エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

大阪物語2020 「あしあと」(3)

2020年04月02日 | エルソル大阪物語~番外編

~3~

朝は6時に目覚める。

寝不足は感じるが、二日酔いは軽い。

せっかくの温泉水なんで、朝風呂を楽しむ。

あ~、記憶が無い。(高知県人は得意技)

狭い湯船だが、熱めのお湯で免疫力を上げる。

ふだんはやらない朝風呂は気持ちがいいものだ。

早々にチェックアウトを済ます。

早朝のアーケードはガラガラ。

中国への応援。難波も今やインバウンドの恩恵を多分に受けている。

南海電車で和歌山近くの泉南に向かう。

今回の旅の一番の目的でもある親戚のお見舞い。

無職の頃、働くお店を探し回ったあの頃、お金が尽きて親戚の家に転がり込んだ。

美容師のおばさんは快く引き入れてくれたが、警察官だったおじさんにはよく説教をされた。

そのおじさんが病魔に侵され、入退院を繰り返しているらしい。

病気のひとつが難病のようで、お見舞いも兼ねて顔を出すことにした。

泉南の端っこ樽井駅。

隣りの駅は和歌山県という大阪の境界線。

ここまで南に来ると何だか気候さえ暖かく感じる。

電車の中のマスク率も大幅に下がっていた。

駅から歩くこと20分、(今日もたくさん歩くことになる)

