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孤高のメス

『孤高のメス(大鐘稔彦氏著)』全6巻をようやく読み終わった。

この小説、作者は現役医師でもあり、もちろん手術経験も豊富、院内での人間関係も含めて、細部まで丁寧に
描かれていて、移植体験者としては、自らの身に置き換えて、真実味をもって読む事ができた。



孤高のメス―外科医当麻鉄彦〈第1巻〉 (幻冬舎文庫)
クリエーター情報なし
幻冬舎




「移植体験者としては」 ・・・そう、主人公は外科医であり、婚約者を劇症肝炎で失った経験を持ち、
移植で助かる道を知り、移植を学び、そして日本初の生体肝移植を実行・・・


と、読んでいて、登場人物を含め、現実と、小説としての非現実が混ざり合い、ときどき、何が小説なのか
わからなくなる時がある。

ただ、予備知識(移植についての)の無い人にとっては、ただ単に長編小説として本当に面白く読めるのだ
ろうと思えるが・・・





自分自身、なまじ中途半端な、移植についての知識、特にその歴史・・・

今までも、自分が当事者になり興味を持ち、見聞きしてきたものもあるが、ちょっとだけ色々調べてまとめて
みた。


【 肝臓移植及び関連する歴史 】

1902年 ~ カレル(アメリカ)による心臓移植・腎臓移植などの動物実験
1906年 ~ ジャブレイ(フランス)による羊、豚からの異種腎臓移植の臨床実験
1910年 ~ 山内半作(京都大)による「臓器移植」実験報告
1961年 ~ カーン(イギリス)、アザチオプリンが実用的な免疫抑制剤であることを証明
1963年 ~ スターツル(アメリカ)による世界初の肝臓移植(手術中死亡)
1964年 ~ 中山恒明(千葉大)らによる心停止後の肝臓移植日本第1例
1967年 ~ バーナード(南アフリカ)による世界初の心臓移植
1968年 ~ 和田寿郎(札幌医大)による日本初の心臓移植
1978年 ~ カーン(イギリス)、免疫抑制剤シクロスポリンを初めて死体腎臓移植に使用
1985年 ~ 「脳死の判定指針および判定基準(厚生省)」が定められる
1986年 ~ 胆道閉鎖症の患者数十人、オーストラリアにて脳死者からの肝臓移植を受ける
1988年 ~ ブラジルにて世界初の生体部分肝臓移植が行われる
1988年 ~ 日本医師会生命倫理懇談会が脳死での臓器提供容認
1989年 ~ 胆道閉鎖症の日本人男児、オーストラリアにて実母からの生体部分肝臓移植を受ける
1989年 ~ 島根医科大学にて日本初の生体部分肝臓移植が行われる(胆道閉鎖症の1歳男児)
1990年 ~ 京都大学にて国内2例目の生体部分肝臓移植が行われる(胆道閉鎖症の9歳男児)
1990年 ~ 信州大学にて国内3例目の生体部分肝臓移植が行われる(胆道閉鎖症の7歳女児)
1993年 ~ 信州大学にて国内1例目の成人間での生体部分肝臓移植が行われる
1993年 ~ 九州大にて心停止後の肝臓移植が行われる
1997年 ~ 6月、「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)成立
1997年 ~ 10月、「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)施行
1998年 ~ 生体肝移植のレシピエントへの医療費、保険適用開始(先天性疾患等に限る)
1999年 ~ 臓器移植法成立後、1例目の脳死肝移植実施
2003年 ~ 日本初のドナーの死亡
2003年 ~ 日本肝移植研究会によるドナーの術後追跡調査実施の決定
2004年 ~ 1月、生体肝移植レシピエントへの保険適用拡大(大人の肝硬変、劇症肝炎、他臓器に転移
       する前の肝がんなどによる肝移植)
2004年 ~ 日本肝移植研究会によるドナーの術後追跡調査実施の開始









この本の中で、スターツルは主人公の移植の恩師として登場するし、移植手術の草創期の流れ等は現実を
伴って描かれている。


主人公の恋人が劇症肝炎で命を落し、その後、肝移植によって劇症肝炎でも治せることを目の当たりにし、
臓器移植、肝臓移植を広めようと努力する。


作者が自分の医師としての理想像を主人公に重ね合わせていることははっきりと読みとれるし、また、主人公
の、出世欲も金銭欲もなく、組織のしがらみにも縛られない、誹謗中傷も厭わず、ただ単に患者を純粋に治し
たい気持ちを持つ、こんな医師像は、それこそ実際の患者全員が望むものだと思う。







臓器移植法が制定されて、脳死が「人の死」として認定されても、今なお、脳死そのものや、生体、脳死移植
についての論議が、賛否両論を交えて行われている。



日本で初めて生体肝移植が行われたのが1989年。
それから僅か23年。

どんな理由があったにせよ、世の批判を顧みず、移植の道を切り開いてくれた医師や、免疫抑制剤を始めと
する薬の開発に携ってくれた人たちの存在が無ければ、胆道閉鎖症の小さな子供たちが救われることも、
今の自分が生きていることもなかった。

そういったことを改めて感じる為にも、読んで良かったと思える本だった。








・・・ただ、願わくば、移植を受けられる人(生き長らえる人)、受けられない人(亡くなってしまうしか
ない人)、この、あまりにも極端な、非情の差が、無くなる日がくることを、ただただ望むのです。
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