見上げると……おお、
色の濃いやつをゲット。
糖分補給、甘い!
そして20km、3度目の自販機給水で止まってから急に走れなくなった。
ポケットに小さな箱を忍ばせてジョギングを出発した。
佐岡橋を渡る黄色いダンプは確か親父が乗っていたものと同じだ・・・。
その昔、我が家には犬がいた。
名前は「ビル」。
茶色い耳が垂れ下がった白い犬で、セッターというメスの大型犬だった。
ビルは子供の私と同じくらいの大きな体で、ペットというよりも友達のようだった。
「お手」を促すと、顔はそっぽを向けながら大きな足を手に乗せてくれた。
冷たい肉球と、その後に撫でる温かい頭の感触は今でもちゃんと残っている。
亡き父の趣味の一つが狩猟で、ビルは狩猟犬として飼われていた。
猟では親父が撃った鳥ではなく、他の人が撃った鳥を咥えて帰ってくるという名犬ならぬ迷犬だった。
親父の仕事は建設会社のダンプ乗りで、定時に帰るとすぐにビルを散歩させに堤防に向かった。
当時、犬をつなぐリードは大きな縄だった。
たまに握らせてもらったが、大型犬の勢いは強くて子供の私は抵抗むなしく引きずられた。
堤防の上で縄を解かれたビルは一目散に下の広場に駆け出した。
川辺に水鳥を見つけるとピタッとその場に伏せをして、その後一気に駆け出して飛び立つ鳥を追い回した。
長い耳を上下に揺さぶりながら、それはもう楽しそうに追い掛け回すのだが、
最後は空に向かって小さくなる鳥を恨めしそうに眺めた。
どんなに遠くにいても親父が「ピュイピュイーッ」と口笛を鳴らすと飛んで帰ってきた。
子供の私の口笛でも帰ってきたときは、飛び上がるほどうれしかった。
親父の休日は、猟の訓練という目的で堤防の上にビルを置き去りにして車を走らせた。
私は後部座席から後ろの窓にへばりつき、必死の形相で追いかけて来るビルの顔に胸が締め付けられた。
ある夕方の散歩の時、縄を解かれたビルはいつもと様子が違った。
水鳥には目もくれず、一心不乱に駆け出して、あっという間に遠くに消えた。
「ピュイピュイーッ」、何度も吹かれた親父の口笛でも帰って来なかった。
親父は不機嫌そうに家に帰った。
私も不安な気持ちのまま後に続いた。
日も暮れた夕食後、やっぱり気になり玄関を開けてみるとビルはそこに居た。
扉の前にチンと座って申し訳なさそうな上目遣いをしていた。
親父に頭を一発叩かれて家に入れてもらったビルは、小屋で残飯にむしゃぶりついた。
カツカツというアルミのお椀の音を聞きながら私はこっそりとその頭を撫でてやった。
犬には帰巣本能がある事と、嗅覚が優れていて人の匂いを追えることをその時知った。
中学になり英語の授業がはじまり、女性教師に流暢な英語で飼っている犬の名前を聞かれた。
「ビルです」
いかにも外国っぽい名前に興奮した先生は続けて「名づけの意味」まで訊ねてきた。
「えーっと・・・、ビルのように大きいからです・・」
クラスは失笑に包まれた。
そういえば、どうしてビルだったのか・・・、今でも分からないままだ。
ちょうどその頃、ビルは高齢での出産となった。
フィラリアの病気と闘いながらの命がけの出産だった。
それでも頑張って、大きな小屋の中でのたうち回りながら数匹の子供を産んだ。
しかし、よほどしんどかったのか、産まれたての子犬を大きな自分の体の下敷きにしてしまった。
かろうじて救い出した一匹の真っ白な子犬は、私の手の上にひかれたバスタオルの中で静かに動かなくなった。
それから少ししてビルは死んだ。
その後、親父に連れられ、どこかの河原近くに穴を掘って埋葬した。
・・・あれから40数年、
「そういえば、あの埋めた場所ってどこやろう?・・・近くに親父のダンプもあったような・・」
お客で来たガソリンスタンドで働く同級生にそんな話をしていると、
その河原の場所に思い当たるふしがあるらしい。
「その河原はあそこじゃないか?」
私は今、そこに向かってジョギングをしている。
教えられた通り家から約7km、大きな車道を離れて脇道を進む。
何処となく見覚えのある風景・・・、同級生によると親父のダンプはここに停められていたらしい。
草むらから河原へ続く道がある。
突然現れた見覚えのある空間に気持ちが高ぶる・・・。
そうだ!たぶんこの辺だ!・・・、ビルはこの何処かに・・、胸が締め付けられ熱いものがこみ上げる・・。
「ビル!」
「ビルーッ!」
声に出すとポロポロと涙が溢れだした。
「ピュイピュイーッ!」
「ピュイピュイーッ!」
静かな景色にこだまする口笛。
川面から小さな魚が跳ねた・・
ポケットの小さな箱から短い線香とライターを取り出し、花の横で手を合わせる。
線香の火が消えるまで河原で石を投げて遊んだ。
ビルの面影と一緒に、子供だった昔のように・・・。
ビルは追いかけて飛んだ鳥のように空にいるのだろうか・・
帰りもジョギングで走って家まで帰る。
「足跡と匂いを残しておくから、自慢の鼻を利かしてたまには帰っておいで・・・ビル!」
死んだ母は美容師だった。
出里は街から車で15分ほど四万十川を上った静かな集落。
結婚して街に出て「リラ」という名の美容室を開き、多くのお客さんに愛された美容師だった。