高架下の電車をまたぐ。

おばさんの美容院。

そのまま通り過ぎて自宅に向かう。

親戚宅に到着、お見舞い。

室内でもニット帽姿なおじさんは、元気そうな喋りとは裏腹にいろんな病気と闘っているらしい。

遠方から見舞いに来た私に気を遣ってか、昔より口数が多かった。

「次にジュンが来た時は、ワシ、もう死んでるかもな~、ハハハ」

子供に恵まれなかったご夫婦、一時期とはいえ転がり込んだ私は出来の悪い息子のようなものだろうか・・。

明るいおばさんと私の母は従姉妹で一番の仲良しだった。

今でも母の話になるとすぐに涙ぐむ。

花が好きな所まで母とよく似ている。

「あ、そうそう!頼まれてたもの、持ってきましたよ!」

リュックから小瓶を取り出す。

小瓶の中で水に浸かっているのはカズラナシの枝、挿し木にして育てるらしい。

実は大阪行きの夜行バスに乗る日、夕方に少し営業をサボり車で枝を切りに行ってきた。

母も好きだったカズラナシ、きっと大事に育ててくれるに違いない。

鉢植えには見たこともない色のオキナグサがいた。

おばさんの趣味は押し花アート。

私の趣味のひとつもモノづくり。

これは理美容師に多い傾向なのだろうか・・。

そういえば、私の親戚周りには美容師が多い。

ざっと数えただけで7人もいる。

「ジュンはこの後、どんな予定なん?」

「昼からは河内長野の師匠に会いに行ってきますわ」

「河内長野か~、電車より車が早いな・・、お~い!ジュン乗せてドライブ行こうや!」

おじさん、闘病中とはいえ車の運転は出来るらしい。

「腐ってもクラウンやで!ホナ行こか!」

結局、本当にドライブがてら送ってもらった。

「そしたらここで・・、オッチャン!お元気で!また近いうちに来ますわ!」

美加の台駅。

ここは西区南堀江ターニングのマスターが店舗兼住宅を建て、私達従業員もついていったお店がある場所。

新興住宅街は、大きく変わるはずもなく、駅から見える高台は昔からそのままの風景だった。

高台まで211段の階段を上る。

ここも通勤道、しっかりと足跡を辿る。

駅から約20分、美加の台ターニングに到着。

昔と違い、随分派手な緑に塗られている。

車が無い・・、やはり突然来たのは間違いだったか・・、

インターホンを鳴らす。

留守。

玄関扉にお土産の入った袋をひっかけて立ち去る。

去年のいつ頃だっただろうか、突然携帯に電話がかかってきて「感謝の言葉」を伝えられた。

やはり、このまま立ち去ってはダメだ。

久保マスターに電話を掛けてみた。

「え?上田君!?え?家に来てんの?あー、家内はおーへん?あー確定申告いったかー」

「ワシ今、初芝でテニスやってんねん!あー、会いたかったなー」

「いやいや、突然来た私が悪かったんです!ちょっと時間の予定が組みづらくて・・申し訳ないです!」

「また、大阪きたら寄りますんで、ハイ」

閑静な住宅街は電話の喋り声も辺りに響く。

美加の台ターニングができた頃は、まだ空地も多かったが、もうびっしりと家が立ち並んでいた。

・・というか、当時新しかった家々も冷静に考えると築30年。

新興住宅街は一気に栄えるが、同じように年を取るので街は若返らない。

そう、歩いていて違和感を感じていたのは、最近に新築されたような家が見当たらないのだ。

新規客が見込めない高台の住宅街、そこの住人達だけで商売を成り立たせなければならない。

今現在、ターニングが存在しているのは、

まさしく久保マスターの天才的な技術と人懐っこい性格で住人たちに愛され続けている証だ。

そんな事を考えながら211段の階段を下った。

南海高野線美加の台駅からすぐの河内長野へ向かう。

河内長野の駅周辺は昔と変わらない。

待ち合わせ場所に現れたのは、関美の専門学校同期で私の後に助教師を引き継いだ水落君。

和歌山の橋本から会いに出てきてくれた。

その姿は少しふっくらしたくらいで、全く変わらない。

水落君は2歳年上だが学校では同期だった。

荒れた教室の中で、唯一まともで常識のある友達だった。

今は地元和歌山で市バスの運転手をしているらしい。

何とも20年ぶりの再会である。

「喫茶でも行きましょうや!」

ところが、河内長野駅周辺は寂れたシャッター街になっていて、その喫茶が見当たらない・・。

しばらく探してやっと見つけたパーラーに腰を下ろした。

「久しぶりやね!20年ぶり?元気そうで何よりやね」

「上田君も元気そうで何よりですねー」

水落君は昔から年下の私にたまに敬語を使う。

「福嶋君とか、会ってんの?」

「あ~、あの愛媛のアホか(笑)、2回ぐらい向こうで会ったかな~」

「何かハーレー乗り回してるらしいわ、たぶん相変わらずやで!(笑)」

「しかし、水落君、何がどうなってバスの運転手に辿り着いたの?」

関美、理髪店、助教師、不動産社員などなど、紆余曲折、波乱万丈、随分と苦労したようだ。

「普段仕事でバス乗ってるやろ~、休みの日なんか車の運転が嫌で嫌で・・ハハハ」

「へ~、そんなもんなんや(笑)、体の調子はどう?」

「アカンで~、血圧がメッチャ高いわー、いや、シャレにならんでホンマ」

「アカンやん!走ったらええわ!ジョギング、ジョギング!(笑)」

今回、人に会うたびに体の話になる、これも皆お互いに歳をとったという事。

こうやって懐かしい友人に会えるのは、人生であと何回あるのだろう・・。

積もる話は次回に託して、パーラーを後にした。

「じゃあ、元気でね!」

河内長野駅から初芝駅に向かう。

やっぱり久保マスターに会わなければ・・

初芝には昨日の夜を共にしたヘアテックの同僚藤井の家がある。

「藤井君、昨日はありがとう、今な、初芝の駅におんねん、後で家行くわ」

「で、その前にテニスコートに行かなあかんのやけど、どの辺にあるの?」

藤井ナビで、駅から結構歩いてテニスコートに到着。

テニスコートは6面、それぞれのコートでダブルスが組まれている。

久保マスターを探すが、似たような年配の方が多く、確信に至らない・・

すると遠くから聞き覚えのある声が、

「ダメだよ~、こ~んなに広く空いてるのにそんなところに打っちゃ~!」

あの声は間違いなく久保マスターだ。

一番奥のコートに足を進める。

歳の割に結構アグレッシブに動く久保マスター、邪魔せずにしばらく眺める。

少ししてちょうど終わりになったようで、コート出口の金網横で出てくるのを待った。

「お疲れ様です!」

マスクを外して笑顔を作った。

「え~!上田君!来てくれたの~!?」

「お久し振りです!ご無沙汰してます!その節はお電話ありがとうございました!」

運動後で、まだ少しほてりが残る顔をクシャクシャにして照れたような久保マスター。

久保マスターと。

「どう?散髪屋の景気は?」

昔からお客さんとの会話も景気の話からだった、・・・変わらない(笑)。

「地方は儲けもしないので不景気もたいして変わるもんでもないですわ」

「そう、それはいいね、ウチなんか消費税UPからめっきり客足遠のいたよ~、参ったわ」

お子さんの話、お孫さんの話、僅かな時間だったが、

空白を埋めるのには十分な時間だった。

「マスター、ありがとうございました!私の技術のほとんどはターニングで修行したものです!」

「本当にありがとうございました!」

駐車場に停めてあるのは久保マスターのバイク。

大きなバイクにかっこよくまたがるマスター、

ブルルン、とエンジン音を響かせトム・クルーズのようなサングラスを掛け、ヘルメットをかぶるマスター、

出発直前、リュックを背負ってなかったことに気付いて一度バイクから降りるマスター、

リュックを背負うと、結んであった巾着がするりと落ちた。

巾着袋を結びつけるマスター、

きっと蝶々結びにしたかったのだろうが、途中で諦めて固結びを2重に結んでしまったマスター。

そう、この方、基本メッチャ不器用・・。

ネジ一つもちゃんと回せないような不器用。

しかし、いざ鋏を持つと天才的で、どうしてもマネが出来なかった素晴らしい技術者。

再びバイクにまたがり、「じゃあ、また逢う日まで!」とかっこよく駐車場を出たが、

車にクラクションを鳴らされていた・・。

歩いて初芝駅に戻る。

二駅向こうの北野田駅に向かう。

昨日も北野田来てヨシコに花を買ったが、今日は住んでいたマンションまで歩いてみる。

北野田は、美加の台ターニング久保マスターのもとで働いた時に住んだ場所。

羽衣の文化住宅、東京のアパート、諏訪ノ森の文化住宅、そしてまた羽衣の文化住宅、

その後にやっと、「マンション(ワンルーム)」に住んだのがこの北野田だった。

北野田駅周辺は再開発されていて変貌していた。

何だか綺麗になっているが、狭いアーケードは変わっていない。

歩く歩く・・、そういえば駅までの通勤は確か自転車だった。

一度両親が泊まりに来たことがあったが、長く歩く事に不満を口にした。

その時の両親は親戚宅を泊まり歩いたが、私のところで寝た朝、

「ここが一番よく寝られた」というひと言がやたらと嬉しかったのを思い出した。

その時の親の歳に近づいて、この緩やかな坂道が結構しんどいことに共感した。

歩く事20分、当時のマンションに到着。

このマンション、表は一階だが、私の部屋は地下2階。

つまり、こういう造り。

玄関はオートロックであったり、ちゃんとした管理人がいたり、

何だか暮らしが変わりはじめた・・、そんな時代だった。

大阪に来てからずっとマナーモードにしていたスマホがブルブルと震えた。

さっき会ったばかりの久保マスターがショートメールをくれた。

「今日は会いに来てくれてありがとう。君の人生の一部に関われた事をうれしく思うよ。」

「お互いにさらに良い人生でありますように」

随分と素敵な言葉を戴いた・・・。

北野田駅に戻り、再び初芝へ向かう。

初芝駅から藤井のお店に向かう。

これも徒歩15分、ブーツは長距離の歩きには不向きだ。

到着。

「ごっつい眠たいわ~」

藤井は私のわがままに付き合ったせいで、ほとんど寝ずに仕事をしていたらしい。

旧実家で、父と二人で理髪店を経営している。

とりあえず母上の仏壇に手を合わす。

藤井母は小柄でよく笑う明るい人だった。

昼間からビールを出してくれたり、一人暮らしを気にかけてくれて食べ物も頂いたりした。

「その節は大変お世話になりました・・」声に出して手を合わせた。

「上田君、昔ヘアテックで吉本の芸人をカットしてたやろ?」

「ああ、バッファロー吾朗の竹若君?」

「ちゃうちゃう、何か段つけたカットしてた子おったやん」

「誰やろ?あとは吉本の養成所の清水君しかおれへんで」

「そうそう、その清水君、たぶんな、今、新喜劇でよう出てるわ」

「ええっ?嘘やろ?マジェスティ―とかいうダサいコンビ名やったあの子が?」

「たぶんな、間違いないわ」

「へ~~、分からんもんやな~」

(後日調べたら、新喜劇次期座長候補「清水けんじ」で、本人にコンタクトがとれた)

