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【臓器移植】って誰のもの!?

初めて移植の話しを聞いた時のこと、まるで別世界の出来事のような、他人
事のような感覚だった。

その当事者であるにもかかわらず。


少し冷静になった時、自分の中では移植なんてありえない話しとなり、言葉
を発する事が出来ないでいるのに、医師や妻や、父や姉達の間で話しは進ん
でいく。

最後にようやく自分に話しが振られ、発した言葉が、

「嫌です!」


健康な体を危険な状態にしてまで助かりたくはない、こう思ったのです、
この時は。




・・・・・・・・・・・・
ここにきて急に盛り上がる「臓器移植法」改正論議。

来月、世界保健機関(WHO)の指導指針に臓器移植を自国で完結させるよ
うにすることが盛り込まれるらしい事を見据えての盛り上がりとはいえ、
じゃぁ今まで10年間、いったい何をやっていたのかと思ってしまう。

今回の改正について、「慌てて決めるべき事ではないからじっくり議論を
尽くして」と言っていた議員さんがいるが、今まで知らんぷりをしておきな
がらよく言えたもんだ。


同じ事を、今、明日にでも命を絶たれようとしている人の前で言えるのだろ
うか。




改正案、今の段階では3案ある。その折衷案も出て来た。

難しい問題だけに色んな意見があって当然。


Amazonで「臓器移植」で検索してみると361件も出て来る。

移植で助かった経験者の手記、移植推進者の倫理観、脳死と死の話題を論じ
る本、中には「生命倫理の成立―人体実験・臓器移植・治療停止」などとい
うタイトルのものもある。

国会の論議でもそうだが、こうなるともう「論理の一人歩き」状態だ。


一番大事な「助かる命がそこにある」ということを忘れている。



脳死にしろ生体にしろ、「移植医療」自体を断固否定する意見が数多く、そ
して根強く存在する。

「人の死を前提にした脳死移植」

「健康体を傷付け、危険にさらす生体移植」

である事は否定のしようがない。
でも、そんな事、誰でもわかっていること。

ましてや当事者には、嫌っていう程、頭ではわかっていることだ。



脳死判定の難しさや、小さな子供の意思はどうなのか、とか、虐待があった
なら、とか、考えなければならない事がたくさんあるのもわかる。


例えば、自分がこんな状態にならず、もし、万が一にも我が子が当事者に
なったら、と考えると、正直言ってわからない。
それは、提供「する」側でも「される」側でも、きっと。


でも、法律上の縛りがある限りはその選択肢さえ無い。


「家族同意案」
  ~患者の意思が不明でも、家族の同意だけで臓器提供を可能にすると同
   時に臓器提供の年齢制限を撤廃する


乳幼児の移植を可能にし、海外渡航に頼らない移植の為にはこれしかない
(現案の中では)わけだが、この案作成の中心者は河野太郎議員。

父、河野洋平氏への生体肝移植ドナーとしては「当事者」とも言える。





・・・・・・・・・・・・
あれ程拒否していた移植、その生体肝移植手術から3年半過ぎ、今思うこと、

「生きてて良かった。」

もしあの時移植が叶わなかったら、最後まで拒否していたら、どれだけの人
に後悔の念を抱かせていたことか。


移植できた(してくれた)ことに感謝!移植医療に感謝!



こんな当事者の意見があるのも、これも又一つの事実なのです。
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