エルソル飛脚ブログ ~Run 4 Fun~

四万十川周辺をチョロチョロしている飛脚の記録です。

第30回四万十川ウルトラマラソン ~70kmDNF・後編~

2024年11月10日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

昭和大橋を渡ると2車線の車道に出て長い直線を走る。

そのあたりは応援ポイントでもあるが嫁の姿は見当たらない。

今回はさらに飛脚以外のたくさんの人を応援するらしく、もうどこかに移動したのだろうか。

基本、移動応援は禁止。

山道のコースは狭くて車は完全に邪魔になる。

飛脚応援隊はコース上を車で通過することはなく、遠回りの大回りで現れる。

そして、単に知り合いとかだけではなくて、

目の前を通過するランナー全員を全力応援する初代応援隊長女子アベから引き継がれた自慢の応援隊だ。

そのアベもおそらく私のかなり前を颯爽と走っているに違いない・・。

長い直線のゆるやかな上り坂ではやはりふくらはぎが攣りつづける。

歩くと攣ることはないが、走ると上りでつま先が上がりロックする。

どうしたものかと歩いていたその時、14時間のぺーサーに抜かれた。

14時間はゴール関門の時間、こんなところでつかまってはゴールなど到底無理だ。

トンネルに辿り着いた。

トンネル内は涼しい。しかも下りになる。

下りでは全く攣ることもなく再び走り始める。

小野大橋を渡りかえして山道に戻る。

給水所では脚に掛け水をしてシューズも濡らす。

この水は役所の水道課やボランティアが前日真夜中に運んだ貴重な水、

やはり感謝の気持ちを忘れてはならない。

【40km】5時間21分21

フルマラソンなら完走ペースかもしれないが、ここではリタイアペース。

もう遅くても走り続けなければゴールは見えない。

42km地点、60kmの部との合流地点に嫁とセイシが現れた。

セイシ「遅い!100年待ったぞ!」

「うるさいわ!(笑)」

すぐに給水所。

「あ~、ゴールは無理やな~」「いつもの71.5kmを目指すか(笑)」

給水をとって走り出した背中越しにセイシのゲキが飛んだ・・・

【諦めるなーっ!!】

・・・そうだ、諦めたら終わりだ、そうだ、思い出した、

リタイアするときはいつも「諦めたとき」だった。

調子には波がある、

復活を信じて遅くても走り出す。

わずかな上りでも脚が攣るが下りではしっかり走る。

給水所で掛け続けた水のせいか足指にマメが出来たようで痛む。

足底、マメ、痛いところが増えて気持ちも折れる。

歩きが多くなるが何度も走り出す。

【50km】ここで半分。

ここからは毎回どういうわけか復活が現れる。

3km先は沈下橋で「そこまでは全部走る」という気持ちになるものだ。

復活。

歩くランナーをかわして進む。

歩くランナーの一人ひとりに「もう少しで沈下橋ですよ!頑張りましょう!」と声を掛ける。

「もう少し」の魔法はランナー達の脚を再び動かすものだ。

また、人に声を掛けておいて自分は歩けないというプライドも生まれ、

ついに完全復活で攣らない脚は躍動し、走れるようになった。

【53km】半家沈下橋。

この橋は往復、復路では自分の声で走りだしたランナーとすれ違いざまにハイタッチをしていった。

お互いに無言のエール交換である。

半家の沈下橋が終わると峰半家の峠に入る。

50km以上走った脚にこの峠は残酷だ。
 

もう全部歩くし、四万十川の写真なんか撮ったりする。

歩いてもキツい、なかなかな上り・・。

下りは急坂で足マメが激痛に変わる。

下りきると第2関門。

まだ20分以上あるじゃないか・・。

次の次の71.5kmの関門を20分残して通過出来ればゴールも出来るペースに戻せるのだが・・・。

「あら~?またこんな時間に?大丈夫~?」

いつものようにボランティアの知り合いキンちゃんの冷やかしが入る。

「いつも通りで順調極まりないでー!!」

あたりの笑いを誘う。

記念撮影。そんなことしてる場合でもないが・・

復活で使った脚はきっちりと疲労として返ってくる。

前をゆくランナーも歩く人が多くなり、給水所を出てからしばらくは歩いてしまう。

時計に目を移すと61km地点のレストステーション・カヌー館までの残り2kmは全く歩けない関門時間になった。

行かなくては・・、再度気力を振り絞ってノンストップランに挑戦する。

【60km】8時間38分28

遅くても走る、痛くても走る、歩きたくなっても走る、とにかく走る!

