皐月雨 魚光りたり 多々良川
梅士 Baishi
晴れたり雨ったり、女心と春の空・・・。
女心には無縁であるが、変転万化の初夏の風景は面白い。
旧暦卯月の雨に、川も池も、豊かな水をたたえている。
多々良川にはサギの種類が抜き足差し足、小魚を狙っている。
しかし、川を覗き込んでも魚の姿は見えない。
と、ポチャ~ンと魚が飛び跳ねたりする。
鳥のようにじっと動かないで川面を覗いていると、キラリと小魚が
光った。
水中で魚がキュルンとターンをしたときに魚の所在が分かる。
ハヤであろうか。
小さな魚があちこちで光るのである。
鳥たちも漁に夢中になる。
「信仰なき民主主義(大衆民主主義)」の不徳と独裁
民主ということほど傲慢な言葉はない。
もちろん、権力者のための政治ではなく、一般国民の
ための政治というイデオロギーではあろう。
しかし、神への敬虔がなければ、人間の力関係でしか
ないのであり、強者たる権力者のための政治とならざる
を得ない。
人間中心主義という不信仰な民主主義ほど傲慢で危険
な「民主」政治はあるまい。
これを証明したのが、先の亡国・民主党政権による相
次ぐ国難である。
電力会社の巨額の赤字は、民主党による原発廃止の結
果であって、民主党が賠償すべき赤字である。
民主党がでっち上げた言いがかりであり、その恫喝が
電力会社や国民に負担を強いているのである。
これが「不信仰な民主主義」による独裁政治なのであ
る。
すなわち、民主主義には神意を無視する大衆民主主義
と、神意を探る宗教民主主義の対立があるのである。
政治の大義とは、数の論理にはない。
神意にある。
神意が人間に反映したものが徳である。
今、神意は幸福の科学に降りている。
国師・大川隆法の説くところに神意がある。
安倍総理もその神意を受けての改革を断行してほしい。
しかし、神意の所在を明らかにしていないところに弱
さがある。
本来、公明党と連立を解き、幸福実現党との共闘方針
と抜擢人事をするというのが本腰の入った体制である。
信仰がないということは、あらゆることに人類の不幸
と危機を招く。
信仰なき科学、信仰なき教育、信仰なき企業活動もま
た、現代に祟る不幸勢力となっている。
銀行王と呼ばれた安田善次郎も企業経営における信仰
の大切さを説いている。
信仰なき人間ほど信用ならない人種はいない。
日本が追及すべき教育レベルは、自分の信仰告白がで
きる誠実と教養なのではないだろうか。
安倍総理の信仰告白を期待したいものである。
その一助としての靖国参拝、伊勢神宮参拝でありたい。
政教分離の呪縛を断ち切るべきなのである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党