英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

映画『キングダム2 遥かなる大地へ』を観る

2024-07-06 21:02:23 | ドラマ・映画
『キングダム』はアニメで知った。
画風が少し濃かった?ので、NHKで放送されていたのは知っていたが、観る気にはなれず、録っておいたスポーツ中継とかドラマの再生ボタンを押してしまっていた。
それでも、ブログ記事を書いている時に放送されていたのをチラチラ見ているうちに、けっこうおもしろいなあと。
本格的に観たのは、成嬌が瑠衣を必死に助けに行こうとしている辺りから。なので、"ニワカ(俄か)”から脱皮したくらいで、戦国模様の状況も人物関係もよく把握していない。未だに、《こいつ敵?味方?》と悩む程度。

 で、映画『キングダム2 遥かなる大地へ』を金曜ロードショーでやるらしいというので、取りあえず録画して、昨夜、遅く観た。
 面白かったと思うが、実写は少し無理があると感じることが幾つかあった。映像的には素晴らしいと思うが、実写故に、"現実離れ感”を感じてしまうことがしばしば。
 世間の評価が気になったのでネットで調べてみると、好評、酷評様々。…まあ、そんな気がする。


 詳しいことを述べても、私自身よく分かっていないので、思うがままに書かせていただく。

羌瘣(清野菜名)……アニメでは羌瘣が好きなのだが、実写だとあの"いで立ち”は浮くなあ(かなり変!走り方も)。目立ちすぎて狙い撃ちされそうだし……
 信と二人で敵の攻撃を食い止めるシーン、信さえも羌瘣の武闘に見とれるほどの戦いぶりだったが、「息が…」と言って苦しみだす……無呼吸で一気に戦闘したので、酸欠になったのだろうが、どういう状態だったのかの描写(表現)が欲しかった。それと……アニメの羌瘣とは少し違うなあ……
・敵将軍の呉慶(小澤征悦)……隈取?が強かったので誰だか分からなかった。あれだけ有利な状況だったのに、結果的には大敗。名将と謳われていたが……
王騎(大沢たかお)……信が師と仰ぐほどの名将だが、"変なおじさん”にしか見えなかった
縛虎申(渋川清彦)……登場時には横暴で猪突猛進な愚将だと思ったが、けっこう格好良かった
麃公(豊川悦司)……凡将に見えたが、おいしいところをさらって行った。仮面をかぶって戦場を猛進していたが、誰?っと思った
(満島真之介)……ほとんど活躍しなかった

 古代や中世や戦国時代では騎馬シーンが多いし、格好いいが、「将を射んとする者はまず馬を射よ」というように、馬が狙われることが多い。
 本作でも転倒シーンが続出。特に、戦車(2頭立ての騎馬隊)が防御壁として重ねられた死体に躓いて大クラッシュした時など、馬は只では済まなそうな転び方だった。見たくないなあ……


 来週も『キングダム3』を放送するみたい。一応来週も観るつもり。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光る君へ 第21話「旅立ち」の訂正と第23話「雪の舞うころ」への突っ込みと感謝

2024-06-18 09:33:11 | ドラマ・映画
第21話「旅立ち」についての記事
  《5月26日には越前篇が始まる》というふれこみだったが、最後の最後に到着しただけ。
 しかも、越前ではなく、まだ敦賀。

と書いてしまいましたが、《この時代、敦賀は越前に含まれていた》ようです。
昨夜、友人と会食した際、やんわりと指摘されました。………《昔の区分地図で敦賀がえちぜんにふくまれていたのを見た》記憶が蘇りました。


 その腹いせに(笑)、第23話「雪の舞うころ」で、まひろと周明(松下洸平)が砂浜を散歩していましたが、武生の国府があったと推定される地点から越前海岸までは20㎞強ありますし、その越前海岸はリアス式の岩浜(部分的に砂浜もありますが)、ドラマの光景は敦賀の気比の松原あたりで、40㎞程離れています。散歩は無理があります。
 そもそも、武生ではロケはなかったようです。(次話(25話)は和紙関連で、越前市の今立地区が出てくる可能性はありますが)

 でも、吉高由里子さんや岸谷五朗さんは何度も越前に訪れ、取材に応じたりやPRをされていたようです。(乙丸役の矢部太郎さんも)
 佐々木蔵之介さんも、「(越前)雲丹がおいしい、おいしい」という台詞を言ってくださいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再考……【“伊周が詮子を呪詛した”(←濡れ衣)とリークしたのは誰か?】

2024-06-10 18:40:02 | ドラマ・映画
第20話「望みの先に」
《詮子が呪詛をかけられた》一件について
 《呪詛は詮子の狂言》で、“伊周が詮子を呪詛した”(←濡れ衣)とリークしたは倫子
と結論めいたことを書いた。(詮子の意図を忖度)
 ①詮子が発した言葉「倫子はいささか口が軽いのぉ」(“伊周が詮子を呪詛した”リークせよ)を倫子が忖度した
 ②倫子は道長の政敵を排除しておこうと思った
のが、倫子リーク説の根拠だが、詮子がリークしたのではないかという気がしている。

 第21話「旅立ち」で、倫子が詮子に対して「詮子と義父は仮病が上手」とチクリ(グサリ?)と皮肉を言っていたが、これが悩ましい。
 この件については、私は最初、視聴者サービス(呪詛は狂言だったと明示)だったと解釈した。
 この皮肉の時、道長は目をむいて驚いていたが、この表情の解釈は……
①《怖い姉・詮子に対して、そこまでの皮肉を言うのか?》
②《詮子は呪詛を受けて苦しんでいたと思っていたが、仮病だったのか?》
(もちろん①)

 それはともかく(道長の表情はともかく)
 皮肉の趣意は、詮子の我儘に道長や女御たち皆が巻き込まれてしまったことに対する仕返しだと感じたが、
 さらに、内々に収めようとした道長の意に反してリークした詮子への報復のように考えられる
 実資らを動かす力や伝手は倫子にはなさそうだし。

 ただ、“詮子リーク”が真相だとすると、「私に任せて」と道長に言った倫子の言葉が宙ぶらりんになってしまう。
 これが、呪詛の件を倫子がリークしたのだったら、《道長にはこういうゴタゴタで煩わってもらいたくない。ただし、伊周は邪魔者であるので、排除しておこう》という意図だと考えられる。
 しかし、詮子がリークしたのだったら、「私に任せて」という言葉が宙ぶらりんである。う~む……
 
 単純に、倫子の皮肉は「倫子はいささか口が軽いのぉ」という嫌味の仕返しなのかもしれない……
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特捜9 season7 最終話 ……“感動”などと言われても(笑)

2024-06-07 23:45:13 | ドラマ・映画
最終回で“異動”が決定!感動のラストに涙―――テレ朝POST
最終回で感動のラスト―――goo ニュース
最終回で衝撃ラスト ―――Yahoo!ニュース

  ……などと謳われていたが、《え?視聴者はこれで納得するの?》《俳優さんも、納得して演技していたの?》

 連続事件やフェイク動画で振り回され通しの特捜係。
 手口やパスワードを解読し、国木田班長狙撃を阻止したものの、真犯人へは全く迫れていない。
 現場付近に真犯人がいるかもしれないし、手掛かりが残されているかもしれないのに、国木田班長のテーマ曲演奏鑑賞や、新藤の転属、お別れ会でしみじみ……いったい何なんだ!というラストだった。


ラストシーン以外にもいろいろと不満や疑問が……
①警視庁(警察)主催の演奏会で、狙撃が行われることが予見されているのなら、実施は有り得ない。
 新藤を客席に忍ばせて阻止しようとしたが、実際に発砲に至っており、危険この上ない状況だった。
 そもそも拳銃使用が分かっているのなら、せめて、入り口で金属探知ぐらいしようよ!