このマラソンはメンタル、

何とか関門3分前に通過出来た。

レストステーション、スタート地点で預けた荷物が一度受け取ることが出来る。

荷物の中から栄養ドリンクを取り出し、急いで飲んで再出発する。

いやもう厳しい。

次の71.5kmの関門にはかかるだろう。

これまでの最低記録はそこの関門、何としてもそこだけは辿り着かなくては・・。

地元民として土地勘がある。

その土地勘があるために、その距離がどれだけ遠いかまで分かってしまう。

西土佐の赤い橋が見えてきた。

去年からこの橋を往復するコースとなった。

下を流れる四万十川は県外ランナーの癒しとなるだろう。

近頃、この橋を車で渡ることはなくなった。

新しく長いトンネルが抜けて、車のほとんどはそのトンネルを通るようになった。

そのトンネルの横の旧道のくねくね道、そこをランナーは走る。

民家もなく、川沿いの樹々で覆われた道は音が消えて静寂だ。

陽は傾き、影は長く伸びる。

今回で最後と決めた100kmの道程は思ったよりも長い。

「もうだめだ」

精も根も尽き果て、ついに下を向いてダラダラと歩き始める。

時折吹く強い風が足元の落ち葉を払い、汗で濡れたシャツは冷たくさえ感じる。

前後にランナーの姿は見えず、閑散とした山道の風景は寂しくて何だか切ない。

そんな時、風に乗って声が運ばれてきた。

「頑張ってー!」

姿は見えないが、どうやら女性の声だ。

いやもう頑張れない、暑さで攣り続けた脚は棒のようで思うようには動かない。

「頑張ってー!」

遠くに、豆のように小さいが、明らかに自分に向かって大きく手を振る女性がいる。

あの人は自分が歩いている限り応援をやめないのだろうか・・・、

「頑張ってー!」

これはもう・・・「頑張らなくては・・」。

もう一度走ろうとするが、硬くなった脚は痛くて悲鳴を上げる。

それでも脚を交互に進めて、とにかく動き続ける、

腕を振り、呼吸を整え、リズムを刻み、とにかくそれを続ける。

「頑張ってー!」

頑張れる、頑張れる。

固まった筋肉は徐々に躍動しはじめ、何とか走れるようになる。

折れたのはメンタルで、身体なんてどうにか動くものだ。

飛び跳ねながら応援してくれる女性の姿が次第に大きくなり涙がこぼれそうになる。

「頑張ってー!!」

言葉は言霊となり胸に響いて躍りだす。

ついに復活して、走り続けて女性のもとまでたどり着いた。

「あなたのおかげで走れるようになりました!ありがとうございます!」

頭を下げた後、再び走り始めた。

頭を上げてみると見える景色も随分変わる。

風に吹かれたコスモスが揺れ、横を流れる四万十川は雄大で癒しの風景だ。

随分歩いたせいで、次の関門はくぐれないだろう。

せめて二つ目の沈下橋は走って渡りたいものだ。

長い直線を頑張ると岩間の沈下橋が見え始めた。

1km少し先にある関門は閉鎖されているはずだが、

大丈夫、まだ走らせてもらえる・・。

岩間の沈下橋のたもとの給水エイドが近づいてきた。

片づけも始まっているようで黄色いスタッフジャンパーを着たボランティアが慌ただしく動いている様子がうかがえる。

そんな中、おそらく最後だと思われるランナーの私が走って近づいてきたことで片付けの手が止まったようだ。

スタッフ全員による大きな拍手と大きな声援が起こりはじめ、ねぎらいのシャワーを受ける。

「よく頑張ってここまで走ってきたね!」

その言い回しで次の関門が閉じたことを確信する。

そんな事よりも「よく頑張ったね」という毛布に包まれたような温かい言葉にグッときて涙がこぼれる。

「ありがとうございます」

岩間の沈下橋は、収容バスに追いかけられながらの貴重な経験となった(笑)。

ひたすら逃げるが、間もなくバスに追いつかれ収容される。

結果、70kmでリタイアとなった。

バスの中は、私がついさっきまで抜いていったランナー達が皆収容されていた。

すぐに71.5kmの関門所で降ろされた。

私の最後の100kmマラソンはこうして終わった。

乗り換えたリタイアバスでは落ち込むことなどなく、清々しい気持ちだった。

横に座った大阪の若者ランナーと談笑し笑いながらバスに揺られた。

ゴール地点で降ろされた後は体育館で荷物を受け取り、仲間の応援に精を出す。

そこに現れたミニオン応援隊キク・マユのコンビと記念撮影。

M君ゴール!アベは2年連続のゴール!S君は途中手の震えなどの脱水症状で棄権、

60kmの部に参加していたS君奥さんは途中嘔吐により棄権、

長い100kmの一日は、それぞれのランナーにそれぞれの事が起こる。

完走の喜び、リタイアの無念、頑張った分だけ様々な出来事がのちにかけがえのないエピローグになる。

午後7時半、ゴール関門が閉まり花火が打ち上がった。

最後まで会場にいた仲間たちと記念撮影。

私の100kmマラソンはここで終了。

これまでこのブログで「敢闘記」「奮闘記」「完走記」など様々な記録を書いてきたが、

一つだけ断言することがある。

私が愛してやまないこの四万十川ウルトラマラソンは「美しい癒しの風景」と「温かい応援」にあると言っても過言ではない。

ウルトラを通じて知り合った皆様や、大会にまつわる全ての人達に感謝して終わろうと思います。

「ありがとうございました!」

次は60kmの部を走ってみる・・とか、60歳になるときにもう一度だけ100km挑戦してみる・・とか、

いろんな事を言われたり言ってみたりしますが、どうなることやら・・・。

とりあえず同級生3人(セイシ・アベ・私)で打ち上げの宴。

アベ「ほら、アンタのブログ用に乾杯の写真撮らないと・・」

セイシ「しかし、お前が一番根性がないわ!」

ワイ「エントリーも出来てないような奴に言われたくもないわい!(笑)」

「お疲れさま!乾杯ーー!!」

【完】

 

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第30回四万十川ウルトラマラソン ~70kmDNF・前編~

2024年11月09日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

100kmマラソンは今回が最後、そう公言して挑んだ大会でしたが残念ながら完走はできませんでした。

私的なブログの出走記になりますが、記録に残しておこうと思います。

(注・長くなります)

