予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
信じられない!本当に百歳??
それは火曜(8日)の夜のことでした。
夜中に我が家の1階で大変大きな音が・・・したらしい。
らしい、と言うのも、ちょうどその時、風呂に入っていたもので。
大きな衝撃音のような音がして、2階の居間にいた妻と、自分の部屋にいた
次男がすぐさま反応。
二人でおそるおそる1階へ。そこで目にしたものは・・・
祖母が、百歳になる祖母が、床に突っ伏しているではありませんか。
その頃ゆったりと風呂を満喫していたわたし・・・
そんな大事件(?)が起こっているともつゆ知らず、鼻歌など口ずさみなが
ら
気持ち良くなっていると
そこへ次男が伝書鳩のようにやって来たのです。パタパタと。
「ひいばあちゃんが倒れてるっ!!!!!」
わたし: 「また~、冗談言って~」
「ホントだって!冗談でこんな事言うわけないしょ。」
た、確かに。冗談なのはこのわたし。
それからは烏の行水の如く風呂終了、着るモノも着ず、1階に掛けつけたの
でした。
「どうしたの?」と聞いた時には、トイレから出て来る祖母を支えながら、
「いや~、凄い音だったんだよ。」と妻。
「全然置き上がれなくて、私とY(次男)でなんとか起こしてさぁ、トイレ
にだけはなんとか連れて行ったのさ」と。
どうやら、トイレへ行く途中の廊下で転倒し、左腕と左側頭部を床のフロー
リングに激しく打ちつけたようなのです。
それから祖母の部屋のベッドに寝かせ、痛い場所を聞いても、
「大丈夫、大丈夫」の一点張り。
「痛い所、ハッキリしないと後から大変だよ。」と言っても、「大丈夫、
今何時?あらっ、もう11時かい。」だって。
でもでも、よく見ると額の左の上部が赤く薄っすらと血が滲み、大きく
腫れ上がっているではありませんか!
ただ、内出血は無さそうなので冷却剤を貼付、その頃には両親も掛けつけ
状況を説明するも、祖母本人は転倒した事さえ覚えておらず、両親にも
「大丈夫、大丈夫」の一点張り。
夜中だけにどうすることも出来ず、取りあえず母が添い寝するという事で
一同解散。
妻とは「ヒビとか入ってなければいいけど」とか
「本当に内出血してなければいいけど」とか
「歳が歳だからね」とか
「明日、頭のCTとか撮った方がいいかもね。」と話していたのです。
しか~し、、翌朝、様子を見に行ってみると、ソファーに何事もなかったか
のように座っている祖母の姿が。
母に聞くと、
「何でもない、腫れも治まっているわ。昨日転んだ事覚えていないんだって。」
痛みもほとんど感じてないようです。
むしろ弱ったのは、添い寝してほとんど寝られなかった母の方で、大丈夫か
母。
これには、一部始終を見届けた妻も次男も、ただただ・・・・・・・・。
祖母の現在?
「何かありましたか?」と言いたげな眼差しをクリっとしております。
百年生き抜いてきた生命力とは、まさに恐ろしきかな。
15日、その祖母の元に区長さんがやって来て、札幌市からの表彰を授かる
そうです。
みなさん、信じられますぅっ!?

夜中に我が家の1階で大変大きな音が・・・したらしい。
らしい、と言うのも、ちょうどその時、風呂に入っていたもので。
大きな衝撃音のような音がして、2階の居間にいた妻と、自分の部屋にいた
次男がすぐさま反応。
二人でおそるおそる1階へ。そこで目にしたものは・・・

祖母が、百歳になる祖母が、床に突っ伏しているではありませんか。

その頃ゆったりと風呂を満喫していたわたし・・・
そんな大事件(?)が起こっているともつゆ知らず、鼻歌など口ずさみなが
ら

そこへ次男が伝書鳩のようにやって来たのです。パタパタと。
「ひいばあちゃんが倒れてるっ!!!!!」
わたし: 「また~、冗談言って~」
「ホントだって!冗談でこんな事言うわけないしょ。」
た、確かに。冗談なのはこのわたし。
それからは烏の行水の如く風呂終了、着るモノも着ず、1階に掛けつけたの
でした。
「どうしたの?」と聞いた時には、トイレから出て来る祖母を支えながら、
「いや~、凄い音だったんだよ。」と妻。
「全然置き上がれなくて、私とY(次男)でなんとか起こしてさぁ、トイレ
にだけはなんとか連れて行ったのさ」と。
どうやら、トイレへ行く途中の廊下で転倒し、左腕と左側頭部を床のフロー
リングに激しく打ちつけたようなのです。
それから祖母の部屋のベッドに寝かせ、痛い場所を聞いても、
「大丈夫、大丈夫」の一点張り。
「痛い所、ハッキリしないと後から大変だよ。」と言っても、「大丈夫、
今何時?あらっ、もう11時かい。」だって。
でもでも、よく見ると額の左の上部が赤く薄っすらと血が滲み、大きく
腫れ上がっているではありませんか!
ただ、内出血は無さそうなので冷却剤を貼付、その頃には両親も掛けつけ
状況を説明するも、祖母本人は転倒した事さえ覚えておらず、両親にも
「大丈夫、大丈夫」の一点張り。
夜中だけにどうすることも出来ず、取りあえず母が添い寝するという事で
一同解散。
妻とは「ヒビとか入ってなければいいけど」とか
「本当に内出血してなければいいけど」とか
「歳が歳だからね」とか
「明日、頭のCTとか撮った方がいいかもね。」と話していたのです。
しか~し、、翌朝、様子を見に行ってみると、ソファーに何事もなかったか
のように座っている祖母の姿が。

母に聞くと、
「何でもない、腫れも治まっているわ。昨日転んだ事覚えていないんだって。」
痛みもほとんど感じてないようです。
むしろ弱ったのは、添い寝してほとんど寝られなかった母の方で、大丈夫か
母。
これには、一部始終を見届けた妻も次男も、ただただ・・・・・・・・。
祖母の現在?
「何かありましたか?」と言いたげな眼差しをクリっとしております。
百年生き抜いてきた生命力とは、まさに恐ろしきかな。
15日、その祖母の元に区長さんがやって来て、札幌市からの表彰を授かる
そうです。

みなさん、信じられますぅっ!?
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