エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

頑張ったで賞

2017年10月31日 | 四万十川ウルトラマラソン関連

先日のウルトラ後に知人から頂いた「頑張ったで賞」、

四万十川の天然鮎です。


昔は食べ飽きるくらいありふれた魚でしたが、

今では地元でも簡単には食卓にあがらない貴重な天然の鮎です。

いやもう、「旨いっっ!!」の一言。

こんなもん貰えるのなら毎回リタイアを!・・・って、いやいや、何を言うてるのやら・・(笑)。

2週間ぶりのジョギングは5km、

まだ自然と右足をかばい左に傾き加減なのを自覚しながらのランでした。

しかしこの鮎、この香り、ああ~お酒が止まらない・・・

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第23回四万十川ウルトラマラソン~親子挑戦・後半~

2017年10月24日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

■ 後半 ■

昭和大橋を渡り、2車線の車道へ向かう。

応援バスツアーの応援ポイントでもあり、応援がアツい。

しかしこの直線道、ほんの少しだけ上っている。

こんな上りでもふくらはぎは痛み続ける。

小野大橋を渡りかえして元の旧道に戻る。

エイドで脚に掛け水をする。

右足ふくらはぎをかばい続けたのか、左足太ももがアツい。

まるで掛け水が太ももの上で蒸発しているよう・・。

40km地点通過。

ここまで自分でもよくやったと思うが、次の目標はすぐそこ・・。

42.195km地点通過。


フルマラソンを走り切った!うれしい・・。

その先には2回目の給食エイド。

このエイドは60kmの部との合流地点。

AM10:00に出発した60kmの部の息子はちゃんとスタートしたのだろうか・・。

給食エイドのおにぎりは売り切れ。

・・そんなに遅いのか・・。

とりあえずそこにあるものを・・、小さなアンパンを2つ食べる。

次の目標は53kmの沈下橋。

ここで我慢していた痛み止めを飲む。

完走は無理だが、こうなったら行けるところまで行ってみたい。

歩きながら痛み止めが効くのを待つ。

2km歩いたところで痛みが少なくなり、ついに走り始める。

痛みがやわらぐと脚が進み、腕が振れ始め、呼吸はリズムを刻む。

「走る」という復活がとてもうれしい。

歩くランナーに「頑張りましょう!」「ファイト!」と声を掛ける。

その掛け声で再び走り始めるランナーもいる。

本当にウルトラはメンタルとの闘いだ。

前を走るランナーの姿に励まされ、ランナーの声に勇気をもらい、

ボランティアスタッフの声援、温かい沿道の声援、美しい景色の癒し、

それらの何かがきっかけとなり、何回も何十回も頑張れる。

沈下橋までの9kmは声を掛け続けノンストップだった。

53km地点半家(はげ)沈下橋。


この沈下橋は往復。

コースの中で一番四万十川に触れあえる。

沈下橋を走るのは楽しい。

沈下橋を渡ると2回目の峠を登る。

最初の堂ヶ森に比べるとほんの小さな峠だが、50km以上走った脚にはキツイ。

上りはすべて歩いて下りで走り出す。

下りきったところで応援の看板に「飛脚」の文字を見つけて近づいてみた。

高知市内のランニングクラブに所属している飛脚部員に頼まれたのだろう・・


見ず知らずの方々だが、応援は素直に嬉しい。

よく見ると看板に息子の名前もある。

息子はこの応援隊にちゃんとお礼を言っただろうか・・。

56km、第二関門、

約15分前に通過する。

「アレ~、こんなところギリギリで通過して大丈夫~!?」

毎度の事、知り合いボランティアに冷やかされる。

脚が動く間は先に進む。

やはり歩くランナーに声を掛け続ける。

60km地点通過。

もうすぐレストステーションのカヌー館。

近くにいるランナーに声を掛ける。

「やっとカヌー館ですね~」

すると緑色のTシャツの青年からすぐさま、

「ブログみてますよ!」と思わぬ返事が返ってきた。

「えっ、ありがとうございます!」

ブログで四万十ウルトラを書いてきて、今回初めて声を掛けて頂いた。

背中の飛脚を見て声を掛けてくれたのだろうか・・、こんな嬉しいことはない。

しかしその岡山の青年は雨具を装備せずにここまで来たらしく、

冷えてしまってカヌー館で止めるのだそうだ・・。

冷たい雨は降り続き、ビニールをかぶって走っても冷えてくる。

今回は体の冷えでリタイアするランナーも多いのかもしれない。

61km地点、第3関門カヌー館。

関門10分前に通過。

カヌー館は3度目の給食エイド、そしてスタートで預けた荷物が一度受け取れる。

西土佐高校の生徒たちが手際よく荷物を手渡してくれた。

「おい、遅いんじゃない?大丈夫?」

ボランティアスタッフに知り合いの学校の先生がいた。

娘が中学のソフトテニスで活躍していた時の保護者繋がりでもある。

(当時ペア・団体と県予選を勝ち上がり全国大会へ出場・・でしたが、東北の震災が重なり大会は自粛)

