またまた前回のヤツの続きです。
料理ド素人親父の奮闘記にお付き合いください。m(__)m
令和になって料理を覚えた、いや、料理をやり始めた。
50を過ぎた今ここで、新たな扉を開きつつある!(大袈裟)
とはいえまだまだド素人、「初めての作業が面白いだけ」・・・コレに尽きる。
「ピザトースト」
「その3」にしてこのクオリティーの低さ、
世の女性陣に「安心感」を与えるのも素人オヤジ料理の醍醐味。
シェフ顔負けの域に達すると「引くぅ~~~っ」となるはず(妄想)、
このクオリティーはキープしたいところ・・・(ただの言い訳)。
ここは素直にバジルソースを使っていることだけで満足することにする。
鉄のフライパンが我が家にやってきました。
一緒に育っていこうな・・お前・・(遠い目)。
「かつおダシ」
水出しだがこれで十分。
「土佐の男」としては常に「カツオ」で勝負する!
「すき焼き」
関西風は基本ダシをとらないらしいが、せっかくなのでダシも使う。
ついに、ついに「鍋」まできた。なんかうれしい・・
え?豆腐がちゃんと切れてない?
フフ、ちゃんと掌の上で切った証拠や!(恐る恐る!)
さて、このすき焼き、高知ならではの食材が使用されています。
「何でしょう?」
フフフ、「ファイナルアンサー?」
答えは・・・
「葉ニンニク」(高知県人が愛する食材)。青ネギの代用として「葉ニンニク」を使いました。
これがね~、旨いんですワ。(香りも味もニンニク)
え?少ない?慌てるでない、他の料理にも使い回す。
ちなみにこのすき焼きの豆腐は「梶原豆腐」
県西部に住む者は必ず口にしているソウルフード。
四万十市のお隣宿毛市の梶原食品の「梶原豆腐」。
実はこの豆腐屋さん、大相撲で人気力士の「豊ノ島」の実家でもあるのです。
ケガから再起して一度は幕内に戻りましたが、先場所は十両下位で残念ながら負け越し。
来場所は幕下陥落確実で引退も危ぶまれましたが、娘さんの激励でもう一度頑張ってみるのだそうです。
36歳は現役関取でも最年長、その勇気に敬意を表して豆腐を食す・・・なんてロマンがあっていい。
「葉ニンニクとベーコンきのこのバター醤油炒め」
「プシュッッ!」
ビール開けてもうたがな・・
この料理に説明など不必要!題名だけで・・・「プシュッッ」。
「葉ニンニクのチャーハン」
もうチャーハンは安定の味が出せるようになってきた。
さらに葉ニンニクを投入して「闘う男の一品」に早変わり。
見えない角度からの右フックのパンチが効いた・・まさにそんな味。
「ブロッコリーとジャガイモを炒めたもの」
「炒めた」といってもレンジでチン。
甘いトマトを乗せて渋いバジルソースで。
なんかオシャレな一品になった・・
「鳥の照り焼き」
照り焼きチキン、
・・・「プシュッッ!」
「玉子を茹でる」
・・・半世紀も生きてきて、玉子を茹でたことが無かった。
これは鳥類に謝る、ゴメン。
ゆで卵のほうが保存期間が圧倒的に短いという事実を知ったのも今、
無関心なまま玉子を扱っててゴメンよ。
黒尊神社奥の院では、後ろ向きに下の渓流に向かって生卵を投げ入れ、割れなければ願い事が叶うという。
・・・低俗な欲望のために、もうそんな暴挙はしないことにするよ。
「ゆで卵とブロッコリーのサラダ」
茹でたブロッコリーにマヨネーズ、そしてゆで卵、
何?この感動は何?
その昔、郷ひろみと松田聖子の結婚式を見たような・・(何じゃそら)、
う・・旨い。
「鶏のから揚げ」
ついに揚げ物に挑戦した。
恐ぇぇ、ビチバチと飛び散ってくる高温度の油達。
慌てて床に新聞紙を広げたり、敵としては最強の部類だった。
「音を聴け!」(天からの声)分かるかそんなもんっ!割ってみれば少し赤かったんで2度揚げ。
危険を冒さないと手に入れられないものがある!
これは山で学んだ極意と同じだ!
結果、下味の効いたジューシーな唐揚げに辿り着けた。
これで今後の家呑みもさらに楽しくなるはずだ。
「洋食バターライス」
スパイスのパセリ買ったぜ!
一度間違えてスパイスのバジル買ってしまったぜ!(またバジル増えてしまった・・)
「ハーブミックス」、ここで再登場だぜ!
これは、昔お母さんに手を引かれて行ったデパートの食堂で食べたような・・、
そんなノスタルジックでレトロな味になったぜ~!
「マグロとアボカドをワサビ醤油で絡めたもの」
これは・・死ぬほど旨い。
高知は新鮮な魚がスーパーで簡単に手に入る。
そんな恵まれた土地ならではのイタリアンチックな料理。
ポイントは絡めるワサビ醤油のワサビ。
かなり多めに使用すること、それで味が締まる。
これは松田聖子と神田正輝が・・・もうええワ!(笑)
「ミートオムレツ」
ちゃんと肉入りです!
「さしすせそ3」やっぱり「3」ですね。
仮面ライダーもV3が一番かっこよかった(笑)
これは自画自賛の旨さ!何か本当に腕があがった気にさせてくれる(しみじみ)。
「炊き込みごはん」
「ブリの炊き込み御飯」
ついに炊き込みご飯に辿り着いた。
三蔵法師が天竺に辿り着いた。
オヤジ料理が行きついた先はここだった。
「季節もの」のブリとゴボウにニンジン、醤油・酒・みりん、そしてダシ。
これはもう、おふくろの味を通り越して「ばあちゃんの味」。
「旨味成分」は小学高学年頃までに食していないと、その後に舌で感知できなくなるらしい。
私の舌が「ダシの旨味」に反応出来るのは、幼少期にばあちゃんにちゃんとした料理を食べさせてもらったからだ。
私が幼い頃、美容師の母はお店も繁盛しててんてこ舞いの大忙し、
同居していた母方の祖母に背負われ、どこに行くにもおんぶ紐でくくり付けられた子供だった。
なかなか指を吸うのを止めなかったのは母にかまってもらえなかった寂しさからなのだろう。
高校一年の初夏、ばあちゃんは患った胃がんを悪化させて入院した。
お見舞いに行くと、「来てくれた」とポロポロと涙を流した。
泣かれるのが嫌で、なかなか病室に出入りしなくなったある日、ばあちゃんは死んだ。
思春期で人前で泣けなかった私は病院の階段の踊り場で一人泣いた。
あれから約40年、炊き込み御飯のダシの旨味を味わいながら走馬灯のように色んなことを思い出せた。
今一度、あらためて言おう、「ばあちゃん、ありがとう」
・・・で、
勢い余って地元紙高知新聞の読者の広場に投稿したところ、
本日付の朝刊に掲載されました。
何かちょっと恥ずかしいな~