「駅まで送るわ!」

「いや構へんよ、歩いて行くわ」

「まあ、ええから、今自転車出すわ!」

50代のオッサンが自転車で二人乗り。

地元民しか知らない細い抜け道を滑走する。

そういえば昔もよく二人乗りで藤井の後ろにまたがったものだ・・・。

唯一違うのが、自転車が電動アシストに変わっていた。

初芝駅で藤井と別れ、難波に向かう。

これが今回の電車の最後の乗車となる。

車窓から派手な電飾の通天閣が見えたが、捉え損ねた。

難波駅構内は鳩が歩く。

旧ヘアテックの前で昔のお客さんと待ち合わせている。

私の都合に合わせてくれて、会いに来てくれた。

新君と白石君。

彼等はこの近所が実家で、ヘアテックのオープンからの常連客だった。

それどころか、二人共別々ではあるが、何と高知中村まで散髪しに来てくれたこもとあるのだ。

久しぶりの再会だが、私はちゃんと彼らのヘアの癖も覚えている。

ヘアテックの前で会ったのならなおさら記憶は蘇る。

人と喋り、声を聴き、匂いを感じ、目で見て触れて思い出す。

人間の脳はよく出来ているものだ。

「え、ちょと待って、君達歳ナンボになったん?」

「44ですよ」

「えーーっ!オッサンやん!えーーっ!学生やったよね!年月は残酷や~(笑)」

「大阪にお店出してくださいよ~」

「いやいや、君達が頑張って四万十に別荘建てなさい!(笑)」

「とりあえず次に大阪来るときは鋏持ってくるから元気にしててよ~、じゃあね!」

彼等に見送られながら背を向けて小走りに走り出す。

最後に会う人は私のわがままを目一杯受け止めてくれる人。

「気にせんでもええよ~、そっちの都合を全部済ませて、最後でええわ~」

そう言ってくれた友人は、すぐ近くの高島屋付近に到着しているはずだ。

スマホで連絡を取る。

「何処にいてますか~?」

「路上のバンドがジャンジャンうるさくやってる目の前やで」

「あ、見つけた!じゃあ切りますわ!」

簡単に見つけられるのは背が高いからだ。

「タケちゃん!」

「おーっ!久しぶりやなー!」

「とりあえず居酒屋探しましょ!」

武ちゃん、武田先生、助教師時代の同僚で、それからの長い付き合い。

現在は住吉大社で、夫婦で美容室を経営している。

がんこ寿司(居酒屋)、最後はいかにも大阪らしい場所となった。

「どう武ちゃん?体に変わりない?」

「アカンで~、最悪やで、ポリープだらけやで(笑)」

「石も出来たわ」

「尿路結石ですか?」

「あれは痛いでぇー!痛くて動かれへんで運ばれたもん!」

「そんなビールばっかり飲んでたら・・知らんでぇ~(笑)」

「ひえ~~っ!」

武ちゃんのビールはノンアルコールだった。

2歳年上の武ちゃん、50代半ば、今回会った皆、当たり前だが歳をとった。

積もる話も時間に限りがあり、そこそこにお別れ。

「また近いうちに大阪来ますわ!元気でね!」

急ぎ足で湊町に向かう。

帰りも夜行バスだ。

湊町バスターミナルは閑散としている。

待合椅子に腰を掛け、頭を上に上げて疲れを癒す。

到着したバスに乗り込む。

窓際の指定席に腰掛ける。

通路側のカーテンを引くと狭い個室が出来上がる。

目を閉じると時間に追われた緊張感からも解放されて、脳にも体にも疲労がくる。

結局この日も2万1千歩も歩いた。

二日間でのトータルは「5万歩」。

10年ぶり、20年ぶりに会った人達、さらには30年ぶりに歩いた道と景色。

私の大阪の【あしあと】、

その5万歩は「出会いの歩み」を確かめた「感謝のあしあと」だった。

人を想い、人に想われる、

見えない糸はしっかりと繋がり生きる支えとなる。

人との出会いは、後に宝物となり人生をより豊かなものにするはずだ。

シートを深く倒し、

この二日間の出来事を、まるで羊を数えるように噛みしめながら深い眠りにつくのだった。

タイムマシンは現実世界へと戻るが、

まだまだ人生はこれから・・・、次のステージを楽しむことにしよう!

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大阪物語2020 「あしあと」(2)

2020年04月02日 | エルソル大阪物語~番外編

~2~

高島屋は難波の玄関口。

高島屋は南へ向かう南海電車に直結している。

南海電車はもうモスグリーンでなくなったのだろうか・・

急行で15分、羽衣駅に到着。

懐かしの羽衣商店街。

この横断歩道を渡ると、私が最初に住んだ文化住宅はすぐそこ。

あった!まだあった!

外付けの階段を揺れながら上る。

今回ここを訪ねた目的は、単に懐かしむだけではなくて人に会うため。

西岡おばさんは元気にされているだろうか・・

2階の真ん中の部屋は私が住んでいた部屋、その向こうが西岡さん夫婦・・

ベランダに鉢植えが無くなっている・・

どころか、何処にも人の気配がない。

ダメもとで玄関のブザーを鳴らしてみる。

部屋の中で無機質に音が響いている。

いつまでも昔のままというわけにいかないことぐらい承知である。

朝から目にしたこれまでの光景は、それだけの年月の重みを自分に知らせている。

意味もなくもう一度ブザーを鳴らす。

すると、階段下から中年女性が声をあげた。

「何かその建物に御用ですかー!?」

ショートヘアを茶髪に染めた女性の強めの口調から、自分が不審者だと思われていると自覚する。

マスクを外して堂々と答える、

「こちらに住んでいた西岡さんに会いにきたのですが・・」

知り合いなのか、女性の表情はすぐに緩んだ。

「あ~西岡さんな~、半年ぐらい前に引っ越ししはったよ」

「そうですか、それは残念、高知から会いにきたのですが・・」

「えーーっ、高知!?それはエライこっちゃー!」

両手を広げるオーバーアクションはいかにも大阪らしい。

「ここはな、家主が取り壊す言うて、西岡さん出て行かなアカンなってんよ」

「まあな~、築51年らしいからなあ~、しゃーないわ」

「西岡さんな、近くに居てるよ~、案内しよか~、ちょっと待ってな」

私の返事を待つより先に女性は急いで近くの家に潜り込んだ。

その家はどうやら美容院らしく、降ろされたロールカーテンの隙間からシャンプーブースが見えた。

「お待たせ、さあ行きましょか~」

「あの、美容師さんですか?私、理容師です(笑)」

「えーーっ、そうかいなー!なるほど!月曜日か、休みやもんな~」

女性は自転車を押しながら一緒に歩いてくれる。

人懐っこさは、やはり客商売からくるもので同業者に通じる雰囲気が感じられた。

「西岡さんええ人やで~、今でも猫のエサやりに時々顔出してはるわ~」

国道沿いをしばらく歩き、浜寺公園側に曲がった団地に案内された。

「ここやで、居たらいいんやけどな~」

女性は団地の階段を上り、インターホンを鳴らした。

「は~い」

「西岡さーん!彼氏連れて来はったでーっ!」

重たそうな鉄の扉が開くと懐かしい顔が現れた。

「西岡さん!お久しぶりです!またまた高知から出てきました!」

「あ!上田君やな!どないしたん急に!」

「いやな、アタシが連れて来てん!、アパート訪ねてはってな、高知からっていうからな」

「ほなアタシは帰るわ!どうぞゆっくしていってください(笑)」

「ありがとうございました!」

深々と頭を下げた。これも人の縁だ。

「上田君、まあ入っていき!」

奥の部屋で布団に寝たままのご主人がこちらに顔を向けた。

「アンタ!あの、ホラ、前に隣に住んどった高知の兄ちゃんやで!」

「居たやろ~、散髪学校の可愛らしい兄ちゃん!」

「あ、アンタの母さん一回来たでな、ごっつい綺麗な人やったわ~」

西岡さんの足元に小さな犬がまとわりついた。

「この犬な、拾ってん、毛ぇも抜けて弱ってってんで~、眼ぇも片方潰れててんで~」

「最初はえらい吠えてな~、人間不信ってやつやな~、あ、コーヒー飲んでいき!インスタントやけどかまへんか?」

優しい。

右も左も分からなかった若い頃、こんな人達に囲まれて過ごせたことは奇跡であり財産だ。

結局、西岡さんの身の上話を聞かされながら時間は過ぎた。

「また大阪来たら寄りますわ!お元気で!」

団地の裏は浜寺公園。

浜寺公園は臨海地区にあるとても大きな公園。

その昔は海水浴場だったようで、リゾート感の匂いが残る。

長い松原は大阪の癒しで、時が止まったかのような空気が漂う。

先に会った長澤先生の話によると、今現在は高級住宅街として少しずつ開発されているようだ。

もしももう一度大阪に住むことがあるなら、迷わずここで暮らすだろう・・。

素晴らしい公園、ジョギングに出会えなかった当時を残念に思う。

公園の向こうは用水路。

田舎への手紙なんかは、よくここで書いたものだ。

羽衣駅から二つ目の諏訪ノ森を目指す。

諏訪ノ森。

ここは東京から帰って関美で助教師したときに住んだ場所。

駅前から足跡を辿る。

記憶のまま歩くこと15分、突然足跡が消えた。

新しい家が立ち並び、もう全く面影がない。

どうやら区画整理もされたようで、見える景色は全て初めて見るものだった。

この地を訪れたのは約30年ぶり、仕方ない、これも当たり前でもある。

しばらくウロウロしてみたが、知ってるお店も一軒も見当たらなかった。

駅に戻り、南海本線で一度難波方面に向かい、天下茶屋駅で南海高野線に乗り換えUターンするように南に向かう。

急行停車駅北野田で降りる。

大体の場合、急行の停車駅には街がある。

北野田の大きなスーパーで花を買った。

次に向かうのは、その北野田から二駅向こう、萩原天神の駅近くの立ち飲み居酒屋。

難波ヘアテックで店長した時、最初のスタッフだったヨシコ。

理美容師を諦め、今は友人と居酒屋を二店も共同で経営しているらしい。

数年前、SNSで繋がったが、メッセージで会話を交わすことは少なかった。

SNS情報では先日に7周年を迎えたらしく、買った花はそのお祝いだ。

立ち呑み居酒屋「くりゅう」。

少し開いた小窓から漏れる明るい笑い声、間違いなくヨシコだ。

扉を開ける。

カウンターに常連がひと組、壁際のゲームに夢中は若者達がひと組。

「いらっしゃいませ!」

出迎えてくれたショートヘアの女性はヨシコではない。

もう一人の女性と目が合った。

私はゆっくりとマスクを外した。

「あーーーっ!お久しぶりですぅー!」

ヨシコだ!