【前日】

仕事の合間を見計らい、高知市内から到着したランナーのS君に連絡をとって一緒に受付会場に向かう。

臨時駐車場はいつものように県外ナンバーが多く、少しだけ気分が高揚する。

受付会場は安並体育館。

入口の事務局近くに見慣れない写真の数々が・・

これは大会ボランティアの配置を示してしるもの。

「照明班」は街灯の無い山道を自家用車のライトで照らすボランティア。

当日はまだ暗い早朝4時台から出動してそれぞれの位置で道を照らし、

陽が落ちて暗くなる90km以降も同様にランナーのために足元を照らして応援までしてくれます。

自営業の私の店の顧客で70代の方が朝に晩にと2回にわたり出動するようです。

「90km以降は真っ暗でランナーの間隔もまばら、疲れ果てて歩くランナーに【頑張れ】言うても返事もかえってこん」

「あれは落ち鮎のようなもんじゃ(笑)」

「落ち鮎」、四万十川では12月、産卵を終えて力尽きた鮎の「落ち鮎漁」がある。

おじさんの冗談ではないが、90kmあたりに辿り着けるのであれば「落ち鮎ランナー」にでもなりたいものだ。

受付会場の体育館内は広々としていて閑散としている。

ランナーが集まるこのブース、地元の学生たちが描いた作品で記念品としてお持ち帰り自由。

例年は河原の石にペイントされたものだったが、今回は四万十ヒノキに変わっていた。

私が持ち帰るのはコレ、練習風景に見覚えがありよく描けている。

ゼッケンに貼るシール。

コミュニケーションツールでもあるらしい。

応援FAXも少なくなった、これも時代の移り変わりの一つ。

帰宅後、再び仕事に戻るが、午後3時には早めに営業を終了した。

嫁から「仕事の帰りが遅くなる」と連絡があったので晩飯はトンテキを作って食べた。

ビタミンB1が何かに良かったような・・・、もう忘れたが前日は豚肉と決めている。

少しだけ酒をあおり、ゆったりとした時間を過ごす。

受付で渡された荷物のなかに同封されていた応援メッセージが嬉しい。

以前は中学の名前と個人名まで記載されていて身近に感じたものだが、

個人情報には気を遣わねばならないご時世なので仕方がない。

嫁は今年も応援隊。何やら準備中の様子だが一足お先に就寝する。


【当日】

緊張感からかほとんど寝られなかった。地元民で自分の布団で寝られるのに情けないものだ。

朝4時半、嫁の車で出発する。


途中、同じく応援隊の嫁の同僚キクちゃんを拾う。

キク「今日はすごく暑くなりそうですね~、雲が出るといいですけどね~、でも私【超絶晴れ女】なんですよね~」

キクのシュールなトークはさておき、予報では最高気温は26℃、暑さとの闘いは間違いない。

会場付近で降ろしてもらう。


「じゃあね」、キクの仮装応援の内容は後でのお楽しみらしい。

橋の向こうはスタート会場の蕨岡中学校(廃校)。

松明。いつもはこの炎が暖かく感じるが今年はやはり気温が高い。

横断幕。

会場へ向かう足元は暗いが見えないほどではない。

去年はオシャレなトーチが設置されたが、一部のランナーから「当たると危ない」とクレームが来たようで撤去になっていた。

一條太鼓の演奏も地元の一部の住人から「うるさい」とクレームがありスタート直前になったらしい。

ご時世とはいえ、一部の人の大きな声に弱い時代になったことを痛感する。

スタート会場は明るくて賑やか。

前日の雨で足元がぬかるんでいるが気になるほどではない。

今年のチーム飛脚100kmの部参加者は4人。

監督の私、宴会部長アベ、顧客M君、椅子職人S君。

同級生セイシはエントリーミスが3日前に発覚して今回は応援隊(笑)。

顧客を見つけて記念撮影。

スタート地点に向かう途中の一条太鼓、響くリズムは闘争心を掻き立てる。

スタート地点、いつものように前の方。

まもなく出発、「頑張ろうー!!」「おーーっ!!」

スタート!

「いってらっしゃ~い!!」の声に囲まれながらゲートをくぐる。

ん?ゲストランナー?(SUIさんという方・60kmの部に出場らしい)

しばらくはバタバタというランナーの足音がこだまする。

暗闇に灯る松明が幻想的だ。

キロ6分半を意識して走る。

抜かれ続かるということは随分前に並んだせいでもある。

1km、2km、調子はイマイチというところか・・、普段の早朝ジョギングでも日によって調子は様々、

調子の波は必ず繰り返すものだ、・・・気にしない。

あれ?内川地区に入ったが足元にキャンドルが見当たらない。

夜の飛行機の滑走路のように暗闇を灯す道標だったキャンドルの風景、

見落としたか?いや去年も無かったような・・、残念だ。

去年、次の30回で大会は終わりらしいと噂になった今大会、

色んなことが縮小傾向で少し切なくも感じる。

3km付近、突然現れた応援隊、今年はミニオンだった。(キク・嫁・マユ)