「いや~、脚が・・ちょっと無理でしたね・笑」

「そういえば、息子はとっくに行ったで~!」

「えー!ホンマですか!」

・・忘れてた、息子はまだ走っている。

エイドでのおにぎり、味噌汁、自分で用意しておいた栄養ドリンク、

慌ただしく摂取し、荷物を再び預けて出発する。

再び出発するランナーが少なくなり、一人ひとり、大きな声援で送り出される。

次の関門は10km先、そこをくぐるのはもうかなり厳しい。

とにかく脚が動くうちは走る。

カヌー館からの40kmは毎年試走で走っているので土地勘も十分ある。

が、知っているが為にその遠さも分かってしまう。

苦しい・・。

エイドで「キロ8分切れば次の関門くぐれるよ」と言われた。

ひたすら下を向いてピッチを刻む・・。

「イケるかもしれない・・」

68km地点、岩間沈下橋。


沈下橋を渡ると少し上り坂に・・、

「痛い・・」

痛みが復活。

走れない・・、痛い・・、

「どうしたのその足?」

ボランティアスタッフのおじさんに声を掛けられた。

本人は気付いていなかったが、痛いふくらはぎの右足つま先が外を向いていて、

変な歩き方をしているらしい・・。


くそ~、もうさすがにどうにもならない・・。

70km地点通過。

「お~い、梨あるぞー!食うていけー!」

私設エイドのおじさんやおばさんが手招きで誘う。

ここは四万十ウルトラの伝説の梨エイド。

「ありがとうございます!ここを目指して頑張ってきましたよー!!」

「ワシらもお前を待ちよったぞーっ!」

知らない他人同士だが調子のいい爺さんの返答にドッと笑いが起こる。

「う~~旨いっ!!」

美味しい梨に勇気をもらい走り始める。

芽用(かよう)大橋。


この橋を渡り終えると関門所。

もう関門は閉まっているはず。

そこで終われると思うと元気が出て走れるものだ・・。

橋の途中でバスのエンジン音が聞こえた。

リタイアバスがエンジンをかけているに違いない。

71.5km、芽用大橋、第4関門。


6分前に閉鎖で競技終了。

「おい、ダメやったか」

そう声を掛けてくる審判員はまたまた知り合いで、長男の中学野球部保護者繋がりでもある。

「息子は行った?」

「いや~気づかなかったけど・・」

ヤツはちゃんと頑張っているのだろうか・・

レーシングチップをはずしてリタイアバスに乗り込む。

左側の座席は、バス出発後に車窓下に前方の頑張るランナーを見ることになる。

今回は右側に座る。

思えば、3kmで止めてしまったかもしれなかったがよくぞここまで粘れたものだ。