相変わらず明るい。

「来たでー!とりあえずコレ、お祝い!7周年おめでとう!」

「やっと来たけど、一杯飲んですぐに帰るわ!」

「次、ミナミでヘアテックとコラージュの連中と8時に居酒屋やねん!」

「あ、もう絶対に遅刻やな」

「まあええわ!ヨシコ!やっと会えたわ~!」

調理の手を止めたヨシコが、

「その節は大変お世話になりました・・」と両手を前に揃えて頭を下げた。

「あ、昔散髪屋してた頃の師匠ですぅ」

カウンターの常連客に説明するヨシコ。

「あの時、自分も27歳やったから、若かったから、厳しくしてゴメンな」

「いや~、ワタシも19歳やったから・・・、たぶん店長大変やったと思いますわ~」

「大変やったわ!!」

店内の常連達が一斉に笑う。

「夜遊びして仕事中に寝るし!コーヒーの空き缶を灰皿にするし!」

「お店終了後にレッスンせーへんし!前髪スプレーで立たせるまで朝の掃除に入らへんし!」

店内の常連達が大爆笑に変わる。

「でもね!顔剃りが上手いんよ・・・これが、メチャ上手い・・」

「ホンマ、技術はもってたな・・」

まんざらでもない顔のヨシコ、

「でも国家試験落ちましたけどね」

「そーそー!お前な!ウチのグループで国家試験落ちたのお前だけやぞー!(笑)」

「うう、、(笑)」

手際よく次から次へと客の注文を調理するヨシコ。

常連に愛され、面倒見の良さそうな友人にも恵まれ、もうちゃんとした商売人になっている。

「いかん・・もう行かなあかん!」

「ゴメン!早いけど・・、またいつか、いや近いうちにくるわ!」

最後に声を大きくして、

「スミマセン!!ふしだらな娘ですが!!これからも可愛がってやって下さい!!」

深々と頭を下げた。

「ふしだらって・・(笑)」

急ぐ、

難波に戻る。

「ゴメン、ちょっと遅れるわ!」

長い一日の最後はミナミの居酒屋。

ヘアテック、コラージュのミニ同窓会。

私の久しぶりの大阪に合わせて集まってくれる。

地下の居酒屋は宮崎地鶏がメインのお店。

「お待たせー!!」

コラージュの吉富店長、磯山君、上山君、ヘアテックの藤井、田中君、懐かしい顔がならぶ。

少し遅れてヘアテックの佐藤君が現れた。

気の置けない仲間達、吉富店長とはヘアテック・コラージュの起ち上げからの同志だ。

バラバラになった皆は大阪でも集まるような事は無いらしく、久しぶりの再会を喜んだ。

佐藤「上田店長の教えが今の自分の基礎になってます」

  「カットの姿勢、シェービングの姿勢、もう何ちゅうか教科書ですわ」

そうそう、そんな話、私ももう50を過ぎている、こんなご褒美のような話をもらってもいいだろう・・

佐藤「ただね!ただ・・!成人式行かせてもらわれへんかったんが納得いかへん!(笑)」

  「田中君(後輩)は行かせてもらったのに!オレんときはダメやった!(笑)」

磯山「そりゃあ【時代】や!」 吉富「【時代】や!」 藤井・上山(笑)

田中「でも僕、佐藤さんのおかげで万馬券当てて、それでスーツ買って成人式に出ましたよー(笑)」
  
  「シルクジャスティスですわー」

佐藤「おったな、シルクジャスティスな(笑)」

そうそう、このノリ。

褒めて落として、落として褒める、これが大阪だ。

吉富「また機会あれば、今度は今日来られへんかった人も集めてもう一回やりましょ!」

ハイチーズ!

「ラーメン行こうや!」

ラーメンに参加するというこは終電を逃すということ。

皆、私のわがままに付き合ってくれた。

神座ラーメン

それから何処のお店に行ったのか記憶がない。(もう酔っ払い)

どうやら入店後すぐ、ソファーで爆睡したらしい。

どうやってホテルに帰ったのか、全く記憶がないが、そのまま深い眠りについた。

この日の歩数は、スマホアプリによると2万8千歩を越えていた・・・。

~2~

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大阪物語2020 「あしあと」(1)

2020年04月02日 | エルソル大阪物語~番外編

※以前書いた「大阪物語」を読んでいただいた方だけが楽しめる日記です。

~おことわり~
新型コロナウイルス、
4月を迎えた今現在は、凄まじい勢いを見せるウイルスに対して三つの密が注意喚起されたり、
(換気の悪い密閉空間、多くの人が密集、近距離での密接した会話)
週末の不要不急な外出を控えるように促されたりと、
爆発的感染に至らぬよう毎日のように報道を通じて呼びかけがされている非常事態が続いています。

