予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
のど自慢に応募した本当の理由
なんだかリストラ流行りの昨今、って前にも書いたが、いつから
「リストラ=社員を解雇する事」ってなってしまったのだろう。
本来の意味は「リストラ=企業の再構築」だったはず。
それが今や、リストラという耳障りのいい言葉でいとも簡単に社員の首を
切ってしまう。
解雇しなければならない状況に会社をしてしまった者の責任はどうなるの
だろう。
そして、企業が生き残る為にはリストラやむなし、というのはどうか。
解雇された人の中に、「会社が存続する為だからしょうがない」なんて
考えられる人が何人いるのだろうか。
むしろ「自分を解雇した会社なんかつぶれてしまえ」と考えるのではない
だろうか。
・・・・・・
< 一年間に渡る入院生活、二度の大手術から二年経ち、
やっと普通の生活が送れるようになりました。
その間にはたくさんの方々にお世話になり、心配を
かけてきました。
そんな自分が今何ができるかと考えた時、自分の元気な
姿を見せることが一番の恩返しになると思い、
その思いが一番伝わる曲「home」でのど自慢に出られたら
と願い応募させて頂きました。
この「home」を歌う木山裕策さんも、同じ父として、そして
重い病気を克服した者として共感させられ、家族だけで
はなく、たくさんの人に感謝を伝えられる曲と思い選び
ました。 >
これは9月に「のど自慢」に応募した時、選曲理由として書いた全文です。
予選会では、歌唱後のインタビューで司会者の隣に座るディレクターから
この内容のようなことを聞かれたので、確かに予選に出られた一因だった
のかもしれません。
そしてこの内容に間違いはありません。
ただこれは応募理由の一端で、全てではありません。
この病気を通して、二度、絶望を味わいました。
一度目は、透析・血漿交換治療が叶わず移植が決定、姉にそのことを伝え
なければならなくなった時。
そして二度目は移植、再手術を経て回復、にもかかわらずその後の人生が
変わってしまったこと。
手術の痛みや脳症の辛さ、回復に時間を費やしたこと等は上記に比べれば
大したことではありません。
また、ドナーとなってくれた姉は心良くドナーになってくれ、現在は何不自由
無い生活を送ってくれているので安心している。
問題は変わってしまった生活。
制約の多い生活は一生続く。
一度狂った家庭生活はなかなか戻らない。
病気前の仕事を取り戻そうと思ってもこれも相手のいること。
いつ入院、手術になるかもしれない現状。
家族に掛ける負担は計りしれない。
この3年間、あの時(劇症化した時)、あのまま死んでしまっていた方が
良かったのかな、と思ったことが無いと言えば嘘になる。
時々、自分の存在価値さえ見失うこともあった。
(このブログを通して救われることは多々あったのですけどね。)
どうにか、何かを変えなければ、と思っていた時、目の前にあったのが、
「のど自慢」出場。
どんな手段でも良かったのだけれど、自分を元気に変えてくれるもの、嫌な
流れを変えてくれるもの、
それがのど自慢だったわけです。
結局、「人への感謝」の前に「自分の為」であったわけです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
まさに「自分の再構築」に近いものだと思います。
・・・・・・
これは、もし本選に行けたら書こうと思っていたことなのですが、この
ご時世の中、思うこと、考えることが色々とあったものですから。
「リストラ=社員を解雇する事」ってなってしまったのだろう。
本来の意味は「リストラ=企業の再構築」だったはず。
それが今や、リストラという耳障りのいい言葉でいとも簡単に社員の首を
切ってしまう。
解雇しなければならない状況に会社をしてしまった者の責任はどうなるの
だろう。
そして、企業が生き残る為にはリストラやむなし、というのはどうか。
解雇された人の中に、「会社が存続する為だからしょうがない」なんて
考えられる人が何人いるのだろうか。
むしろ「自分を解雇した会社なんかつぶれてしまえ」と考えるのではない
だろうか。
・・・・・・
< 一年間に渡る入院生活、二度の大手術から二年経ち、
やっと普通の生活が送れるようになりました。
その間にはたくさんの方々にお世話になり、心配を
かけてきました。
そんな自分が今何ができるかと考えた時、自分の元気な
姿を見せることが一番の恩返しになると思い、
その思いが一番伝わる曲「home」でのど自慢に出られたら
と願い応募させて頂きました。
この「home」を歌う木山裕策さんも、同じ父として、そして
重い病気を克服した者として共感させられ、家族だけで
はなく、たくさんの人に感謝を伝えられる曲と思い選び
ました。 >
これは9月に「のど自慢」に応募した時、選曲理由として書いた全文です。
予選会では、歌唱後のインタビューで司会者の隣に座るディレクターから
この内容のようなことを聞かれたので、確かに予選に出られた一因だった
のかもしれません。
そしてこの内容に間違いはありません。
ただこれは応募理由の一端で、全てではありません。
この病気を通して、二度、絶望を味わいました。
一度目は、透析・血漿交換治療が叶わず移植が決定、姉にそのことを伝え
なければならなくなった時。
そして二度目は移植、再手術を経て回復、にもかかわらずその後の人生が
変わってしまったこと。
手術の痛みや脳症の辛さ、回復に時間を費やしたこと等は上記に比べれば
大したことではありません。
また、ドナーとなってくれた姉は心良くドナーになってくれ、現在は何不自由
無い生活を送ってくれているので安心している。
問題は変わってしまった生活。
制約の多い生活は一生続く。
一度狂った家庭生活はなかなか戻らない。
病気前の仕事を取り戻そうと思ってもこれも相手のいること。
いつ入院、手術になるかもしれない現状。
家族に掛ける負担は計りしれない。
この3年間、あの時(劇症化した時)、あのまま死んでしまっていた方が
良かったのかな、と思ったことが無いと言えば嘘になる。
時々、自分の存在価値さえ見失うこともあった。
(このブログを通して救われることは多々あったのですけどね。)
どうにか、何かを変えなければ、と思っていた時、目の前にあったのが、
「のど自慢」出場。
どんな手段でも良かったのだけれど、自分を元気に変えてくれるもの、嫌な
流れを変えてくれるもの、
それがのど自慢だったわけです。
結局、「人への感謝」の前に「自分の為」であったわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
まさに「自分の再構築」に近いものだと思います。
・・・・・・
これは、もし本選に行けたら書こうと思っていたことなのですが、この
ご時世の中、思うこと、考えることが色々とあったものですから。
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