これまで9回出場した中で一番早いリタイア地点がこの71.5km。

何とかそこまで辿り着けた。

この脚の状態でここまでこれたのは、これはこれで頑張ったとも言える。

悔しいのは大会前の故障であり、今回のランではない。

痛みが多かったが、70kmも楽しめたのだ。

バスは満員になり出発する。

外が冷えているのか、窓ガラスが曇る。

掌で拭いて外を眺める。

川登地区で飛脚応援隊に見つかり、みんなに指をさされる。

応援隊の笑顔に救われる。

バスはゴール地点の中村高校の堤防上に到着する。


中村高校は私と長女・長男の母校でもある。

春は野球部がセンバツ出場で大いに盛り上がった。

バスを降りるときにタオルを渡される。

リタイアした人にしか貰えないリタイアタオル。

地元ロータリークラブからの粋なプレゼントなのである。

リタイアランナーにとって最後の難関は階段の下り。

最後の試練・・

まっすぐ下りられない・・

ゴール会場はとても賑やか。

スタッフには知り合いも多く、逃げるように体育館に着替えに向かう。

雨に打たれた体は冷えて、着替えるだけで暖かさが蘇る。

着替えた後はゴール地点付近でランナーに声援を送る。

降り続く雨はとうとう止まなかった。

嫁にリタイアを知らせる。

研修の合間にwebで20km毎の通過タイムを確認していたらしく、驚きはない様子。

それどころか、何と息子がまだ走っているらしい。

これは驚き・・、

たったの一回の練習で60kmも走れるのだろうか・・。

何事もすぐに投げ出しがちなあの長男が、今も必死に頑張っている。

次男がゴール会場に駆け付けた。

次男は隣町の高校で野球部のキャプテン。

思春期で人目を気にしがちで「ゴール会場には行かない」と言っていたが、

兄の思わぬ頑張りに心が動いたのだろうか・・。

「さっき本人に電話したらあと5kmって・・」


実は昨夜、眠りが浅かったのか夢を見た。

長男はまだ幼児で、右手の親指が口の中に入っていた。

何かが気になり、咥えていた指を口から放して笑顔でそこに向かったが、

結局指を咥えて帰ってきてぴったりとくっついたまま様子を伺っていた。

短い夢だったが、その覚えのある確かな幼児の温もりを懐かしく感じた。


「ゼッケン○○番!高知県の○○さん!お帰りなさ~い!!」

マイクアナウンスで叫ばれた息子がオーロラビジョンに映る。

短い髪の毛はグシャグシャに濡れ、ぬかるんだ足元を進みながら、息子は帰ってきた。

「○○ーーっ!!」

父の叫びに気付き、近寄ってきて父と弟にハイタッチ。

そのまま歓喜のゴール!

いやもう、まさかまさかのサプライズ!