これから書く日記は、まだウイルス騒動が大きくなる少し前のお話です。あしからず・・

~1~

通路側に備え付けられたカーテンを引くと狭い個室が出来上がる。

空気のこもった空間に、ついさっき振りまいたエタノールの消毒臭が鼻をかすめる。

高知を出発した夜行バスは、深く倒した座席シートの上で前後左右に揺られながら大阪へと向かう。

7年ぶりの大阪は、親戚のお見舞いが主な目的だが、「自分の足跡を探す旅」でもある。

久しぶりの一人旅でフットワークも軽く思いのままだ。

世間はウイルス騒動のさなかで、

3月中旬の大阪は、ライブハウスからクラスター感染したニュースで騒ぎ始めた頃だった。

去年の暮れから決めていた大阪行き、10枚のマスクと携帯するエタノールで対処する。

1泊2日の大阪は、北から南へとかなりの距離を歩くことになるはずだ。

少しでも寝ておきたいところが、おそらくそれは無理だろう。

これから出会う人や景色の事を思うと胸の高まりが抑えられない。

大阪で仕事をしていた頃にもよく利用した夜行バス、

うれしい帰省に胸を膨らませ、いつも寝つきが悪かったものだ。

夜行バスというタイムマシンは、揺れながら長く暗いトンネルをくぐる。

朝6時前、タイムマシンは大阪難波近くの湊町バスターミナルに到着した。

リュックを背負い外に出ると、実に当たり前の見慣れた大阪の景色が現れた。

「すぅ~」っと大きく息を吸うと、もう何だか大阪に帰ってきたような感覚になった。

吐いた息は白い煙となって空に消えた。

前日に訪れた寒波は、寒の戻りとなって冷たい空気が頬を刺す。

ニット帽を持ってきたのは正解だった。

まだ少し夜の雰囲気を残す景色の中を歩き出す。

目の前に現れたビル群、自然と目線が上がる。

バスの着いた湊町は、高速の高架をくぐるとすぐに西区になる。

四ツ橋筋を徒歩で進む。

目の前に見えている黄色いビルは早速昔の職場である。

西区南堀江は、繁華街御堂筋側から見るとアメリカ村を挟んでひとつ西側のエリア。

約30年前当時は、オシャレなショップが集まりはじめた洗練されたエリアだった。

私は昔の足跡を辿っている。

見慣れた風景、変わってしまった風景、寝不足な頭でも分かる「懐かしい空気」を感じながら歩く。

ほどなく昔の職場に到着した。

角は「照ちゃんラーメン」だった場所、その横が私の修行場「ターニング」だった。

一体何がそうさせたのか・・、まるでNY。

照(てる)ちゃんラーメン、広島のさらに山奥の出身だった大将はお元気でおられるだろうか・・。

修行に入ったばかりで貧乏だった私に、チャーハンを勝手に大盛にしてくれた大将。

照ちゃんラーメンの焼きめしは、今でも私のナンバーワンだ。

「ターニング」

このシャッター、今は何屋さんなのか想像もつかない。

苦難の末に辿り着いた修行先ターニング、

今の私の技術を支えている大きな部分はここで勉強したものだ。

マスターが河内長野に店舗兼住宅を購入したあと、知り合いの理容師に権利を譲ったと聞いていたが、

どうやらここはもう理髪店ではなさそうだ。

地下鉄に乗るためにアメリカ村方面へ向かう。

高速環状線をくぐるとアメ村エリアはすぐそこ。

通称三角公園(アメリカ村)。

三角公園はアメ村の中心部、・・だがしかし周りの景色は一変した。

アメカジなアパレルショップが軒を連ねていた昔と違って、飲食店が多い。

昔は若者が溢れ、掘り出し物の多いアパレル街だった。

路上のゴミ、人の多い所はマナーの悪い人も増えるということか・・

御堂筋に到着。

梅田と難波、キタとミナミを繋ぐ大阪のメインストリート「御堂筋」。

当然だが、山なんて何処にも見えない(笑)。

神座のラーメン。

まだ朝の6時半、早朝にラーメンを食しているという・・、眠らない街「ミナミ」。

ちなみにこのお店の営業時間はAM10:00からAM7:00だ。

ザ・大阪!道頓堀のグリコ。

通称「ひっかけ橋」。

ひっかけ橋=ナンパ橋、友人と一度だけナンパに挑戦した記憶がある・・(笑)。

かに道楽。

その巨大オブジェは大阪のシンボルのひとつでもある。

道頓堀川。

今現在田舎に住む者として、この汚染された川に飛び込む若者達は勇者に違いない(笑)。

御堂筋を南下する。

派手な建物は新歌舞伎座。

その向かいのアーケードに入ると、今夜の宿になるビジネスホテルがある。

御堂筋ホテル。

実はすぐ近くの千日前のホテルを予約していたのだが、

「ウイルス騒動で宿泊客のキャンセルが相次いだため」臨時休館になった模様で、

代替ホテルとして紹介されたホテルだった。

天然温泉がウリだというが、今夜は酒の宴があり、湯船に浸かるのは無理だろう・・

まだ早朝なのでチェックインは出来ず、場所の確認だけでスルーする。

地下にもぐる。

地下鉄御堂筋線。

当然ながらマスク率が高い。

梅田に向かう。

月曜日早朝、世間は休日明けの出勤風景。

昔はこういう人混みに紛れていたものだ。

田舎者の梅田の待ち合わせ場所は紀伊国屋書店そばのスクリーン前。

外に出て中津に向かう。

梅田は難波とは違って、歩いていても食べ物の臭いがしない(笑)。

阪急梅田駅から歩いて向かう中津、これも昔の通勤道だった。
 
モクレンが綺麗に咲いていた。

こんなに綺麗に咲いているのに、通勤で急ぎ足の人々はまるで無関心に通り過ぎる。

しかし・・目的地までが結構遠い、こんな遠い距離を毎日通っていたとは・・。

田舎暮らしが長くなると歩かなくなる。

歩くのはマイカーが置いてある駐車場までで、あとは車での移動が基本となる。

当然都会の人達のほうがよく歩く。

田舎の人達が健康的なイメージなのは景色や雰囲気によるものである。

徒歩20分、もう一つの職場「ラッキー」に到着。

ここは約2年半働いた職場で、少し安い料金設定なお店はいつも繁盛していて、

「数をこなす」という修行にはもってこいの職場だった。

さすがに月曜は定休日で、マスターに会うことはできなかった。

周りのお店が全て変わっているところを見て、そのまま存在しているラッキーが今でも繁盛店なのを確信する。

きっとマスターも変わらずお元気に違いない。

Uターンして梅田に戻る。

その途中、MBSビル前でタクシーを拾う。


「長柄橋を越えて上新庄までお願いします」

まだ道をちゃんと伝えられる自分がうれしく感じる。

淀川を渡る車窓から見える景色、遠くの山は白い。

「雪が降ったんですか?」

「ああ、神戸のほうは降ったみたいですね~」

「やっぱりコロナは大変ですか?」

「もう商売はさっぱりですわ~」

「大相撲も無観客やし、センバツまで中止って、ホンマえらいことですわ~」

「ホテルも飲食も・・・、潰れるところも出てくるんやないですか~?」

「高知でもデマに踊らされてトイレットペーパーなんか無かったですよ!」

「今でもマスクやアルコールは全く手に入りませんしね」

「ウチら運転手にもマスクは3日に一回、一枚しか支給されませんわ~」

「申し訳ないけれども、私のマスク、今日が3日目ですわ~(笑)」

降ろしてもらったのは上新庄。

新婚当初に住んだ最上階の部屋は、夏に水都祭の花火が見られる眺めのいい部屋だった。

その夏の事、嫁のお腹は臨月を迎え、それはちょうど私の休日だった。

近所に雷が落ちたことがきっかけで陣痛が始まり、駆け込んだ産婦人科ではお産が重なりパニックぎみ。

医者に促されたまま一緒に分娩室に入り、心の準備も出来ないままの立ち合い出産だった。

