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旅立ち

3月7日の大学入試前期合格者発表以来、27日、長いような、でもあっという間の、期待と落胆と、諦めと、
ほんの僅かな希望と、そして・・・



衝撃はまず22日の後期発表から。

センター判定はもちろんA判定、本当の意味での「すべり止め」を受けていない次男くんにとっては、ここで
ほぼ確実に合格ラインに届いていなければならず、なので敢えて学部変えをしても選んだ所。


センター持ち点では既に昨年の最低合格点数を上回っていた。

しかも配点がセンター1100に対し個別(小論文)が150。



小論文対策もしっかりしてきたし、すっかり安心心地の家族全員。

かつて「後期」は無いものと考えて下さい、と言われた事がある。


つまりは前期でなんとしても合格を勝ち取ろうと。

しかし前期はだめだった。これもA判定だったのに。



さすがに一抹の不安は残る。

でも、さすがに・・・



22日、14時、サイトで発表、電話確認(音声サービス)もできる。



「あっ、無い。」という次男くん。



電話でも次男くんが確認、「不合格」の音声。



・・・ ・・・ ・・・ ・・・ しばし無言。。




「どうしてだ」

「マークミスしたか」

「名前は」

「何かの間違い??」



「でももう駄目なのは間違いない!」

「どうする?」

「どうするって、だって私立だって入学手続きしてないし」


そう、センターの結果で第一希望にA判定が出たので合格した私学の入学手続きをしていない。

そもそも喜んで行く所ではなかった。



もう後は無い。




いや、

二次募集がある、かもしれない。

でもそれは通常、儚くも遠い希望だ。



有るかどうかもわからい、あってもごく僅か。

しかも希望の学部、学科となると・・・




さすがの、明るさが自慢の次男くんも、そして母も・・・

なんだか自分の病気の時のことを思い出す。

ちょっと、あまりにも、酷な試練を与えてくれる。

一生懸命、本当に高三の時から2年間頑張ってきたのに。


さらに酷な状況だったのが、22日は後期発表の最終日だったこと。

高校時代の浪人生仲間が次々と合格を既に勝ち取っていた。



この一年間、朝8時前には家を出て、夜遅い時の帰りは10時を過ぎることも。

親としては、特に母親としては、それら諸々、結果として付いてこないことに、何とも表現のしようがない
無力さも感じていた。


当然本人も、頑張ってきた、という思いが強いだけに、そのショックは相当だったようで、それ以降は
性格が変わってしまったようで、気持ちの切り替えにはかなりエネルギーはいるだろうな、と感じざるを
えない状況だった。



そうはいっても終わってしまったこと、親としては次を考えねばならず、しかもこの時点では残された時間が
あまりない。


翌23日には、気分の乗らない次男くんを連れ塾巡りだ。

塾を変えたい、という次男くんの思いはよ~くわかる。

でもここは冷静に。


その中で、進め方のまったく違う1社にほぼ決定。

段取りだけは進めようということだ。






ただそれと並行して、一応二次募集を探す。父も必死に探す。

殆どが私立大学、しかもちょっと行っても・・・という所ばかり。

たまに国公立があっても教育学部、しかも美術専攻とか。

先生になる気もなければましてや美術とか、次男くんには一番遠い世界かもしれない。


当然といえば当然か。




そんな中、国立大学経済学部に二次募集が。この時点で募集人員後日発表。

選考方法はセンター試験の点数のみ。

ただ、通常は1人か2人の募集だろう。

でも藁にもすがりたい次男くんは、受ける気満々。

でもちょっと待て。

願書提出は現地、それは静岡。

だめ元で行く価値があるのか。



「でもねY(次男)、どうせ1人か2人、それなら諦めて塾の準備を進めた方がいいんでないか。」と父。

「えっ!なんで?」


この時の次男くんの目の強さを忘れない。

まったく諦めてない目。


「でもさ、そもそもセンターでマークミスしているかもしれないんだし。」

そう、後期が駄目だった時点で、センターのマークミスを疑ったのだ。ただし親だけが。


「でももう2回目だよ。最初さえしてないのに、するかなぁ。」


ここでも次男くん、諦めてない。



ここで父も腹は決まった。

「でも募集人数が発表されたらもう一度冷静に考えるべ。」

と言いながら、募集一人だったとしても行かせようと。





そして27日、募集人数発表、13人。

「Y、13人だ。行ってこい。」





そこからはまさに怒涛の如く。

次男くんの飛行機の手配、宿の手配、旅の準備、

28日朝一便、次男くん一人で静岡へ。

東京経由で新幹線。



29日、何故か房総半島に寄り道して帰宅、余裕あるのか。


30日、塾の計画を立てつつ、もし受かった時の頭の準備も進める。


なにせ時間が無さ過ぎる。いずれにしても。




そして31日、14時、合格発表、後から聞いた話しでは倍率10倍を超えていたとか。



僅かな合格者の中に、次男くんの受験番号、



ありました。



何、この流れ。

どんだけ試練を与えられるのだろう。そしてギリギリの所で救われる。


やっぱり自分の病気を思い出す。



そもそも前期で受かっていれば、というのは当然あるけれど、このパターンで受かるのもまた運命なのだろう。





というわけで、発表後の記憶は・・・あんまり覚えてません。

っていうか、数分の無駄な時間も許されず、


だって、14時に合格が決まって、次の日には家を出て一人暮らしに向けての準備、この時点で住む場所さえ
決まっておらず、明日の飛行機さえ、ホテルさえ決まっておらず。


翌4月1日、13時には次男くんと2人、静岡駅に降り立っていました。


大きなスーツケース一つが、当面の生活道具。



それでも学校は待ってくれず明日4月4日は入学式。




1日、アパートを決め、2日、この日やって来た妻を伴い家電を決め、ところがこれも時期的に当然のこと
ながら配送は9日以降。

今日(既に昨日)3日、あとは妻と長男くんに任せ、帰宅したのでありました。






今、何かと騒がれているセンター試験、来年には一部改正される。

去年の問題、そして今年と、問題の奇怪さにもやられた。


今年は、去年の受験生、つまりは浪人生も多く、必然レベルも相当上がっていたようだ。


去年、今年の受験生は本当に大変だったと思う。

そして全国の受験生の皆さんには心からお疲れ様です、と言いたい。




やっぱり、頑張っていればいいことあるよ。


元をたどれば、A判定の前期で合格できなかった次男くんの力不足に始まった。

もしかしたら勉強の方向性を間違えていたのかもしれない。




でも、


次男くんには9年前のことを思い出させてくれた。


それはやっぱり、



「あきらめない」ってこと。






本当に大変なのはまさにこれから。

一浪していることは確かなのだから色んな意味で不利になる。

就職を考えると尚更だ。




あとはもう本人次第。

この経験を生かすも殺すも本人次第だ。





7日、息子を残して静岡を去る母は間違いなく泣くだろう。


次男よ、お願いだからその涙を忘れるな。




母は、最後まで、前期希望の地元大学を望んでいた。

その力も有ると信じていた。




同じ国立とはいえ、札幌と静岡、かかるお金ももちろん、なにより母の、家族の心配はその何倍も何十倍も
なんだから。




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