「何と、アイツ、帰ってきやがった!・・」

感動で目元がウルウルになった。

父と子供達で記念撮影。


今回初めての親子挑戦。

結局、父のほうがリタイアで、息子はちゃんとゴールした。

前々日、「アンタは60km完走したお母さんがどんなにスゴイか、思い知ることになるで~」

と豪語していた嫁の去年のタイムよりも速いタイムのゴールだった。


父「四万十ウルトラ、どうやった?」

長男「う~~ん・・、かなり疲れたけど・・、何回もやめようと思ったけど・・」

  【おもしろかった!】


四万十川ウルトラマラソン、

一人では「ダメだ」と思っていても周りの力で頑張れる。

頑張った分だけその先に進むことが出来る。

簡単に諦めない気持ち、くじけてもそこから立ち上がる勇気、

この素晴らしい大会は必ず人をひと回り成長させてくれる。


PM7:30、

ゴール関門ギリギリに駆け込んできたランナーは、ゴール付近で倒れてしまい、

ゴールテープの前に立つ審判員の足元で無念の競技終了を迎えてしまった。

会場がまだ騒然とする中、花火が打ち上げられた。


競技は終了だが、まだ走ってゴールに向かうランナー達がいることを知っている。

時間外完走を目指して最後の脚を動かしている。

私は2度も時間外完走を経験しているからだ。

大きな音で打ち上げ花火が上がる中、ポツポツと帰ってくるランナーに声を掛ける。

「ナイスラン!」

本当の最終ランナーを見届けて会場を後にする。


チームとしての結果、もうひと組の100km初挑戦飛脚親子は速いタイムで無事ゴール。

他数名も完走したが、

60kmを2度目の挑戦の飛脚女性はゴール地点に現れなかった。

彼女は2年連続の最終関門リタイア。

しばらくは悔しいだろうが、笑い飛ばしてまた挑戦してほしいものだ。


研修先からギリギリ駆け付けた嫁の車で家路に向かう。

家族「とにかく・・腹がへったーー!!(笑)」


さて、

私ですが、次回はとうとう10回目の出走ということで、なるべく走るつもりです。

完走メダルは2個しかもらっていないダメランナーですが、温かく見守ってやってください(^^)。

完走されたみなさん、惜しくもリタイアされたみなさん、ボランティアスタッフ、沿道応援のみなさん、

webで応援してくれたみなさん、大会に携わるすべてのみなさん、

一日中の雨にもかかわらず、「ありがとうございました!」

そして「みなさんお疲れ様でした!」



■ 完 ■

~あとがき~
今回も長々と長文失礼しました。
誰かの何かに役に立てば・・との思いです。
レポートというよりも私的な日記にお付き合い頂き、ありがとうございました。(^^)

