エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

第30回四万十川ウルトラマラソン ~70kmDNF・後編~

2024年11月10日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

昭和大橋を渡ると2車線の車道に出て長い直線を走る。

そのあたりは応援ポイントでもあるが嫁の姿は見当たらない。

今回はさらに飛脚以外のたくさんの人を応援するらしく、もうどこかに移動したのだろうか。

基本、移動応援は禁止。

山道のコースは狭くて車は完全に邪魔になる。

飛脚応援隊はコース上を車で通過することはなく、遠回りの大回りで現れる。

そして、単に知り合いとかだけではなくて、

目の前を通過するランナー全員を全力応援する初代応援隊長女子アベから引き継がれた自慢の応援隊だ。

そのアベもおそらく私のかなり前を颯爽と走っているに違いない・・。

長い直線のゆるやかな上り坂ではやはりふくらはぎが攣りつづける。

歩くと攣ることはないが、走ると上りでつま先が上がりロックする。

どうしたものかと歩いていたその時、14時間のぺーサーに抜かれた。

14時間はゴール関門の時間、こんなところでつかまってはゴールなど到底無理だ。

トンネルに辿り着いた。

トンネル内は涼しい。しかも下りになる。

下りでは全く攣ることもなく再び走り始める。

小野大橋を渡りかえして山道に戻る。

給水所では脚に掛け水をしてシューズも濡らす。

この水は役所の水道課やボランティアが前日真夜中に運んだ貴重な水、

やはり感謝の気持ちを忘れてはならない。

【40km】5時間21分21

フルマラソンなら完走ペースかもしれないが、ここではリタイアペース。

もう遅くても走り続けなければゴールは見えない。

42km地点、60kmの部との合流地点に嫁とセイシが現れた。

セイシ「遅い!100年待ったぞ!」

「うるさいわ!(笑)」

すぐに給水所。

「あ~、ゴールは無理やな~」「いつもの71.5kmを目指すか(笑)」

給水をとって走り出した背中越しにセイシのゲキが飛んだ・・・

【諦めるなーっ!!】

・・・そうだ、諦めたら終わりだ、そうだ、思い出した、

リタイアするときはいつも「諦めたとき」だった。

調子には波がある、

復活を信じて遅くても走り出す。

わずかな上りでも脚が攣るが下りではしっかり走る。

給水所で掛け続けた水のせいか足指にマメが出来たようで痛む。

足底、マメ、痛いところが増えて気持ちも折れる。

歩きが多くなるが何度も走り出す。

【50km】ここで半分。

ここからは毎回どういうわけか復活が現れる。

3km先は沈下橋で「そこまでは全部走る」という気持ちになるものだ。

復活。

歩くランナーをかわして進む。

歩くランナーの一人ひとりに「もう少しで沈下橋ですよ!頑張りましょう!」と声を掛ける。

「もう少し」の魔法はランナー達の脚を再び動かすものだ。

また、人に声を掛けておいて自分は歩けないというプライドも生まれ、

ついに完全復活で攣らない脚は躍動し、走れるようになった。

【53km】半家沈下橋。

この橋は往復、復路では自分の声で走りだしたランナーとすれ違いざまにハイタッチをしていった。

お互いに無言のエール交換である。

半家の沈下橋が終わると峰半家の峠に入る。

50km以上走った脚にこの峠は残酷だ。
 

もう全部歩くし、四万十川の写真なんか撮ったりする。

歩いてもキツい、なかなかな上り・・。

下りは急坂で足マメが激痛に変わる。

下りきると第2関門。

まだ20分以上あるじゃないか・・。

次の次の71.5kmの関門を20分残して通過出来ればゴールも出来るペースに戻せるのだが・・・。

「あら~?またこんな時間に?大丈夫~?」

いつものようにボランティアの知り合いキンちゃんの冷やかしが入る。

「いつも通りで順調極まりないでー!!」

あたりの笑いを誘う。

記念撮影。そんなことしてる場合でもないが・・

復活で使った脚はきっちりと疲労として返ってくる。

前をゆくランナーも歩く人が多くなり、給水所を出てからしばらくは歩いてしまう。

時計に目を移すと61km地点のレストステーション・カヌー館までの残り2kmは全く歩けない関門時間になった。

行かなくては・・、再度気力を振り絞ってノンストップランに挑戦する。

【60km】8時間38分28

遅くても走る、痛くても走る、歩きたくなっても走る、とにかく走る!

