積む本の 未踏の智慧の 山の秋
馬糞 Bafun
福澤諭吉は実学の精神を説いた。
しかし、学問の本質は、ただ学ぶことの快感である。
そのような教養が養われていないことに貧しさを知る。
海面下の巨大な氷山とは、歴史であろうと思う。
人は、歴史を学ぶことによって、学びの喜びと、水面下の不動の
安心を覚えるのである。
そうでありながら、一冊の本も読み終わらない。
たどる道程と空想の道草に一日が暮れてゆく。
この世の悪霊ともいうべき愚かな者どもが人の形をして生きている
この世にあって、これに憤っている時間も惜しくなるほどに無限の思
想に触れ、驚き、感動し、そのように、本に埋もれて命尽きることは、
一人の至福である。
知るということは、それだけで感動であり、満足である。
そのような、純粋な知性が、巨大な銀河の恒星の輝きのように、
無限大に渦巻いている。
それは、人の偉大さなのではない。
神の偉大と恵みの片鱗を感じるのである。
神の叡智の一端に、その裾野の一糸に触れて、巨大な感慨に打
たれるのが、知ることの喜びであろう。
知ることは考えることであり、考えることは行うことである。
学び、考えることは、伝播することによって、時代を変えてゆく。
人の最大の行動は、感化し、共感することである。
知ることは、巨大な行動の波を起こす力を秘めている。
外気温20℃、室内26℃。
今年の秋は、それほど長くはあるまい。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi