「62kmすぎ」、
カヌー館を出るとゆるやかな上りが続く。
ということは攣りとの闘い。
そしてここにきて炎天下となり、日差しがキツくなってきた。
汗は塩となり、顔をなでると塩の塊がザラザラと手についた。
ロングタイツの上にも塩が浮きはじめ、ここで初めて今回の失敗に気付く。
水分ばかりに意識がいって塩分補給を怠った。
しまった・・、多めの水分は結局体の塩分濃度を薄めるだけで、それだけでは意味がない。
エイドの梅干しや塩を無視し続けた結果、バランスが崩れて攣ったのだろう。
せめてエイドで5km毎に置かれてあるスポドリだけでもちゃんと補給するべきであった。
手に付いた塩を眺めながら思った。
網代地区にある赤橋のたもとのエイド、
ランナーの到着手前で中学生ボランティアが水を手渡ししてくれる。
「ありがとう」
旧道を走り、県道に合流する。
係員に、歩道じゃなくて車道を走るように促される。
これは有り難い、歩道の足元は段差があったりして疲労した脚には危険個所もある。
少しの下りは前モモが焼けるように痛む。
がしかし、この痛みは多くのランナーが共有しているはず。
前モモの痛みだけでは歩いてはいけない。
「68kmすぎ」岩間沈下橋そばに到着。
岩間沈下橋は数年前に橋の橋脚が崩れて通行止めが続いている。
早く復旧して沈下橋の上を渡りたいものだ。
近くのエイドに到着。
「次の関門、ギリギリかもしれませんがイケますよ!」
そうだろう、次の関門は71.5km茅生(かよう)大橋。
私の不調時のリタイア地点で最も多いのがソコ。
もう感覚で十分分かっている。
次の関門は必ずくぐれる、・・がその次がかなり厳しいはず。
「71.5km茅生大橋関門」、残り6分で通過。
「ギリギリやぞー!」
またまた知り合い審判員に冷やかされる。
以前、この地点で残り15分通過でゴールまで辿り着いたことがあるが、これはもう厳しい。
エイドをスルーして小銭を取り出し、自販機で甘いコーヒーを一気飲みした。
諦めずに進む。
キロ8分なら次の関門はくぐれる。
予想どおり、甘いコーヒーの糖分とカフェインが効き始める。
重い脚が軽くなりリズムが出てきはじめた。
歩くランナーを抜き前に進む。
中半(なかば)地区に入る。
中半は長い・・・、同じようなクネクネ道をひたすら進む。
ここまで来てやっと脚の攣りから解放された。
関門まで残り3.5km、
「もう、次の関門厳しそうですよ、頑張って!」
エイドで若い女性ボランティアに告げられてしまった。
「残り4kmであと20分ちょっとです」
・・・しまった、久保川関門は79kmではなくて79.5kmだった。
メンタルがついに折れた。
ダラダラと歩き始めた。長いこと歩いた。
もう走っているランナーは居ない。
ここまで走ると周りにいるランナーの顔触れは変わらない。
前を行く岡山のゼッケンを付けた男性ランナーがしきりに後ろを振り返る。
どうやら連れの女性ランナーが後方に現れないようだ。
そういえばこのランナー、随分前から何回も後ろを振り返り、脚が進まなくなった連れを気にしていた。
走り始め、追い抜きざまに声を掛けてみた。
「お連れさん、かなりしんどそうでしたよ、大丈夫でしょうかね?」
「う~~ん」と唸ったものの、後ろを見たまま止まってしまった。
とにかく走ろう、関門は閉まっただろうが走って終わろう。
そう思うと同時にすべての痛みから一時的に解放された。
何なんだコレ・・
走って関門所に辿り着いた私に、申し訳なさそうに審判員が赤旗を振った。
「もう分かってますよ」と無言ながら口元を横に広げ笑顔を作った。
「79.5km久保川関門アウト」
結果、去年と同じ地点の関門アウトだった。
攣ってからは全く勝負出来なかった・・
これで3年連続のリタイア、私のレースはこれだけなので3年間完走知らずということ。
もうウルトラの100kmは完走出来ないのだろうか・・
列に並んでリタイアバスを待つ。
先に満員となったバスを見送ると他のバスは見当たらなかった。
これは少しここで待つな・・、まあええか。
すぐ後ろから声を掛けられる。
「やっと連れも戻ってきました」
岡山ランナーが笑顔で話しかけてきた。
それからリタイアバスを待つ間はお互いの事を話したりして笑っていた。
しかし、リタイアバスがなかなか来ない。
関門エイドのテントも畳まれると辺りは随分と閑散とした。
ガードレール沿いに一列に並んだリタイアランナー達は次々と地べたに座り始めた。
標準語の女性ランナーがスタッフに声を飛ばし始めた。
「気分が悪くなる方も出てくるから、なるべく早くバスを手配してもらえないですか?」