このマラソンはメンタル、

何とか関門3分前に通過出来た。

レストステーション、スタート地点で預けた荷物が一度受け取ることが出来る。

荷物の中から栄養ドリンクを取り出し、急いで飲んで再出発する。

いやもう厳しい。

次の71.5kmの関門にはかかるだろう。

これまでの最低記録はそこの関門、何としてもそこだけは辿り着かなくては・・。

地元民として土地勘がある。

その土地勘があるために、その距離がどれだけ遠いかまで分かってしまう。

西土佐の赤い橋が見えてきた。

去年からこの橋を往復するコースとなった。

下を流れる四万十川は県外ランナーの癒しとなるだろう。

近頃、この橋を車で渡ることはなくなった。

新しく長いトンネルが抜けて、車のほとんどはそのトンネルを通るようになった。

そのトンネルの横の旧道のくねくね道、そこをランナーは走る。

民家もなく、川沿いの樹々で覆われた道は音が消えて静寂だ。

陽は傾き、影は長く伸びる。

今回で最後と決めた100kmの道程は思ったよりも長い。

「もうだめだ」

精も根も尽き果て、ついに下を向いてダラダラと歩き始める。

時折吹く強い風が足元の落ち葉を払い、汗で濡れたシャツは冷たくさえ感じる。

前後にランナーの姿は見えず、閑散とした山道の風景は寂しくて何だか切ない。

そんな時、風に乗って声が運ばれてきた。

「頑張ってー!」

姿は見えないが、どうやら女性の声だ。

いやもう頑張れない、暑さで攣り続けた脚は棒のようで思うようには動かない。

「頑張ってー!」

遠くに、豆のように小さいが、明らかに自分に向かって大きく手を振る女性がいる。

あの人は自分が歩いている限り応援をやめないのだろうか・・・、

「頑張ってー!」

これはもう・・・「頑張らなくては・・」。

もう一度走ろうとするが、硬くなった脚は痛くて悲鳴を上げる。

それでも脚を交互に進めて、とにかく動き続ける、

腕を振り、呼吸を整え、リズムを刻み、とにかくそれを続ける。

「頑張ってー!」

頑張れる、頑張れる。

固まった筋肉は徐々に躍動しはじめ、何とか走れるようになる。

折れたのはメンタルで、身体なんてどうにか動くものだ。

飛び跳ねながら応援してくれる女性の姿が次第に大きくなり涙がこぼれそうになる。

「頑張ってー!!」

言葉は言霊となり胸に響いて躍りだす。

ついに復活して、走り続けて女性のもとまでたどり着いた。

「あなたのおかげで走れるようになりました!ありがとうございます!」

頭を下げた後、再び走り始めた。

頭を上げてみると見える景色も随分変わる。

風に吹かれたコスモスが揺れ、横を流れる四万十川は雄大で癒しの風景だ。

随分歩いたせいで、次の関門はくぐれないだろう。

せめて二つ目の沈下橋は走って渡りたいものだ。

長い直線を頑張ると岩間の沈下橋が見え始めた。

1km少し先にある関門は閉鎖されているはずだが、

大丈夫、まだ走らせてもらえる・・。

岩間の沈下橋のたもとの給水エイドが近づいてきた。

片づけも始まっているようで黄色いスタッフジャンパーを着たボランティアが慌ただしく動いている様子がうかがえる。