②フェイク動画でダミー犯人に仕立てられた二人が、犯行時刻近くに会場をうろつくのはなぜ?

③先週の連続事件のフェイク動画に気を取られたが、実際に実行犯(今回の真犯人)がいるのだから、現場に何らかの痕跡を残しているはずだが、何もしない捜査班

④浅輪が国木田を撃つフェイク動画を配信されても、別の人物が打つところの目撃者は大勢いるし、その場で取り押さえられる公算が大。浅輪を犯人に仕立てるのは無理。尤も、フェイク動画配信で浅輪は相当迷惑を被るが。

⑤フェイスマスクをかぶる意味はあるのか?

 

【ストーリー】(番組サイトより)
 宝石店強盗、拳銃密売、連続ペット窃盗という3つの事件がすべてフェイク動画による冤罪であることに気づいた浅輪直樹(井ノ原快彦)ら特捜班は、真犯人が新たに作成したと思しき犯行予告動画を調べていた。しかし、「150歳の老人の誕生祝いに、男は祝砲の弾を込め、女は皿に鳥の頭を盛って、新しい指揮者が古い指揮者を殺す」――という不気味なメッセージの謎が解けないばかりか、動画の最後に出現した真犯人らしき男についても手がかりは皆無で、犯行予告の日まであと3日しかないにもかかわらず、捜査は暗礁に乗り上げていた。
 そんなとき、犯行予告日に警視庁150周年記念式典が開催されることが判明。真犯人の狙いは、このイベントなのか…!? 奇しくも150周年記念式典は、警視庁音楽隊に異動した特捜班前班長・国木田誠二(中村梅雀)の初舞台でもあった。
 すぐさま式典の予定会場に向かった特捜班は、犯行予告動画に映っていた男・出口一郎(柏原収史)を発見して確保する。ところが、その背後で突然、爆発が…!? さらに、捜査支援分析センター(SSBC)副所長・村瀬健吾(津田寛治)と分析官・三ツ矢翔平(向井康二)が、ネット上にまた新たな犯行予告動画を発見! その動画に出現したのは、またしても見知らぬ女の顔だった…。

 他人の“顔”を利用してディープフェイク動画を作り、その顔を次々と脱ぎ捨てて犯罪を重ねていく真犯人は、いったい何者なのか…!? そして、なんと直樹の“顔”まで盗まれる衝撃の事態が発生!? 大勢の観客が集まる式典で大パニックが巻き起こる事態に!その式典で、何を思ったか、新藤亮(山田裕貴)がバディを組む直樹とは別行動を取りはじめて…。
 犯人の顔も目的もつかめない、すべてが謎に包まれた犯罪に、特捜班はどう立ち向かうのか…!? 最後まで結末が読めない衝撃の展開が待ち受ける、シーズン最終回!

脚本:徳永富彦
監督:細川光信
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光る君へ 第21話「旅立ち」

2024-05-30 15:03:32 | ドラマ・映画
今回も内容が濃かったなあ……

1.“長徳の変”の終末
 伊周は往生際が悪かったなあ。逃げ回り、出家したと偽り抵抗。剃髪していないのがバレて駄々をこねる。母に引率されてようやく大宰府への左遷(流刑)に応じた。(結局、母は都に連れ戻される)
2.まひろと道長の対面
 《今回の事件で一番得をしたのは道長》と藤原宣孝の指摘され、そのことを尋ねるまひろ。
 静かにそれを認める道長。その態度に、道長が画策したのではないと悟るまひろに、「自分がしたようなものだ(自分の力のなさ、“いたらなさ”による)」と呟く。(←ドラマのお約束のような会話だ)
3.徐々に接近する宣孝の心
 まひろに叱られることに喜びを感じている

……そして
『枕草子』誕生
【以下、ウィキペディアより引用】
 「枕草子」という書名全体についていえば、この作品がこの書名で呼ばれるようになった当時において「枕草子」は一般名詞であった。
 『枕草子』の執筆動機等については巻末の跋文によって推量するほかなく、それによれば執筆の動機および命名の由来は、内大臣伊周が妹中宮定子と一条天皇に当時まだ高価だった料紙を献上したとき、「帝の方は『史記』を書写されたが、こちらは何を書こうか」という定子の下問を受けた清少納言が、「枕にこそは侍らめ」と即答し、「ではおまえに与えよう」とそのまま紙を下賜されたと記されている。「枕草子」の名もそこから来るというのが通説であるが、肝心の枕とは何を意味するのかについては、古来より研究者の間で論争が続き、いまだに解決を見ない。
 田中重太郎は日本古典全書『枕冊子』の解説で、枕の意味について8種類の説を紹介したが、そのうちの代表的な説を以下に述べる。
①備忘録説:備忘録として枕元にも置くべき草子という意味
②題詞説:歌枕・名辞を羅列した章段が多いため
③秘蔵本説:枕のごとく人に見すまじき秘蔵の草子
④寝具説:「しき(史記→敷布団)たへの枕」という詞を踏まえた洒落

ほかにも⑤漢詩文に出典を求めた池田亀鑑や、⑥「言の葉の枕」を書く草子であるとした折口信夫など異説が多い。また、⑦『栄花物語』に美しいかさね色を形容するのに普通名詞としての「枕草子」が用いられたことも指摘されている(石田穣二

【引用終】

 今話、悲しみに沈む中宮を励まそうと思案するききょう(清少納言)。
 ききょうが中宮から高価な紙を戴いた経緯(いきさつ)を語る。上記の中宮の問いに「枕言葉はどうでしょうか?」と答えた。帝が書き写した史記を“敷物”(布団?)と捉え、それに呼応し“枕”で返す。中宮は趣き深い返答に感心し、その紙をききょうに託したという。
 何を書いたら良いか?……まひろは「史記」に対しは「四季(しき)」がよいのでは?と。