5km付近、空が明るくなりランナーの列は縦長になる。

仮設トイレは何処も長い列をなしていてスルーする。

職業柄、忙しい日はトイレもいけなかったりと尿意はある程度コントロールが出来る。

しかし、それが腎臓の数値が悪い証でもある。

10km地点、しっかりと6分半を刻んでいる。

疲れもなく、調子に乗ってきた。

山道が続き民家は少ない。

過疎地域だが、この日のために数週間前から地元の人達が総出で草刈をしていたことを知っている。

普段は交通量もなく人けのない山道、木の枝が散乱し草は伸びきり、日陰は苔むしている。

今こうして整備された道を走らせてもらっているだけでも有難くて感謝の気持ちになるものだ。

徐々に上り勾配になってきたが、2回の試走で感覚は分かっている。

「お久しぶりです」

後ろから現れてきた知り合いランナーに声を掛けられる。

「私は今回で100は最後ですわ」「僕もですよ」

同世代ランナー、四万十ウルトラでしか会わないが戦友のようで会話もはずむ。

加齢による夏場の練習のしんどさ、モチベーションの衰え、同じことを口にしながら笑う。

前方にこれから上る堂ヶ森の山が見えてきた。

標高600mを越える序盤の難関に向かう。

13km辺りから坂道に、15km付近からは峠走となり上りは6kmもつづく。

ここは何とか8分台でいきたいところだが、時計は9分を超える。

歩くランナーも現れるが、私はここは歩かない。

堂ヶ森はキツイ名所として走って楽しむ。

まして今回は最後と公言して走っている。

絶対に歩いてたまるものか・・。

とはいえ、何回走っても堂ヶ森はキツい。

幾度となくくじけそうになる。

前を走るランナーの背中に勇気をもらい、下を向いた足元の自分の脚を信じてひた進む。

カーブを曲がるたびにエイドがまだかまだかと絶望する。

そうやって辿り着いた19km付近の給食エイド。

おにぎりを口にする。

食べたものをエネルギーに変える、単純だが生き物はそういうふうに出来ている。

再出発、まだ2kmの峠走だ。

【20km】2時間33分17

想定内で順調だが試走時よりも頑張っている感がある。大丈夫だろうか・・。

21.5kmついに頂上。

下りは9km、6分台で下る。

22km地点の給水所から5km区間給水が出来ないのは去年から変更になった点。

ボランティア不足からの苦肉の策なのだろうと想像するが、この地点の給水は欲しい。

峠の下りが終わるあたりの30kmすぎ、シューズの中に小石が入り込み気になる。

そのままでもいけるが、長い道のり、不安要素は取り除いておこう。

身体を折り曲げ、シューズの紐に手をのばし、シューズのつま先を上げた瞬間、

カキンとふくらはぎがロックした。

痛い!攣った!

何だこれ、裏モモ、腕、首、いろんなところが攣り気味で何とか耐える。

カチカチにロックしたふくらはぎは少し伸ばしたところですぐにまたロックする。

焦る、ガードレールに両手をつけて目いっぱいふくらはぎを伸ばす。

長距離練習では攣らない脚が本番で攣る、それは過去のウルトラでも経験済。

こうなるとこの先は想像がつく、しばらくの間はこの攣りとの闘いとなる。

さらに、そのしばらく先では再び攣らなくなるはずだが、

これはもう途中の関門との勝負なレースだ。

ここまで想定内なランだっただけに・・・、いや、やはり練習不足なのだろう。

過去一番練習出来てない今回、練習内容がきっちりと本番に現れただけの話だ。

走っては攣ってを繰り返しはじめた、地獄だ。

次々と抜かれてメンタルも揺るぎ始める。

いやまだ14時間のぺーサーも現れていない、諦めるには早すぎる。

【第一関門昭和大橋】

遅い。去年と変わりないが、今回は攣る脚を抱えている分焦りがある。

昭和大橋は応援ポイント。

四万十川にかかる橋は賑やかだが、太陽は高くて暑さとの闘いを思い出した。

【後編へつづく】

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第29回四万十川ウルトラマラソン~かなり私的な71.5km関門アウト後編~

