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自宅からH大学病院へ続く道、国道36号線。




道内主要な幹線道路にも関わらず、不況によるのか空き店舗やテンント募集
の看板が目立ち、幾分殺風景な雰囲気も醸し出す。


仕事で、そして検診でよく通るこの道、今ではスッカリ車内歌謡練習の道に
なってしまっている。





病院へは、夏なら片道約40分、冬なら1時間以上の道程だ。

このR36を、2005年から2006年にかけて、妻が、父が、いったい
何往復したのだろう。




しばらくの間、不安と微かな希望の狭間、複雑な気持ちで車を走らせていた
のだと思う。





2005年10月4日、忘れたくても忘れられない日になった。

と言っても、自分自身はこの日の前後のことはまったく記憶に無いが・・・



この4年間、色んな思いで病院へ通った。

移植後の一年間は退院と入院の繰り返しの為、病院へ向かう時は常に痛みを
どこかに抱え、帰宅の時はいつまた病院へ戻るかも分からない不安を抱えな
がら。


病院へ向かう車の、後ろの座席に横になって、なんとも言えない絶望感を味
わったことも。
(これが本当に、地獄に落ちるような感覚なんです。)



二度目の手術の後も、8度目の入院の時も、言い知れない不安ばかりで、今
でも検診のたび期待よりも不安が大きく・・・






道は険しいほど乗り越えた時の喜びは大きい、と言う。

それも、全て自分の力で出来るなら、どんなに楽なことか。


だけど、「自分」だけではどうにもならない時は、そんな時は、家族に、
友人に、そしてブログで知り会えたたくさんの人たちに、

「どうか助けて下さい。」

と、心から言える、そんな人間に少しだけなれたかな、と思っています。





ブログを通じて知合えた多くの方、愛情溢れるコメントを戴ける皆さま、貴
重な情報を教えて下さる皆さま、いつもありがとうございます。

そしてこれからも宜しくお願いします。





・・・・・・・・・
今日もまた病院へ向かう道、でもそれは明るい道。

従妹のNちゃんの出産のお祝いの為に市立病院へ。


30万人に一人の難病で左目眼底部の腫瘍という難病と闘ってきたNちゃんが
44歳にして長男を授かったのだ。

前例の無いことで、当然の事ながらハイリスクを負っての事だったが、母子
共に健康で、みな大喜びだ。


絶望の淵を脱し、どんどん幸せになっていくNちゃん。




病院への道も・・・いつもこんな道なら最高だぁ~
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