東京のゼッケンを付けた男性ランナーが畳まれたテントから毛布を取り出し、周りに声を掛け始めた。
「毛布あります、低体温症も怖いので欲しい方は遠慮せずに言ってください」
彼は看護師らしく、具合の悪そうなランナーを見つけてケアしはじめた。
地元消防士ランナー二人組が動き出し、係員と相談して本部への連絡を再三促した。
前方に並んでいた年配の男性ランナーが「ワシは元気だから」と後ろに並び直したりもしていた。
1時間を過ぎると時刻にして5時半、辺りは暗くなり、係員の自家用車でライトを点灯してもらった。
陽はどっぷりと落ち、気温も下がり、体が震えはじめた。
これは明らかに何かのミス、
リタイアしてから2時間後、ようやくバスがきた。
約50人近くの取り残されたリタイアランナー、
皆マナーがよく、結局誰も文句を言わなかった。
それどころか、お互いに助け合い、
最後にバスに乗り込むのを遠慮していたボランティアスタッフにまで手招きで迎え入れた。
地元民として不手際が申し訳なく思うが、ボランティアに苦情を言ってほしくない気持ちはあった。
このボランティア達は希望者は少なく、組織からの要請で会社や団体から集められただけの人材が多い。
それでもボランティア説明会でそれぞれ配置された管轄の説明を受け、
休日に無償で働いてくれているのだ。弁当さえも出ない箇所もあるらしい。
不手際への苦情は大会本部へ申し上げるべきだ。
幸い具合の悪いランナーも大事には至ってはいないようで、最悪の事態は免れた。
バスは無事にゴール地点の中村高校に着いた。
体育館で荷物を受け取り上着だけ着ると、次々と帰ってくるゴールを眺めていた。
ゴール関門14時間、時刻にして7時半が近づいてきたころにマイクアナウンスがセイシの名前を呼んだ。
練習不足を公言していたセイシが7分前にゴールした。
パイプ椅子に座ったセイシに近づき声を掛けた。
「おめでとう!やるやん!さすがやな~!」
肩をバンバンと叩き、精いっぱいの賛辞を送り祝福した。
「君はちゃんと完走しなさい!」
そう返事を返したセイシが続けた。
「いや~途中、もう120回位は止めようと思ったけど、根性だけで走り続けた」
「80km以降は制限時間も気になって壮絶な地獄を見たぞ」
「もう絶対にウルトラやらんわ!」
リタイアランナーは完走者のセリフが心に染みる。
【止めようと思ったけど頑張った】
【頑張ろうと思ったけど止めた】
これが完走とリタイアの境目だ・・・
ごく当たり前の事に打ちのめされている自分の背中越しに花火が上がった。
花火は競技の終了を知らせる。
急いでスマホを取り出し撮影を試みたが、
バッテリー残2%でカメラを立ち上げることさえ出来なかった。
こっちもリタイアかよ・・・ハハハ
次々と夜空に上がる花火はとても綺麗でとても残酷だ。
こんな花火をもう3年連続で見ている。
「セイシ!お前、来年も走れよ!」
「いや、もう絶対にやらん!」
「ハハハ」
このままでは終われない・・
それはリタイアの度に思うが、3年連続のリタイアにしっかり向き合うことも必要だ。
ウルトラに必要なのは「強い体と折れない心」。
もう10回も出ているとそんな事は十分承知している。
花火は連発で大音量とともに夜空に消えた。
まだゴールを目指して走っているランナーがいることは知っているが、
こうして今回も幕を閉じた。
~後編・完~
~あとがき~
例年より気温も高く、脚の攣ったランナーが多かったと救護班の知人が言った。
そういえば救急車の出動も多く感じた。
健脚ランナーでも吐いたり体調不良を起こし、ギリギリのランナーが多い大会だった。
それでも今回も多くのボランティアに助けられ、沿道からはたくさんの声援をもらった。
「頑張れ」のその一言が多くのランナーの脚を動かし、
ランナー達はその都度「ありがとう」を口にした。
晴天は暑かったけれども、四万十の青く美しい景色は疲れも癒してくれた。
やっぱり私は四万十川ウルトラマラソンが好きだ。
たとえリタイアが続いていようが、「好きだから出ている」単にそれだけでいいのかもしれない。
ウルトラ後の休日二日目に海に出向き、波打ち際でボーっと癒されながらそう思った。
とりあえず少しラン休んで、好きな事たくさんやって、
それからまたボチボチと走り始めますよ!(^^)/
完走されたランナーのみなさん、おめでとうございます!
残念ながらリタイアされたランナーのみなさん、また頑張りましょう!
長文レポートにお付き合いありがとうございました!
※今回のレポートは特に参考になることも無いように思われますが、マイブログなのでお許しくださいm(__)m