節分の ふく口をあけ 豆を食い
中村 梅士 Baishi
今日は節分である。
お櫛田さんでも、東長寺でも、盛大な豆まき行事が行
われるが、見に行ったことがない。
一度は見たいものだ。
今朝の気温は4℃、西高東低の気圧配置で、これから
ぐっと冷え込みそうである。
節分は一番寒い時期である。
風邪退散の豆まきをしたい。
節分は鬼と福とを分けて、悪を追い出し、福を祝福す
る素朴な善悪思想だといえる。
しかし、2016年7月に起こった、相模原障害者施
設大量殺傷事件についての『愛と障害者と悪魔の働き』
を一読して、悪に対する考え方と対処の難しさについて、
考えさせられた。
あまりにも狂気じみた事件だったので、読む気がしな
いまま棚上げしていた一冊だった。
そこに登場した悪魔はなんと、ニーチェだった。
ニーチェが、信仰心の希薄化した日本を狙って、「宗
教テロ」を仕掛けているらしいのである。
朝鮮戦争に対する考え方も、一歩間違うと、ネオナチ
ズム的な民族浄化思想に組する危険性がある。
こうしたテロリズムないしホロコーストの悪魔思想と
は明確に一線を画さなければならない。
安易な天罰思想は悪魔思想に通じるということである。
反省しなければならない。
もちろん、障害者は社会悪などではない。
人々に必要な試練であり、気付きを与える伝道者でも
ありうるのだ。
しかし、それを単なるお荷物、不幸の原因のように考
える人が増えているのだろう。
そこに小悪魔が入り込んだのだ。
なぜ悪魔がそうしたテロ思想を好むのだろうか。
神の無力、神の不公平ということを強調して神の存在
を否定したいのであろう。
神への不平不満がキリストを処刑したともいえる。
正義の根拠は神にあるが、正義を実現するのは、人の
責任であることを忘れてはなるまい。
神への不平不満、それが悪魔の心情である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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