 ききょうは精魂込めて「春はあけぼの…」から書き始め、その紙(文)を中宮の枕元にそっと置く。
 中宮も、そのききょうの心を受け止め、その文を深く読みふける……


 帝の愛は失ったけれど、この世は(自然は)斯くも美しい。これからはその自然を味わって頂けたら嬉しうございます……というメッセージなのだろう。


 私は古文は苦手だった。《なぜ、現代では使うことがほとんどなさそうな古文を勉強しなくてはならないのだろう》という不満を持っていた輩であった。
 ただし、この『枕草子』は好きだった。(『源氏物語』は良いとは思えなかった)

 春はあけぼの……生命の始まりを感じさせる風情
 夏は夜……有り余るほどの熱量(エネルギー)溢れる日中の余韻・火照りを感じながら、月や蛍などの穏やかな風情
 秋は夕暮れ……夕日や夕焼け色が徐々に濃くなり、深い赤に沈み込んでいくのが美しさが私(英)は好きなのだが、清少納言は烏や雁ねぐらに帰っていく様子も趣深いと述べている
 冬はつとめて……早朝のまだ誰も踏み入れていない雪の白が美しく。また、身が引き締まる寒さも素敵だ。現実問題として、雪が積もると出勤にひと手間ふた手間かかるし、道路状況も悪いので積もり過ぎるのは非常に嫌なのだが、程よく積もった雪景色は確かに良い。

 など、かなり共感して読んだ思い出がある。



 《5月26日には越前篇が始まる》というふれこみだったが、最後の最後に到着しただけ。
 しかも、越前ではなく、まだ敦賀。
 さらに、ひと悶着ありそうで、なかなか越前に来ないのでは……

 
【ストーリー】
 定子(高畑充希)が髪をおろしたことは内裏に広まり、一条天皇(塩野瑛久)はショックを受ける。任地に赴くことを拒み逃亡する伊周(三浦翔平)を実資(秋山竜次)らが捜索し、やがて発見するが…。
 定子を守ることができず落胆するききょう(ファーストサマーウイカ)を励ましたいまひろ(吉高由里子)は、中宮のために何かを書いてはどうかとアドバイスする。越前へ旅立つ日が近づき、まひろは道長(柄本佑)に文を送り…

脚本:大石静
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光る君へ 第20話「望みの先に」

2024-05-22 14:27:39 | ドラマ・映画
 恋愛大河ドラマ……それはそれで面白い

母を斬殺された悲しみ、社会の理不尽さの中でも前向きに生きるヒロイン・まひろ
・母が目の前で虫けらのように殺され、その犯人の権力者・藤原兼家の次男・道兼は何の咎めも受けない
・まひろは利発であったが、女性ということで社会的に身を成すことができない
・散楽などを通じて道長と知り合うが、母を殺した男の弟という因縁や身分の違い
・父・藤原為時は真面目で博学だが、世渡り下手で無官が長い

【ここまでのざっくりとした感想】
・直秀(散楽一座の座員、義賊)で主要人物になるかと思ったが、役人に殺害され、あっさり退場。まひろと道長の仲を取り持っただけだった。まひろに散楽などの脚本に興味を持たせる役割もあったが。
・「藤原」姓が多すぎて、人物の判別把握が困難
・段田安則が上司だったら嫌だなあ

で、20話はミステリー色が強かった
花山法皇と知らずに矢を射った藤原伊周・隆家の処分が緩いことに不満を感じた詮子(吉田羊)の策略
①詮子が「断罪せよ」と道長に訴えるが、温情も必要だとやんわり拒否する道長。思案する詮子。
②詮子が病に臥せっているのを倫子(黒木華)から聞いた道長が見舞う。その際、「できた妻だが、倫子はいささか口が軽いのぉ」と漏らす詮子
③詮子の周囲に“悪しき気を感じると、倫子が屋敷の探索を命じ、呪詛を発見する
④呪詛の件を知った道長は、姉の狂言だと悟り、この件については内密にするよう告げ、倫子に一任する
⑤藤原実資(ロバート秋山)が帝に「伊周が道長と詮子に呪詛を掛けた」と捜査報告
➅伊周が「呪詛に関しては潔白だ」と道長に訴える
⑦道長は、伊周の妹の中宮・定子(高畑充希)を帝に引き合わせ、情に訴える
⑧帝の恩情により、伊周と隆家は地方に任官(左遷)に決まる
 ………呪詛・病床に伏せるのは詮子の狂言で、「倫子は口が軽い」という言葉などから、その意図《大事(おおごと)にせよ》を察した倫子が協力

 気になったのは、倫子が詮子の狂言に気づいたのはいつなのか?
 まず、倫子が大きな動きを見せたのが、「悪しき気が漂っておる。調べよ」と屋敷を調べさせた時。
 このシーン、私は《この時代の人は、そういう超常的な霊感を持っているのか。安倍晴明も幅を利かせているし》と感心したが、いや、霊的センスはなくとも、そういう呪詛的なモノを信じていたので、呪いを掛けられている可能性を感じたのかもしれない。とにかく、詮子の身を案じての行動だと思った。
 しかし、後々の事の運びを考えると、呪詛札自体も詮子が仕込んだ狂言だということを察し、詮子の考えを忖度して協力したと考えるのが妥当である。その行為は、道長の意に反しても、道長の政敵を排除しておきたかったのだろう。「詮子に協力」と書いたが、詮子の企みを利用したと考えた方が良いのかもしれない。

 倫子の心内を推察できるカット(シーン)が二つある。
 ②の場面の最後に、倫子が心配げに詮子を見やるが、その最後に、僅かに訝しさを示す表情をしていた。
 ④の直前、詮子が倫子の差し出す薬を拒んだ。その薬を女御に下げさせた時、ふと考え、詮子の方に顔を向けた。

   ……②でわずかに疑問を持ち、④で確信し行動に移したのだろう。詮子の言った「倫子は口が軽い」という言葉も確信の度を深めたのだろう。
 全く趣き違うが、熱闘風呂でのダチョウ倶楽部の上島さんの「押すなよ」というお約束コントを思い出してしまった。
 倫子たちが発見した呪詛札を見て、詮子が恐れ慄いていたが、これは視聴者用のフェイク。でも、ない方が良いような気がする。


【ストーリー】
 為時(岸谷五朗)が淡路守に任命され、惟規(高杉真宙)、いと(信川清順)も大喜び。しかしまひろ(吉高由里子)は、宋の言葉を解する父は越前守の方が適任だと考え…。
 一方内裏では、花山院(本郷奏多)の牛車に矢を放った一件で、一条天皇(塩野瑛久)が伊周(三浦翔平)と隆家(竜星涼)に厳しい処分を命じた。さらに、定子(高畑充希)は兄弟の不祥事により、内裏を出ることを命じられる。絶望のふちに立った定子は…

脚本:大石静
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸辺露伴 ルーヴルへ行く(映画:2024年5月6日テレビ放送)