2023年11月02日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

四万十川をまたぐ昭和大橋、

橋を渡ると直線の車道を進むが、ゆるやかな上りで結構しんどい。

そこに応援隊の嫁が現れた。

「みんな通りすぎたけど、アンタが一番疲労激しいで~(笑)」

「なんか、ゆっくり行きすぎて逆にしんどいわ」

たいして愛想もふらずに出発する。

コースは基本山道で狭くて危険な為、車などでの移動応援は禁止。

嫁はこの後、別の道での遠回りで中村に帰る。

トンネルをくぐると小野大橋を渡り返して山道に戻る。

40km、「5.22.05」。

ヤバい・・・遅い、頑張らなくては・・。

50km地点、ここで半分。

53km地点、半家沈下橋到着。

この橋は往復、沈下橋から見える景色は気持ちがいい。

リフレッシュした後は峰半家の峠。

この峠はみんな歩く。

走っても歩いても大きなタイムロスにはつながらない。

峠の下りから走り出す。

56km、第2関門。

おお、そんなにロスがない。

「またこんな時間に現れた~!大丈夫~~?そのタイム?」

ボランティアスタッフで地元スポーツ用品店のキンちゃんがいつものように冷やかしてくる。

「何を言っているのやら・・!いつも通りやん!」

周りの笑いを誘う。

「今年は何処まで行くの?」

「う~ん、あと2つ関門くぐって80kmぐらいかな~」

「まあそう言わずにゴールまで行ってきて!」

「ヨッシャ!」

言葉とは裏腹に、体力を失ってきた・・。

今回は脚の攣りは全く無し、つま先や足裏が痛いくらいで大きなトラブルはない。

しかし、やっぱり体力不足で60km付近から歩きが入った。

そうなると、もう関門との戦いになる・・。

62km、第3関門カヌー館。

うわ~、残り6分・・・。

危なかった、ここで関門にかかると引退を決めていた。

四万十ウルトラは「100kmの部」と「60kmの部」があって、

過去一番早く関門にかかったのは71.5km、60km程度で終わるなら「60kmの部」に出るべきだ。

危ない危ない・・。

カヌー館はレストステーション、スタート地点で預けた荷物が一度受け取れる。

荷物の中から高価な栄養ドリンクを飲んで再出発した。

再出発して気が付いたが、パイプ椅子に座っているランナーが多い。

ランナーにはそれぞれの事情があるらしく、

完走や目標タイムが無理だと判断すると、次の大会に疲労を残さないように早めにやめてしまう事もあるようだ。

私がドリンクを飲んでいる頃、ここの関門は閉じたはず。

つまり今現在レースに参加しているランナーの中では最後尾に近い。

再出発後もランナーの姿はまばらどころか前後にも見当たらない。

体力を振り絞り前に進むが、ランナーの姿が全く見えない山道を黙々と走る。

弱いメンタルは簡単に折れて歩きはじめる。

いやしかし、走らないと次の関門には確実にかかる。

キクちゃんマリオのキノコ、ここで欲しい・・・。

走る、でも歩く、でも走る、

繰り返していると直線の向こうに歩くランナーを見つけた。

目標を見つけると頑張れる。

遅くても走り続けるとリズムが生まれ、体が躍動して進め出す。

復活。

キロ7分後半だが、走れるようになってきた。

68km地点、岩間沈下橋。

走る。

70km地点通過、

歩くランナーを交わしながらどんどん前に進む・・・、

っていうか、歩くランナーしか見当たらない・・・。

嫌な予感がしてボランティアのお兄さんに聞いてみる。

「もしかして1km先の関門は閉まった?」

「少し前に閉まりました」

なるほど、それでみんな歩いているのか。

前を歩くランナーに見覚えがある。

「おお、リンダ!ここにおったか!」

飛脚Tを買ってくれた嫁の友達リンダ、四万十は抽選に落ちまくって念願の100km挑戦だったらしい。

「脚が終わったもん、関門閉まったらしいで~」

「知ってる、とにかく走って終わるわ」

芽生大橋。

この橋を渡ったところが71.5kmの関門所。

惜しいどころか、15分も足りなかった。

審判員の知り合いと談笑。

「あ~そうそう、そこの時計掲示板で記念写真でも撮ってやろうか?」

「ほんまや、お願いします」

広島の大柄なランナーさん「来年リベンジしますよ~!」

そうそう、私も来年もう一度勝負する。

リタイアバスに乗り込む。

隣に座る愛媛県の女性ランナー「この橋の名前は何ですか?」

「ああ、かよう大橋、芽生大橋って書きますよ」

振り向くリンダ「何?ナンパしてるの?嫁に言うで!(笑)」

「ちゃうわ!あ~リタイア報告を嫁にせんとな~、ううう」

リタイアバスはまだ走るランナーを追い越しながら進む。

みんなヨレヨレで、それでもあきらめずに前に進んでいる。

心が締め付けられる・・。

バスはゴール会場の母校中村高校の堤防上に到着する。

リタイアした人だけもらえるリタイアタオルをもらう。

「あれ?テッちゃん!タオル生地薄くなってない?予算不足?」

近くにいた知り合いボランティアスタッフを冷やかす。

「それを知っているということはいつもリタイアしてる証拠やん」

「ハハハ!」

堤防から階段を下り体育館に向かう。

いつものリタイアならこの階段が下れないが、今回は普通に下れる。

脚の状態は・・残念ながら生きている。

出し切らず、ボロボロにもならず、メンタルが早めに折れただけの弱者なのだ。

出店ブースでうどんを食べる余裕すらある。

そこを仕切っているモーリ君は私の長年の顧客でエリートランナー、

「見たところ元気そうで痛んでないですね~」

「今年は痛まずに関門にかかってしまいました!あれ?走らんかったの」

「ブースが人手不足なんで今回は仕事してます」

それぞれのランナーにもそれぞれの事情があり、私の挑戦やリタイアもそんな風景の一部に過ぎない。

時刻は午後7時を過ぎて、残り30分。

仲間の帰りを待ちながらランナー達の応援をする。

私にも完走歴があり、最後のゴールの瞬間の感動はよくわかる。

ついその1km前まで暗い山道を絶望感と闘いながら進んできたのだ。

先に戻ってきたのは隊長アベだった。

同級生ランナーで初100kmの一発目で完走したのは彼女だけ、スゴイ!

続いて14時間の10分前にセイシが飛び込んできた。

横に手を広げながら「ギリギリセーフ!」

ゴール会場には同級生達も何処からとなく集まり記念撮影。

背中の飛脚の文字を書いてくれたレイちゃん「アンタまたリタイア?どこ?70?最近その辺ばかりやん」

その通り、4回前の完走を最後に90km付近の闘いが出来なくなった。

体力・気力・練習、ウルトラに必要なもの全てが不足している。

でも来年、30回記念大会は再度100kmの部に出場する。

ゴール関門が閉ざされ、花火が打ち上がった。

アベ「打ち上げは?」

「先にゴール(?)したワイがちゃんと居酒屋予約したわ(笑)」

セイシ、アベ、15年前の同窓会から誕生したチーム飛脚の同志、

アベは応援隊からジョギングを始め、今回見事に100kmを走り抜いた。

居酒屋では感慨深げにこれまでを振り返り余韻に浸った。

帰宅後、就寝前の11時過ぎ、息子から携帯電話に一本のメッセージが入った。

前日の仏壇の両親への願い事の「もう一つ」、

「そしてどうか・・・、母子ともに健康で丈夫な赤ちゃんが産まれますように!」

100kmの完走はならなかったが、私はその日、無事におじいさんになった。

来年、じーじは晴れて最後の100kmの旅に向かう。

■おわり■

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第29回四万十川ウルトラマラソン~かなり私的な71.5km関門アウト前編~

