青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

50年ぶりに帰って来た! ~あの“ブルワーカー”は健在!

2021-08-15 | スポーツの話題
外での運動が出来ない夏。室内での「ルームランナー」や「エアロバイク」は買えない(置き場所がない)。ジムはコロナで一旦退会していますので、行くことが出来ない。でも、ちょっとしたトレーニングはしたい。
 
腕立て伏せや腹筋、椅子やペットボトルを使ったり自分の体重を利用する、いろいろ工夫を凝らした筋トレをして来ましたが、もう少し力を込めたトレーニングを短時間で毎日こなしたい。こんな時に、昔あったあの・・・
 
ブルワーカーがあったらな~ 😞
 
そう思って調べてみると・・何とありました😬現在も販売しているのです。しかも信頼の日本製❗
速攻で買いました❗ 50年ぶりに、ブルワーカーが手元に帰って来ました。
 
僕が買った中学生の時よりも安い!しかも使い勝手が、昔より改良されていました。
 
 
昔はいろんな雑誌に、このブルワーカーの広告が掲載されていました。
 
通販なのに、分割払いでも買えた商品第一号が、このブルワーカー。まだまだウエイトトレーニングの器具が学校などに無く、トレーニングジムも普及していなかった僕の学生時代に、逞しい身体に憧れて購入した男性は多かった。
 
下の画像は当時の雑誌広告です。

効果に賛否両論ありましたが、効果が無いと言う人は、ハッキリ言えば継続してトレーニングを出来なかったか、誤った(誤りようがないのですが)使い方をした人たちだったと思います。継続して使えば間違いなく「目を見張る効果が得られる」一品です。僕と僕の友人たちは、身を持ってその効果を当時体験しました。
 
歳を取ると共に必要なのが筋肉です。でも、怪我をしないように効果的に、しかも自宅で筋肉をつけるのは難しい。そんな時にこそこれです❗
 
女性用の負荷の弱いものもあります。そちらは8千円代。僕のは約10,400円(税・送料込)でした。皆さんにもオススメします❤️ 
 
ご自身の筋力に応じて選べば良いのですが、腕力に自身の無い方やアラカンの方ならソフトタイプで十分です。女性にはエルモーションが良いかと思います。
 
 
 
 

真の勝負師とは!

2021-08-14 | 雑学(教養)の部屋

かつて、十二世本因坊丈和という碁打ちがいました。江戸時代後期に唯一「名人」の地位に上がった人です。当時名人になることは、大変な名誉と権勢を手に入れることが出来、しかもその地位は終身安泰!江戸時代の碁打ち達は、この名人を目指して死闘を演じたのですが、その地位につけるのは、勿論技量抜群の最強者だけでした。

ところが、この丈和は、同業者をペテンにかけたり、幕府の有力者に裏工作をしたり、ダーティな権謀術数を弄して、結局全く勝負をしないで名人になってしまったのです!

しかも1度名人になってしまえば、将軍指南役ということで、軽々しく他門の打ち手と戦ったり出来ないし、公式対局も免除されたから、永久に誰とも勝負しなくても良いのです。

しかし、何とか勝負の場に引きずり出して、名人の実力などないことを証明してみせたい他の家元が種々画策し、さる老中のたっての希望ということで、非公式な対局ではあるが、ついに丈和を勝負の場に引きずり出すことに成功しました。

相対するのは、進境著しい若手ナンバーワンの赤星因徹七段。もとより必勝を期していたし、周囲も丈和に敗れることはないと確信していました。

ところが、丈和は強かった。しかも圧倒的に強かったのです。この時の対局は「天保吐血の碁」として有名で、序盤劣勢に陥った名人丈和が、現代にまで語り継がれる3つの妙手を連発し、その後も最善手、最強手の連続で相手を圧倒、赤星因徹七段は吐血して、そのまま世を去ったと伝えられています。

因徹七段の必勝を不動明王に祈願していたという、ある寺の住職は「丈和の技量は、神仏をもってしてもいかんともしがたい」と述懐したとされますが、これほど強かった丈和が、なぜ勝負から逃げ回っていたのか謎とされています。