そんな中、おそらく最後だと思われるランナーの私が走って近づいてきたことで片付けの手が止まったようだ。

スタッフ全員による大きな拍手と大きな声援が起こりはじめ、ねぎらいのシャワーを受ける。

「よく頑張ってここまで走ってきたね!」

その言い回しで次の関門が閉じたことを確信する。

そんな事よりも「よく頑張ったね」という毛布に包まれたような温かい言葉にグッときて涙がこぼれる。

「ありがとうございます」

岩間の沈下橋は、収容バスに追いかけられながらの貴重な経験となった(笑)。

ひたすら逃げるが、間もなくバスに追いつかれ収容される。

結果、70kmでリタイアとなった。

バスの中は、私がついさっきまで抜いていったランナー達が皆収容されていた。

すぐに71.5kmの関門所で降ろされた。

私の最後の100kmマラソンはこうして終わった。

乗り換えたリタイアバスでは落ち込むことなどなく、清々しい気持ちだった。

横に座った大阪の若者ランナーと談笑し笑いながらバスに揺られた。

ゴール地点で降ろされた後は体育館で荷物を受け取り、仲間の応援に精を出す。

そこに現れたミニオン応援隊キク・マユのコンビと記念撮影。

M君ゴール!アベは2年連続のゴール!S君は途中手の震えなどの脱水症状で棄権、

60kmの部に参加していたS君奥さんは途中嘔吐により棄権、

長い100kmの一日は、それぞれのランナーにそれぞれの事が起こる。

完走の喜び、リタイアの無念、頑張った分だけ様々な出来事がのちにかけがえのないエピローグになる。

午後7時半、ゴール関門が閉まり花火が打ち上がった。

最後まで会場にいた仲間たちと記念撮影。

私の100kmマラソンはここで終了。

これまでこのブログで「敢闘記」「奮闘記」「完走記」など様々な記録を書いてきたが、

一つだけ断言することがある。

私が愛してやまないこの四万十川ウルトラマラソンは「美しい癒しの風景」と「温かい応援」にあると言っても過言ではない。

ウルトラを通じて知り合った皆様や、大会にまつわる全ての人達に感謝して終わろうと思います。

「ありがとうございました!」

次は60kmの部を走ってみる・・とか、60歳になるときにもう一度だけ100km挑戦してみる・・とか、

いろんな事を言われたり言ってみたりしますが、どうなることやら・・・。

とりあえず同級生3人(セイシ・アベ・私)で打ち上げの宴。

アベ「ほら、アンタのブログ用に乾杯の写真撮らないと・・」

セイシ「しかし、お前が一番根性がないわ!」

ワイ「エントリーも出来てないような奴に言われたくもないわい!(笑)」

「お疲れさま!乾杯ーー!!」

【完】

 

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第30回四万十川ウルトラマラソン ~70kmDNF・前編~

2024年11月09日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

100kmマラソンは今回が最後、そう公言して挑んだ大会でしたが残念ながら完走はできませんでした。

私的なブログの出走記になりますが、記録に残しておこうと思います。

(注・長くなります)