2023年11月01日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート

「どうか無事に100km走れますように、そしてどうか・・・」

私は仏壇の両親に2つの願い事をした・・・。

第29回四万十川ウルトラマラソン、

コロナ明けで、開催は実に4年ぶりである。

前日、

仕事の合間に受付会場安並体育館に向かう。

体育館内は閑散としてとても広く感じる。

それもそのはず、いつもならあるはずの学生達がペイントした持ち帰り自由の四万十川の石を並べたブースや、

応援ファックスが展示されたブースなどいくつかのブースが見当たらなかった。

そういえば、送られてきた封書にも地元学生からの応援メッセージが同封されていなかったりもした。

コロナ明けで大会事務局のスタッフが刷新されたとか、来年の第30回で終わりじゃないかとか、地元民ならではの噂話を耳にしてきた。

ボランティア不足を給水所を減らす事で凌いでいたり、

今回のウルトラ、どうやら以前同様のものと思わないほうがよさそうだ・・・。

「あらあら、監督じゃないですかぁ~!」

聞き覚えのあるその声は、今回ボランティアとして受付で働いている同級生の飛脚。

彼女は飛脚を通り越して、何やら200kmを越えるレースとかに参戦するとんでもないランナーに変身しているらしい。

学生時代毎日のように遊んだ仲間、歳をとっても共通の趣味から大会などで再会出来たりと・・人生面白いもんだ。

職場に戻り、仕事に精を出す。

自営業の私、今回初めて午後の3時で早めに営業を切り上げた。

過去、前日の疲れからリタイアした経験がたくさんある。

少し余力を残さなくては・・。

受付会場でもらったものはこんな感じ。

今回で12回目、夜は初めてゆったりと過ごすことができた。

嫁は応援隊を頑張るようで、応援ボードらしきものを作製中。

昔から図画工作が苦手な嫁が重い腰をあげている、これは・・・頑張らねば。

当日、

AM4:00すぎ、いつもの嫁友達キクの車ではなくて嫁カーで出発。

途中、2人の同級生を拾う。

100kmの部に参加する同級生は私を含めて3人、

私、セイシ、そしてチーム飛脚女応援隊長または宴会部長のアベ。

隊長アベは15年前の応援隊からランナーとなり、フル、60km、と距離を伸ばし、

ついに今回、念願の100km初参戦となった。

「アタシ、一人で喋ってうるさいでね~、黙ります!」

車の中からハイテンションな彼女、先月一緒に走った堂ヶ森往復42kmでの走力は確かなものだった。

車が渋滞したところで下車し、スタート会場へ向かう。

ハイテンションな隊長、スタート地点で記念撮影。

そういえば、15年前、自分もこんな感じだったな~。

気温が高く、予想最高気温は25℃、

今回はタイマツの炎に群がるようなことはない。

開会式スタート会場は旧蕨岡中学校。

過疎によって市街地の学校へと統合された中学校、

100kmのコース沿いの学校も同じようなところが多い。

地域の学生が少なくなったこともボランティア不足の原因でもある。

全国の猛者が集まるスタート会場は少し緊張感が漂う。

同級生以外の飛脚も集まって記念撮影。

一条太鼓に応援されながらスタート地点に向かう。

随分と前の方に並んでしまった。

「打ち上げどうする?場所確保してない?じゃあ先にゴールした人が・・」などとリラックスムード。

スタート!

100kmのスタート地点はいつも感動する。

ランナーの列は壮大で、今日一日だけは100kmへの想いを共有する。

暗闇の中、明るい照明と大声援に包まれながら100kmの旅へと向かう。

今回はキロ7分、峠の上りまでは脚を使わない予定。

タイマツの灯りは内川地区からキャンドルへと・・・あれ?キャンドルは無し。

残念だが人手のかかるようなことを期待するのはもう止めよう。

そんな中、例年送迎でお世話になるキク・マユのコンビが仮装で現れた。

マリオ・・・、何しとんじゃ!?