長女はここで2歳まで暮らしたが、本人はもう覚えていないだろう。

難波のお店で店長として雇われ、家では頼りない新米パパ。

バタバタだったが充実していたあの頃、ここにもしっかりと足跡が刻まれていた。

新幹線の高架を曲がると下新庄へ向かう。

下新庄は結婚までの数年住んだマンションがある。

仕事は中津のラッキーに勤めていた頃で、やりたい仕事と違うジレンマがストレスなりモヤモヤとしていた時期である。

今でもちゃんとあったマンション。

裏側の北向きの部屋は日当りが悪かったが、遅く帰って寝るだけの部屋だったんで問題は無かった。

すぐ近くの公園はヨチヨチ歩きの娘をよく連れて行った場所。

柵で囲まれた砂場は、常連のお母さん方が群れていて、

「公園デビュー」ならぬ「砂場デビュー」はかなりハードルが高かった。

下新庄の駅ホームに立つ。

再度梅田に向かう。

朝9時前に人と会う約束があるのだ。

阪急梅田駅。

バタバタした難波と違って落ち着いた梅田は気品さえ感じる。

大阪で過ごした半分は南の南海電車で、もう半分は北の阪急電車が通勤電車だった。

駅構内の歩くエスカレーター。

しまった・・、乗り損ねた・・(笑)。

阪急百貨店の通路は昔から洗練されたままだ。

「上田さ~ん!?」

待ち合わせ場所に現れたのは、理容ヘアテックで店長をしていた時のお隣美容室コラージュのサンちゃん。

今では一児の母で、ウイルス騒動で長い春休みになった娘さんを連れていた。

近くの喫茶でモーニング。

サンちゃんは私の知り合いの中でもスキルの高い人。

「前を向く力」「前に進む力」に優れ、地に足のついた大人で、

今回の弾丸大阪ツアーで会いたかった一人だ。

私よりも早く独立したサンちゃん、今は神戸芦屋でヒーリングサロンを経営しながらフリーランスとして活躍もしている。

私の質問に理路整然と答え、適切なアドバイスもくれるしっかり者のサンちゃん。

こういう女性の傍には大体、放っておけない男が存在したりするものだ(笑)。

最初に会った人がサンちゃんで良かった、そう感じながらコーヒーを飲んだ。

こんな私でも早朝から電車に乗ってわざわざ会いに来てくれる人がいる。

これも私が大阪に残している足跡のひとつでもあるという事にしておこう。

次は高校時代の友人(女性)とのランチに向かう。

サンちゃんに教えてもらった道を進むが、やはり田舎者は外に出たくなる。

地上はもうすでに何処だか分からない・・。

野生の勘でどうにかハービス大阪に辿り着いた。

友人が予約してくれているB2の「禅園」に到着。

仕事の昼休憩中にほどなく現れた友人と合流してランチ。

本来は懐石料理などで敷居が高い感じのお店だが、昼のランチはリーズナブルなものらしい。

クラスメートだった友人との会話は方言丸出し(笑)。

全く気を遣わない同級生とのやりとりはしばしの癒しでもある。

ランチ後、近くのリッツカールトンホテルのロビーにて、

「いや~ん!ここメッチャ雰囲気ええや~ん!ここで一緒に写真撮ろうーっ!」

「嫌や!恥ずかしいぞ!」

「スミマセン!ちょっと写真撮ってもらえますか!?」(勝手に近くの女性に頼み込んでいる)

「ちょっと待てっ!こらっ!!え?マジ!?」

「ハイポーズ」カシャ!

同級生と別れ、地上に出る。

ここが何処なのか分からないが、あのビルには見覚えがある。

空中庭園とかいって話題になったあのビルは確か西梅田。

ここは一体何処なのだろう・・

あれはJRの梅田駅?

「梅田は変わった」そういう知識はあったが、これほどまでに変貌しているとは・・。

サンちゃんの話では、この後の大阪万博に向かってさらに大きく変わるらしい。

都会とは常に変化を求める場所なのだ。

ほどなく地下鉄御堂筋線の梅田駅に辿り着いた。

そうそう、変化といえば駅の改札。

チャージしたカードでICタッチ。

これは便利。

がしかし、お金を使っているという感覚が鈍る。

地下鉄で再び難波に戻る。

そういえば、難波も風景は変わった。

難波駅から徒歩2~3分、グラムール美容学校に到着。

すぐ近くの難波府立体育館そばにあった旧関西美容理容難波専門学校。

母校であり、助教師として働いた職場でもあった。

その頃のこのビルは、学校の持ちビルで高砂殿という結婚式場だった。

その後、高砂殿は複合テナントビルになり、

さらにその後、専門学校はグラムールと名を変えてこの地に移った。

このグラムールに立ち寄るのは恩師に会うためだ。

受付ロビーで待たされた後に出てきた恩師・・

長澤先生。

理容科が無くなった後も学校に残り、学校の広報として全国の学校説明会に出向いていた頃、

四万十中村にも立ち寄り、私も仕事を抜けてホテルで行われた学校説明会にグラムール職員として椅子に座らされた・・、

あの時以来の再会である。

長澤先生は学生時代の先生でもあり、職場の上司でもあり、最後は関美グループの同僚でもあった。

私の一番の恩師だ。

少し歳をとった先生は、少し痩せて、少し背中も丸くなったような気がした。

「おお、ひさしぶりやな!」

「お久しぶりです、もうこの歳になるとこうやって訪ねてくる人も居ないんちゃいます?」

「この前お前の教え子の大園が突然きたわ、覚えてるか?」

「大柄な色白の子でしょ、覚えてますわ、へ~、頑張ってるんや~」

「ちなみに同期の辻上とかの情報とか無いんですか?」

「さすがに無いな~、もうあの辺の子達も結構な歳になってるな、それぞれ頑張っるんちゃうか?」

そういう長澤先生も、一度定年で退職したあと、再雇用でのパート勤務らしい。

「長い時間働かせてもらわれへんねん、2時に終わるから、後でもう一度おいで」とのこと。

そんな話をしているところに社長(校長)に出くわした。

さらに、着付けの谷先生も現れた。

しばし、昔話に花を咲かせる。

2時までまだ少し時間があるので、昔の職場に向かう。

高島屋裏手の高架下マクドナルド。

その昔、周辺には高島屋、府立体育館、大阪球場、場外馬券場などがあり、多くの人が行き交う場所だった・

このマクドナルドは当時、西日本で一番の売上を誇ったらしい。

すぐ近くに、ホテル南海だったビル。

ここが私の大阪のすべての「はじまり」だった。

真向いのパーキング奥には、私の大阪の最後の職場だったヘアテックが見えている。

何とも感慨深い空間・・。

あの何ともいえない湿気がまとわりついた難波、早春ではあるが今では全く感じられない・・。

私が大人になったのか、街が変わったのか、

あの熱気に満ちた湿気はもう感じられないのだろうか・・。

府立体育館横の交番。

クレーマーなお客「厄介」連れて飛び込んだ交番(笑)。

若気の至り・・だったかな。

府立体育館。

現在の正式名称は写真のとおり。

現在大相撲春場所が開催中であるが、ウイルス騒動により無観客で行われている。

派手なノボリも全く無く、表に人は誰もいない。

体育館横手に回る。

力士もマスク姿で歩いている。

本来難波はこの季節、歩く力士のビンヅケ油の匂いが漂うが、

ほとんどの力士がタクシー移動を義務付けられているようで、辺りは閑散としたものだった。

体育館裏手でタクシーから降りる力士達。

この時、警備員に「近づかないように」と警告された。

今場所は無観客開催、

お客を入れない、こんな開催に何の意味があるのだろう・・。

昔の職場、旧関美、旧美容室コラージュ、旧理容室ヘアテック。

バーバーヘアテック(だった場所)

