アーレント研究会とやらをのぞきにいく電車の中で読み始めた佐藤和夫さんの『〈政治〉の危機とアーレント 『人間の条件』と全体主義の時代』、狂おしいほどに面白い。
佐藤和夫さんとは何度かおめにかかったことがあるし、お話をお聴きしたこともある。
講演の印象は、ジェットコースター並みの高速回転で世界の見え方が動いていく究極のADHD的な(この場合 「芸術家的」と言い換えてもよい)哲学者と出会った、というものだった。
しかしこの本は、その稀有な才能の持ち主である 「佐藤和夫」の名を持つことばたちが、私たち一般読者のために 「足を止めて」きちんと 「拳」を次々に繰り出してくれているのだ。
これはマジで凄いことだ。
この本と出会った午後に、國分功一郎先生の提題で論じられるアーレントの話が聴けるとは、それを至福と呼ばずしてなんと呼ぼう。
ただし、アーレントの 「学会」とか 「研究会」の人々が私のこの狂喜乱舞っぷりを共有してくれるか、というとそれはまた別の話なのだろう。学者の言説は意外とそこは 「鈍い(よく言えば慎重)」からね。
言っておくが、ここでいいたいのは 「物語」の水準のことではない。 「表現」の水準のお話だ。
私は学者さんたちになんの義理もないからいいんだけど。
勤め人にとって貴重な週末の半日を裂いて、自腹で買って読む価値あり、じゃないかな。
そして実はまだ読み終わっていない(笑)
國分功一郎先生がこれでもか、と緻密に緻密に論を進めた『中動態の世界』とは対照的に、佐藤和夫さんはグイッといきなり心臓部に触れるような書きっぷりだ。
「芸風」の違いもあろう。 「お年の差」もあろう。しかし、間違いなくこの二冊は私にとって(今のところ)2017年のベスト2。
しかもそれがいずれもある意味アーレントから現代の 「知」を逆に照らしていることも興味深い。
アーレントって、結構いらいらするし、読んでもわかんないとこあるし、妙に息づかいを感じてしむうところもあるし
、素人でも突っ込みたくなるところもあるし、でもみんな気になってるって感じでもある。
なきはともあれ、読むべし。
佐藤和夫さんとは何度かおめにかかったことがあるし、お話をお聴きしたこともある。
講演の印象は、ジェットコースター並みの高速回転で世界の見え方が動いていく究極のADHD的な(この場合 「芸術家的」と言い換えてもよい)哲学者と出会った、というものだった。
しかしこの本は、その稀有な才能の持ち主である 「佐藤和夫」の名を持つことばたちが、私たち一般読者のために 「足を止めて」きちんと 「拳」を次々に繰り出してくれているのだ。
これはマジで凄いことだ。
この本と出会った午後に、國分功一郎先生の提題で論じられるアーレントの話が聴けるとは、それを至福と呼ばずしてなんと呼ぼう。
ただし、アーレントの 「学会」とか 「研究会」の人々が私のこの狂喜乱舞っぷりを共有してくれるか、というとそれはまた別の話なのだろう。学者の言説は意外とそこは 「鈍い(よく言えば慎重)」からね。
言っておくが、ここでいいたいのは 「物語」の水準のことではない。 「表現」の水準のお話だ。
私は学者さんたちになんの義理もないからいいんだけど。
勤め人にとって貴重な週末の半日を裂いて、自腹で買って読む価値あり、じゃないかな。
そして実はまだ読み終わっていない(笑)
國分功一郎先生がこれでもか、と緻密に緻密に論を進めた『中動態の世界』とは対照的に、佐藤和夫さんはグイッといきなり心臓部に触れるような書きっぷりだ。
「芸風」の違いもあろう。 「お年の差」もあろう。しかし、間違いなくこの二冊は私にとって(今のところ)2017年のベスト2。
しかもそれがいずれもある意味アーレントから現代の 「知」を逆に照らしていることも興味深い。
アーレントって、結構いらいらするし、読んでもわかんないとこあるし、妙に息づかいを感じてしむうところもあるし
、素人でも突っ込みたくなるところもあるし、でもみんな気になってるって感じでもある。
なきはともあれ、読むべし。