とりあえずキノコなんかゲットしている場合ではない、あと99km走らねば・・。

5km付近の第一給水所あたりから少しずつ明るくなりはじめる。

山道は肌寒い、でもそれくらいがちょうどいい。

仮設トイレは定期的に現れるが、どこも列をなしている。

しばらくはスルーする。

「やあ」

先に行ったはずのセイシが後ろから現れた。トイレに並んだらしい。

トイレのロスタイムは案外大きい。

12kmあたり、目の前の山「堂ヶ森」が見える。

ここまでは6分40から7分前半あたりで進んでいて全く問題ない。

徐々に坂道になり、17km過ぎ、峠に入る。

問題ない、走れる。いい感じ。

「飛脚の人ですか?」

声に振り向くとブログから知り合いになったランナーさん、ご夫婦で参戦らしい。

私「やっと会えましたね~(笑)」

こんな交流もうれしい事、こんな私的なレポートでもやってた甲斐があったのかと・・・。

19km、給食エイド。

大混雑の理由は、例年の21km頂上から2kmも手前になったこと。

少しの事ではあるが、上り坂の途中ではランナー渋滞が起きてしまう。

この峠の区間では給水所も減らされていたが、事前にパンフで気が付いていたので特に問題ではない・・・。

隊長アベを発見、食べたくないという固形物おにぎりを食べるように促す。

20km地点通過「2.34.13」。

例年よりも少し遅いくらいで問題なし、脚も残っている。

峠の頂上。これから9kmの下りになる。

長い下りでも脚を使わないようにキロ7分で進む。

・・が、ペースが落ち着かない。

キロ6分になったり8分になったり、GPSの精度なのだろうか・・、

やたらと抜かれるがあまり気にしないようにする。

30kmあたりの給水所、我慢できずにトイレの列に並んだ。

接客業の仕事では、忙しくなるとトイレを忘れることがしばしばある。

そんな事から腎臓の数値もいいわけではないので無理にでも済まさなくては・・。

これが誤算、長い列に並んだせいで結果16分もロスしてしまった。

33km、四万十川に合流するが、一度止まった脚はもう7分半が切れなくなってしまった。

36km、第一関門。

え?約30分ちょっとしか残していない・・・、

しまった、ゆっくり行きすぎた・・・。

その先は昭和大橋の給水所、何だか疲労も激しいが・・・、

さあ、再出発。

何と、ここで14時間のペースランナーに追い抜かれてしまった。

14時間はゴールの制限時間、ぺーサーは多くのランナーを引き連れて進んでいる。

何だか気持ちも切れそうだが、

あきらめるには早すぎる・・・。

■後編につづく■

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第25回四万十川ウルトラマラソン~またまた関門アウト記(後)~

