故郷に帰ってきて二十数年、
田舎の良いところは美味しい空気と美しい自然と人の温かさだ。
さらに客商売などをやっていると、野菜などの戴き物も多くて食べることには困らない(笑)。
今回のシリーズ4は「戴き物シリーズ」です。
では・・、
ピーマンを大量に戴きました。
やっぱり、一番は「ピーマンの肉詰め」。
合挽きミンチがジューシー!ナンボでもイケまっせ~~!
ピーマンはこの料理のために生まれてきたのでは・・・と勘ぐってしまう、
それほどの相性の良さを感じた。
「ナポリタン」。
タコさんになり損ねたウインナーが微笑ましい(あえて自分で言う)。
軽食喫茶の定番メニューだったナポリタン、ここでもピーマンはいい仕事をしてくれる。
マスター!アイスコーヒーおかわりっ!
豚ロースをブロックで戴きました。
即行で「トンテキ」です。
んん~~!ザマに旨い!(※方言 「凄く」の最上位形=「ざまに」)
さらに用意されたキンキンに冷えたビールで、血中脂質を上げて悪玉コレステロールと仲良くなる(笑)。
これは仕方のないこと、豚は脂が旨いのだ~。
「豚肉の生姜焼き」。
定食屋のオバサンの顔まで浮かんできそうな一品。(たぶんオバサンはパーマあててる)
ちなみに生姜も以前戴いたものを冷凍保存して使っている。
私が作る料理の中でも登場回数が多い・・B定食かな(笑)。
「チンゲン菜と豚肉の炒め物」。
チンゲン菜を戴いたときは路頭に迷った。
この野菜はどうすればいいのだ?・・・答えはいつもWEBの中(笑)。
豚肉と炒め、鶏がらスープで何ともあっさり本格中華に早変わり。
チンゲン菜は野球でいうと「代打の切り札」ないい仕事をするヤツだ。覚えておこう~
大葉を戴きました。
先ずは、浸けダレ(醤油・ごま油・いりごま・にんにく)で・・
「シソ御飯」。
これは・・ごはんが進む。
食欲が落ちる暑い夏、そんな時期に大葉は現れる。
「季節のものを季節に食べる」、健康と食事の関係に考えさせられるな~~、
またひとつ大人になれたワイ。
ブログ友達からもらった「とろろ昆布」で「シソおにぎり」。
これはもう「おにぎり」の範疇を越えて「料亭の品」。
めちゃくちゃ美味しいものに出会えてしまった・・・、ああ、今すぐコレ持って山に向かいたい・・、
もう、ね、完成品ですワ。(感動)
「親子丼」。
シソをひいただけで上質になる。
大葉・・・恐るべし。
「小夏」。
少し前ですが、小夏も大量に戴きました。
冷やして薄皮付きでそのまま食べると一流のスイーツに変身!
薄皮がいい!
って、これは料理なのだろうか?・・むむ、すまぬ。
シラスを戴いたので、シラス御飯(炊き込み)に挑戦。
昆布だしで、酒・薄口醤油・濃口醬油のみ、あとはシラスの旨味が勝手に仕事をする。
「シラス御飯」。
「お母さん、おかわり!」、そんな一品となった・・・。
そういえば母が他界して結構な年月が経つな~と、盆も近づいてきたころに改めて遺品を整理していた時の事、
一冊の小さなノートに目がとまった。
それはどうやら料理のレシピノートらしく、それぞれの料理に調味料の配合が記されていた。
しっかりと研がれた鉛筆で書かれた丁寧な記録は、母が案外几帳面だったことを思い出した。
私自身も五十路を過ぎて料理をするようになり、興味深くノートをめくってみた。
しかし、ノートは進むにつれてだんだんと乱筆になっていた。
母は手先の器用な美容師だったが、
晩年にパーキンソン病を患い、手足はしだいに硬直して最後は歩行も困難な車椅子になった。
乱れた文字でも書き続けられたノートは、進行性の病の恐怖に対抗する強い意志が感じられた。
だが、ノートは次第に文字も読み取れなくなり、最後は曲がり連なった多くの線になった。
母の無念を思うと思わず涙が溢れだした。
そのレシピの中から、書かれている通りに肉じゃがを作ってみた。
もう食べられない「おふくろの味」である。
出来上がった肉じゃがを高ぶる気持ちで口にしてみた。
そうそう、そうだった、「お母さん、ちょっと辛い」。
亡き父は味の濃い料理が好きで、母の料理は少し辛めだった。
味覚には記憶装置のようなものがあるらしく、
当時の食卓の風景まで蘇り、温かくて何だか満たされたような気持ちになった。
暑かった今年のお盆、帰ってきた両親に、今度は私が作った薄味な肉じゃがを供えてみた。
「天国からのレシピ」は最高な「戴きもの」だった。
・・・で、
またまた勢い余って高知新聞(地元紙)に投稿してみたら、
今朝、掲載されました。
・・・やっぱりちょっと恥ずかしいな~