2024-05-11 17:11:35 | ドラマ・映画
 岸部露伴シリーズは 『ジョジョの奇妙な冒険』のスピンオフ作品。
 本編(『ジョジョの奇妙な冒険』)がジョジョたちとDIO一派の対決色が強い対して、露伴シリーズは奇譚(不思議な物語)的な色が強い。
 それは、露伴の特殊能力①《相手の経験や能力などを把握する》、②《相手の行動を制限や強制する》という攻撃的、破壊的性質が強くないことにも起因している。
 まあ、使いようによっては相当強力で便利な能力である。実際にも使用しているが「露伴に危害を与えることはできない」などと書き込むと、ほぼ安全になる。と言っても、露伴が好奇心探求心が旺盛なため、危険に近づきすぎて相当なピンチに陥ることが多い。
 漫画やアニメでは、劇的な展開が多い本編(ジョジョシリーズ)が適しているが、実写の場合は、露伴シリーズの方が、奇妙と現実が融合したストーリーを堪能することができる。
 この『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』も奇妙な出来事に伴う謎が明かされていき、面白かった。
露伴自体は、謎を解明するという意思はあるが、それほど強くなく、奇妙の裏に存在する真相を求める探求心・好奇心の方が強いようだが。

 ストーリーは、ひょんなことから(映画では冒頭部分で描かれていたが、説明が面倒なので、“ひょんなことから”ということにします)、「この世で最も黒く、邪悪な絵」の存在を思い出す。露伴の青年期に祖母の下宿で、同じ下宿人の奈々瀬という女性が語っていた最も黒い世界(絵・色)とはどういうモノなのか?……
 思い出すきっかけ(ひょんなこと)となったのが、モリス・ルグランの“黒い絵”(←タイトルはあやふや)。カタログかパンフレットでその絵を見て、青春の思い出が蘇ったようだ。
 オークションでその絵を落札したものの、強奪されてしまう。強盗犯は絵の裏をはがしたが、犯行の目当てのモノはなかったらしい。露伴は剥がされた部分に「これはルーヴルで見た黒。後悔」(フランス語)と書かれているのを見て、ルーヴルに行くことにした……

 先にも書いたように、謎や不可解さが後半・終盤に明かされていくミステリー的面白さと、奇妙な世界、ストーリーに浸れ、満足な出来だった。
 露伴と泉京香(担当編集者)のキャラと二人のやり取りも面白かった。


ここからは【ネタバレ要素】を含みます。
 この泉京香……
 厄介ごとを招いたり、自ら厄介ごとに飛び込んだりする。深く考えず行動し、露伴が巻き込まれるパターンもある。
 しかし、持って生まれた運と芯の強さで、それらを撥ね返したり、逃れたりしている。(露伴に助けられることも多い)
 相当、危険な目に遭っているはずだが、そういったことに無頓着。あるいは無自覚。
 今回は、呪いの絵の影響を受けずに済んでいる。
 露伴を敬いながらも、割と対等な口を利いている。

謎が解けていった(融けていった)と書いたが、不明な点もある。
①呪いの絵を描いた山村仁左右衛門の絵は、その呪いの絵を除いてすべて処分されたという。ルーヴル美術館かその関係者が、その絵の存在をどうして知ったのだろうか?
②露伴の祖母が絵を所蔵していたが、呪いを受けなかったのだろうか?
③仁左右衛門の絵を見て触発されたルグランが描いた絵から浮き出た黒の顔料によって強盗犯は変死した。優れた贋作師は呪いも再現したのだろうか?
④仁左右衛門の妻が彼の怨念を昇華させるために奈々瀬として現れたと考えられるが、露伴の青年期に現れた時には、絵の存在を示唆しただけで、絵に対しては具体的には何もしなかった。
 「この世で最も黒く、邪悪な絵」と語っていたので、やはり、仁左右衛門の妻と考えるのが妥当か?
 ただし、露伴が彼女にヘブンズドアが使用できた(露伴は当時の悲劇を知った)。ヘブンズドアは死人には使えないはず。
 となると、仁左右衛門の妻の霊が奈々瀬の身体を借りて蘇ったのだろうか?
⑤(疑問点ではないけれど)呪いの具現化が、本人だけでなく祖先の過去に因果に及ぶという設定は、少し強引。


【ストーリー】(番組サイトより)
 特殊な能力を持つ漫画家の岸辺露伴は、青年時代に淡い思いを抱いた女性からこの世で「最も黒い絵」の 話を聞く。それは、最も黒く、そしてこの世で最も邪悪な絵だった。
 時は経ち、新作執筆の過程で、その絵がルーヴル美術館に所蔵されていることを知った露伴は、取材とかつての慕情のためにフランスを訪れる。しかし、不思議なことに美術館の職員すら「黒い絵」の存在を知らなかったが、データベースでヒットした保管場所は、今はもう使われていないはずの地下にある「Z-13 倉庫」だった。 そこで露伴は「黒い絵」が引き起こす恐ろしい出来事に対峙することとなる..…

監督 渡辺一貴
脚本 小林靖子
原作 荒木飛呂彦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊験お初(2024年5月4日)

2024-05-09 10:17:12 | ドラマ・映画
 原作は未読。
 犯行動機……というか、悪霊の怨念があまりにもひどい。怨念なので、そういうモノなのかもしれないが……

 下手人(げしゅにん)……聞き慣れた言葉だが、漢字で書くとピンとこない。特に、私は将棋が趣味なので、上級者を表す“上手(うわて)”に対する“下手(したて)”と読んでしまう。相撲好きならまわしを掴む“上手(うわて)”、“下手(したて)”と読んでしまうのではないだろうか。“下手”=“へた”とも読むなあ。
 その下手人だが、主人公のお初たちより100年前、生類憐みの令(5代将軍徳川綱吉が発布した殺生禁断の令。1685年以後しばしば発令。特に犬を大切にし、犯す者は厳罰に処した。綱吉の死後、廃止)が発令されていた頃の浪人(元・侍)の内藤安之介。
 子どもが犬に襲われているのを見かねて、助けるため犬を斬ってしまった。そのため、士官を解かれ浪人に身をやつし、《自分は正しいことをしたのに、こんな不遇な目に遭った。世の中が悪い》と、心が廃れていった。
 心が壊れ、辻斬りを行う。赤穂浪士を警戒した吉良家に用心棒の話があったが、剣技の試験で、血気が過ぎて、相手を滅多打ちにしてしまい、士官ならず。更に心が壊れ、辻斬りで憂さを晴らす。挙句、こんな間違った世の中では、《家族も地獄だ》と思い込み、その地獄から解放しようと、妻、子どもふたりを斬殺。その士官試験に居合わせた、安之介を心配した吉田沢衛門兼貞が駆けつけ、安之介を斬った。(もっと早く駆けつけろよ!)

 発端は気の毒だったが、その後は非道すぎる。
 辻斬りの被害者たち、安之介の家族、100年後乗り移り、関係ない子供を殺害。乗り移られた者は殺人者となってしまった。


 お初や古沢右京之介、六蔵の活躍より、最後の悲劇は回避でき、何となくほんわかした雰囲気で終了したが、理不尽に殺された者たちの不憫さを振り返ることはなかった。
 そこまで強い怨念なら、死後、綱吉かその関係者を祟れよ!