しかし、彼が勝負を避け続けたことは、まさしく彼が勝負師だったからに他なりません。どんなに強くても、勝負に絶対はない。体調の良し悪し、運不運、一瞬の判断ミス、ほんの些細な事が明暗を分ける。まして命がけの勝負ともなれば、肉体も精神も著しく消耗する。それが勝負です。日々勝負の世界に生きる者に、長生きなどは望むべくもない。

その勝負の過酷さ、凄まじさを知っていたからこそ、丈和は勝負を忌避してきたのですが、それが避けられないと悟るや、全身全霊を打ち込んで戦った。深夜1人で局の検討に没頭し、失禁したことにも気が付かなかった程だったと言いますが、この集中力によって歴史に残る妙手を放ち、名局をものにしたのです。

最後の最後に詰めが甘いと言われる人が世の中には多い。勝負ということを現代の人は忘れ去ったからです。勝負とは勝つか負けるか、つまり生きるか死ぬかの1回きり。後がない戦いの事ですが、現代の人々はゲームよろしく負けてもすぐにリセット出来ると信じている。ましてスポーツを見ても、相手を倒すというより、ポイントを奪い合うゲームとなってしまいました。だから、勝負の何たるかを知らず、真剣に打ち込むことを忘れているのです。

将棋の「王手」とは、文字通り勝敗を決する時に言う言葉で、チェスでは「チェック・メイト」という言葉がこれに当たります。しかし、この言葉には「大失敗」という意味もあるのです。将棋でもチェスでも、安直な王手は味消しの悪手となる場合があるし、それどころか、腰の浮いたところを相手に反撃されて、たちどころに敗勢に陥るという危険もはらんでいます。

因みに、将棋なら王将、チェスならキングがどうやっても逃げられない、絶体絶命の状態、つまり「詰み」のことは、チェック・メイトではなく、「ステール・メイト」(stale mate)と呼びます。


Love @ Capitol Tokyu Hotel / 聖地最後のイベント

2021-08-13 | 素晴らしかった興行・イベント

今日はザ・ビートルズに関する、東京での思い出。

ビートルズの最新作『LOVE』のリリースに先がけ、2006年11月19日に『LOVE・発売前夜祭』と題したイベントが、ビートルズがその40年前の来日時に宿泊したキャピトル東急(旧ヒルトン東京ホテル)の「真珠の間」で行われました(「真珠の間」は、ビートルズが記者会見を行ったゆかりの場所)。

イベントのスペシャル・ゲストとして、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンの息子で、父とともに『LOVE』の共同プロデューサーに名を連ねたジャイルズ・マーティンが迎えられるというビッグ・サプライズも当日はありました。

会場は、幸運にも今回のイベント参加に当選したビートルズ・ファンで埋めつくされ、大きな拍手・歓声のなか、ジャイルズ・マーティンが壇上に登場。『LOVE』の制作過程や聴きどころ、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のことなどを語ってくれました。

続いてサイケデリックでカラフルな会場と化した「白真珠の間」へと場所を移し、5.1chサラウンドのスペシャル・バージョンの試聴イベントがスタート。5本のスピーカーにふりわけられたサウンド・エフェクトの楽しさを、満喫できるすばらしい内容でした。とくに「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」は、まるでレコーディング・スタジオにいるかのように錯覚するほどの音響効果。11月いっぱいで改築工事のため取り壊されるキャピトル東急ホテルの、まさに最後を飾るのにふさわしい“愛”に満ちあふれた一夜は、盛況のなか幕を閉じました。


炎上御免!偏見に満ちていても、僕サイドの正義!

