巡りたる 季節に鳴きぬ 蝉時雨
梅士 Baishi
蝉にとっての季節は、最後の夏であり、生まれて死ぬ
世代の交代である。
地下に八年、その最期の夏を謳歌して死ぬ。
それが新鮮な夏を演出し、一族の繁栄を残す。
毎朝のせみ時雨がいとおしい。
長く封印していた映画『永遠の零』がテレビにノーカ
ットで上映されたので、見てしまった。
分割して見ようと思っていたのに、結局最後まで見て
しまった。
最後は突撃、それが特攻だっただろう。
有意な青年を死なせたのは無念だが、戦後70年たっ
てもなお、武人たる永遠の精神を今に伝えている。
無神論と卑屈な平和主義が現代ジャーナリズムの精神
であるが、これが戦後精神だとは言わせない。
しかし、人は、危機感の中に生きなければ堕落してし
まうものだ。
文明の完成を見た先史宇宙人たちも、未開の星に使命
をもって同化して転生している者もいる。
生きているということは、危機の中にいるということ
に他なるまい。
人は困難を楽しむ存在なのである。
しかし、安全になろうとしているのではない。
安全は目的ではない。
困難を克服したいと思っているのだ。
自由競争にさらされるということと、食い物にされる
ということは同義ではない。
自己保身のせめぎあいになっているTTP交渉はまたも
や決裂したが、日本のリーダーシップのなさをさらけ出
した結果である。
大東亜共栄圏構想の覚悟はないのか。
ちなみに、米の自由化をしても、日本人は外国米に乗
り換えるのはお試し程度のことに過ぎまい。
食は習慣である。
簡単には変わらない。
日本の米が最高であることは日本人の食習慣に落とさ
れている。
もっとも、どうせ政府お買い上げということで、質よ
りも収量を優先してきた農家は脱落するだろう。
良いことではないか。
恐れることはないのである。
自由化に踏み切ることだ。
虐待して育てられた家畜を食べたいとは思わないだろ
う。
ストレスの中で育った鶏肉や卵を食べたいとは思わな
い。
そこを情報開示させればおのずと適正な競争が保たれ
るものである。
不良業者は淘汰されるべきである。
TTPにはそうした大義名分もあるということを踏まえて
ほしいものである。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党