【細かい疑問、突っ込み】
・ドラマ冒頭、武家屋敷の火事に巻き込まれた時、黒い影の少女に導かれ、逃げまどう人々を率いて無事、屋敷から脱出した。その場面を南町奉行根岸肥前守を目撃、お初の霊力?を見込んで奇談怪談の収集を依頼する運びとなったが、なぜ、根岸肥前守の方に逃げなかったのか?なぜ、根岸肥前守はお初を助けようとしなかったのか?お初が逃げた方向が安全だったのなら、根岸肥前守がいた方は、危険だったのではないだろうか?無事、助かったのだから、どちらに逃げてもよかったのでは?あの黒い影の少女は誰?火事現場にお偉いさんが現場にいるものなのだろうか?
・吉田沢衛門兼貞は赤穂浪士で吉良家を内偵に来ていた。兼貞は試験の場で安之介と偶々、見掛けただけで全く縁は無し。実際に安之介を斬ったとはいえ、100年後も内藤家を心配するモノなのだろうか?
・“死人憑き”の設定だったが、2人目、3人目は生きる気力が薄くなったとはいえ、生きている人間に憑りついていた


【ストーリー】(番組サイトより)
 日本橋通町一膳飯屋“姉妹屋”の看板娘・お初(上白石萌音)は、岡っ引きの兄・六蔵(満島真之介)、ともに店を営む義姉・およし(野波麻帆)と3人暮らし。ある日、宴会の仕出しを頼まれ、とある武家屋敷に赴いたところ、火事に巻き込まれてしまう。荒れ狂う炎に飲み込まれそうになったとき、お初は突然、無数の黒い影に取り囲まれる。それは炎に焼かれて命を落とした人々の残留思念で、お初はあやうく道連れにされかけるが、黒い影の少女が逃げ道を示してくれたおかげで、逃げまどう人々を率いて無事、屋敷から脱出することができた。こんな不思議な体験は初めてのことで、お初は戸惑う。
 翌日、姉妹屋に年配の武家が訪ねて来る。彼は南町奉行根岸肥前守(坂東彌十郎)と名乗り、お初に奇談怪談の収集を手伝ってほしいと頼む。実は、肥前守はかねてから不可思議な出来事を書き記しており、前日の火事の現場で偶然、お初を目撃。お初には不思議な力“霊験”があることを見抜いたという。
 肥前守はさっそく“死人憑き”について調べてほしいとお初に依頼する。最近、深川で死んだはずの男が息を吹き返すという不可思議な出来事があったらしい。お初は肥前守からサポート役にと遣わされた与力見習いの古沢右京之介(京本大我)とともに死人憑き事件を調べはじめるが、右京之介はどこか頼りなく、お初はあきれてしまう。やがて“死人憑き”によると思われる、殺人事件が発生して…!?
 そんな中、肥前守のもとに不気味な情報が舞い込む。赤穂藩主・浅野内匠頭が切腹した屋敷の庭にある岩が夜ごと震える…という奇怪な現象が起きているというのだ。肥前守とともに現場に赴き、鳴動する岩に触れたお初。その瞬間、お初の目の前には100年前、白装束の浅野内匠頭が切腹する場面が広がり――。殺人事件と“死人憑き”、『忠臣蔵』と“震える岩”、2つの“謎”は大きくうねりながら、やがて思いもよらぬ結びつきを見せて…!?

脚本: 浜田秀哉
制作: テレビ朝日 東映
【原作】宮部みゆき『霊験お初捕物控』……新人物往来社『別冊歴史読本』特別増刊の雑誌『時代小説』1992年冬号と1993年春号に「百年目の仇討ち始末」の題名で発表され、1993年9月30日に『震える岩 霊験お初捕物控』に改題されて、新人物往来社から単行本が刊行された[1]。1997年9月に講談社文庫版が発売された。
(ウィキペディアより)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天使の耳~交通警察の夜 (NHKドラマ10)

2024-04-26 21:36:53 | ドラマ・映画
【原作】
東野圭吾による日本の短編推理小説集。1992年、『交通警察の夜』の題名で実業之日本社より単行本が刊行。1995年、『天使の耳』に改題されて講談社文庫版が発売(ウィキペディアより)
【テレビドラマ】
『天使の耳〜交通警察の夜』(てんしのみみ こうつうけいさつのよる)のタイトルで、2023年3月20日に NHK BS4Kで放送(前後編の一挙放送)。同年6月10日・17日にNHK BSプレミアムでも放送された(前後編の全2回)。
2024年4月2日から4月23日まで、地上波のNHK総合「ドラマ10」枠にて再編集版が全4回で放送された。(ウィキペディアより)


 原作は全6篇(編)。(作品の数や前篇後篇など“まとまり”を表す使い方では、本来は「篇」を使うべきだが、終戦後に定めた「当用漢字(常用漢字)」に、「篇」は除外され、「編」が代用されている)
 それぞれの話の交通課の警察官は別々だが、ドラマでは同じ警察署の交通課の陣内瞬(小芝風花)と金沢行彦(安田顕)が捜査に当たっている。
 それと、原作が書かれた時代と現代では、スマホやネット環境、ドライブレコーダー、防犯カメラ、Nシステムなどが大きく異なっているが、うまくマッチさせていた。

《第1話》
 陣内瞬(まどか・小芝風花)は念願の交通課に配属されて最初の事故は深夜の交差点での衝突事故。ベテラン刑事、金沢(安田顕)と現場へ向かうが、目撃者はおらず、一方の運転手は青信号での直進を主張。もう一台の運転手は搬送先の病院で死亡する。しかし同乗していた妹の奈穂が青信号だったと訴える。奈穂は目が不自由だが、ラジオから流れていた「リフレインが叫んでる」から青信号だったと主張するのだが…

《第2話》
 目の不自由な奈穂は、事故車のラジオから流れていた「リフレインが叫んでる」の歌詞のタイミングを使って青信号だったことを証言してみせると言う。奈穂の証言を立証しようと奔走する陣内(小芝風花)は、事件解決とともにある事実を突きつけられ、陣内は衝撃を受ける。
 そんな中、あらたな事故発生の報が入り、現場に金沢(安田顕)と駆けつける。事故車はあおり運転のすえ当て逃げされた疑惑が浮上する。被害者は命を狙われていると訴えるが…

《第3話》
 当て逃げの被害者は、以前にも命を狙われたことがあると言う。そして川に人が投げ込まれるのを目撃したと。証言通り男性の遺体が発見される。当て逃げをした車を探す陣内(小芝風花)と金沢(安田顕)だが、捜査の行方が思わぬ真相をあぶり出していく。
 そしてまた新たな事故が。トラックが急ハンドルをきり横転した。運転手は死亡、目撃者の証言から路上駐車していた車の運転手に疑惑がかかる。金沢は運転手にある不信を抱くが…