【前日】

仕事の合間を見計らい、高知市内から到着したランナーのS君に連絡をとって一緒に受付会場に向かう。

臨時駐車場はいつものように県外ナンバーが多く、少しだけ気分が高揚する。

受付会場は安並体育館。

入口の事務局近くに見慣れない写真の数々が・・

これは大会ボランティアの配置を示してしるもの。

「照明班」は街灯の無い山道を自家用車のライトで照らすボランティア。

当日はまだ暗い早朝4時台から出動してそれぞれの位置で道を照らし、

陽が落ちて暗くなる90km以降も同様にランナーのために足元を照らして応援までしてくれます。

自営業の私の店の顧客で70代の方が朝に晩にと2回にわたり出動するようです。

「90km以降は真っ暗でランナーの間隔もまばら、疲れ果てて歩くランナーに【頑張れ】言うても返事もかえってこん」

「あれは落ち鮎のようなもんじゃ(笑)」

「落ち鮎」、四万十川では12月、産卵を終えて力尽きた鮎の「落ち鮎漁」がある。

おじさんの冗談ではないが、90kmあたりに辿り着けるのであれば「落ち鮎ランナー」にでもなりたいものだ。

受付会場の体育館内は広々としていて閑散としている。

ランナーが集まるこのブース、地元の学生たちが描いた作品で記念品としてお持ち帰り自由。

例年は河原の石にペイントされたものだったが、今回は四万十ヒノキに変わっていた。

私が持ち帰るのはコレ、練習風景に見覚えがありよく描けている。

ゼッケンに貼るシール。

コミュニケーションツールでもあるらしい。

応援FAXも少なくなった、これも時代の移り変わりの一つ。

帰宅後、再び仕事に戻るが、午後3時には早めに営業を終了した。

嫁から「仕事の帰りが遅くなる」と連絡があったので晩飯はトンテキを作って食べた。

ビタミンB1が何かに良かったような・・・、もう忘れたが前日は豚肉と決めている。

少しだけ酒をあおり、ゆったりとした時間を過ごす。

受付で渡された荷物のなかに同封されていた応援メッセージが嬉しい。

以前は中学の名前と個人名まで記載されていて身近に感じたものだが、

個人情報には気を遣わねばならないご時世なので仕方がない。

嫁は今年も応援隊。何やら準備中の様子だが一足お先に就寝する。


【当日】

緊張感からかほとんど寝られなかった。地元民で自分の布団で寝られるのに情けないものだ。

朝4時半、嫁の車で出発する。


途中、同じく応援隊の嫁の同僚キクちゃんを拾う。

キク「今日はすごく暑くなりそうですね~、雲が出るといいですけどね~、でも私【超絶晴れ女】なんですよね~」

キクのシュールなトークはさておき、予報では最高気温は26℃、暑さとの闘いは間違いない。

会場付近で降ろしてもらう。


「じゃあね」、キクの仮装応援の内容は後でのお楽しみらしい。

橋の向こうはスタート会場の蕨岡中学校(廃校)。

松明。いつもはこの炎が暖かく感じるが今年はやはり気温が高い。

横断幕。

会場へ向かう足元は暗いが見えないほどではない。

去年はオシャレなトーチが設置されたが、一部のランナーから「当たると危ない」とクレームが来たようで撤去になっていた。

一條太鼓の演奏も地元の一部の住人から「うるさい」とクレームがありスタート直前になったらしい。

ご時世とはいえ、一部の人の大きな声に弱い時代になったことを痛感する。

スタート会場は明るくて賑やか。

前日の雨で足元がぬかるんでいるが気になるほどではない。

今年のチーム飛脚100kmの部参加者は4人。

監督の私、宴会部長アベ、顧客M君、椅子職人S君。

同級生セイシはエントリーミスが3日前に発覚して今回は応援隊(笑)。

顧客を見つけて記念撮影。

スタート地点に向かう途中の一条太鼓、響くリズムは闘争心を掻き立てる。

スタート地点、いつものように前の方。

まもなく出発、「頑張ろうー!!」「おーーっ!!」

スタート!

「いってらっしゃ~い!!」の声に囲まれながらゲートをくぐる。

ん?ゲストランナー?(SUIさんという方・60kmの部に出場らしい)

しばらくはバタバタというランナーの足音がこだまする。

暗闇に灯る松明が幻想的だ。

キロ6分半を意識して走る。

抜かれ続かるということは随分前に並んだせいでもある。

1km、2km、調子はイマイチというところか・・、普段の早朝ジョギングでも日によって調子は様々、

調子の波は必ず繰り返すものだ、・・・気にしない。

あれ?内川地区に入ったが足元にキャンドルが見当たらない。

夜の飛行機の滑走路のように暗闇を灯す道標だったキャンドルの風景、

見落としたか?いや去年も無かったような・・、残念だ。

去年、次の30回で大会は終わりらしいと噂になった今大会、

色んなことが縮小傾向で少し切なくも感じる。

3km付近、突然現れた応援隊、今年はミニオンだった。(キク・嫁・マユ)

