Jリーグ・ヤマザキナビスコカップ 決勝
2004年11月3日(水)14:00キックオフ
国立競技場
FC東京 0-0 浦和レッズ
ナビスコ杯決勝PK戦。レッズ3人目の田中達也が蹴ったボールはクロスバーを直撃。天を仰いで崩れ落ちる達也のもとへ岡野がダッシュで駆け寄って声をかけました。レッズ4人目の山田暢久が蹴ったボールはGK土肥の脚に当たって万事休す。天を仰いで崩れ落ちる暢久を慰める山岸。失意のキャプテンを迎えに駆け寄ったのはやはり岡野でした。どちらもテレビでは映されなかった光景です。
出場機会を求めてヴィッセル神戸へ移籍した岡野雅行が浦和レッズに復帰したのは今年のことです。野人と呼ばれ、日本代表をW杯初出場へと導いたジョホールバルでのVゴールは、日本サッカーの歴史として記録と記憶に残されています。そんな岡野も30歳を超えてベテランと呼ばれるようになりました。若手選手の成長が顕著なレッズにあって、その役割は以前とは明らかに違うのだという自覚は、移籍会見のコメントでも十分に伝わってきました。当時付けていた背番号7番は同じく新加入の酒井に譲って、自分は30番を選びました。「30代になったんで」と彼は笑って言いました。「チームが困った時、辛い時、自分が先頭に立って引っ張って行きたい」。
連覇を狙った決勝で、PK戦の末負けるということがどれだけ辛いものなのか。あの試合を見ていた人なら誰でも想像できると思います。全てが終わった今なら、決定機を逃し続けた試合内容の不味さや、最後のキッカーとなった暢久にのしかかったキャプテンとしての重圧等々冷静に考えることができますが、あのPKが入らなかった瞬間のショックは相当なものです。本当に目眩がするくらい。レッズの選手もみんな呆然と立ち尽くしていました。岡野以外は。岡野よく気がついたなあ。
良いチームとはどういうチームなのか。いろいろな定義が考えられますが、最近はこんな風に考えています。「選手各人がチーム内での自分の役割をしっかり把握していて、チームのためにできることをしっかり実行している」。それは何もプレーに限ったことではありません。そして今のレッズはもちろんとても良いチームだと思います。
勝つ時もあれば負ける時もあるさ。勝てばうれしいし負ければ悔しい。サッカーとはそういうものだと思います。
2004年11月3日(水)14:00キックオフ
国立競技場
FC東京 0-0 浦和レッズ
ナビスコ杯決勝PK戦。レッズ3人目の田中達也が蹴ったボールはクロスバーを直撃。天を仰いで崩れ落ちる達也のもとへ岡野がダッシュで駆け寄って声をかけました。レッズ4人目の山田暢久が蹴ったボールはGK土肥の脚に当たって万事休す。天を仰いで崩れ落ちる暢久を慰める山岸。失意のキャプテンを迎えに駆け寄ったのはやはり岡野でした。どちらもテレビでは映されなかった光景です。
出場機会を求めてヴィッセル神戸へ移籍した岡野雅行が浦和レッズに復帰したのは今年のことです。野人と呼ばれ、日本代表をW杯初出場へと導いたジョホールバルでのVゴールは、日本サッカーの歴史として記録と記憶に残されています。そんな岡野も30歳を超えてベテランと呼ばれるようになりました。若手選手の成長が顕著なレッズにあって、その役割は以前とは明らかに違うのだという自覚は、移籍会見のコメントでも十分に伝わってきました。当時付けていた背番号7番は同じく新加入の酒井に譲って、自分は30番を選びました。「30代になったんで」と彼は笑って言いました。「チームが困った時、辛い時、自分が先頭に立って引っ張って行きたい」。
連覇を狙った決勝で、PK戦の末負けるということがどれだけ辛いものなのか。あの試合を見ていた人なら誰でも想像できると思います。全てが終わった今なら、決定機を逃し続けた試合内容の不味さや、最後のキッカーとなった暢久にのしかかったキャプテンとしての重圧等々冷静に考えることができますが、あのPKが入らなかった瞬間のショックは相当なものです。本当に目眩がするくらい。レッズの選手もみんな呆然と立ち尽くしていました。岡野以外は。岡野よく気がついたなあ。
良いチームとはどういうチームなのか。いろいろな定義が考えられますが、最近はこんな風に考えています。「選手各人がチーム内での自分の役割をしっかり把握していて、チームのためにできることをしっかり実行している」。それは何もプレーに限ったことではありません。そして今のレッズはもちろんとても良いチームだと思います。
勝つ時もあれば負ける時もあるさ。勝てばうれしいし負ければ悔しい。サッカーとはそういうものだと思います。