《第4話》
 トラツク横転死亡事故の原因を作ったのは、路上駐車をしていた主婦。歩行者だったために事故の加害者にはならず、陣内(小芝風花)はやり切れない思いを抱える。金沢(安田顕)もまた怒りをあらわにする。その様子に陣内は、金沢の過去を調べ始める。やがて15年前の事故をあぶり出す。ある路上駐車から始まる事故の真相とは…そして金沢の悲しい過去とは…


 東野圭吾氏の作品は、反することが多い「法」と「情」で登場人物や読者・視聴者が揺れ動くことが多いが、このドラマに於いては、原作よりさらにモヤモヤ感(ジレンマ感)が残るものとなっているらしい。金沢の過去の闇を加えているし…
 すっきりしないのは、原作当時と今とでは社会の風潮や考え方がかなり変わってきているからかもしれないし、NHKドラマなので、復讐ぽいことを成立させてしまうわけにはいかないという事情からかもしれない。


 事故の第一印象とは違う真相が明らかになっていく……という筋立てなので非常に複雑。それを詳細に表現する技量も根性もないので、第1事故「天使の耳」の感想のみを書きます(オンデマンドで実際にドラマを視聴するか、もっと優れたドラマ感想ブログをご覧ください)

《天使の耳》
 交差点での衝突事故。互いに青信号を主張するが、軽傷ですんだ若い男女の言葉はあやふやな点が多く、さらに、後日現れた目撃者も、当事者に頼まれた虚偽証言の可能性が高い。
 もう一方のドライバーは死亡。。後部座席に乗車していた妹・御厨奈穂は軽傷だったが、目が不自由で証言の信ぴょう性が低いと判断される。(奈穂は「目が見えないと“目撃者”ではないのか?」という痛烈な批判)

 ただし、奈穂は音に敏感で、記憶力も常人とはかけ離れており、その時、ラジオから流れていた『リフレインが叫んでいる』の歌詞のどこで、「青信号に変わった」という兄の声や、衝突の衝撃を受けたかを鮮明に覚えていた。
 その信ぴょう性を疑問視されたが、実際の実験で彼女はその能力を証明。それに加えて、ラジオ局で曲が始まる正確な時間、さらに信号機と時刻掲示板(時計)が映っている野次馬動画から事故発生時刻に兄が交差点に進入した時は青信号だったことが立証された(本来なら、信号機のデータから事故発生時刻の信号の色が分かるはずだったが、その少し前に停電が発生し、正確なデータは分からなかった)
 奈穂の特殊能力と陣内の熱心な捜査で、奈穂の兄は信号無視でなかったことが証明された……が……

 ところが、事故直後の自分たちに有利になるような証言をした同乗者の畑山瑠美子(足立梨花)が、まるで別人のように反省し、現場に花を供えてに来ていた。偶然、陣内も現場に来ていて、謝罪の気持ちと事故直後の様子を聞いた。
 瑠美子も、事故直後に電光時計を見ており、その瞬間に「00:00」から「00:01」に変わったのを見ていた。《奈穂の証言と一致》という見解を持ったのだが、実際にあの電光時計は約40秒(41秒だったかな)ズレていて、奈穂の証言とは一致しない。
 瑠美子の証言を基にすると、事故の瞬間は全赤状態(どちらの信号も赤)で、双方が信号無視ということになる。

 《金沢も奈穂の行動に疑問を感じていた》
・事故直後に奈穂がスマホの音を聞いているのを目撃(話している様子はない)……盲目者用の「通りゃんせ」の出だしの時刻を確認?
・翌日?事件現場に妹と来ていた……信号機の青→黄→赤→青の切り替わる時間を計っていた?
        
兄の言葉や事故の衝撃を、兄が青信号になるようなタイミングを割り出し、それに当てはめて『リフレインが叫んでいる」の歌詞を当てはめた?

 …………その推論が正しいと思ったが、ふたりはそれを追究することはしなかった。

第1事故《天使の耳》の感想
・事故発生時刻を割り出す論理・検証が面白く、さらに、その裏を突いた奈穂には恐ろしさを感じた(まだ、兄が生死を彷徨っているのに)
 事故発生後、まだ、それほど時間が経過していない段階(事故直後と言って良いかも)で、事故発生時の信号機の色について検証しようとしていた。
 まだ、この時は、兄の信号無視を否定しようとしていて、発生時刻をずらすことまでは考えていなかったかもしれない。
 この、冷静さと論理的思考は、コナン並である。
 音に関する機会並みの記憶能力は否定しないが、この冷静さと頭の回転の良さは信じがたい。
・本当の事故発生時刻が判明(100%ではないが)したあと、それについて追及しなかったのはどうなのか?
 《主人公がどういう選択をするか?》というのは、こうあるべきというモノはないと思う。
 しかし、あとの事件、特に金沢の結末を考えると、一貫性はない。
 《奈穂の兄(だけ)の信号無視による事故発生ではなかった(双方の信号無視)》ということで帰結するのが妥当だと思うが、それが明らかになれば、今度は奈穂の偽証が明らかになってしまう。……やはり、追及できないか……
 それでも、“ふとどき者”ではあるが、信号無視で一方的に罪を被って、大きな補償責任や行政罰や刑事罰を受けることになるのは、可哀そうかも。同情はできない奴だが、犯した違反は同じである。
・交通課着任の日が浅いので仕方がないとは思うが、被害者と思われる当事者に気持ちを寄せすぎ(金沢も注意をしていた)
 捜査によって当事者の今後が大きく左右されるので、冷静に公平に事件を検証してほしい。特に、聴取の際には、先入観を持たずに、真偽を見極めるべきだし、当事者に状況を正確に語ってもらえる聴き取りも重要。(今後に期待)
「交差点を横断」という表現はおかしい
 横断は「道路を横切る」行為だと思う。広義に解釈すれば、「横断」でも良いかもしれないが、「交差点に進入」あるいは「交差点を通過」が適切だと思う

全話を通して、他の話に関しての感想
・「天使の耳」のどんでん返し(奈穂の偽証)のせいで、第2事故の“玉の輿美人姉妹”は、怪しく感じて仕方がなかった
・浮気した相手が悪かったが、もう少し、巧く対処できたと思う。妹が悪知恵を働かせすぎ。
・このドラマの主題のひとつに
=======【『大矢博子の推し活読書クラブ』の記事より引用】=====
ドラマでは繰り返し「誰だってやってる」「みんなやってる」「よくあること」という言葉が登場する。前のクルマがのろのろ走っていたら後ろからせっつくくらい誰だってやってる、駐車スペースがない場所での路上駐車くらいみんなやってる。車の窓から何かを捨てるなんてよくあること。その「誰だってやってる」ことが大きな悲劇に結びつくのに、「誰だってやってる」程度の軽微な違反だから罰せられない。
===============================【引用・終】
が、あるが、「みんなやってる」「よくあること」というのは頻度が高すぎでろう。特に、煽り運転は。
 まあ、それはともかく、《路上駐車など大したことではない》(それほど悪いことではない)とか、《歩行者が飛び出しても罪は問われない》(故意でなければ)とか、安易な行為が命に係わる重大な不幸な結果をもたらす。その理不尽さを取り上げている。

 山下容莉枝さんが演じる金持ちのおばさんが、飛び出して、それをよけようとしたトラックがクラッシュしてドライバーが死亡。
 それなのに、ドライバーが“加害者”になるという。

 おまわりさん、別に罪にならないんでしょ?
私は歩行者だったんですもの。
こういうときってトラックの前方不注意ってことになるのかしら。」
 高笑い!