5km付近、空が明るくなりランナーの列は縦長になる。

仮設トイレは何処も長い列をなしていてスルーする。

職業柄、忙しい日はトイレもいけなかったりと尿意はある程度コントロールが出来る。

しかし、それが腎臓の数値が悪い証でもある。

10km地点、しっかりと6分半を刻んでいる。

疲れもなく、調子に乗ってきた。

山道が続き民家は少ない。

過疎地域だが、この日のために数週間前から地元の人達が総出で草刈をしていたことを知っている。

普段は交通量もなく人けのない山道、木の枝が散乱し草は伸びきり、日陰は苔むしている。

今こうして整備された道を走らせてもらっているだけでも有難くて感謝の気持ちになるものだ。

徐々に上り勾配になってきたが、2回の試走で感覚は分かっている。

「お久しぶりです」

後ろから現れてきた知り合いランナーに声を掛けられる。

「私は今回で100は最後ですわ」「僕もですよ」

同世代ランナー、四万十ウルトラでしか会わないが戦友のようで会話もはずむ。

加齢による夏場の練習のしんどさ、モチベーションの衰え、同じことを口にしながら笑う。

前方にこれから上る堂ヶ森の山が見えてきた。

標高600mを越える序盤の難関に向かう。

13km辺りから坂道に、15km付近からは峠走となり上りは6kmもつづく。

ここは何とか8分台でいきたいところだが、時計は9分を超える。

歩くランナーも現れるが、私はここは歩かない。

堂ヶ森はキツイ名所として走って楽しむ。

まして今回は最後と公言して走っている。

絶対に歩いてたまるものか・・。

とはいえ、何回走っても堂ヶ森はキツい。

幾度となくくじけそうになる。

前を走るランナーの背中に勇気をもらい、下を向いた足元の自分の脚を信じてひた進む。

カーブを曲がるたびにエイドがまだかまだかと絶望する。

そうやって辿り着いた19km付近の給食エイド。

おにぎりを口にする。

食べたものをエネルギーに変える、単純だが生き物はそういうふうに出来ている。

再出発、まだ2kmの峠走だ。

【20km】2時間33分17

想定内で順調だが試走時よりも頑張っている感がある。大丈夫だろうか・・。

21.5kmついに頂上。

下りは9km、6分台で下る。

22km地点の給水所から5km区間給水が出来ないのは去年から変更になった点。

ボランティア不足からの苦肉の策なのだろうと想像するが、この地点の給水は欲しい。

峠の下りが終わるあたりの30kmすぎ、シューズの中に小石が入り込み気になる。

そのままでもいけるが、長い道のり、不安要素は取り除いておこう。

身体を折り曲げ、シューズの紐に手をのばし、シューズのつま先を上げた瞬間、

カキンとふくらはぎがロックした。

痛い!攣った!

何だこれ、裏モモ、腕、首、いろんなところが攣り気味で何とか耐える。

カチカチにロックしたふくらはぎは少し伸ばしたところですぐにまたロックする。

焦る、ガードレールに両手をつけて目いっぱいふくらはぎを伸ばす。

長距離練習では攣らない脚が本番で攣る、それは過去のウルトラでも経験済。

こうなるとこの先は想像がつく、しばらくの間はこの攣りとの闘いとなる。

さらに、そのしばらく先では再び攣らなくなるはずだが、

これはもう途中の関門との勝負なレースだ。

ここまで想定内なランだっただけに・・・、いや、やはり練習不足なのだろう。

過去一番練習出来てない今回、練習内容がきっちりと本番に現れただけの話だ。

走っては攣ってを繰り返しはじめた、地獄だ。

次々と抜かれてメンタルも揺るぎ始める。

いやまだ14時間のぺーサーも現れていない、諦めるには早すぎる。

【第一関門昭和大橋】

遅い。去年と変わりないが、今回は攣る脚を抱えている分焦りがある。

昭和大橋は応援ポイント。

四万十川にかかる橋は賑やかだが、太陽は高くて暑さとの闘いを思い出した。

【後編へつづく】

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