心臓は鼓動を打ち、目を見開くような緊張感、

今すぐにでも働けそうな・・やる気に満ちたエネルギーを残している。

シャッター前はホームレスの寝床だった。

そういえば、そこら中にいたホームレス達は何処にいったのだろう・・

昔はこんなリヤカーで、大量の段ボールを集めていた人達も多かったものだ。

グラムールに帰り、長澤先生と合流して「なんばCITY」に潜り込んだ。

先生は初めてというスタバでコーヒーを飲む。

今現在、下降線を走る美容学生の数、そして学生の質の低下。

「働くということ」「自分のために修行するということ」「教えていただくということ」、

社会は少子化が進むにつれ、いつの間にか学生達の売り手市場となり、

「お店で働かせてもらっている」という意識が薄れ、

将来の目標もないまま働くことから、簡単に辞めて安易に転職をする者が多いらしい。

これは今後に起こる美容業界の不況が簡単に予測できる。

理容師に至っては空前の灯、もう後継ぎさえ見つからない伝統工芸の域だ。

先生と別れ、そのまま隣の高島屋に入る。

バタバタ旅なので、お土産は買えるときに買っておく。

午後3時過ぎ、ホテルのチェックインに向かう。

高島屋前スクランブル交差点。

すぐに551蓬莱、これも大阪名物だが、お腹は空いていない。

再びホテルに到着。

立地条件は素晴らしすぎ、次回来るときはここにしよう。

室内は普通のビジネスホテル。

カプセルホテルでもよかったのだが、しっかりと寝たいので・・

不要な荷物を部屋に降ろしてすぐにホテルを出る。

~1~

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エルソル大阪物語■番外編2■「春一番が吹いた日」

2019年02月28日 | エルソル大阪物語~番外編

■番外編2 「春一番が吹いた日」■

平成31年、2月下旬のある夜のこと・・

夕食を囲むテーブルの端で長男のスマホが鳴った。

「はい、え?何?どーした?」

スマホ片手にテーブルを少し離れ、ソファーに寝転がり話し始めた社会人2年目の長男。

「は?何でオレがお前のために東京へ行かないかん?」

「お前が春にでも帰って来いや~」

「お前な~、この前偶然に会うた先生がお前の事心配しよったぞ~」

どうやら都会に出た高校の同級生からの悩み事の電話らしい。

青い二十歳どもはそれぞれの地で苦悩の真っ最中、そうやって誰かに話すことで乗り切れればいい。

・・と、今度は自分のスマホが鳴った。

着信画面には登録していない携帯番号が表示されている・・。

少しだけ間を置き画面の受話器マークをスライドさせた。

「もしもし?」

すると聞きなれない、歳の頃も分からない、しかし少し人懐っこい男の声が聞こえてきた。

「あの~、この電話は上田君であってますかね?」

「はい、上田です」

「あの~、ワタシ、大阪のクリですが・・、分かるかなぁ?」

「え~っと、・・・ちょっと、スミマセン・・」

「あの~、大阪の散髪屋の~、ターニンの久里ですが・・分かる?」

「えーー!久里マスターですか?!えーー!お久しぶりです!」

電話の主は、私が理美容学校の助教師を辞めて苦労した後に辿り着いた修行先「ターニン」のマスター久里さんでした。

「いやね、今日な、兼井君が訪ねてきてくれてな、分かる兼井君?」

兼井君とはターニン時代の後輩の名前。

「分かりますよ~、数年前にサーフィンで四万十にきたついでにわざわざ探して寄ってきてくれましたわ~」

「そうやろ、それでワシ、上田君の電話番号教えてもらってん」

「そうですか~、お元気そうですね~」

「上田君も元気にしてる?」

南堀江に河内長野、ターニンは5年近く在籍した一番の修行先、

久里マスターのCUT技術は洗練されて素晴らしいものだった。

久里マスターは基本は不器用で、ネジ一つも上手に回せないような人、

しかし、いざCUTに入ると天才的なセンスで、ミナミのビジネスマンや遊び人を満足させていた。

人懐っこさは地方出身者からくるもので、いつも四国愛媛訛りが言葉の節々に優しく出てきたものだ。

性格も温厚で、少し大柄な奥さんがいて、自分は亭主関白なつもりでいるが、

大体は明るくおおらかな奥さんの掌で転がされていた。

大柄な奥さんに小柄なマスター、いわゆる蚤の夫婦というやつだ。

小柄な久里マスターの修行先はミナミのド真ん中、心斎橋の理容店、

若い頃にそのミナミ界隈を遊んだ感じで、

パンタロンのようなパンツに太めのベルト、柄の入ったシャツは大きな襟付きで、開いた胸元からは金のネックレスが見えてるという、

トラボルタ流とでもいうか、ファッションはいつも70年代風だった。

私がターニンで働いていた当時、娘、息子と、二人の小学生を抱えており、

自分のファッションなどにお金を使わずに昔の物を着続けている・・、いつもそういう感じだった。

濃い顔で、クシャっと笑う笑顔は、周りにいる人達を穏やかな気持ちにさせた。

久里マスターは、昔の頑固一徹な親方衆とは違い、要所要所で誉め言葉を口にする人だった。

「上田君と兼井君は性格もそれぞれ違うけど、君たちは必ず成功するから安心して頑張って」

若く青かった自分達はそういうひと言に励まされながら頑張れたものだ・・。


「田舎に帰ってお店やってるんだってね~」

結婚したこと、地元に帰ってお店を出したこと、3人の子供達がこの春にみんな社会人になること、近況を簡単に説明した。

「どう?景気は?」

「いや~地方の不景気ぶりはスゴイもんで大変ですよ~(笑)」

言った後に、心配させるようなことを口走ってしまったことを少し後悔した。

マスターの柔らかい口調は相変わらず人の本音を引き出す。

「今、景気がいいのはたぶん東京だけじゃないですか?」
「こんな田舎にも1000円散髪とか、大衆理容が結構あって、どこも繁盛してますワ」
「そういえば兼井君も大阪で安売り店3店舗のオーナーって言ってましたよ~」
「不景気やと安いものにはかないませんワ~」


「・・そうか、地方にも安売り店、大変だねぇ」

「ところで親父さんは元気?」

ターニンで5年を迎えた頃、親父がガンになり大きな手術をするということで、少しの間実家に帰らせてもらった。

ちょうどその頃、修行もマンネリ化に悩んでいて、親父の病気を理由に「高知で働く」と嘘を言いターニンを辞めた。

それからお店を変えて大阪に居続けたのだが、バツが悪くそれ以来久里マスターとは連絡をとっていなかった。

そういう後ろめたさがあり、スマホを耳に当てながらソワソワと部屋をうろついた。

「親父はまた違う病気で死んで、ちょうど先日に7回忌を終えたところです」
「ちなみに、先にオフクロも病気で死んでて、2年前に7回忌を終えてますよ」
「僕ももう50を過ぎてるんでね、親もまあ・・ね、順番ですわ」


「・・・、それは知らなかった、申し訳なかったね」

「随分と苦労したんだね・・・」

苦労したという自覚もたいして無いまま突っ走ってきたが、

久しぶりに目上の人から労ってもらったことに心の動揺を感じ、目頭が熱くなった。

「ワシな、この冬にやっとお爺さんになってん、67歳にして初孫やで(笑)、遅いやろ?(笑)」
「娘が里帰り出産で、今日初めてワシがお風呂に入れたってん(笑)」

奥さんが奪い取るように電話をとったらしく、

「上田君か?久しぶりやな!元気にしてるんケ、孫?そうそう、もうてんわやんわややでぇ~(笑)」
「え?私の父?爺さんか?そんなもんとっくに死んでるがな(笑)、爺さんによく缶詰めもらった?ようそんなこと覚えてるな~」
「上田君もきっと孫なんかすぐやで!頑張ってナ!ほなナ」

奥さんの明るい声は昔のまんまで懐かしく感じた。

電話は再び久里マスターに、

「長話になってゴメンなぁ」
「今日は兼井君が突然来たり、孫を初めてお風呂に入れたり、上田君と喋ることもできたり・・、なんか嬉しくてな~」
「・・上田君、君は必ず大丈夫やから!これからも頑張ってな!」

「ああ、それとな」

「ありがとう」

「今の自分がこうしてあるのも、あの頃に上田君や兼井君がウチで頑張ってくれたおかげや、ホンマやで、感謝してるわ」

「今日のこの電話はそれが言いたかってん・・」

「ありがとう!」

25年間も連絡を取らないようなこんな出来損ないに、こんな有難いお言葉・・・、

「いや~マスター・・・」

胸が締め付けられ、こみ上げてきた涙からシャガレ声に・・

「そんなん言わんといてください・・・」

涙があふれ出てきて、目頭を押さえ続けた。

「いや、こちらこそ、ありがとうございました、スミマセン・・、スミマセン・・・」

「これからもお元気で・・」


やっぱり、

人と人は繋がって生きている。

言葉は言霊となって心に響き、癒しや勇気となって人を育てる。

25年ぶりの突然の電話は私にとって「春一番」となり、長い冬を吹き飛ばしたかのような爽やかさが残った。

春には年号も平成から変わり、新しい時代の幕開けとなる。

これまでのすべての出会いに感謝し、これからの一つ一つの出会いを楽しみにしながら生きてゆこう・・・、

そう思った。


■番外編2 「春一番が吹いた日」■

「春一番が吹いた日」~The Chang~

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エルソル大阪物語■番外編■「ヒトヲ オモウ チカラ」

2018年02月04日 | エルソル大阪物語~番外編

■番外編■

<家族旅行以来の久し振りの大阪に出向いた目的は・・・>

高知からの夜行バスは実にあっさりと大阪湊町に到着した。
トイレを済まして外に出る。
足元のスズメがチュンチュンとジャンプしながら街路樹の茂みに消えた。
陽は出ていないが空気の澄んだ初夏の朝で随分と気持ちがいい。

