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+ 雨雲迫る・・・ お粗末なテレビ番組  『国民に選ぶ権利あり、NHKを有料放送に!』

2011年05月28日 20時18分29秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 雨雲の  滴り落ちて  迫りたる 

   梅士 Baishi 

 

 

 

 土曜の仕事をきっかり18時で閉店して帰途に着いた。

 雨が降っていたのでカッパを着たが、ズボンをはくの

忘れていた。

 垂れ下がる雨雲を背負うように、自転車を走らせた。

 足が濡れたが、カラスも濡れていた。

 どうと言うことはない。

 

 さて、土曜の夜は、宇宙人の本を読みながら眠るとし

よう。

 今年のイベントは宇宙人企画で行くとしよう。

 今時、宇宙人が信じられないなんて、遅れている。

 

 携帯は不携帯のPHS、いざと言うときの電池切れなん

不携帯派だが、目指すはテレパシー能力の開発である。

 「今時、携帯だなんて遅れてる」と言う時代がすぐそ

こに迫っている。

 

 テレパシートレーニングを兼ねて、宇宙人にアポイン

トを入れてるんですけどね。

 以心伝心、そんな境地に達したいものですな。

 雨の日、つながりやすいと思うな。

 

 

 

 

 お粗末なテレビ番組  

 左翼「市民団体」ニュースのNHK、芸能人のバカ番組、

権力者気取りの政治討論番組、そしてまた芸能人バカ番

組、安直な旅番組・・・。

 国民の白痴化運動のテレビ企業のどこが公益なのか。

 いよいよ、テレビ局も潰れる年となった。

 

 地方テレビ局が、終にWeb動画番組の制作を始めた。

 しかし、失敗するだろう。

 テレビ局社員の高給を賄えるようなビジネスモデルが

ないし、番組の発想が古すぎるからだ。

 

 とにかく、NHKの有料番組化が先決だ。

 見たい人だけが見れる仕組みが作れるのだから、そう

するべきではないか。

 NHKを指示しない視聴者からまで視聴料をとるのは、

どう考えても契約自由の原則に反する私有財産制の侵害

である。

 国民のメディアを選ぶ権利も知る権利の一つだろう。

 

 亡国・民主党政権は国民代表内閣ではない。

 だから、未来のエネルギー政策なんて、語らなくて良

い。

 しかし、国民の現在の人権は守るべきだから、NHKの

有料放送化を決めて欲しい。

 そうしたら、カルマも少しは軽くなるだろう。

 その時は、菅の銅像を全国のNHKに建立しても良いの

ではないか。


          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi


   

   

   

   

   

   

     

 

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+ 蛙の雨音・・・ 悪魔ホーキング博士、裏切りのKYOKOに思う、悪魔の意義

2011年05月28日 08時17分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 雨音や  蛙の面に  ぽつと撥ね  

   梅士 Baishi  

 

 

 今朝も雨である。

 ほんとうに、梅雨入りしたらしい。

 雨音にはピアノ曲がよく似合う。

 そんな風にピアノが引けるなんて、素晴らしい事だ。

 

 ギターも、あんなふうに弾けたらいいのにと思いつつ、

ほとんど練習していない。

 ああ、運指の不正確なこと。

 これでは、感情を込めることもできない。

 

 仕事も同じだ。

 熟達しなければ思いをこめる表現にはなり難い。

 さて、自分に熟達している技術があるだろうか。

 専門性である。

 まさにそれこそが、自由の課題である。

 

 

   

   

 悪魔ホーキング博士に思う、悪魔の意義 


 悪魔とは何か。

 それもまた、根源神の配置した存在の構造であろう。

 存在そのものが愛であるならば、悪魔の存在価値もまた

愛である。

 

 では、存在価値としての悪魔とは何か。

 それは、禁止のルールなのではないか。

 競争には禁止のルールがある。

 

 また、成長には道を成すべき試練がある。

 禁止とは誘惑でもある。

 その誘惑を克服する正義が育たなければ道は開かれな

い。

 悪魔とは、生命力を鍛える試練として存在していると

いえる。

 

 だから、失敗や堕落を悪魔のせいにしてはならない。

 悪魔は禁止のルールであるとすれば、そのルールが自

を破滅させたのだという本末転倒になる。

 

 悪魔ホーキング博士も、科学の正念場を試みる試練と

て用意された仕組みであろう。 

 同様に、裏切りのKYOKOも、日本人の不信仰を問い、

幸福の科学会員に信仰とは何かという本音を問うている

と言えるかもしれない。

 

 その答えとして、教団は、裏切りのKYOKOを永久追放

としたし、その正体を暴き、正しさの根拠を論証しつつ

ある。

 会員にも、信仰が盲目ではないことを試練として問う

いると考えるべきである。 

 根っこはそこにあると考えられるのだ。

 

 人時所をわきまえることが大切である。

 それが善悪である。

 しかし、それをわきまえるのが知恵であり、愛である。 

 同様に、教団の使命は、「妻」一人のわがままを許さ

ないということである。

 武家の妻でさえ、その立場をわきまえていたと言うも

のを。


 マスコミ、それが、悪魔の根城である。 

 智慧なき「やさしさ」を美化してはなるまい。

 偽善のマスコミの嘘を権威としてはなるまい。

 被害妄想を正義と取り違えてはなるまい。

 

 頭かくして尻隠さず、それが、日本のお粗末な状況で

ある。

  

         

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

   

   

   

   

   

   

     

 

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