母の顧客でもあり、同郷でもあるチヨエ婆さんが訪ねてきてくれた。
80代半ば、上品なウェーブの真っ白な白髪頭で細身の美人婆さんだ。
「街まで買い物に来たついでに寄らしてもらいました・・(笑)」
「ふぅ~、私は心臓が悪いからここまで歩くだけで息が切れてもう大変・・(笑)」
「娘のお迎えの車がくるまでここで待たしてくださいな」
私「いいですよ~、チヨエさんお久しぶりですね~!元気にされてましたか?」
「あ!ちょうどよかった、ホラ、山でナシカズラ採ってきましたよ!」
「まぁ~珍しい、私らが子供の頃はみんなコレが好きやった・・、まぁ珍しいねぇ」
「そうでしょう!ウチのお母ちゃんも好きやってね、ジョギングしながら随分探してね~」
「数年前にやっと見つけて、それ以来毎年この時季は山通いですよ(笑)」
実のひとつをナイフで割る。
茶色の実からは想像もつかない綺麗な緑色の果肉がまるでキウイのように美しい。
味もはっきり言ってミニキウイだ。
ナイフの手元を食い入るように見ていたチヨエ婆さんに、割った半分を差し出す。
「どうぞ食べてください、懐かしい味やと思いますよ!」
「まぁ申し訳ないね~、私が子供の時以来だから・・・80年ぶり!(笑)」
口に放り込み、口の中でしゃぶり転がすその様子はさすがで、
昔の子供達はみんなこうやって山の木の実を皮のヘリまで味わったのだろう・・。
やがて口の動きは止まり、遠くを見る目元が赤く潤んできた。
・・・ダメだ、年寄りを泣かせてはダメだ。
「霜が降りる頃に熟すって言うだけあって、急に寒くなりましたよね~」
大きな声に我に返り、口から出した皮を丁寧にティッシュで包み丸める。
「ほんと、急に寒くなりました」
「でもねぇ、ホラ!これがあるから温かいのよ・・」
そういって上着のボタンをはずして中に着込んだ茶色のベストを見せる。
茶色のベストは「手編み」で随分と使い込んでいて形が崩れている。
下に着たシャツが透けて見えるほどの粗い糸の間隔、特徴的なその編み方に自分の記憶がうずく・・。
「・・これねぇ、アンタのお母さんに貰うたのよ」
「リラ先生はモノをあげて人を喜ばすのが好きじゃった・・」
「入院中にリハビリで編んだからあげるって、ねぇ」
「アンタのお母さんは本当にええ人じゃった、ええ人からアッチ(あの世)に行く・・(笑)」
母・・・、
ある日、手の痺れがパーキンソン病と診断された。
徐々に病は進行していき、思うように手足の自由が効かなくなった頃、ついに手術を決断した。
脳に電極を埋め込むという手術はとりあえずは成功した。
手足の震えはきれいに治まったが、手足のこわばりは変わらなかった。
何もしないと全く動けなくなる恐怖から、リハビリがてらによく編み棒を手にした。
手足がおぼつかない美容師からお客さん達は少しずつ遠ざかるようになり、
ついに引退を決意して自宅にこもった。
動かなくなると動けなくなる体、
車椅子で連れ出す行き先はいつも毛糸屋さんだった。
冷え症の自分はいつも手袋越しに母の手を引き体を起こした。
ある冬の朝、突然の心筋梗塞で母は倒れた。
看護師の嫁が懸命の心臓マッサージをする中、自分は素手で手を握り続けた。
まだ温もりが感じられる動かない手をさすり続けた。
救急車が来て、搬送された病院の医者に止められるまで手を握り呼び続けた。
突然訪れた別れに戸惑いながら、母の温もりをいつまでも感じていたかった。
母は実にあっさりとあの世に旅立った・・・。
子供の頃の母の記憶に、よく編み物を編んでいる姿がある。
編み棒を持つ手は分厚く、爪は毛染めの染料のせいでいつも黒ずんでいた。
高校を卒業し、都会に出た頃、仕送りの段ボールの中に手編みのベストが入っていた。
さすがに思春期に親の手編みを着るのは恥ずかしく、袖も通さず段ボールに入れっぱなしだった・・。
チヨエ婆さんの茶色のベストから色んな記憶が蘇り、涙腺が緩んだ。
「あのね、今はお金さえ出せば温かい服はいくらでも買えるけどね・・」
「私にはリラ先生が編んでくれたこのベストが一番温かいのよね、本当~に温かい」
潤んだ自分の瞳の中でもはっきりと分かる母の編み方、見覚えのある大きなボタン・・、
母はこんなところでちゃんと生きている・・
「これが一番!!」
もう涙は頬を伝うどころか、ポタポタと床に落ち始めた。
「温かい」ということはこういうことだ・・。
人と繋がり、人を思い、人を包み込むということだ。
逢いたい・・、オフクロに逢いたい・・、おかあさん・・・。
「チヨエさん、今日は立ち寄って頂いてありがとうございました。」
お迎えの娘さんの車に乗り込むチヨエ婆さんにお礼を言った。
「ああ、来年のウルトラマラソンは途中でチヨエさんの家に寄りますんで!ご主人の仏壇に線香あげんとね!」
「ハハハ、まあバカなこと(笑)」
人は悲しみを乗り越える度に強くなる、いや、そんな簡単なものではない。
悲しみでボロボロになった心をそっと癒してくれる「何か」に気付くだけのことである。
ちょうどこの冬、身も凍える2月に母の七回忌法要を迎える。
大丈夫、もう寒くはない・・