2021-08-12 | 今を考える
先ほどテレビで、「大阪はミナミの夜」をレポートしていました。中学生がマスクもせずに酒・タバコを楽しんでいる。ここに来ると仲間が出来ると、悪びれることもなく話すクソガキ共。
 
コロナ感染拡大が、全く衰えず、若者を中心に広がって行く理由が分かるような気がします。
 
家庭、躾のツケが、社会に回って来ているのです。
 
 
昔はこういう連中は、後で汗を流す3K労働(職業差別ではありません)に付く羽目になると言われましたが、今はスマホなどでネットを巧妙に使い、「性」を金に換えたりして、そういう労働には就かない。僕の偏見かも知れないけれど、こういう連中がコロナを拡散して行くのだろう。
 
お酒を飲まされて、ホテルに‥等とあっけらかんと答えているが、性病だって蔓延させるのは、こういう若者なのだろう。
 
人それぞれ、住む世界、価値観が違う。多様性と言う名のもとにいろいろな意見を認める割には、女性蔑視やLGBT差別にだけは厳しい社会というか、マスコミ。今回の五輪でも、「美人アスリート特集」は全く目にしませんでしたが、「イケメン・アスリート特集」はよく見ました。女性を見るのは性差別で、男を見るのはいいのか?だからホストクラブなんかが、勢力を伸ばすのだろう。
 
僕がよく大阪以外に住んでいる人に、「ミナミ=大阪だと思わないで欲しい」と言うのは冗談ではない。こういう場所で遊んでいた連中と、僕は生涯を通じて友人になったことはないし、ミナミ=違う国だという意識すらあります。
 
終戦76年。日本を失わない為に命を捨てた若者たちは、今のこんな若者を見て、何を考えるでしょう。学校教育ではなく、家庭の教育、「育ち」がいかに大切かを考えるべきで、誰でも平等、いろんな考えがある等と何でも認めていると、社会は秩序を失うだけです。誰もが規制なし、他者依存の楽な道を選びます。

関西人と東京人の大きな差!

2021-08-11 | 雑学(教養)の部屋

東京の人は冷たいイメージがあると関西の人間は言いますが、それは話し方が上からの物言いに聞えることに原因があると思います。関東は上から文化で、関西は下から文化なのです。東京は首都であるという宿命なのか、上から下へと流れて行く文化。歌舞伎にしろ能にしろ、驚くことに、落語も漫才も文化の香りをまといます。関西では「師匠」と呼ばれても、東京では「先生」と呼ばれています。

関西では大衆芸能が庶民の間に文化として浸透しています。井戸端会議のおばさん達の話し方も、商店街での買い物の駆け引きも、関西漫才のようなボケとツッコミの掛け合いで成立しているのです。

東京が権力が作り上げた街なら、大阪は関ヶ原以降、庶民が作り上げた街。権力のあるところには階級がある。そこで育てば上昇志向が発達する。裏を返せば、見栄も張るし、常に力の限りを尽くそうとする。自分に10の力があると思ったら、最初から10の力を見せつける。

ところが、関西の人間は10の力があっても、最初は6か7くらいの力しか見せません。あとは状況に合わせて小出しにして力を見せる。教えてくれる人があれば、素直に耳を傾ける。そんな関西人のやり方で東京の人に接すると、こいつは何も知らない奴だと理不尽な扱いを受けるようになった経験があります。

飲食店も大きな違いがあるように思えます。東京は、店構えも料理の盛り付けも豪華。店員の態度も必要以上に高級感を演出するところが多い。しかし、その味は見かけ倒しが多い。大阪は入り口はチンケでも味よし、人よし、値段よしの三拍子が揃う。東京は外見を大事にし、大阪は中身で勝負のような差を感じてしまうのです。

東京人は関西人の泥臭くて、まとわりつくような言葉を嫌い、関西人は東京のいかにも軽薄でキザな言葉に不快感を覚えると罵る。どちらの言葉にもいい味わいがあるし、文化も面白い。

それにしても、これほど文化の違いが正反対というのが、1番面白いことだと思います。日本で1番北の北海道と南の沖縄を比べても、仲が悪いと言われる県同士を比べても、ここまでハッキリした対比にはなりません。お互いに大都会であるから、「将軍のお膝元」と「天下の台所」だからこそ、「こっちが1番」という対抗意識を持つのかも。

しかし、お互いにいい所を認め、改めて行く心の広さ。これからはそれが求められる時代です。日本人同士でお互いを、文化の差を認められないようでは、日本人もいつか、海外のいろいろな国のように、人々が分断されてしまうかも知れません。