湊町は難波繁華街のすぐ西側で、JRの難波駅がある。
しかしJR難波駅というのは地下に隠れており、地上には派手な看板のラブホ街が立ち並ぶ。

4車線の横断歩道を渡るとすぐに西区。
四ツ橋筋を3分も歩けば昔の職場に到着する。

角地にあったはずの「照ちゃんラーメン」は無くなって、
下世話な黒塗りのシャッターが下りていた。


その隣にあるはずだった昔の職場「ターニン」もどうやらブティックか何かに変わったようだ。


長い歳月は街を大きく変貌させ、懐かしささえ感じられない。

とはいえ大きなビルや路地の空気は昔さながら。
理容師修行のスタート地点、そのお店の前に立っていると思うと少しだけ感傷的な気持ちになる。

アメ村を抜け御堂筋に入る。

御堂筋は相変わらずミナミの象徴。

高島屋はいつも難波の拠点。


高島屋を通り抜け、スクランブル交差点を渡るとすぐに「ホテル南海」、
(おそらく名称は変わっているが・・)


府立体育館と厄介連れて行った交番もそのまま・・(笑)。


そして・・「関美」。

(関美はグラムールと名前を変えて、高速バスが到着した湊町に場所を移している)

空ビルの1階は「コラージュ」だった場所。
その側面に・・

「ヘアテック」(だったところ)


不思議な感覚だが、今すぐにでも働けそうな・・
それくらい強い思い入れがあったということなのだろうか・・。

昼すぎまで難波の街をブラブラした後、南海電車の難波駅に向かう。

モスグリーンではなくなった南海電車に乗る。


「羽衣」で下車。
駅前はもう屋台のラーメンとかも無さそう。


旧商店街を抜け、4車線の横断歩道を渡る。


路地を曲がるとそこは・・・、あった、梶丸文化。


急に心臓の鼓動が鳴り始め、鉄の階段に向かう。

鉄の階段を上がると、やはり手擦りが反動で大きく揺れる。

その揺れに反応して手前の部屋の大村婆さんが・・出てこない・・。


人が住んでいる様子もない。
それはそうだろう、あれから30年も経っているのだ。
それくらいの覚悟でここにやってきた。

真ん中の部屋は私が初めて大阪に出てきて住んだ部屋。
ここも人が住んでいる気配がしない・・。


しかし、奥の部屋の前には植木鉢が並べられ、綺麗な花を咲かせている・・。

「西田さ~ん!」
扉をノックして、祈る気持ちで様子を伺ってみる。

返答無し・・、
やはりそうか・・、同じ人がずっと住んでいるわけないか・・。

鉄の階段を揺らしながら降りているその時、

「は~い」

聞き覚えのある声とともにオバサンが顔を出した。

「あ!西田さんですよね!?」

「そうですけど」

上田「え~と、あの、あ、こんにちは、御無沙汰しております」
  「以前、いや、かなり昔に隣のココに住んでいた上田と申します」

西田「いや、ちょっと・・覚えてないですワ~」

上田「あの、散髪学校の学生で・・、そうそう、後にこの下の一階にも住んでました、え~とその・・」

西田「!あ~、高知の兄ちゃんかいな!」

上田「そうです!」

西田「えーっ、全く面影無いなぁ~、いや~立派になってぇ」
  「どないしたん?今日は」

上田「あれから大阪に長いこと住んでたのに、挨拶にも訪れずに申し訳ありませんでした」
  「あんなにお世話になったのに・・」
  「今、高知でちゃんとお店出して何とか頑張ってます」
  「いつかココにお礼に来んといかん思いまして、今日やっと来ました」
  「いや~、西田さんお久しぶりですね~」
  「お元気そうで何よりです!」

興奮して一方的に喋りました。

西田「そうかいな、わざわざ、うれしいなぁ~」
  「思い出してきたで兄ちゃん」
  「へ~結婚もして、子供さんもできて、へ~そうかいな」

  「大村さんが生きてたら喜んでたやろうなぁ~」

上田「えっ?」

西田「ああ、大村さんナ、あれからボケてナ、老人ホーム入りはって」
  「それから死んでん」
  「ボケてからは大変やってナ~、しばらく私が世話しとったんやけどナ」
  「お金を盗んだやらモノ盗みに来たとか言われたりして、まぁ~大変やったワ」

上田「そうだったんですか・・」

西田「そやけど死んでもうたらやっぱり寂しいもんやな・・」
  「ず~~とご近所さんやったサカイ」

上田「僕ももうちょっと早く来んといかんかったですね・・、残念です・・」

通路ベランダから少し辺りを見渡す。

上田「この辺もだいぶ変わりましたねぇ」
  「あ、そうそう、西田さんの真下、ヤクザ夫婦でしたよね?」

西田「あ~、う~~ん・・」
  「あれナ、う~~ん、たぶん奥さんの方が先に死んでたナぁ」
  「それからオッサン首つり自殺や」

上田「え!?ここでですか!?」
  「え!?そんな事件があっても怖くないんですか!?」
  
西田「これだけ長いこと住んでたらそりゃイロイロあるわナ、ハハハ」

ベランダには西日が差してきました。
植木鉢の花はその西日のほうを向いていました。

西田「そういえば、アンタ訪ねてきたの2回目やな」

上田「え?」

西田「アレ、いつやったかな~」
  「アンタ東京行ったやろ?」
  「そのあとやったワ」
  「わざわざ訪ねてきてくれてナ」
  「オバサン、部屋見せてくれ言うねん」

上田「え?ちょっと全く覚えてないです・・部屋をですか?」

全く予期せぬ展開に、何故か涙腺が緩みました。

西田「見せてくれ言うたんは私の部屋ちゃうでぇ、そこのアンタが住んでた部屋や」
  「その時は私の娘が住んでた部屋やったからナ、鍵開けて見せたってん」

  「そしたらな、うわぁ~懐かしい~って」
  
  「それから大きな声でな・・」

  「【こ~んなに広かったんやなぁ~~】・・・やて」

  「ハハハハ、この狭い部屋がやでぇ」

  「私な、あ~この子、東京でかなり辛い思いしてきたんやろな~、って思うたワ」

緩んだ涙腺から涙がこぼれました。

上田「・・・、ありがとうございます・・・」

こんなところに・・、自分なんかの事を想ってくれた人がいる。

「青かった自分」「辛くて東京から逃げだした自分」、

そんなことを察してくれた優しい西田さん・・。

何て梶丸文化は・・、いや何て大阪は温かいのだろう・・

涙を拭い、西田オバサンに言いました。

「今日は来た甲斐がありました」

「いや~ホントにありがとうございました!まだまだ頑張れそうです(笑)」

「西田さん!記念写真撮りましょう!!」



人は人と繋がって、それを支えにして生きていく・・。

「人を想うという力(チカラ)」

大阪の「湿気」が持つ「温かさ」は、私のかけがえのない財産となりました。

■番外編・完■

これにて「エルソル大阪物語」は本当の終了です。ではみなさん、また逢う日まで!!

「人生という名の列車」~馬場俊英~


「分かってるし、でもできないよカトちゃん」(笑)

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