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第23回四万十川ウルトラマラソン~親子挑戦・前半~

2017年10月24日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

■ 前半 ■

「今日は一日中雨予報ですね~」

AM4:00すぎ、毎回スタート会場まで送迎してくれる嫁の職場の同僚キクちゃんがつぶやく。

真っ暗な早朝、車はワイパーを動かしながら進む。

「そういえば身重の身らしいね、大丈夫?送迎申し訳ないね・・」

「大丈夫、大丈夫、何と今年はボランティアで5km付近に立ってますよ~!」

「えーーっ、お腹冷やさないようにね・・、雨やし・・」

約2600人のランナー達は早朝の沿道ボランティアスタッフに妊婦がいるとは知る由もないだろう・・。

会場付近の橋で車から降ろしてもらう。

雨は小雨だが、冷たい雨が降り続いている。

橋から見るスタート会場の蕨岡中学校は暗闇にポッカリと浮かぶ。


今年は初めから雨なので一條太鼓の演奏応援もないようだ。

例年に比べて少なく感じるタイマツ、暖かく感じるように見えるのは気温の低さだろうか・・


鶏小屋の鶏が上手に鳴いている。

会場のグラウンドは水浸し。

シューズを濡らしたくないランナー達が牛歩で進む。

開会式が終了して、公道に移動する。

公道がスタート地点、今年も割と前の方に並んだ。


人が密集すると暖かい。

空を見上げる。

降り続く小雨が見上げた顔を濡らす・・。

「何とかスタート地点に立てた・・」

約2週間前、ランニング中に右足ふくらはぎの軽い肉離れをやってしまった。

10日間の完全休養から歩行時の痛みがなくなったところで、試し走りをしてみた。

わずか5kmで痛みが再発、以後一週間の完全休養でこの日を迎えた。

歩行時に痛みは全く無い。

走ってみて、もしも痛みが出ればそこで終わり。

今回はそんな厳しい闘い。

そんな私だが、今回は60kmの部に息子が初めて挑戦する。

春に高校を卒業し、地元就職した長男が会社がらみでの出場。

今大会最年少ランナー。

当の本人、社会人としての自覚もまだまだ薄く、休日は友人との遊びが第一。

このままだと練習ゼロで大会を迎えてしまう。

仮にもウルトラマラソン、こんなランナーがスタート地点に立ってしまうのは失礼なこと。

見るに見かねた父が「一回だけ走ってみるか」と、数日前に走らせた。

今回職場の研修が重なり出走を断念した嫁に併走を頼んだ。

目的はたったの一つ、「キロ7分」を覚えさせること。

高校のマラソン大会約10kmを走ったことがあるだけの息子、

このままではスタートから勢いのままに飛び出して、あっという間に潰れて終わるだろう。

ゆっくり走って距離を延ばす。

どうせ大会に参加するのなら長い時間楽しんで色んな経験を積んでほしい。

一回だけの練習はたったの4kmで終わった。

100kmの部はAM5:30スタート、60kmの部はAM10:00スタートでコース途中で合流する。

ヤツは間違いなくリタイアバスに乗るだろう。

それまでに何とか追い付いて叱咤激励してやりたいものだ・・。

「スタート!!」

号砲とともにフラッシュが焚かれ、スタートゲート付近が明るくなる。

ダラダラ歩きからゆっくりと走り始め、歓声の中スタートゲートをくぐる。

大会ゲスト千葉真子さんがハイタッチでランナーをお見送り。


雨にもかかわらず沿道の声援が多い。

傘を差し、カッパを着て、ランナー達に「いってらっしゃ~い」と声をかけ続けてくれる。

ついにスタートした。

走り出すと雨は気にならない。

多くのランナーが想いを胸に100kmを目指す。


走れる、嬉しい・・。

2km、沿道のタイマツは足元のキャンドルに変わる。

本人の感覚ではキロ7分のつもりが、キロ7分半もかかっている、

・・・おかしい。

右足のふくらはぎの中で何かが固まり始めた。

まだ多くのランナーの足音がバタバタと音を立てているなかで、早くも不安を覚える。

3kmすぎ、

ふくらはぎの中の塊が痛みに変わる。

「痛い・・」

右足の一歩一歩に痛みが走る・・。

くそ~、

絶望感に襲われるが、周りにたくさんランナーがいる中で恥ずかしくて止まれない。

もう止めて逆向きに歩いて家まで帰ろうか・・。

まだ標高600mの堂ヶ森の峠の入り口にも差し掛かっていない。

第一関門はその峠の向こうの36km地点。

足取り軽いランナー達にどんどん追い抜かれて置いていかれる。

頭の中が整理できない・・。

かなりのランナーに抜かれながら低速で進む。

こうなったら、この脚で行けるところまで・・、

Tシャツの背中には飛脚を背負っている。

背中の飛脚の文字の下に密かに書かれている文字、

「Pain is temporary. Pride is forever」(痛みは一瞬、誇りは一生)