 ほんと、憎たらしかった!


 そして、金沢の過去の闇
 大雪の日、彼の妻が心臓発作を起こしたが、救急車も出動できない。金沢は自分の車で病院に搬送しようとした。
 道路に詳しい金沢は、裏道(抜け道)を通ろうとしたが、路上駐車の車があり、通り抜けられない。追突して何とか通り抜けようとしたが、うまくいかず、他の道に引き返して病院に行ったが、間に合わず、妻は死亡。
 路上駐車した車の持ち主は、被害者づらし(実際に、金沢が加害者で、路駐男が被害者)、修理費も大幅上乗せしていた。
 金沢は、彼に近づき親密になり、パーティに誘い、彼を酔わせる。そして、大雪の日の出来事を静かに語る。それが自分の事だと悟った男は、逃げ出し、山道を運転(飲酒運転)。その山中の道に路上駐車の車。後ろからは、金沢がクラクションを鳴らしながら接近。男は路駐の車の脇をすり抜けようとしたが、崖に転落。飲酒運転の末の死亡事故と判断された。

 “未必の故意”と言えるが、15年経ってしまっては、立証は難しいだろう。
 手錠を掛けられて移送される金沢が乗るカーラジオから『リフレインが叫んでる』が流れる。
 切ないラストシーンだったが、自首は良いとしても(NHKドラマだし、有耶無耶にはできないか?)、手錠されて移送というのは演出過多なのでは?
 「天使の耳」で使われたユーミンの曲を使いたかったのかな?と邪推してしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舟を編む ~私、辞書作ります~ 最終話(第10話)

2024-04-23 19:03:50 | ドラマ・映画
【関連記事】
「第1話」「タイトルに違和感」

 面白かった!
 こういう収束に向かう連続ドラマで10話というのは、わざわざ困難やイベントを挿入してダレてしまったり、ストーリーに齟齬、矛盾が生じたりするのだが、ずっと面白くて、長さを感じなかった。
 ドラマ構成としては、中辞典を完成させるため、「言葉の選定」「語釈」「紙づくり」「図版」「表紙デザイン・装丁」「紙発行の中止」など段取り(工程)消化や難問解決を段階的にクリアしていく。そういう行程・工程も目新しいということもあったが、新人?女性編集員の成長や、彼女の新たな視点や疑問、柔軟な考えなどに応える編集スタッフたちの真摯で熱い情熱などを視聴者(私)は照射し続けられた。
 先週(第9話)では、“あるべき言葉”の漏れが発見され、すべての候補言葉を再チェックという地獄を見た。で、最終話……これ以上のイベント?があるのか?と思ったら、松本先生(柴田恭兵)が食道がんに罹患していることが分かり……《嗚呼、先生は発刊を見ることなく……》となるのか?と思ったら、違った。その代わり、アレがあった……
 新型コロナウイルスの感染拡大だ。

 ただし、《コロナによる編集スタッフが離脱》とか、《製本などの工程が進まない》とかではなく……
……「パンデミック」「濃厚接触者」「クラスター」「テレワーク」「不要不急」「生活様式」「密」「エアロゾル」など新型コロナウイルス感染拡大関連の言葉の重みが増してしまった。
 新たに加えなければならない言葉や、コロナ関連の収録言葉の語釈も再考する必要がある。……となると、ページ構成さえも変わってしまう。
 もちろん、「《新語などは、しばらく様子を見てその言葉が定着するか見極める必要がある》ので、無理ににコロナ関連の事項を修正しなくてもよい」と考えることもできるが、《辞典の意義…使用者の手助けになる》ということから、修正した方が良いのでは?
 そこへ、松本先生の奥さんが訪問し、お礼の言葉やお土産?(芋羊羹?)と共に、翠への手紙と編集スタッフへ松本先生の用例採集カードの束
 松本先生は、入院中でも辞典づくり(言葉の探求)に燃えていたのだ。

 《やはり、修正しよう》という意志が固まり始め、《どのようにしたら、発刊が遅れないようにできるか》と考え始めたところに、「印刷所(印刷機)が見つかりました」と製紙会社社員・宮本(矢本悠馬)が飛び込んできた。
 校了の遅れを印刷所を増やすことでカバー(究極の紙なので、どんな印刷機にも対応できるらしい)。

 もちろん、新たに語釈や図解を加える分を、他の言葉の語釈を用例などを削るのと、新たな語釈の検証なども行わなければならず、苦闘の日々が続いた末(当然、印刷開始の遅れは少ない方が良い)、無事校了を終えた。最終話も大変だった。
 ……という流れだったが、実は、最終回の主題はこれではない。

 新型コロナウイルス感染拡大により、
・松本先生と面会がままならない
・馬締氏の妻・香具矢が、小料理店「月の裏」の客足が途絶え、彼女の師の京都の料亭の手伝いをすることに
 という事態になってしまった。

 馬締氏は《香具矢がもし京都で感染したら、身近で支えることも出来ないし、もしかしたら、会うことも出来ないかも》と危惧し、「いってらっしゃい」という言葉を香具矢に掛けられなかった。

 馬締は
「距離には負けます。
 引き裂かれそうに苦しい時、そばに体温を感じられる距離にいられることに、比べたら……
 言葉なんて無力です

そんな馬締に、みどりは……!

 
 みどりは熱い恋心を綴った長文ラブレターを取り出し、熱く語る。
「滅茶苦茶感じた!……マジメさんのドキドキも、ちょっと上がった体温も、手の震えも、滲んだ汗も、不安も焦りも切なさも……
 溢れて溢れてどうしようもない香具矢さんへの恋と愛。
 それを伝えようって言葉を綴ったんじゃあないですかっ!
 この言葉たちは、そのために生まれてきたんじゃないですか?
         ………
 (『大渡海』への馬締の熱い思いを、みどりは訴える⇐申し訳ありません、省略します)
         ………
 負けちゃうんですかっ?距離なんかに!」


さらに、編集スタッフたちに松本先生からメール(ccメール、一斉メール)が届く

=========================================

(担当医に手足の痺れについて、「ピリピリと電気が流れる感じ」なのか、「氷水に長い時間浸していたような感じ」なのか、「ゴム手袋を何枚も重ねてはめている感覚」なのかを尋ねられたが)
「驚きました。私は手足に電気を流したことも、長時間氷水に手を浸したことも、ゴム手袋を何枚も重ねたこともないのに、ありありとその感覚が分かるのです。
 言葉の持つ力とは、何と不思議なモノでしょう。何と素晴らしいものなのでしょう

