドルで売るのはかまわないが、労働力は他のものとは違い生身の人間が関係している。社会の仕組みとして、それぞれの国家でルールがあり、本来は同じルールであるべきだが実際は難しい。そのルールの中では、「同一労働、同一条件」であるべきだ」
そこで、さらに教授は竹中氏に突っ込む。
「では、
派遣労働者も外国人労働者と同じ理屈ではないのか?」
竹中氏「正社員は転勤や残業の制約があり、自由な業態を選ぶ権利がある。私が言ったのは「同一労働 同一賃金」ではなく、「同一労働、同一条件」でなければならないと言ったのだ」
うまい切り返しだが、詭弁に聞こえないこともない。猪瀬氏も竹中氏の言っていることは正しいが、現状としては同一労働でも賃金に差があることは認めなければならない。派遣労働者にチャンスがないという現状も大きいと指摘している。
いや、疲れますね。
学生が鋭いなあと思いました。特に、ハーバード大学生は柔軟で視野が広い。上海の復旦大学も現状を冷静に把握している。東京大学は画一的あるいは人道的なものが多く、「これは」という意見はほとんどなかった。頑張って欲しい。
サンデル教授は、問題にぶつかった時、いろいろな立場のいろいろな視点で物事を考えることが必要だと締めていた。