藪椿 冷たき葉茂に 点したる
中村 梅士 Baishi
山中で藪椿の花をみつけると、ほっとする。
山茶花のように満開という咲き方はしないが、純粋な
紅の花がひときわ美しいと感じさせるのである。
椿の花は花姿のまま地に落ちるので、武士にとっては
縁起が悪いと言われるが、侘び茶に似合う花である。
さて、今朝の気温は6.5℃、おだやかな朝だ。
鶯が、さかんに蜂蜜ジュースをなめている。
春三月まであと15日ほど、日一日と日が伸びている。
そして、卒業式があり、桜の花が咲き始める。
何が起ころうとも、最善を尽くすのみである。
スポーツ競技と同じ心得である。
女子競泳界のエースとして大活躍をしていた池江璃花
子選手が体調を崩して急遽オーストラリア合宿から帰国、
早期の白血病だったことが分かったという。
寝耳に水という衝撃的事態だが、競技人生でもあるの
だから、やはり最善を尽くすのみである。
白血病の原因は遺伝子異変ではあろうが、その原因は
分かっていない。
信仰心があるならば、治療と共に、幸福の科学の癌消
滅祈願を受けてほしいものだが、それを含めて、宿命な
のであろう。
過去世の由来もあるのだろう。
まさか、それが2019年の衝撃というわけでもない
だろうが、スポーツの影響力の大きさを感じさせる事態
ではある。
少なくとも、選手の使い捨てのようなことはしないで
ほしいものだと思う。
日本のスポーツ界の現実は、スポーツマンシップだの
フェアプレイだのは通用しない非現実である。
勝敗結果に基づく報酬の分捕り合戦、これがスポーツ
の力学である。
アスリート育成の思想は、選手を競技一辺倒の専門バ
カにして、選手引退までの使い捨てにする。
もちろん、選手のスポーツ人生なんて、トレーニング
対象外、メダルの取れそうな選手を短期に低コストで戦
士に仕上げるのが国の選手育成方針である。
競技スポーツは、選手が人生を棒に振る覚悟に支えら
れ、特攻的人生の屍を重ねる。
一億総スポーツだの、スポーツ立国論だのと、官僚用
語できれいごとを並べるが、公営ギャンブル立国論と言
い変えたほうが分かりやすい。
「スポーツとは、もっと気楽に楽しむ遊びの文化なん
だ」と言う評論家がいるが、その考えでどんなスポーツ
文化ができると言うのか。
オリンピックなんて、スポーツの邪道だということに
なるだろう。
明らかに邪道の考え方である。
スポーツ文化とは、健全な競争社会の在り方を教え、
競争社会の優れたリーダーを育成するための教育文化で
ある。
スポーツマンもまた、社会的リスペクトに応えるだけ
の人間力と教養を身に着けるべきである。
ノブレス・オブリージュを大切にするスポーツ帝王学
が、高校、大学で教授されるべきであろう。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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