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「何でもなかったか?」

もうすぐ、移植から4年。

このブログからの発信を含めて、「自分」にこだわり過ぎる自分であること
に気付かされることがある。





あの過酷な体験は経験した者でないと決して分からないと思う。

いくら「大変だったよね。」と言われても、「本当に辛かったよ。」と、
うそぶく自分がいる。

死ぬ思いを味わったのだから、と・・・。







先週末、定期検診から帰宅すると、玄関前で待つ父がいた。

顔を合わせるなり、

「何でもなかったか?」

と聞く父。


考えてもみれば、毎回、定期検診から帰宅するたび、こちらが報告する前に
同じ質問をぶつけてくる。

「何でもなかったか?」と。


それが時には母だったり、祖母だったり。

帰宅の音を聞きつけては尋ねてくる。





ふと、気になった。

「どうだった?」ではなく「何でもなかったか?」と聞かれるのだ。


この言葉の中に強い気持ちが感じられる。

それはきっと、『何事も問題無く、きっと順調であって欲しい』

という気持ち。





入退院を繰り返していた頃、病院から自宅に戻るたび、家族の不安気な表情
に迎えられた。

あの頃は自分がいっぱいいっぱいで、色んなことに思いが至らなかったが、
病院から戻る家族を迎える者の気持ちは、ある意味、病人よりも辛いのかも
しれない。




4年経ち、その間、逆の立場も経験し、そして病気に対する考え方も変わり、
「自分」の前に家族があり友人がいることに感謝する気持ちは大きくなった。


思えば闘病中は、不安感一杯の「どうだった?」という声ばかり聞いていた
ような気がする。






世の中には病人の数だけ、いやその何倍もそれを心配する人々がいる。

「自分」を振り返る前に、絶対に忘れてはいけない大事なことだ。
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