2019年10月25日 | 四万十川ウルトラマラソン~レポート



「62kmすぎ」、

カヌー館を出るとゆるやかな上りが続く。

ということは攣りとの闘い。

そしてここにきて炎天下となり、日差しがキツくなってきた。

汗は塩となり、顔をなでると塩の塊がザラザラと手についた。

ロングタイツの上にも塩が浮きはじめ、ここで初めて今回の失敗に気付く。

水分ばかりに意識がいって塩分補給を怠った。

しまった・・、多めの水分は結局体の塩分濃度を薄めるだけで、それだけでは意味がない。

エイドの梅干しや塩を無視し続けた結果、バランスが崩れて攣ったのだろう。

せめてエイドで5km毎に置かれてあるスポドリだけでもちゃんと補給するべきであった。

手に付いた塩を眺めながら思った。

網代地区にある赤橋のたもとのエイド、

ランナーの到着手前で中学生ボランティアが水を手渡ししてくれる。

「ありがとう」

旧道を走り、県道に合流する。

係員に、歩道じゃなくて車道を走るように促される。

これは有り難い、歩道の足元は段差があったりして疲労した脚には危険個所もある。

少しの下りは前モモが焼けるように痛む。

がしかし、この痛みは多くのランナーが共有しているはず。

前モモの痛みだけでは歩いてはいけない。

「68kmすぎ」岩間沈下橋そばに到着。

岩間沈下橋は数年前に橋の橋脚が崩れて通行止めが続いている。

早く復旧して沈下橋の上を渡りたいものだ。

近くのエイドに到着。

「次の関門、ギリギリかもしれませんがイケますよ!」

そうだろう、次の関門は71.5km茅生(かよう)大橋。

私の不調時のリタイア地点で最も多いのがソコ。

もう感覚で十分分かっている。

次の関門は必ずくぐれる、・・がその次がかなり厳しいはず。

「71.5km茅生大橋関門」、残り6分で通過。

「ギリギリやぞー!」

またまた知り合い審判員に冷やかされる。

以前、この地点で残り15分通過でゴールまで辿り着いたことがあるが、これはもう厳しい。

エイドをスルーして小銭を取り出し、自販機で甘いコーヒーを一気飲みした。

諦めずに進む。

キロ8分なら次の関門はくぐれる。

予想どおり、甘いコーヒーの糖分とカフェインが効き始める。

重い脚が軽くなりリズムが出てきはじめた。

歩くランナーを抜き前に進む。

中半(なかば)地区に入る。

中半は長い・・・、同じようなクネクネ道をひたすら進む。

ここまで来てやっと脚の攣りから解放された。

関門まで残り3.5km、

「もう、次の関門厳しそうですよ、頑張って!」

エイドで若い女性ボランティアに告げられてしまった。

「残り4kmであと20分ちょっとです」

・・・しまった、久保川関門は79kmではなくて79.5kmだった。

メンタルがついに折れた。

ダラダラと歩き始めた。長いこと歩いた。

もう走っているランナーは居ない。

ここまで走ると周りにいるランナーの顔触れは変わらない。

前を行く岡山のゼッケンを付けた男性ランナーがしきりに後ろを振り返る。

どうやら連れの女性ランナーが後方に現れないようだ。

そういえばこのランナー、随分前から何回も後ろを振り返り、脚が進まなくなった連れを気にしていた。

走り始め、追い抜きざまに声を掛けてみた。

「お連れさん、かなりしんどそうでしたよ、大丈夫でしょうかね?」

「う~~ん」と唸ったものの、後ろを見たまま止まってしまった。

とにかく走ろう、関門は閉まっただろうが走って終わろう。

そう思うと同時にすべての痛みから一時的に解放された。

何なんだコレ・・

走って関門所に辿り着いた私に、申し訳なさそうに審判員が赤旗を振った。

「もう分かってますよ」と無言ながら口元を横に広げ笑顔を作った。

「79.5km久保川関門アウト」

結果、去年と同じ地点の関門アウトだった。

攣ってからは全く勝負出来なかった・・

これで3年連続のリタイア、私のレースはこれだけなので3年間完走知らずということ。

もうウルトラの100kmは完走出来ないのだろうか・・

列に並んでリタイアバスを待つ。

先に満員となったバスを見送ると他のバスは見当たらなかった。

これは少しここで待つな・・、まあええか。

すぐ後ろから声を掛けられる。

「やっと連れも戻ってきました」

岡山ランナーが笑顔で話しかけてきた。

それからリタイアバスを待つ間はお互いの事を話したりして笑っていた。

しかし、リタイアバスがなかなか来ない。

関門エイドのテントも畳まれると辺りは随分と閑散とした。

ガードレール沿いに一列に並んだリタイアランナー達は次々と地べたに座り始めた。

標準語の女性ランナーがスタッフに声を飛ばし始めた。

「気分が悪くなる方も出てくるから、なるべく早くバスを手配してもらえないですか?」

東京のゼッケンを付けた男性ランナーが畳まれたテントから毛布を取り出し、周りに声を掛け始めた。

「毛布あります、低体温症も怖いので欲しい方は遠慮せずに言ってください」

彼は看護師らしく、具合の悪そうなランナーを見つけてケアしはじめた。

地元消防士ランナー二人組が動き出し、係員と相談して本部への連絡を再三促した。

前方に並んでいた年配の男性ランナーが「ワシは元気だから」と後ろに並び直したりもしていた。

1時間を過ぎると時刻にして5時半、辺りは暗くなり、係員の自家用車でライトを点灯してもらった。

陽はどっぷりと落ち、気温も下がり、体が震えはじめた。

これは明らかに何かのミス、

リタイアしてから2時間後、ようやくバスがきた。

約50人近くの取り残されたリタイアランナー、

皆マナーがよく、結局誰も文句を言わなかった。

それどころか、お互いに助け合い、

最後にバスに乗り込むのを遠慮していたボランティアスタッフにまで手招きで迎え入れた。

地元民として不手際が申し訳なく思うが、ボランティアに苦情を言ってほしくない気持ちはあった。

このボランティア達は希望者は少なく、組織からの要請で会社や団体から集められただけの人材が多い。

それでもボランティア説明会でそれぞれ配置された管轄の説明を受け、

休日に無償で働いてくれているのだ。弁当さえも出ない箇所もあるらしい。

不手際への苦情は大会本部へ申し上げるべきだ。

幸い具合の悪いランナーも大事には至ってはいないようで、最悪の事態は免れた。

バスは無事にゴール地点の中村高校に着いた。

体育館で荷物を受け取り上着だけ着ると、次々と帰ってくるゴールを眺めていた。

ゴール関門14時間、時刻にして7時半が近づいてきたころにマイクアナウンスがセイシの名前を呼んだ。

練習不足を公言していたセイシが7分前にゴールした。

パイプ椅子に座ったセイシに近づき声を掛けた。

「おめでとう!やるやん!さすがやな~!」

肩をバンバンと叩き、精いっぱいの賛辞を送り祝福した。

「君はちゃんと完走しなさい!」

そう返事を返したセイシが続けた。

「いや~途中、もう120回位は止めようと思ったけど、根性だけで走り続けた」

「80km以降は制限時間も気になって壮絶な地獄を見たぞ」

「もう絶対にウルトラやらんわ!」

リタイアランナーは完走者のセリフが心に染みる。

【止めようと思ったけど頑張った】

【頑張ろうと思ったけど止めた】

これが完走とリタイアの境目だ・・・

ごく当たり前の事に打ちのめされている自分の背中越しに花火が上がった。

花火は競技の終了を知らせる。

急いでスマホを取り出し撮影を試みたが、

バッテリー残2%でカメラを立ち上げることさえ出来なかった。

こっちもリタイアかよ・・・ハハハ

次々と夜空に上がる花火はとても綺麗でとても残酷だ。

こんな花火をもう3年連続で見ている。

「セイシ!お前、来年も走れよ!」

「いや、もう絶対にやらん!」

「ハハハ」

このままでは終われない・・

それはリタイアの度に思うが、3年連続のリタイアにしっかり向き合うことも必要だ。

ウルトラに必要なのは「強い体と折れない心」。

もう10回も出ているとそんな事は十分承知している。

花火は連発で大音量とともに夜空に消えた。

まだゴールを目指して走っているランナーがいることは知っているが、

こうして今回も幕を閉じた。

~後編・完~

 

~あとがき~

例年より気温も高く、脚の攣ったランナーが多かったと救護班の知人が言った。

そういえば救急車の出動も多く感じた。

健脚ランナーでも吐いたり体調不良を起こし、ギリギリのランナーが多い大会だった。

それでも今回も多くのボランティアに助けられ、沿道からはたくさんの声援をもらった。

「頑張れ」のその一言が多くのランナーの脚を動かし、

ランナー達はその都度「ありがとう」を口にした。

晴天は暑かったけれども、四万十の青く美しい景色は疲れも癒してくれた。

やっぱり私は四万十川ウルトラマラソンが好きだ。

たとえリタイアが続いていようが、「好きだから出ている」単にそれだけでいいのかもしれない。

ウルトラ後の休日二日目に海に出向き、波打ち際でボーっと癒されながらそう思った。

とりあえず少しラン休んで、好きな事たくさんやって、

それからまたボチボチと走り始めますよ!(^^)/

完走されたランナーのみなさん、おめでとうございます!

残念ながらリタイアされたランナーのみなさん、また頑張りましょう!

長文レポートにお付き合いありがとうございました!

※今回のレポートは特に参考になることも無いように思われますが、マイブログなのでお許しくださいm(__)m

 

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