「病になって、やはり死について考えます。もう十分生きたはずなのに、恥ずかしながら、堪らなく恐ろしくなることもあります。そんな時、私はこんな想像をするのです……
 ………私の死後、あなた方が言葉を潤沢に、匠の使い、私の話をしてくれる。
 その時、私は確かにそこにあなた方と共にあるのです。
 言葉は死者とも、そして、まだ生まれていない者とさえ、繋がる力を持っているのだと。
 繋がるために、人は言葉を生み出したのだと……そう思えてならないのです。

 その瞬間、死への恐怖は、打ち上がった後の花火のように散り去って、
 消えることのない星の輝きだけが残るのです。

 新型コロナウイルスによって、人々が分断されてしまった今、まさに、言葉の力が試されているのかもしれません。
 無論、言葉は負けないでしょう。
 距離を超え、時を超え、
 大切な何かと繋がる役目を、見事果たしてくれることでしょう



  “辞書の鬼”と松本先生は評されるが、“辞書への情熱が常人とかけ離れている”ことへの比喩で、人柄は“仏”のようである。
 熱い情熱と奥行きのある温かさ……ぜひとも教えを請いたいなあ。
 そう言えば、柴田さんが『空飛ぶ広報室』で演じた鷺坂正司も素敵だったなあ。

 松本先生とみどりの言葉に後押しされて、馬締氏は出発間際の香具矢の下に駆けつけ、「行ってらっしゃい」と送り出す。
 「体温を感じられる距離には負けます」という馬締の弱音に対し、松本先生の言葉が《そんなことはないんだよ》と背中を押し、みどりの“叱咤激励”が尻を叩く……とても良いシーンだった。
 でも、馬締の弱音については、不満(疑問)を感じた。
 “言葉大好き人間”の馬締が「(言葉は)距離には負ける」と言い切ってしまうことに違和感があり、たとえ、そんな弱音を吐いたとしても、自力で思い直す……それが馬締なのではないだろうか!

 まあ、《香具矢を愛しく思うあまりに弱気になってしまった》というのも分からないではないので、《みどりに尻を叩かれる》というのもありだと思う。(みどりがヒロインだし)
 ただ、みどりの叱咤激励だけではなく、さらに松本先生の言葉に後押しされた後、馬締がようやく足を踏み出すというのは、どうなのか?
 せめて、自分のラブレターを見て、香具矢の下に駆けだし、そのシーンに松本先生の言葉がが被せられるというのなら、納得できる。

 


★最終話でこれまでのエピソードをきちんと回収していたなあ
「恋愛」(第2話)
 第2話で、《みどりは「恋愛」は男女間(異性間)には限らないのでは?》と疑問を呈した。(さらに、“恋”とは? “愛”とは?と深く考える…そんなエピソードが盛り込まれていた。
☆その時に、みどりが考えた【恋愛】の語釈
 ……特定の二人の互いの思いが、恋になったり、愛になったり、
   時には入り交じったりと、非常に不安定な状態。

 今回、病院から松本先生が奥さんに託した手紙に、その回答が書かれていた
 ……特定の二人が、互いに引かれ合い、恋や愛という心情の間で揺れ動き、
   時には不安に陥ったり、時には喜びに満ち溢れたりすること。


 みどりの語釈を尊重したモノだった。
 個人的には、「恋になったり、愛になったり」や「恋や愛という心情の間」というのではなく、「恋」や「愛」を用いない別の表現をして欲しかった。

 さらに、
「三年間の観察・検証の結果、『大渡海』の恋愛の項目には、「異性」「男女」の表記は不要とする」
という注釈もつけられていた。



「なんて」(第1話)

「なんて」……みどりがよく口にする言葉。無意識に使ってしまっていて、無自覚に人を傷つけていた
 (感嘆の気持ちを強調する”副詞”もあるが)
副助詞として――次に来る動作・内容を、軽視する気持ちを込めて例示する
副詞として―――軽視する気持ちを込めて、同格の関係で次の語を修飾する
副助詞として――無視または軽視する気持ちを込めて、事柄を例示する。
《用例》?
「ほんと助かる。朝から電話する余裕なんてないからさぁ」(人気料理店の予約をしてくれた友人に対して)
「言葉と説明が並んでいるだけですよね、辞書なんて」
「辞書なんて、どれも同じだと思っていたんです」
「あとにして、カメラなんて」
 この《軽視》の他に、「私なんて」と《卑下》する用法(意味)もある。

 最終話では、松本先生のスタッフへの感謝の言葉の中で
「あなた(みどり)が来てくれた3年間は、なんて素敵な楽しいものだったでしょう!」と述べていた。


「言葉の国」「上がる」(第1話他)
 馬締は、気になる言葉があると、それに考えをめぐらし、他の刺激(声)を受け付けなくなる。……この状態の馬締に対して、周囲は「言葉の国に行ってしまった」とあきらめの気持ちで表現している。
 香具矢も馬締との遊園地デートの時、馬締が“言葉の国”に行ってしまい、置き去りにされてしまった経験があると語っていた。
 で、この最終話、間締とみどりの会話の中でそのエピソードについて、「遊園地デートの時は何の言葉で“言葉の国”に行ってしまったのか?」とみどりが尋ね、
 「確か……「上がる」という言葉……」
 「「あっ!」」二人同時に叫ぶ。
 みどりが食堂で友人と会話中「上がるよね」と発したのを聞いて、「その“上がる”というのは、どういう状況に於いて…」と質問したのが、ふたりの初対面だったのだ。


 エピソードの回収という訳ではないが……
・【癌(がん)】(校了前の語釈)
 ……生体を死に至らしめる病気

 これを馬締が「生体に深刻な害を与える」と修正。

 でも、「死に至らしめる」という表現は、馬締たちの信条の「(辞書は)手助けになりたい」というモノとは、かなり離れているように感じた。“らしくない”のである。
 ちなみに、旺文社『国語辞典」(重版)では、①[医]悪性腫瘍の総称。表皮・粘膜・腺などの上皮組織にできる悪性のできもの。「胃―」②組織や機構上、最大の障害となるもの。根強いさまたげ。

・「コロナウイルス」の“コロナ”の由来が、コロナウイルスの画像(電子顕微鏡)が太陽のコロナに似ている…ことらしい
 

【最終話・あらすじ】
 「大渡海」校了直前、松本先生(柴田恭兵)が入院する。
 すぐにまた会えると信じるみどり(池田エライザ)たちだったが、新型コロナウイルスで世界が一変。暮らしが大きく変わる中、馬締(野田洋次郎)のある問いかけが、辞書編集部に衝撃を与える。一方、客足の途絶えた店で、香具矢(美村里江)もある決断をしていた。
 十数年の時をかけた辞書作りは、彼らに何をもたらすのか。令和の「舟を編む」の結末がここに…!

原作:三浦しをん『舟を編む』
脚本:蛭田直美
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする