蝋梅に とどめし梅も 溶け始め
中村 梅士 Baishi
蝋梅は梅よりも一足先に咲き始め、一足先に枯れる。
初めて見たときは、蝋人形のようで驚いたものだった。
香りが強く、砂糖が香っているようである。
本当に不思議な花弁である。
公園の梅は、遅咲きの枝垂れ紅梅も3分咲きほどに咲
き、紅梅白梅が今を盛りに咲いていた。
梅の季節が一番好きである。
願わくば 梅の下にて 冬死なむ
地蔵も眠り 吾も寝て
そんなふうに、ピンピンコロリと逝きたいものである。
冬の四国遍路には似合いそうである。
さて、今日も寡黙に仕事をした。
講義では多弁で学生たちを笑わせるが、それ以外はほ
とんどしゃべらない。
明け方の考案で、自分にはほとんど人間関係がないな
あと思ったが、社交的な財界人や政治家でも、親しい人
間関係はごくごく少ないであろう。
自分も広範囲に人間関係を作ってきたが、今は自ら音
信を断っている。
何かの時に助けてもらおうとも思わない。
貸し借り無しが、健全でいい人間関係なのだ。
貸し借りが結ぶ絆は、親子関係と男女の仲だけかもし
れないと思う。
貸し借り無しの人間関係とは、文化的交流の味わいで
あろう。
尊敬であり、学びである。
仕事上の人間関係もその様でありたいものだが、親友
にはなりにくいものだ。
親友とは苦楽を共にした戦友であろう。
職場の人間は功利的な仕事上の付き合いに過ぎない。
一流企業は知らず、尊敬できる人間は稀である。
むしろ、学生との関わりの方がよほど新鮮で絆を感じ
させるものだ。
豊かな人間関係に恵まれたほうかもしれない。
オリンピックとパラリンピックの関係にはいつも疑問
を感じる。
絶対的バリアを感じさせるからである。
東京オリンピックは、バリアフリー化を目指すべきで
あろう。
少なくとも、聖火は消してはならない。
パラリンピックに引き継がれるべきが聖火であろう。
障害者は社会の必然であり、健常者社会を支えている
存在と言ってもよい。
障害者スポーツに敬意を払うべきである。
昨年からパラスポーツの番組があって、それを見るだ
けでも、すごい高度なスポーツ競技であることが分る。
障害で奪われた能力を数えるな、残された能力を生か
せというのがパラスポーツの精神だそうだが、人生に敗
北はないという常勝思考を感じさせるものである。
利権まみれのIOCを解体するために、オリンピック
など止めてしまえと思うが、オリンピックを残したいな
ら、IOCは解体するべきでもある。
いつかは、宇宙人も交えたエル・カンターレ祭とした
いものである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party