チームの肩書では監督、みんなを簡単にがっかりさせるわけにはいかない。

痛みと闘う覚悟を決めた。

足を蹴らなければふくらはぎの痛みは少ない。

膝を曲げない「すり足走法」で進む。

9kmすぎ、竹屋敷集落を過ぎると少しずつ上りはじめる。

15kmすぎ、傾斜はキツくなり峠らしくなる。

頑張るランナー達。


元気な脚でも大変な峠の上り、右足ふくらはぎが悲鳴を上げる。

19kmすぎ、ついに歩き始める。

まわりのランナー達も全員歩いている。

よく見ると、膝回りをグルグル巻きに固定しているような故障持ちランナーが多い。

みんな色んな痛みに耐えながら歩いている。

一歩一歩と前に進むことにそれぞれ「意味」があるのだろう・・。

がしかし、周りがみんな歩いているというこのゾーンは、経験からして「リタイアゾーン」。

こんな序盤でリタイアを意識することになろうとは・・。

21km地点、堂ヶ森頂上。


やっと辿り着いた。

頂上エイドは給食エイド、おにぎりが美味しい。

でも寒い・・。

仮設トイレに並んだが、寒さで震えて歯をカツカツと鳴らした。

早く走って身体を温めなければ・・。

下りに入る。

これがビックリ、下りはふくらはぎが痛くない。

走る、リズムがとれる、体が躍動する。

手足も温もり、今回初めてまともに走れだす。

30km地点、下りも終了して再び痛みが戻る。

14時間という赤いビブスのペースランナー達に抜かれる。

14時間とはゴール制限時間、つまりこのペーサーに離されるとゴールは絶望となる。

分かっている、もう今回のゴールは見えない・・。

33km地点、右手に四万十川が見え始める。

「四万十川の景色を楽しんで」は地元中学生からの応援メッセージ、

四万十川が見れたことを素直に喜ぶ。

36km地点、第一関門、

関門時間30分前に通過、何とか最初の目標まで辿り着いた。

昭和大橋を渡って次の目標40km地点を目指す。


■ 前半 ■








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今年の四万十ウルトラ(第23回)は71.5km関門アウト

2017年10月16日 | 四万十川ウルトラマラソン関連

ふくらはぎの肉離れが完治していませんでした。

前半は痛みとの闘い、痛み止めを飲んだ後半は関門時間との闘いでした。

まあ、基本的な練習不足ですね・・。



そうそう、息子は何と60kmの部を完走です。(ビックリ・・)

このあと例年通りレポート書くかどうか未定ですが、とりあえずゆっくりしようかな。

さあ~、美味しいもの食べて、ゆっくり休みます!(笑)

参加ランナーのみなさん、冷たい雨のなかお疲れ様でした!

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息子よ、地獄を見てこいっ!

2017年10月13日 | 家族

第23回四万十川ウルトラマラソン、今回は親子での出場となります。

春に高校を卒業し地元に就職した息子が、会社がらみで60kmの部に初出場です。

2400人の出場ランナーのなかでは最年少になります。

その息子、まだ社会人としての自覚も薄く、休日は友人達との遊びが第一。(親も昔はそうだった・・)

何と、ここまで「練習無し」できてしまいました。

もう社会人なので親として一切口出しはしないようにしてきましたが、

「もういいかげん、ちょっと走ってみようか?」とたったの一度だけ走らせてみました。

とはいえ私は故障中なので、今回仕事の都合でエントリーできなかった嫁に付き添いを頼みました。


一回だけの練習は「キロ7分で走らせること」。

少年時代は学校の駅伝選手、中学は野球、高校はバスケと、それなりに運動してきた長男。

このまま大会に出るとスタートから勢いのままに飛び出して、すぐに終わりを迎えてしまうだろう。

彼にとっては無茶苦茶遅い「キロ7分」を意識させて、その分距離を延ばすというアドバイス。

たったの1回の練習はわずか4kmで終了。

たくさん練習してきて抽選も乗り越えて、悲願の四万十ウルトラを走るランナー達にとって、

こんなド素人な若者が同じレースに参加しているのはとても失礼な話。

親としては、経験をアレやコレやとアドバイスして「それなりな結果」を残すよりも、

自分なりに必死に頑張り、リタイアを経験して、

次回に初めて「自分の考えで」レースに向き合ってほしい気持ちです。

もしかすると若さだけでゴールまで突き抜けてしまうかもしれないけれど、

道中に見る「地獄」は、彼にとって今後の長い人生の糧となることは間違いないでしょう。

出場ランナーのみなさん、

コース上でこの赤い飛脚の若者を見かける事があれば叱咤激励よろしくお願いいたします!

さて、地獄をみるのは父の100kmも同じで、

故障個所の痛みは無くなりましたが、走ってみないと分からないぶっつけ本番出場です。

痛みが出ればすぐに終わり、出なければ完走目指し何処まで行けるか・・・。

筋膜のリリース、ストレッチ、出来ることを頑張ってスタート地点に向かいます!

ん~~、息子と同じリタイアバスに乗るのだけは避けなくては・・(笑)

ではみなさん、頑張りましょう~!!

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